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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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木曾山林学校 (2.木曽の歴史)

木曾山林学校 / 2.木曽の歴史 5 木曽は古書、吉蘇・岐蘇又は吉祖に作り、近世の詞人或は岐岨に作るものあり。,源平の世、中原某此に居り木曽中太と称す。,慶長5年(注2-7)関ヶ原の事起るや徳川秀忠軍を率ゐて木曽路を過ぐ時に、木曽氏の遺臣山村良勝、千村良重召,此に木曽谷政次権革の大要なり。,今や鉄路は木曽路を貫通すると共に、木曽谷は東山道の枢機(すうき:かなめ)たるに於て、又其林業地たるに於 / 2.木曽の歴史
木曾山林学校 (1.木曽ノ天然)

木曾山林学校 / 1.木曽ノ天然 木 曾 山 林 学 校 要 覧      3          1.木 曽 ノ ,実に夏の木曽は一種の極楽郷と云ふを得べし。 木曽は既に山間の一狭谷なり。,木曽谷を貫流するもの之を木曽川となす。,木曽川は源を鉢盛山に発し木曽山谷の水流を併せ滔々(とうとう)西南に流れ去る。,而(しか)して中山道(注1-4)は東北より木曽に入り鳥居峠以南は行々木曽の水流に沿ひ遂に美濃路に入る。 / 1.木曽ノ天然
木曾山林学校 (木曽の五木と害虫)

木曾山林学校 / 木曽の五木と害虫 13           菊 池 生(注6) 赤松や落葉松等は昆虫の害が甚だしい,木曽で私の眼に触れたもの丈でも尠なくはない。其中の2、3は本『林友』に記した通りである。,然るに木曽の五木には寄生虫は殆ど見当らない。,木曽は木曽で特有の者も居るに違ひない。他の地方には見られぬ者が居るであらう。,扨(さ)て木曽の五木にはどんな害虫が居る事やら知りたい。 / 木曽の五木と害虫
木曾山林学校 (3.木曽と産業)

木曾山林学校 / 3.木曽と産業 7   木曽谷は面積114方里(注3-1)、人口47,211。,今順を追うて木曽の産業の一般を略述せん。,木曽の林業  木曽谷の大半は林地を以て蔽(おお)はれ、即ち全地積153,278町歩の中、  御料林    ,木曽は古来林業に従事するもの多く、伐木運材事業並に労働者の組識は古き歴史を有し其作業方法は実に壮観且巧妙,即ち其2、3を挙ぐれば、木曽の漆器は古(いにしえ)より木地堅牢・実用的なるを以て知らる。 / 3.木曽と産業
木曾山林学校 (木曽御料林雑詠十首)

木曾山林学校 / 木曽御料林雑詠十首 13           三 村 千 載 千早振神代の代よりしけりけん       ,ひるもをくらき木曽の檜原は 朝な夕な真木の茂れる木曽山に       雲のかゝれるさまのをゝしき,山といふ山はあれどもとこもはに       真木木のしけれるやまは木曽山 そのむかし伊勢の宮木を伐,いてゝ       こたまにひゝくほまれ高くも 君むかしゆつりまつりし木曽山の  ,や       小木曽の檜原つくるときなし 山といふ山の檜原にとはすとも       木曽のみ山 / 木曽御料林雑詠十首
木曾山林学校 (木曽御料 伐木運材の改良を望む)

木曾山林学校 / 木曽御料 伐木運材の改良を望む 15           脇 田 山 の 人 木曽御料の伐木運材,一々積換の世話は絶無で、夫れに用せし諸     (改頁)   経費を節約し、伐木所迄,尚伐木方法にしても手斧や鋸で数千人の労役に依らず、器械力を応用しなければ現在の杣(そま:きこり)を有効,然して木曽の天地を順次開発せられしならば真に名実共に完備するので好模範を造る事になり、引いては中央山林国 / 木曽御料 伐木運材の改良を望む
木曾山林学校 (◎木曾山林学校々友会の沿革)

木曾山林学校 / ◎木曾山林学校々友会の沿革 33   本会は名称を木曾山林学校々友会と称して、会員相互 / ◎木曾山林学校々友会の沿革
木曾山林学校 (◎木曾山林学校々友会々則)

木曾山林学校 / ◎木曾山林学校々友会々則               32      第1章  名称 ,位置 第1条  本会は木曾山林学校々友会と称し木曾山林学校内に設置す      第2章  目的 / ◎木曾山林学校々友会々則
木曾山林学校 (祝木曽山林学校創立20周年)

