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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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検索結果 : 892件
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松代まちあるきマップ (1松代城)

松代まちあるきマップ / 1松代城 松代案内   1   松代城,松代城太鼓門 松代城 松代城 松代城真田十万石まつり 写真をクリックすると、フルサイズの,城の名は、海津城、待城城(森忠政)、松城(松平忠輝)と変遷、松代藩真田家藩主三代幸道の時代に松代城となった,   〒381-1231 長野県長野市松代町松代44   ,歴史を刻む松代城    東・南・西を山並みに囲まれ、北に千曲川が流れる / 1松代城
松代まちあるきマップ (22寒松山 大林寺)

松代まちあるきマップ / 22寒松山 大林寺 松代案内   22   ,;寒松山 大林寺 大林寺 大林寺寒松院 写真をクリックすると、フルサイズの画像が表示されます,の松代移封後、この地に移した。,寒松院の墓石と遺骨も移葬した。,寒松院の墓のほか、信之・幸村(信繁)の父昌幸、母寒松院、信之、信政などの位牌、藩家老の矢澤、鎌原家、大石蔵之助 / 22寒松山 大林寺
松代まちあるきマップ (48松操山典廏寺)

松代まちあるきマップ / 48松操山典廏寺 松代案内   48   ,;松操山典廏寺 典厩寺 典厩寺 典厩寺閻魔堂 典厩寺閻魔 典厩寺 写真をクリックすると,松操山典廏寺(しょうそうざん てんきゅうじ) 宗派 曹洞宗 本尊 釈迦牟尼仏 川中島合戦,かくそうじ)跡に、承応三年(一六五四)、真田信之の女見樹院が、長国寺八世僦察(しゅうさつ)を開山として建立、松操山典廏寺 / 48松操山典廏寺
松代まちあるきマップ (11松代象山地下壕)

松代まちあるきマップ / 11松代象山地下壕 松代案内   11   ,;松代象山地下壕 象山地下壕 象山近壕 象山地下壕 写真をクリックすると、フルサイズの画像,松代象山地下壕  第二次世界大戦の末期、軍部が「本土決戦の最後の拠点」として、極秘のうちに、大本営、,政府各省等を松代に移すという計画のもとに構築。,〒381-1231 長野市松代町松代 026-278- 入壕時間 9:00〜17:00 休館日 毎月第 / 11松代象山地下壕
赤松小三郎書簡 実母宛 (幕末の先覚者赤松小三郎)

赤松小三郎書簡 実母宛 / 幕末の先覚者赤松小三郎 赤松小三郎は上田藩士芦田勘兵衛の二男、天保2年(1831)4月4日、今の上田市木町,後、嘉永7年(1854)同藩士赤松弘の養子となり、文久元年正月小三郎と改めた。  ,昭和14年に発行された柴崎新一著『赤松小三郎先生』には、「資性俊敏、豪宕磊落(ごうとうらいらく)、不羈 / 幕末の先覚者赤松小三郎
松代まちあるきマップ (18松代まち歩きセンター 八田家)

松代まちあるきマップ / 18松代まち歩きセンター 八田家 松代案内   18 松代まち歩きセンター,松代まち歩きセンター伝承館 松代まち歩きセンター 写真をクリックすると、フルサイズの画像が表示,松代まち歩きセンター 松代の豪商八田家の一画に設けられた民間のまち歩きサポートセンター。,長野市松代町松代伊勢町577  026-278-1277 営業時間 9:00〜17:00 休館日 ,八田家のある伊勢町は弘治三年(一五五七)から海津城築城にともなってつくられた城下町松代の町人町で、近世松代町人町 / 18松代まち歩きセンター 八田家
松本藩庄内組大庄屋御用留 (2、松本藩筑摩郡庄内組)

松本藩庄内組大庄屋御用留 / 2、松本藩筑摩郡庄内組 庄内組は、松本藩の筑摩郡五組のうちのひとつです。,庄内組の村は、庄内村、渚村、松本分、両嶋村、白板材、宮淵村、蟻ケ崎村、桐原分、征矢野村、埋橋村、筑摩村 / 2、松本藩筑摩郡庄内組
松代まちあるきマップ (24真松館(山岸家住宅長屋門))

