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「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(松川村)
松川
村 地域 中信 市町村名 現在(令和2年):
松川
村(まつかわむら) 明治初期:
松川
村(まつかわむら,) 幕末から明治初期:
松川
村/板取村/神戸新田村/鼠穴村/細野村 幕末から明治初期(よみ):まつかわむら,ほそのむら 『長野県町村誌』 3巻 p2773に掲載 該当ページを見る キーワード 字地:
松川
,: (森林)神戸林/(原野)細野原/西ノ原/釜土原 明治初期の村絵図・地図(県立歴史館所蔵)
松川
村,史料ID:10-1 2-4 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB
松川
村誌 /
松川
村
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(飯田村)
)/中村屋敷(なかむらやしき)/坂之上(さかのうえ)/町裏(まちうら)/北町屋敷(きたまちやしき)/
松川
沿,まつかわぞい)/南町屋敷(みなみまちやしき)/宮前(みやまえ)/町前(まちまえ)/荘司場(しょうじば)/
松川
尻,ごほんやなぎ)/飛島(とびしま)/欠下(かけした)/中河原(なかがわら) 川: 千曲川(ちくまがわ)/
松川
,(まつかわ)/百々川(どどがわ)/
松川
堤防(まつかわていぼう)/同控堤(どうひかえつつみ) 渡・堰:,大島村用水堰(おおじまむらようすいせぎ) 橋:
松川
橋(まつかわばし)/百々川橋(どどがわばし
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(福原村)
みやきた)/宮浦(みやうら)/四ツ道北(よつみちきた)/四ツ道南(よつみちみなみ)/柳原(やなぎはら)/
松川
端,(まつかわばた) 川:
松川
(まつかわ)/
松川
堤(まつかわつつみ) 渡・堰: 用水堰(ようすいせぎ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(小島村)
ながはい)/道西(みちにし)/道東(みちひがし)/砂場(すなば)/堤間(どてま)/北の原(きたのはら)/
松川
添,(まつかわそえ) 川:
松川
(まつかわ)/百々川(どどがわ)/柳沢川(やなぎさわがわ)/宮川(みやがわ,)/
松川
堤(まつかわつつみ)/百々川堤(どどがわつつみ)/八木沢堤(やぎさわつつみ) 橋: 押堀橋
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(中松村)
やち)/原田(はらた)/越度(こしと)/中子塚境(ちゅうしつかさかい)/久保畑(くぼはた) 川:
松川
,(まつかわ)/
松川
堤(まつかわつつみ) 橋:
松川
橋(まつかわばし) 道路: 北国東往還(ほっこくひがしおうかん
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(里見村)
里見村 地域 南信 市町村名 現在(令和2年):
松川
町(まつかわまち) 明治初期:里見村(さとみむら,上平/北駒場/北駒場新田/小沼/龍口/下平/追分/新田/田沢 山: 念上山 川: 天竜川/小
松川
,史料ID:6-1 1-1 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB
松川
町史
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(片桐村)
(たかとおばら)/新屋敷/海道/針ケ平/北村/仏地柏木/荒田 山: 烏帽子岳 川: 天竜川/
松川
,/前沢川/日向沢川/与田切川/石提 渡・堰: 飯田村渡/山ノ間渡/大刎渡/渡場渡 橋:
松川
橋,ID:5-1 7 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB 中川村誌/
松川
町史
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(小布施村)
/親木(おやき)/林(はやし)/烏林(からすばやし)/唐沢(からさわ)/吉嶌(よしじま) 川:
松川
,(まつかわ)/
松川
堤(まつかわつつみ) 橋:
松川
橋(まつかわばし) 道路: 北国東街道(ほっこくひがしかいどう
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(小河原村)
べっぷぐみ)/新田組(しんでんぐみ)/六川道西(ろくがわみちにし)/六川道東(ろくがわみちひがし)/
松川
,(まつかわ) 川:
松川
(まつかわ)/柳沢川(やなぎさわがわ)/
松川
堤(まつかわつつみ)/石堤(いしづつみ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(生田村)
生田村 地域 南信 市町村名 現在(令和2年):
松川
町(まつかわまち) 明治初期:生田村(いくたむら,史料ID:6-1 1-29 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB
松川
町史
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(北城村)
高島/平川/真畔/五町林/楠川/砂原/馬場平/厩 山: 鎗ヶ岳/乗鞍ヶ岳/東山 川: 姫川/
松川
,/平川/楠川 渡・堰: 乗鞍ノ池/八方ヶ池 橋: 楠川橋/
松川
橋/蕨平前橋/太出橋/野平橋/青鬼橋
書留帳(延徳田んぼを漂流した話)
([現代訳])
夜中には
松川
が満水して、小布施や六川・大島など一面へ押し入った。,二日の明け方には、
松川
の水の勢いは弱くなった。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(中山村)
八滝山(はちたきやま)/笠岳(かさだけ)/大熊峠(おおくまとうげ)/間山峠(まやまとうげ) 川:
松川
,しんたん) 民業女: 農(のう)/養蚕(ようさん)/縫織(ほうしょく) その他特記ワード:
松川
湯
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(雁田村)
(ろくじぞう)/糀村(こうじむら)/愛宕下(あたごした)/最明寺(さいみょうじ)/西原(にしはら)/
松川
端,(まつかわばた) 山: 不動山(ふどうさん)/城山(じょうやま)/苅位山 川:
松川
(まつかわ
信州飯田町家控
([解説])
[解説] [目録]
松川
町資料館 伊坪達郎 「信州飯田町家扣」は、現在飯田市中央図書館に所蔵されている,間口に応じて上納する「地子米」についてはよく知られていますが、辻番・井普請人足・
松川
や野底川の橋掛け人足,また町人たちの
松川
入山や野底山利用が行われており、このこともあまり知られていません。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(鼎村)
該当ページを見る キーワード 字地: 上山/下山/一色/名古熊 山: 闇り沢 川:
松川
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(松尾村)
寺所/名(明・みょう)/清水/城/久井/八幡(やわた)/代田/片羽/毛賀(けが) 川: 天竜川/
松川
書留帳(延徳田んぼを漂流した話)
([翻刻])
寛保二戌年八月二日大満水之事 八月朔日雨ふり出し急満水、同日暮方押切分 水土橋へ支候、夜半時
松川
満水,かけ申候、其節之 水ニ而当村高札場より下村迄道弐三尺より 六七尺迄押ほり申候、二日夜明方ニハ
松川
之,、 左候へ共千曲川水以之外ふへ、西村残らず、東村ニ而も 中村之中より下も水入ル、上ミ村ニ而も
松川
,ニ而麦作 不残泥腐仕夫食無御座、内借用を以て取続 罷有候所ニ、同八月朔日夜半之頃千曲川
松川
松崎川篠井川大満水俄,信州高井郡 廿三ヶ村 右弐拾三ヶ村申上候 一去戌八月、千曲川
松川
松崎川篠井川
パスファインダー
(江戸時代飯田・下伊那の水害)
天竜川
松川
未満水 満水 洪水 川除 川除普請 惣兵 衛川除 石川除 治水 川路村,・上飯田の歴史 上 (第7章第4節) 飯田市歴史研究所/編 飯田市教育委員会 2012.9 飯田
松川
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(上飯田村)
みずのざか)/愛宕坂(あたござか)/大雄寺(だいおうじ)/箕瀬町(みのぜまち) 山: 風越山 川:
松川
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(上郷村)
キーワード 字地: 上黒田/下黒田/飯沼/南条/別府 山: 野底山/猪尾山 川: 天竜川/
松川
木曾山林学校
(◎職員任命)
当時北安曇郡
松川
尋常高等小学校に在勤。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(日滝村)
みなみはら) 山: 明学山/天狗岳(てんぐだけ)/鳶ヶ岩(とびがいわ)/鎌田山(かまだやま) 川:
松川
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(有明村)
町川/天満沢/中房堤/烏川堤/布滝/箭助滝/二瓶造滝/五竜滝 橋: 宮城橋/天満橋 道路:
松川
街道
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(大島村)
宮ノ北(みやのきた)/小布施境(おぶせざかい) 川: 千曲川(ちくまがわ)/百々川(どどがわ)/
松川
堤防
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(牧村)
(くろゆやま)/満山(まんざん)/白根山(しらねさん)/乳山/池ノ塔山(いけのとうやま) 川:
松川
安曇・筑摩両郡旧俗伝
([翻刻])
ハ山ニのミ住せり、其頃ハ此 所ヲ有明の里と云、有明山といへル大山乃麓ナルガ 故ナリ、有明山ハ今の
松川
組,あり、白竜王乃曰、我ハ (改頁) 日輪の精霊即ち大日如来の化身ナリとて犀竜卜共ニ今
松川
組一本
寺子屋入門記録「壱番入門記録」
([解説])
[解説] [目録]
松川