木曾山林学校 / 祝木曽山林学校創立20周年 13            宮 川 丑 作(注8)    岐蘇山下学寮清 / 祝木曽山林学校創立20周年
木曾山林学校 (木曽山林学校創立 20年記念を祝て)

木曾山林学校 / 木曽山林学校創立 20年記念を祝て 14           安 井 正 夫(注9)             / 木曽山林学校創立 20年記念を祝て
木曾山林学校 (24.木曾山林学校々友会々則)

木曾山林学校 / 24.木曾山林学校々友会々則 56      第一章  名称 位置 第1条 本会は木曾山林学校々友会,と称し木曾山林学校に設置す      第二章  目的 第2条 本会の目的は会員相互の智徳を練磨し、 / 24.木曾山林学校々友会々則
木曾山林学校 (8.長野県立甲種木曾山林学校学則)

木曾山林学校 / 8.長野県立甲種木曾山林学校学則 18        第 1 章  総   則 第 1 条 本校,     上               右父母後見人    何   某 (印)   長野県立甲種木曾山林学校長氏名殿,氏    名  (印)                       生年月日    長野県立甲種木曾山林学校長氏名殿,修了シタルコトヲ証ス   (校 印)   年  月  日               長野県立甲種木曾山林学校,(注 「長野県立甲種木曾山林学校学科目及程度並毎週授業時間表」の表は原本ビューワ26コマを参照) / 8.長野県立甲種木曾山林学校学則
木曾山林学校 (◎長野県西筑摩郡立甲種木曾山林学校学則)

木曾山林学校 / ◎長野県西筑摩郡立甲種木曾山林学校学則 28        第1章 総則 第 1 条  本校は農業学校規程甲種,         同上         右父母後見人 何某 (印)     長野県西筑摩郡立甲種木曾山林学校,注50)し其業を了(お)へたり仍(よっ)て之を証す         年月日  長野県西筑摩郡立甲種木曾山林学校長姓名,したることを証す         年月日(校印)              長野県西筑摩郡立甲種木曾山林学校,#160;       了へたり依て茲に之を証す        年月日   長野県西筑摩郡立甲種木曾山林學校 / ◎長野県西筑摩郡立甲種木曾山林学校学則
木曾山林学校 (◎第1回木曾山林学校生徒修学旅行記)

木曾山林学校 / ◎第1回木曾山林学校生徒修学旅行記 15 今茲(きんじ:今年)明治34年6月22日午後1時、森林視察,かけはし:上松町)の名所に休憩したが、此の処(ところ)は鬱蒼たる御料林が左の側に繁茂し、右方脚下には木曽川,(注 「伐木地の面積及び其の材数」の表は原本ビューワ16コマを参照) 備考 右材木中は主として木曽の,の割木で囲ひ、之れに土砂樹皮等を容れ上部から来る材木を受けさせる。,第三、せぎは本小谷と小谷にて水を堰(せ)ぎて材木を流すもので、水を湛(たた)へる為めに其材木と材木との / ◎第1回木曾山林学校生徒修学旅行記
木曾山林学校 (◎小川木山祭を視(み)る)

木曾山林学校 / 吾等木曾山林学校職員及生徒一同は修学旅行を兼ねて木山祭(注24)を見んと午前5時校庭へ集まつて出発しました,此上松から小川へ行くには道も細いし、其上木曽川が流れて居(お)りますから誠に之からの道が困難なのである,それに木曽川には橋がないから舟で越さんければならない。,誠に小川の山、古往今来(こおうこんらい:昔から今まで)未曾有(みぞう:今までに一度もなかったこと)の賑,これを渡つて小川の谷に従つて行くことが12、3町にして伐木事務所へ着き、それから御神木所在地式場迄は6 / ◎小川木山祭を視(み)る
木曾山林学校 ([総合解説])

木曾山林学校 / [総合解説] 木曾山林学校は、実業学校令に基づき、我が国最初の森林・林業を専門とする実業学校として、,明治34年(1901)4月に、現在の木曽町に創設された学校である。,幕を閉じ、その教育は木曽青峰高等学校に引き継がれた。,・木曽山林高校百周年記念誌『山霊生英傑』(木曽山林高等学校) ・『沖縄近代林業の父園原咲也と木曽山林学校,』(手塚好幸編著)   【木曾山林資料館】 長野県木曽町新開4236(木曽青峰高校新開キャンパス内
木曾山林学校 (◎職員任命)