松代まちあるきマップ / 24真松館(山岸家住宅長屋門) 松代案内   24  ,; 真松館(山岸家住宅長屋門) 山岸家(しょうしん館) 写真をクリックすると、フルサイズ,真松館(山岸家住宅長屋門)  土蔵づくりの長屋門で、大正時代後期の建物。,明治期は民間器械製糸工場の六工社など全国に先駆け製糸業が隆盛した松代。,住宅長屋門の奥にある牛乳処理場は、明治初期開業の松真舎牛乳店を引き継いだ山岸のぶが、昭和九年に建設。 / 24真松館(山岸家住宅長屋門)
松代まちあるきマップ (3真田邸(松代城跡附新御殿跡))

松代まちあるきマップ / 3真田邸(松代城跡附新御殿跡) 松代案内   3  ,; 真田邸(松代城跡附新御殿跡) 真田邸 真田邸 真田邸 写真をクリックすると,建て、それまで江戸住まいだった貞松院を松代に迎えた。,昭和五十六(一九八一)年に松代城と一体のものとして、国の史跡に指定された。, 〒381-1231 長野県長野市松代町松代1  開館時間 9:00~17:00 / 3真田邸(松代城跡附新御殿跡)
松代まちあるきマップ (2長野電鉄河東線(屋代線)旧松代駅)

松代まちあるきマップ / 2長野電鉄河東線(屋代線)旧松代駅 松代案内   2  ,; 長野電鉄河東線(屋代線)旧松代駅 旧松代駅 旧松代駅 写真をクリックすると,先の大戦中は、松代大本営建設のための貨物輸送にも利用され、留置線はその際に敷設されたもの。,駅舎の前に建つ「汽車ポッポ」の歌碑は、松代ゆかりの作曲家草川信の曲。 / 2長野電鉄河東線(屋代線)旧松代駅
松代まちあるきマップ (17松代藩鐘楼(まつしろはんしょうろう))

松代まちあるきマップ / 17松代藩鐘楼(まつしろはんしょうろう) 松代案内   17 ,;  松代藩鐘楼(まつしろはんしょうろう) 鐘楼 鐘楼 写真をクリック,井楼(せいろう)式高櫓形鐘楼で、元和八年(一六二二)年に松代藩真田家初代藩主・真田信之が設置。,〒381-1231 長野県長野市松代町松代166 長野市指定文化財(建造物) / 17松代藩鐘楼(まつしろはんしょうろう)
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (松尾村)

松尾村 地域 南信 市町村名 現在(令和2年):飯田市(いいだし) 明治初期:松尾村(まつおむら,寺所/名(明・みょう)/清水/城/久井/八幡(やわた)/代田/片羽/毛賀(けが) 川: 天竜川/松川,弁財天社/御射山社/天神社/稲荷社/社宮司 寺: 龍門寺(りょうもんじ) 学校: 島田学校/松尾学校,/毛賀学校 古跡・名勝: 天神塚並岡ケ塚/松尾城跡/厳島社(いつくしましゃ) 物産2: 晒紙(,: 農/商/紙漉 民業女: 縫織/養蚕/紙干業 明治初期の村絵図・地図(県立歴史館所蔵) 松尾村図 / 松尾村
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (松代町)

松代町 地域 東信 市町村名 現在(令和2年):長野市(ながのし) 明治初期:松代町(まつしろまち,) 幕末から明治初期:松代町/東条村/清野村 幕末から明治初期(よみ):まつしろまち/ひがしじょうむら,/松盛学校/陽透学校/教寛学校 古跡・名勝: 海津城址/古戦場/乳母池八幡祠/姫塚 物産1:,/松城/真田信之/真田幸民/掲示場/戸長役場/種痘所/電信分局/郵便所/製糸場・二工社・松代社・精工社,DB 松代町史/埴科郡誌 / 松代町
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (松川村)

松川村 地域 中信 市町村名 現在(令和2年):松川村(まつかわむら) 明治初期:松川村(まつかわむら,) 幕末から明治初期:松川村/板取村/神戸新田村/鼠穴村/細野村 幕末から明治初期(よみ):まつかわむら,ほそのむら 『長野県町村誌』 3巻 p2773に掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 松川,: (森林)神戸林/(原野)細野原/西ノ原/釜土原 明治初期の村絵図・地図(県立歴史館所蔵) 松川村,史料ID:10-1 2-4 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB 松川村誌 / 松川村
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (村松郷)