町資料館 伊坪達郎 この『壱番入門記録』は、江戸時代の文化年間(1804,飯田藩領内では、下郷と言われた飯田
松川
より南の村々のうち、山村(飯田市鼎)・島田村(飯田市松尾)からの
伊那繁昌記
([解説])
[解説] [目録]
松川
町資料館 伊坪達郎 『伊那繁昌記』は明治43年8月5日に発行されています,勝負平(大平街道市瀬の旧跡)、上郷村(飯田市上郷)では姫宮、松尾村(飯田市松尾)では松尾城址、大島村(
松川
町
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(中野町)
現在(令和2年):中野市(なかのし) 明治初期:中野町(なかのまち) 幕末から明治初期:中野町/
松川
村
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(高井村)
高杜山(たかもりやま)/室岩山(むろいわやま)/月生山(つきおいやま)/勝山(かつやま) 川:
松川
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(奥山田村)
)/鳥屋山(とややま)/山彦岩(こだまやま)/中ノ倉(なかのくら) 川: 山田川(やまだがわ)/
松川
安曇・筑摩両郡旧俗伝
([現代訳])
ありあけやま、標高二二六八メートル)という大きな山の麓だったからその名がついた、有明山は、今(江戸時代中頃)の
松川
組,せいれい)、すなわち大日如来(だいにちにょらい)の化身(けしん、生まれ変わり)であり、犀竜とともに今は
松川
組
パスファインダー
(信州中馬と伊那街道)
中馬街道の図 など) 信濃毎日新聞社 2018.1.19 朝刊29ページ 伊那街道の歴史 セミナー
松川
町
拾八町家並帳
([解説])
[解説] [目録]
松川
町資料館 伊坪達郎 江戸時代の飯田町の成り立ちやしくみについて知ることのできる
書留帳(延徳田んぼを漂流した話)
([解説])
延徳沖は、千曲川の自然堤防の背後にある氾濫原(後背湿地)であり、中野(夜間瀬川)扇状地と小布施(
松川
)
御城下古法并市場古法書抜書集
([解説])
[解説] [目録]
松川
町資料館 伊坪達郎 『御城下古法并市場古法書抜書集』は、飯田市立中央図書館
宿継要書留
([解説])
[解説] [目録]
松川
町資料館 伊坪達郎 『宿継要書留』は、飯田市立中央図書館に所蔵されている
松本藩庄内組大庄屋御用留
([翻刻])
中田源二郎 上条長之助 丸山円十郎 右罷出ル大町両人、
松川
不参,成相組 同 六日 長尾組 保高組 同 八日
松川
組,宗門改日限 四月十二日 大町組 池田組 同 十三日
松川
組, 成相組 長尾組 同 十五日 保高組
松川
組,宗門改日限左之通 四月 廿日 大町組 同 廿一日 池田組
松川
組
信州飯田町家控
([翻刻])
一御城下町拾三町古来京極高知公御代迄毎年御用 之桧(榑)木伐出し御地頭御用御遣ひ被成候、此桧(榑)狩人足 町役ニ被仰付
松川
江人足出, 一 他国来候笠 一 藁類 〆 一御城下町より上薪山江入方之事、古来より左之通相極候
松川
入山江何連之町,桜町市右衛門分も村へ米運ひ納候事無之、市右衛 門宅へ御役人中御出御納被成、則御差図次第相払申候事 一
松川
上之御橋
信州飯田町家控
([現代訳])
この榑狩人足は町役に仰せ付けられていて、
松川
へ人足を出していました。,
松川
入山へ入る町は、谷川を境としていました。,一
松川
上の橋は、大横町・松尾町通り・番匠町通りの7町で、橋かけの役を勤めて来ました。
松本藩庄内組大庄屋御用留
([現代訳])
等々力伝右衛門・中沢権右衛門・山崎三十郎・中田源二郎・上条長之助・丸山円十郎 右の者が出た、大町両人と
松川
,じく四日 嶋立組・高出組 同じく五日 上野組・成相組 同じく六日 長尾組・保高組 同じく八日
松川
組,十一日 (改頁) 宗門改の期限 四月十二日 大町組・池田組 同じく十三日
松川
組,山家組、十一日 岡田組・嶋立組、十二日 高出組・上野組、十四日 成相組・長尾組、十五日 保高組・
松川
組,宗門帳面を朝八時に持参すること、 宗門改の期限は左のとおり、 四月二十日 大町組、二十一日 池田組・
松川
組
長野県師範学校生徒修学旅行概況
(長野県師範学校生徒修学旅行概況[全文])
午前六時前、飯島を発ちて余田切を渡り、七久保、片桐を過き、小
松川
に来る。, 深き心の底川の水 まつ川の有とは聞と思ひきや ふかきそこひのかく有んとは 野底川、
松川
, (改頁) 午后一時頃、旅宿に帰る、当地の沿革を略記せんに、飯田城市は天竜川の西に在りて
松川
其南
『説諭要略』巻一
([ルビ・注記])
注 (1)現下伊那郡
松川
町。 (2)口伝えに教えを授けること。 ,注 (1)現下伊那郡
松川
町 (2)取締り促すこと。 (3)物事が速く進むさま。
むしくら日記
(2巻 亨)
手代共手配廻村為相凌罷在、 (改頁) 39 陣屋最寄村々之分ハ中野村・
松川
村寺院社内境
むしくら日記
(2巻 亨)
陣屋の最寄りの村々については中野村・
松川
村の寺院や神社の境内に小屋掛けして、最もひどく困っている者たちを
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