木曾山林学校 / 教諭 手塚長十 西筑摩郡林業巡回教師たりし同氏は、明治34年4月1日長野県木曾山林学校助教諭兼西筑摩郡林業巡回教師,助教諭兼舎監 浮田吉太郎 酉筑摩郡農事巡回教師たりし同氏は、明治34年4月1日長野県木曾山林学校助教諭兼西筑摩郡農事巡回教師,嘱託教授兼舎監 宮田重郎 先きに西筑摩郡三留野(みどの)尋常高等小学校長たりし同氏は、明治34年6月20日木曾山林学校教授兼舎監,雇教員兼舎監心得 中野有作 中野有作氏は、治34年10月15日木曾山林学校雇教員兼舎監心得に命ぜられしも,書記 鈴岡実造 氏は明治34年4月19日木曾山林学校書記に任ぜらる。           
木曾山林学校 (◎御料局(注8)技師林学士江崎政忠氏演説(注9))

木曾山林学校 / 抑も木曽の森林と云ふのは実に立派な森林であつて日本には外にない。,又欧州にも森林は沢山あるけれども、樹木に就ては木曽立木の如(ごと)き良材はあるまい。,そこで又この木曽に於ける伐木運材の方法が完全であると言ふても先づ世界第一であると言ふ事は、唯(ただ)今御料局,「木曽の如(ごと)き森林、及び木曽に於ける如き運材の方法を実行して居る所は、まあ世界にあるまい」と。,諸君は木曽の山中に居て、山に行つては樹木を植え運材の方法など日々実際に就て学ぶと云ふことが第一である。
木曾山林学校 ([解説])

木曾山林学校 / [解説] [目録] 木曽山林資料館 山口登  『木曾山林学校要覧』は、当時の学校教育を窺い知る貴重,その中で木曽が歴史・地理的に林学・林業を学ぶに適した地であること。,それ以後、年によっては5割を超える県外生が入学することもあり、ますます「木曾山林」の名は全国に知られるようになった
木曾山林学校 (6.本校の沿革)

木曾山林学校 / 66,763円35銭を以て新築工事の件を議決す ○同 43年2月5日文部省告示第17号を以て、長野県立甲種木曾山林学校,の位置を同県西筑摩郡新開村に変更の件認可を経たり ○同 44年11月長野県立甲種木曾山林学校を長野県立木曾山林学校
木曾山林学校 ([注記])

木曾山林学校 / [注記] (注記 1.木曽ノ天然)  (注1-1)広袤(こうぼう):広さ。,織田信長が伊勢神宮御造営材を木曽から伐出したという記録がある。,(『日本の森と木と人の歴史』日本林業調査会)  (注2-12)五木:ふつう木曽五木という。,1615年から尾張藩の管轄になり、木曽川を筏に組んで流送されてきた木曽材が、いったん伊勢湾に出てから堀川,これが紙盆で、木曽では南木曽町の田立で作られた。  
木曾山林学校 ([注記])

木曾山林学校 / (注2)松田力熊(まつだりきくま):木曾山林学校初代校長。島根県出身。,同40年(1908)、帝室林野局となり、全国7カ所に支庁が設けられ、木曽町にも木曽支庁が置かれた。,(注15)ネズコ:木曽五木の中の1種で、この資料の中にもしばしば現れるが、漢字表記はむずかしい。,木曽の開田村出身。,で「晴本日御杣山木本祭執行」とあり、神宮造営材のご神木を伐採し搬出が行われ、「木曾山林学校の職員、生徒
木曾山林学校 ([本文])

木曾山林学校 /         岡部喜平 卒業生に望む         西澤静人 記念号へ           米山太郎吉 木曽,の五木と害虫       菊池生 祝詞             宮川丑作 木曽御料林雑詠        ,安井正夫 20年の過去と将来       宇佐美生 祝母校隆盛          脇田山の人 木曽御料伐木運材改良,         脇田山の人 アイヌ物語          MY生 短歌             大木放野,母校を思ひて         SK生 祝詞             黒岩正平 木材の欠乏を憂ふ
木曾山林学校 ([注記])

木曾山林学校 / [注記] *この注では、木曾山林学校のことを「木曾山林」、校友会報のことを「会報」、岐蘇林友のことを,  (注1)岡部喜平:木曾山林学校第5代校長。静岡県出身。,木曽の学校即ち木曾山林学校のこと。 (注4)西澤静人:教諭。長野県出身。,明治42年5月静岡県立農林学校から木曾山林へ。,(注7)ねゝずあすひ:ここは木曽五木のことを述べているので、「ねゝず」はネズコの誤まりか。
木曾山林学校 (創立20周年を迎へて所感を述ぶ)