村松郷 地域 東信 市町村名 現在(令和2年):青木村(あおきむら) 明治初期:村松郷(むらまつごう,三ツ頭山 川: 浦野川 渡・堰: 上堰/柿ノ木堰 橋: 大沖澤橋 道路: 上田町より松本町,への街道 社: 村松神社/皇大神社/諏訪社/八幡社/管社/子檀嶺社 学校: 昌後学校 古跡・,/生糸/木綿/縫織 その他特記ワード: 浦野庄 明治初期の村絵図・地図(県立歴史館所蔵) 村松郷村誌調付録全図 / 村松郷
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (中松村)

中松村 地域 北信 市町村名 現在(令和2年):小布施町(おぶせまち) 明治初期:中松村(なかまつむら,) 幕末から明治初期:中条村/松村新田村 幕末から明治初期(よみ):なかじょうむら/まつむらしんでんむら,やち)/原田(はらた)/越度(こしと)/中子塚境(ちゅうしつかさかい)/久保畑(くぼはた) 川: 松川,(まつかわ)/松川堤(まつかわつつみ) 橋: 松川橋(まつかわばし) 道路: 北国東往還(ほっこくひがしおうかん,その他特記ワード: 井上正満(いのうえまさみつ) 明治初期の村絵図・地図(県立歴史館所蔵) 中松村図 / 中松村
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (上松村)

上松村 地域 北信 市町村名 現在(令和2年):長野市(ながのし) 明治初期:上松村(うえまつむら,) 幕末から明治初期:上松村 幕末から明治初期(よみ):うえまつむら 『長野県町村誌』 1巻 ,北国脇道 社: 駒形嶽駒弓神社/若宮八幡社/諏訪社/飯縄社/社宮神 寺: 昌禅寺 学校: 上松学校 / 上松村
パスファインダー (松代騒動)

松代騒動 トピック(テーマ) ねらい キーワード 概要を知るための ツール 資料リスト,松代騒動 開港後、全国各地で世直し騒動が展開された。,の小平甚右衛門-松代騒動の首謀者 古川貞雄/著 大谷 幸蔵-貿易の先駆者 大井隆男/著はじめ、赤松小三郎,と長野県」に松代騒動に関する記載があ る。,15 松代騒動(午札騒動) 鎌原賢司他/著 千曲 2009年 140号 1-10 明治三年松代騒動の / 松代騒動
パスファインダー (伊藤松宇)

伊藤松宇 トピック(テーマ) 伊藤松宇 ねらい 上田市上丸子出身の近代俳句,の先駆者伊藤松宇は澁澤榮一との関係 も深かった。,伊藤松宇/著 友田泰信堂 1926 伊藤松宇の句集であるが、後半は彼の活動の後を記している。,俳句改革の出発は松宇ら 内容紹介 の方が正岡子規より早く、子規に与えた影響も大きいと評価している。,さ らに、江戸時代の俳書を収集し「松宇文庫」として残した。 / 伊藤松宇
善光寺道名所図会 (○筑摩 松本)

○筑摩 松本 24    松本は、岡田へ1里、浅間温泉へ18町の地です。,松本は、昔は深志、深瀬ともいいました。松平丹波守の居城で、7万石を領しています。,文録元(1592)年に松本の六九に移り、松本藩主石川康長の菩提所となりました。,そのために重玉松という名がついて、比類なき古松です。,植えられた2代目の松が現在の松ということです。 / ○筑摩 松本
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (小松原村)

小松原村 地域 北信 市町村名 現在(令和2年):長野市(ながのし) 明治初期:小松原村(こまつばらむら,) 幕末から明治初期:小松原村 幕末から明治初期(よみ):こまつばらむら 『長野県町村誌』 1,蟹沢/西段ノ原/湯沢尻/境内/右御林/前河原/揚巻/段ノ原中尾/上ノ平/前平/山ノ神/城山/北池/高松/,その他特記ワード: (舟)小舟・通舟/(車)荷車 明治初期の村絵図・地図(県立歴史館所蔵) 小松原村全図 / 小松原村
パスファインダー (赤松小三郎)

リスト 雑誌 赤松小三郎について 近年、赤松小三郎について関心が高まっており、知りたい、,赤松小三郎研究の基本書。多くの関係資料が掲載されている。,3 書名 赤松小三郎実録:赤松小三郎顕彰会創立10周年記念誌 著者名 赤松小三郎顕彰会/編 出版社,4 書名 著者名 出版社 出版年 赤松小三郎 松平忠厚:維新変革前後 異才二人の生涯 上田市立博物館,内容紹介 龍馬に先駆けて議会政治をとなえた赤松小三郎の波乱に満ちた短い生涯を描く歴史 5 書名 松平忠固 / 赤松小三郎
パスファインダー (松尾多勢子)

松尾多勢子 トピック(テーマ) 松尾多勢子 ねらい 信州の山里近くに生まれた,松尾多勢子が信州をたち京都へ行って過ごしてきた様々な記録が書か れている 1 書名 松尾多勢子,の 赤き心をーおんな勤王志士松尾多勢子ー 1/3 信州地域史料アーカイブ 松尾多勢子,国学と松尾多勢子とのつながりもわか る 松尾多勢子生誕200年記念特集 著者名 伊那史学会/編,2/3 信州地域史料アーカイブ 松尾多勢子 3 見出し 松尾多勢子 生涯つづった / 松尾多勢子
パスファインダー (松井須磨子)

松井須磨子 トピック(テーマ) 松井須磨子 ねらい 平成31年は松井須磨子没後,牡丹刷毛(ぼたんばけ) 前澤誠助 女優 坪内逍遥 文芸協会 島村 抱月 芸術座 須磨子芸術倶楽部 松代,3 書名 著者名 出版社 出版年 恋の哀史須磨子の一生 (伝記叢書):伝記・松井須磨子 秋田雨雀,2 書名 著者名 出版社 出版年 松井須磨子物語 小沢さとし/著 ほうずき書籍 2013.8,他 内容紹介 名優・松井須磨子。 / 松井須磨子
善光寺道名所図会 (○筑摩 松本)

○筑摩 松本 24右    岡田へ壱里、浅間の温泉へ十八丁也、松本古名深志、また深瀬とも書す、, 松平丹波守居城にて、七万石を領せらる、城下の町広く、大通り十三  街、町数凡四十八丁、商家軒をならべ,て、三十年の間城代にて在番持なり、天正十壬午年、再び  小笠原右近大夫貞慶入城なり、此砌深志を改て松本,と称せらる、 ○遍照山光明院[松本入口長沢川の際袖が池の傍ニあり、即馬喰町なり、]   本尊阿弥陀如来, 脇立地蔵菩薩恵心僧都作 浄土宗      (改頁)    此寺ハ松本の駅長倉科何某いまだ駅長 / ○筑摩 松本
拾八町家並帳 (松尾町三丁目)

松尾町三丁目 クリックすると原本の画像が開きます クリックすると翻刻図の画像が開きます (文字の向,西 イ 四間四尺 岐阜屋  文六 五間三尺三寸 イ 松屋, 平四郎 四間二尺 ホ 野田屋  四郎三郎 ニ 三間三尺五寸 佐賀都 四間一尺八寸 ホ 松屋 / 松尾町三丁目
パスファインダー (松代大本営の建設)

松代大本営の建設 トピック(テーマ) 松代大本営の建設 ねらい 昭和19年,「朝鮮独立運動と松代大本営」 朝鮮独立運動に参加して治安維持法違 反で逮捕され、その後松代に来て、大本営建設,4 書名 著者名 出版社 出版年 岩陰の語り―松代大本営工事の労働証言  松代大本営労働証言集編集委員会,後の松代町に暮らして 富松 裕子/著 平塚らいてうの会紀要 2019.8 第12号 国会図書館サーチ, 朝刊29ページ 1989.5.13 松代大本営の名簿探し約束 西松建設 信濃毎日新聞 朝刊30ページ / 松代大本営の建設
拾八町家並帳 (松尾町壱丁目)

松尾町壱丁目 クリックすると原本の画像が開きます クリックすると翻刻図の画像が開きます (文字の向,くずや  喜左衛門 八間四寸 ニ 紺屋  清六 ニ 五間 大工  庄助 七間一尺 ホ 松井陶泉 / 松尾町壱丁目
パスファインダー (明治期の松本町の大火)

明治期の松本町の大火 トピック(テーマ) 明治期の松本町の大火 ねらい 明治期,著者名 松本市 出版社 出版年 1922 内容紹介 明治、大正期の松本市域の,2 書名 松本市史 第二巻歴史編Ⅲ近代 著者名 松本市 出版社 出版年 1995.11,松本市史研究―松本市文書館紀要― 第一〇号 出版年 2000.3 巻号頁数 88~109,2 論題名 松本市一〇〇年の歴史 著者名 小松芳郎 雑誌名 松本市史研究―松本市文書館紀要 / 明治期の松本町の大火
パスファインダー (飯山市小菅の柱松行事)