木曾山林学校 / 創立20周年を迎へて所感を述ぶ 11           長野県木曾山林学校長  岡 部 喜 平(,注1) 木曾山林学校の創立せられたる明治34年頃は林学教育の大本山たる農科大学林学科ですら、僅に十数名,の学生しか居なかった時代であったから、長野県の木曽に郡立の山林学校が出来て松田林学士が校長になられたと,、其後益々発展して既に600有余の卒業生を出し、此等の卒業生が帝国領土内到る所で盛んに活動せる結果、木曾山林,それに卒業生は長野県に止まらずして、全国の官公署や民間会社抔(など)に就職する者が多い為め、或る一部には木曾山林学校国立論
木曾山林学校 ([解説])

木曾山林学校 / [解説] [目録] 木曽山林資料館 山口登  『木曾山林学校校友会報』1号は、開校2年目に校友会
木曾山林学校 ([奥付])

木曾山林学校 / 奥付] 63     明治45年2月1日                 長 野 県 立 木,曾 山 林 学 校              松本市本町1丁目185番地     印  刷  所
木曾山林学校 (木材の欠乏を憂ふ)

木曾山林学校 / 木材の欠乏を憂ふ 20           松 舘 藤 太 郎(注24) 我が木曽山林学校は明治,1914~18)により我国森林は過伐に陥り、各地共木材の不足せるを耳にす。,日本の木材は今後50年にして伐り尽さると盛んに唱導せらる。,此の米は山と木により完全に産出し得べきなり。,樹木の権威・特質は実に係りて時にあるなり。 / 木材の欠乏を憂ふ
木曾山林学校 (12.本校の実習に対する便宜)

木曾山林学校 / 然るに本校は林業に関する教育を施すべき目的を以て設置せられたるものなれば、其位置の如きも有名なる木曽の,かくのごとく)至便の位置に広大なる演習林を有し、完全に実習を施行し得るのみならず、有名なる10万余町歩の木曽御料林,2、木曽御料林の伐木運材事業は遠く徳川時代以前より連続し、多年の経験を積み幾多の改良を重ねて、今や最良至便,の装置を工夫し、且つ近年に至り御料局木曽支庁の設置せらるや、更に欧州に於ける最新式の伐木運材法を施行し,を有するを以て測樹実習並に林木及森林の評価実習を為すに最も適当せり。
木曾山林学校 ([解説])

木曾山林学校 / [解説] [目録] 木曽山林資料館 山口登  第2代校長江畑猷之允は、『木曾山林学校々友会報』の
木曾山林学校 (◎農商務省営林技師水戸章造氏の演説)

木曾山林学校 / ◎農商務省営林技師水戸章造氏の演説 8 今度私は木曽の山林を視察に出ました序(ついで)に本校の模様,を伺ひたいのであつて、先月28日東京を出発して名古屋御料局から段々木曽へ這入(はい)つて、小川(おがわ,上松町小川)の伐木所等を視察して本日此処(ここ)まで来たのです。,元来林業も学術上より得たる智識を実地に応用するのであるから此木曽は誠によい地である。
木曾山林学校 (◎発刊の辞)

木曾山林学校 / ◎発刊の辞 木曾山林学校々友會報 第一號      2         (明治35年10月 日発行,偖(さて)此(こ)の会報の初刊は恰(あたか)も草木の甲拆(こうたく:草木が芽を出すこと)したるものに比,すべく、今後日光雨露の潤沢を被りて成長するに従がひ、風雨霜雪寒暑の困難を経ざれば、老木大幹となることが
木曾山林学校 (福島通信)

木曾山林学校 / ちゅうじき:昼食)を了(りょう:おえる)し後、長野より遠征し来れる芸者の美篶(みすず)音頭及福島芸者の木曽踊,尚(なお)一行はステーション内、木曽の名産陳列場等を見物し、2時半頃夜会場諏訪へ向けて出発仕り候。,         向 井 辰次郎 君          樋 ロ   勇 君          木 
木曾山林学校 (造林上の雑感)