飯山市小菅の柱松行事 トピック(テーマ) 飯山市小菅の柱松行事 ねらい 飯山市瑞穂地区小菅集落,)神事 柱松 天下泰平 五穀豊穣 小菅 山 小菅神社 里宮 護摩堂 講堂 松神子 松子石(まつこいし), 灯籠 貼り 松子 奥社 柱松造り 献灯祭 神輿行列 柱松行事 竿転ばし 竿転ばし直会 祭事部,民俗学から見た小菅の柱松行 内容紹介 事、建築学からみた小菅の柱松行事、歴史からみた柱松行事、周囲の,「資料から見る柱松」「小菅の歴史年表」 雑誌 1 論題名 花と子供―柱松行事の松子・ / 飯山市小菅の柱松行事
パスファインダー (松本城下町の移り変わり)

松本城下町の移り変わり トピック(テーマ) 松本城下町の移り変わり ねらい,松本市/編 松本市 1995.3 内容紹介 本書は史料編で、松本城下町の町絵図(元禄期,・祈り・信仰::天神様400年 松本市立博物館 2014.6 内容紹介 城下町松本の成立過程,・松本市・塩尻市誌編纂会 東筑摩郡松本市・塩尻市郷土資料編纂会 1962.11 明治以降の、旧松本市域,国宝松本城を世界遺産に」推進実行委員会 2005.1 内容紹介 国宝松本城を、松本市の新たな / 松本城下町の移り変わり
拾八町家並帳 (松尾町弐丁目)

松尾町弐丁目 クリックすると原本の画像が開きます クリックすると翻刻図の画像が開きます (文字の向 / 松尾町弐丁目
パスファインダー (二度老中を務めた松平忠固)

松平忠固 トピック(テーマ) 二度老中を務めた松平忠固 ねらい キーワード,赤松小三郎との関係は無かったのか。松平忠固につ いて調べる。,上田藩主 松平伊賀守 大阪城代 松平忠優 上田縞 老中 ペリー 日米和親条約 日米修好通商条約 佐幕開国, 堀田正睦 井伊直弼 将軍家定 徳川斉昭 上田藩松平家物語:改題「松平家累代の話」 松野喜太郎/著,幕末を駆け 抜けた郷土の人物伝には、忠固の息子松平忠礼、松平忠厚についても 記載されている。 / 二度老中を務めた松平忠固
パスファインダー (普通選挙運動発祥の地 松本)

普通選挙運動発祥の地 松本 トピック(テーマ) ねらい キーワード 概要を知るための ツール,資料リスト 雑誌 インターネット情報 新聞 普通選挙運動発祥の地 松本 日本で初めて,普通選挙運動が始まったのは松本。,1 記事 発行機関 年月日 信州大学教育学部歴史研究会編 信濃教育会出版部 1989.4 「松本平,松本市選挙管理委員会 松本市選挙管理委員会 2001 普選の歴史と松本市選挙総覧 松本平における普通選挙運動成立 / 普通選挙運動発祥の地 松本
パスファインダー (松本城天守を守った市川量造)

市川量造 松本城 国宝松本城天守 筑摩県 永山盛輝 博覧会 文化 財 1 書名 わたしたちの,松本市教育委員会 2004.3 「松本城を守った市川量造と小林有也」の項で、小学校3.4年生用に解,松本城を競売から救った市川量造 竹村浪の人/著 松本放送局 1958 市川量造書簡 市川量造/著 市川準一,(写) 1967 松本市文書館史料目録 第1集 松本市総務部行政管理課 松本市文書館/編 松本市 1999.3,: 松本城を守れ! / 松本城天守を守った市川量造
パスファインダー (松本・上高地の文学(1))

松本・上高地の文学(1) トピック(テーマ) 松本・上高地の文学(1) ねらい,松本・東筑摩地域について代表的 な文学作品について調べる。,概要を知るた めのツール 1 書名 著者名 出版社 出版年 木下尚江 太田水穂 吉江喬松 ,「良人 の自白」は吉江喬松の生家吉江家をモデルにしている。,2 書名 著者名 出版社 出版年 吉江喬松全集【第1~8巻】 吉江喬松/著 白水社 1941-1942 / 松本・上高地の文学(1)
パスファインダー (松本・上高地の文学(2))