木曾山林学校 / (1)木曽地方に現れたる造林 天下に冠絶せる扁柏(へんぱく:ヒノキ)天然林の本場たる木曽御料林の伐採後,木曽の如き急傾斜地の植付は指導者をして務めて斜面植込みに注意せしめざれば、目的の本数より多く植込むものである,故に今日としては苗木を節約し植付人夫を節し、引ては造林費の節約を期すべきである。,けんこう:つりあい)を欠き不完全なる林木を形成せるに至れるは遺憾である。,木材二業の発達は益々廓大(かくだい)せられ用途は増加するのみ。
木曾山林学校 ([本文])

木曾山林学校 / [本文] 木曾山林学校要覧 目次      2 1.木曽ノ天然………………………………………………,…………………… 1 2.木曽ノ歴史…………………………………………………………………… 4 3.,木曽ト産業…………………………………………………………………… 8 4.中等程度ノ森林教育ノ現状……
木曾山林学校 (過去20年より将来の20年へ)

木曾山林学校 / が出来たと云ふ声は洵(まこと)に空谷の鞏音(くうこくのきょうおん:人けのない谷にひびく足音)で、当時木曽,山林は木曽の真情(まごころ)木曽は山林の代名詞として天下に鳴った当時、我校の出現は当然と云へば当然であったが,由来十有七年、我校は県立となり新築を加へられ設備は完成し、校長其の人は幾度替れども木曽の一角に覇(は),は他の諸先例によって高等専門学校に昇格するか、将又(はたまた)現在比肩する同程の学校と其選を異にして木材工芸
木曾山林学校 (母校を思ひて)

木曾山林学校 / 母校を思ひて 20           S K 生 山林学校が木曽の谷間に産声を挙げてから20歳漸,ずることは、開校当時裏山へ植栽したる扁柏(ヒノキ)も矢張20周の年輪を数へ、経営宜(よろ)しきを得て将来木曽,の名木を発揮しつゝある一事なり。
木曾山林学校 ([解説])

木曾山林学校 / [解説] [目録] 木曽山林資料館 山口登  『岐蘇林友』144号は、創立以来20年の教育実践を
木曾山林学校 (我が故郷の森林状態)

木曾山林学校 /   (改頁)   て植付の途(みち:手段)を得しにもかゝはらず、現今は彼地(かのち)の林木を,らざるより、彼の吉野の林業の如く伐採するや否や跡地に造林すると反対に、伐採跡地をば長年月放置して雑草灌木等,次に林木の伐採過量は如何なる原因に基か。,右の如(ごと)き状態なれば、一般民家の薪炭材を得る途としては僅かに木曽支庁諏訪出張所の管轄にかゝる東俣,故に建築材等の如き良材に至りては山梨県方面に需(もと)むる次第なるも、此中央線の開通後は当木曽方面へも
木曾山林学校 ([注記])

木曾山林学校 / 立木密度を疎にし、残った木の肥大成長を促し、森林全体を健康にするため、林木の一部を伐採すること。,層積の測り方の一つに、4本の木柱を立て、中に一定の木材を空間を少なくするように並べ、平均高と材長、柱間距離,彼は卒業後、御料局木曽支庁へ勤務していた。,明治40年(1907)7月農科大学卒業、同41年12月から44年4月まで木曾山林学校在任。,(注60)黒川の清流~駒ヶ岳:黒川は演習林の真下を流れる木曽川の支流。駒ヶ岳は木曽駒ヶ岳のこと。
木曾山林学校 (木材紙料(しりょう:注27)製造業)

木曾山林学校 / 而(しか)して木材紙料は之を機械的木紙料・亜硫酸木紙料及曹達(ソーダ)木紙料の3種あり。,機械的木紙料は木材を砕木機にて摺潰(すりつぶ)せる繊維状の少片にして単に木質細片たるに過ぎざるを以て弱,故に紙料木材として此等の天然林より、殊に幼木にして直径比較的小なるものを選伐し、老大木は之を建築其他の,工場にて木材を砕木機にて砕潰する前に、之を剥皮鋸断し又其径の大なるものは縦割し木節部・腐蝕部等を除去する,(2)亜硫酸木紙料製造 木材の運搬装置、剥皮・鋸断・縦割・除節等の予備作業は機械的木紙料の場合と同様 / 木材紙料(しりょう:注27)製造業
木曾山林学校 (11.実習)

木曾山林学校 / 8、森林利用及森林経理等の実習は、可成本校演習林に於て作業せしむる外、木曽御料林に於て視察及見習をなさしむ,前者は福島停車場の西方木曽川に面する山腹に在り、全部落葉松(からまつ)を新植し一部分は既に10余年生に,見本苗圃は内外各種の有用林木の苗木を培養し、見本林及植物園等の植付の用に供し、併せて造林学教授の参考となす,然(しかれ)ども10万町歩の木曽御料林と御岳・駒ヶ岳の両高山は温寒両帯に生ずる無数の林木を有し、自由に,然りと雖も10万余町歩の木曽御料林は自然の大教室にして大実習場たり。
木曾山林学校 (祝母校隆盛)

木曾山林学校 / 祝母校隆盛 15           脇 田 山 の 人(注13) 蘇峡(そきょう:木曽谷)20,美化の目的の為に木植うる業に暁星より起床し、岩清水に心より潔(きよ)く小鳥の啼鳴(ていめい)を聞きつゝ
木曾山林学校 (◎農業実習地)

木曾山林学校 /  4月29日  大宝   4合  田立村  同     川合坊主 3合  福島町  同     木曽錦,  3合  木祖村  同     見帰坊主 3合  福島町  同     上州   3合  長野県農事試験所,関州   3合  田立村  同     大和錦  3合  福島町  同     よしだ  3合  木祖村,甲州   3合  大桑村  同     三島   3合  大桑村  同     渋さらい 3合  木祖村, 同     白櫛田  3合  長野県農事試験所  同     栃木   3合  木祖村  同
木曾山林学校 (学校要覧)

木曾山林学校 / 66,763円35銭を以て新築工事の件を可決す ○同43年2月5日文部省告示第17号を以て長野県立甲種木曾山林学校,て記念として校友会雑誌を毎月一回発行の月刊となし、其の第12号を出す ○同44年11月長野県立甲種木曾山林学校,を長野県立木曾山林学校と改称の件文部大臣の認可を得たり ○同45年4月福島町所在の実習地の一部を返却,本年度より1学級を増し4学級となす ○同年同月23日県令第38号を以て本校名称の立の字を削除し、長野県木曾山林学校
木曾山林学校 (◎図書審査官農学士針塚長太郎氏演説)

木曾山林学校 / ◎図書審査官農学士針塚長太郎氏演説 9 諸君は木曾山林学校へ入学して居るのであるが、御承知の如(ごと,殊に此(この)山林学校と云ふのは、我国に於ては木曽を以て創始とします。,又近来工業発達し木材中より糸を得、紙を製す等、斯(こ)の諸外国の林業は著しく発達して到底日本の林業の比,唐人の寝言に木によつて魚を求めると云はれたが、此言は日本人は日常到底出来ない事を意味した言葉として、其当時,兎角(とかく)魚類は緑陰を好む性質があるものであつて、川の上流等の山が荒廃しないで木が黒く茂って居れば
パスファインダー (木曽の文学)

木曽の文学 トピック(テーマ) 木曽の文学 ねらい キーワード 概要,中山道 木曽路 兼好法師 和宮 木曾義仲 菊池寛 恩讐の彼方に 芭蕉 更科紀行 幸田露伴 風流仏 泉鏡花, 正岡子規 かけはしの記 田山花袋 柳田国男 木曽より五箇山へ 藤村 夜明け前 青山半蔵 吉川英治 宮本武蔵,風流仏は木曽街道須原宿の冬の日の二夜を中 心として描かれたもので、幸田露伴の出世作。,」 地域文化 2013 第105号 通行手形における木曽の女性と旅―木曽福島関所を中心として― 生駒勘七 / 木曽の文学
木曾山林学校 (手紙の一節)

木曾山林学校 / もうそろそろ木曽も紅葉で奇麗になる、一度遊びに来たまへ失敬。
木曾山林学校 (13.修学旅行)

木曾山林学校 / 成長及材積に関する事項 ( 6)森林経理に関する事項 ( 7)伐木に関する事項       ( 8),運搬に関する事項 ( 9)森林労働者の組織に関する事項 (10)木材の需要供給に関する事項 (11,・木材市場・貯木場・大坂大林区署)、京都(竹林・北山丸太・風致林・名勝旧跡)、名古屋(白鳥貯木場・燐寸,・深川木材市場・深川木材防腐会社・小石川植物園・砲兵工廠・博物舘・動物園)、日光(日光参拝・植物研究),殊に本校が木曽天然の美林中に存在するの故を以て、四囲の状况は努めずして之れが研究の資料を提供せらるゝと
木曾山林学校 (廿周年記念号の終に)

木曾山林学校 / 大正10年10月   編集員に代て   甲  氏(注53)   木曽山林學校位置圖 (注 これについての
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