松本・上高地の文学(2) トピック(テーマ) 松本・上高地の文学(2) ねらい,松本・東筑摩地域について代表的 な文学作品について調べる。,ツール 1 書名 著者名 出版社 出版年 ものぐさ太郎 日本百名山 深田久弥 雨飾山 冠松次郎,雨飾山 冠松次郎 著. 鷲ヶ峰から霧ヶ峰へ 徳田秋声著.,1/2 信州地域史料アーカイブ 松本・上高地の文学(2) 6 書名 氷壁 / 松本・上高地の文学(2)
諸国道中商人鑑 (3 松井田から追分まで)

3 松井田から追分まで ここに掲載した写真版『中山道道中商人鑑』のはじめのページは「中山道 松井田 ,「板橋」から「上州妙義山」までと「松井田」のはじめの部分は載せてない。,・「酢屋」から二つめの「鳫金屋與市」には「松井田宿より二里上 横川御関所前立場」とある。 / 3 松井田から追分まで
パスファインダー (松沢求策と奨匡社の国会開設運動)

松沢求策と奨匡社の国会開設運動 トピック(テーマ) 松沢求策と奨匡社の国会開設運動,信州においても明治13年、松本におい て松沢求策等によって奨匡社が設立され国会開設請願運動が展開され, 浅井洌 市川量造 武 居用拙 奨匡社 国会開設請願書 明治13年 松本新聞 松本 北安曇 東京 愛国社,松沢求策ものがたり 松沢求索顕彰会/著 信濃毎日新聞社 2001.1 国民を国会開設運動に立ち上,がらせるため自らを犠牲にして闘い、自 内容紹介 由と民権のさきがけとなった松沢求策。 / 松沢求策と奨匡社の国会開設運動
松本繁昌記 上・下 (発行までの経過)

松本繁昌記 上・下 / 発行までの経過 [目録] 松本市文書館 小松芳郎  「松本繁昌記」の緒言によれば、長尾無墨が『善光寺繁昌記,』を記したが、松本の繁昌は信濃国一番であり、いまだにこれを記したものがないので、本書をだすことになったとしています,編輯人が、松本北深志町の関口友愛と浅井洌、出版人は松本南深志町の高美甚左衛門です。  ,出版御届書   御願書 別紙松本繁昌記出版御届書一通其筋エ御進達奉願候也   明治十六年九月一日, 半紙本初篇全二冊 明治十六年九月出版 右者、関口友愛・浅井洌交著、松本市街ノ景況ヲ記載シ、間々図画
松本繁昌記 上・下 (2人の編輯人)

松本繁昌記 上・下 / 2人の編輯人 浅井洌は、嘉永2年(1849)松本城下の鷹匠町に松本藩士大岩昌言の3男として生まれ、幼名,「松本繁昌記」は、この時期に書かれたことになります。  ,昭和13年2月27日、松本市北馬場の大岩家で永眠しました。  ,関口友愛は、年嘉永5年(1852)に、松本藩士関口友忠の長男として松本堂町に生まれました。,「松本繁昌記」を記したのは、この時期のことです。  
パスファインダー (明治3年(1870)の農民一揆(松代騒動))

なかでも松代藩領内は 極度の経済混乱となり、3年11月松代騒動が勃発した。,)の農民一揆(松代騒動) 出版社 出版年 内容紹介 松代町史復刻続町史刊行会 1972.10,松代藩済急手形の写真も掲載されている。,善光寺町の被害取調、松代町騒動焼亡人 別、松代暴動人権堂村乱入顛末、騒動参加者吟味、真田桜山閉門申 付書,松代騒動を一次史料まで調べたい人には参考にな る。 / 明治3年(1870)の農民一揆(松代騒動)
赤松小三郎書簡 実母宛 (薩幕一和の提唱と遭難)

赤松小三郎書簡 実母宛 / 薩幕一和の提唱と遭難 赤松小三郎はこの建白書を提出するとともに、時局収拾打開策として天幕合体諸藩一和,遭難の様子を『赤松小三郎先生』は次のように述べている。,参考文献  『赤松小三郎先生』(柴崎新一 信濃教育会編 信濃毎日新聞社 昭和14年)  『赤松小三郎先生,』復刻版(赤松小三郎顕彰会編集・発行 平成27年)  『赤松小三郎 松平忠厚-維新変革前後 異才二人,の生涯-』(上田市立博物館編集・発行 平成12年)  『赤松小三郎実録』赤松小三郎顕彰会-創立10周年記念誌
松代まちあるきマップ (21晧月山大英寺)

松代まちあるきマップ / 21晧月山大英寺 松代案内   21   ,;晧月山大英寺 大英寺 大英寺 大英 見樹院 大英寺小松姫墓 大英寺小松姫 写真を,前松城城主酒井家の菩提寺大徳寺跡の敷地に、松代移封とともに移ってきた。旧本堂は、五間四方入母屋造り。,大蓮院(小松姫)の霊屋(県宝)で真田家最大最古のもの。天井画の龍は狩野派三村晴山の作。,小松姫使用の膳部類、数珠、お守りなどの遺品も残されている。
松代まちあるきマップ (9山寺常山邸)

松代まちあるきマップ / 松代藩の中級武士の代表的な家構えとセギが残る。,松代城下の代表的な風景として長野市が買い取って家屋を復元、屋敷内を公園化した。,松代藩では、寺社奉行、郡奉行を務めた。藩主に従い江戸に出てから兵学、経学を学ぶ。,松代藩では特に学問に秀でた藩士として、鎌原桐山(かんばらとうざん)・佐久間象山と並び「松代三山」、と呼,〒381-1231 長野県長野市松代町松代1493-1 026−278−0260 開館時間 9:00
松本繁昌記 上・下 (内容)

松本繁昌記 上・下 / ○総論   松本の町の概要、町の賑わい、交通の要所である松本、産業の発展、文化について書かれています,○裁判所  松本にある裁判所について、「詞訟の多きは文明進歩の徴なり。,門には、左に「松本始審・軽罪裁判所」、右には「松本治安裁判所」の大きな表札二つ、門の左右に各一つの訴訟人,○町村会 ○人力車  ここでは、松本における人力車の激増を述べ、人力車をあつかう人のことも記されています,○密売淫  松本の私娼について、私娼は「ハリバコ」とよばれたと記しています。
違作書留帳 (4、『松本市史』記述の天保の飢饉)

4、『松本市史』記述の天保の飢饉 『松本市史』第2巻歴史編Ⅱ近世には、天保の飢饉について、かなりの頁,神戸村では6月22日夜松明をたき、ウンカ追いをした。,天保の飢饉をへて、天保9年(1838)から農村復興をめざした松本藩の天保の改革がはじまる。 / 4、『松本市史』記述の天保の飢饉
松代まちあるきマップ (6旧白井家表門)

松代まちあるきマップ / 6旧白井家表門 松代案内   6   &,松代藩文武学校向いにある白壁の大きな門。,松代町内の表柴町(現在地の東南)にあった松代藩の中級藩士・白井家の表門を、平成十二年(二〇〇〇)に現在,門の内側に無料案内休憩所があり、松代文化財ボランティアの会のメンバーが常駐し、湯茶で観光客をおもてなし,長野市指定文化財 〒381-1231 長野県長野市松代町松代204-3 開館時間 9:00~17
松代まちあるきマップ (14真田宝物館)

松代まちあるきマップ / 14真田宝物館 松代案内   14   ,真田宝物館 真田家歴代の宝物を展示、歴史資料を収蔵  松代真田家十二代真田幸治が、昭和四十一年(一九三六,)、九代藩主幸教の母が住んだ真田邸(城外御殿)とともに、当時の松代町に寄付した貴重な歴史資料を収蔵。,松代藩に関連の資料受け入れもおこなっており、寄贈・寄託資料は約百件以上ある。,真田宝物館【松代文化施設等管理事務所】 〒381-1231長野市松代町松代4-1 Tel:026-
松代まちあるきマップ (25旧前島家住宅)

松代まちあるきマップ / 25旧前島家住宅 松代案内   25   ,旧前島家住宅 旧前島家住宅は、初代民部左衛門以来、上田・松代藩を通し代々真田家に仕えている中級武士,屋敷地は松代入封の際に拝領、一七五九(宝暦九)年に建てられた主屋は、現存する松代藩士の屋敷としては最も,また、松山町・御安町住民を忠臣とした「前嶋邸を護る会」メンバーによる家の歴史等の解説や湯茶のサービスもある,〒381-1231 長野県長野市松代町松代1105 開館時間 9:00~17:00(入場16:30まで
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