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木曾山林学校
(◎木曾山林学校々友会の沿革)
木曾山
林学
校 / ◎木曾山
林学
校々友会の沿革 33 本会は名称を木曾山
林学
校々友会と称して、会員相互, (改頁) 役 員 一、 会 長 正七位
林学
士 / ◎木曾山
林学
校々友会の沿革
木曾山林学校
(◎木曾山林学校々友会々則)
木曾山
林学
校 / ◎木曾山
林学
校々友会々則 32 第1章 名称 ,位置 第1条 本会は木曾山
林学
校々友会と称し木曾山
林学
校内に設置す 第2章 目的 / ◎木曾山
林学
校々友会々則
木曾山林学校
(祝木曽山林学校創立20周年)
木曾山
林学
校 / 祝木曽山
林学
校創立20周年 13 宮 川 丑 作(注8) 岐蘇山下学寮清 / 祝木曽山
林学
校創立20周年
木曾山林学校
(木曽山林学校創立 20年記念を祝て)
木曾山
林学
校 / 木曽山
林学
校創立 20年記念を祝て 14 安 井 正 夫(注9) / 木曽山
林学
校創立 20年記念を祝て
木曾山林学校
(◎御料局(注8)技師林学士江崎政忠氏演説(注9))
木曾山
林学
校 / ◎御料局(注8)技師
林学
士江崎政忠氏演説(注9) 7 今回岩村御料局長に随行して当地へ来ました処(,後農
林学
校となり、今日ではそれが農科大学となったのである。,故に山
林学
校は森林のある山に就て居(お)らねばならぬ訳である。,彼(か)の欧州諸国にても山
林学
校は森林のある場所に設くるのが通例となつて居ます。,それだからして日本の
林学
者にならうと思ふものは、皆此(この)学校に来て学ばんければ、真の
林学
者となることは / ◎御料局(注8)技師
林学
士江崎政忠氏演説(注9)
木曾山林学校
(24.木曾山林学校々友会々則)
木曾山
林学
校 / 24.木曾山
林学
校々友会々則 56 第一章 名称 位置 第1条 本会は木曾山
林学
校々友会,と称し木曾山
林学
校に設置す 第二章 目的 第2条 本会の目的は会員相互の智徳を練磨し、 / 24.木曾山
林学
校々友会々則
木曾山林学校
(8.長野県立甲種木曾山林学校学則)
木曾山
林学
校 / 8.長野県立甲種木曾山
林学
校学則 18 第 1 章 総 則 第 1 条 本校, 名 (印) 生年月日 長野県立甲種木曾山
林学
校長氏名殿,シタルコトヲ証ス (校 印) 年 月 日 長野県立甲種木曾山
林学
校,シ其業ヲ了ヘタリ依テ茲ニ之ヲ証ス 年 月 日 長野県立甲種木曾山
林学
校長位勲氏名,(注 「長野県立甲種木曾山
林学
校学科目及程度並毎週授業時間表」の表は原本ビューワ26コマを参照) / 8.長野県立甲種木曾山
林学
校学則
木曾山林学校
(◎長野県西筑摩郡立甲種木曾山林学校学則)
木曾山
林学
校 / ◎長野県西筑摩郡立甲種木曾山
林学
校学則 28 第1章 総則 第 1 条 本校は農業学校規程甲種, 同上 右父母後見人 何某 (印) 長野県西筑摩郡立甲種木曾山
林学
校,)し其業を了(お)へたり仍(よっ)て之を証す 年月日 長野県西筑摩郡立甲種木曾山
林学
校長姓名,したることを証す 年月日(校印) 長野県西筑摩郡立甲種木曾山
林学
校,#160; 了へたり依て茲に之を証す 年月日 長野県西筑摩郡立甲種木曾山
林學
校 / ◎長野県西筑摩郡立甲種木曾山
林学
校学則
木曾山林学校
(八戸林学士森林行政論)
木曾山
林学
校 / 八戸
林学
士森林行政論 2 伊予新居浜 緑 山 第13号の続き 以上 / 八戸
林学
士森林行政論
木曾山林学校
(◎第1回木曾山林学校生徒修学旅行記)
木曾山
林学
校 / ◎第1回木曾山
林学
校生徒修学旅行記 15 今茲(きんじ:今年)明治34年6月22日午後1時、森林視察,の為め第1学年生34名、校長松田
林学
士以下職員諸氏に引率せられて郡下駒ヶ根村(こまがねむら:現・上松町,又々上り行くと小枝で拵(こし)らへた、巾が7、8尺の畳みの目の様なものがあつたから、之れは我々山
林学
校 / ◎第1回木曾山
林学
校生徒修学旅行記
木曾山林学校
(シユリツヒ氏森林学抄訳 『第14号つづき』)
木曾山
林学
校 / シユリツヒ氏森
林学
抄訳 『第14号つづき』 2 小 松 吉 次 郎(注6 / シユリツヒ氏森
林学
抄訳 『第14号つづき』
木曾山林学校
(◎職員任命)
木曾山
林学
校 / ◎職員任命 27 校長兼教諭 松田力熊 島根県技師兼同県林業巡回教師たりし
林学
士松田力熊氏,は、明治34年5月20日長野県技師に転任せられ、同時に山
林学
校長兼教諭に任ぜられ、爾来(じらい:その時以来,教諭 手塚長十 西筑摩郡林業巡回教師たりし同氏は、明治34年4月1日長野県木曾山
林学
校助教諭兼西筑摩郡林業巡回教師,雇教員兼舎監心得 中野有作 中野有作氏は、治34年10月15日木曾山
林学
校雇教員兼舎監心得に命ぜられしも,書記 鈴岡実造 氏は明治34年4月19日木曾山
林学
校書記に任ぜらる。
木曾山林学校
(10.教職員に関する事項)
木曾山
林学
校 / 10.教職員に関する事項 29 本校教職員数並に学歴を掲ぐれば 東京農科大学
林学
科卒業、
林学
士, 3 名 東京農科大学
林学
実科卒業. 2 名 東京高等師範学校卒業, 1 名 盛岡高等農
林学
校卒業 1 名 其他普通学科担任教師,#160; (改頁) 担任学科 職名 氏名
林学
通論
木曾山林学校
(創立20周年を迎へて所感を述ぶ)
木曾山
林学
校 / 創立20周年を迎へて所感を述ぶ 11 長野県木曾山
林学
校長 岡 部 喜 平(,注1) 木曾山
林学
校の創立せられたる明治34年頃は
林学
教育の大本山たる農科大学
林学
科ですら、僅に十数名,の学生しか居なかった時代であったから、長野県の木曽に郡立の山
林学
校が出来て松田
林学
士が校長になられたと,扨(さて)全国を見渡すと、兎角(とかく)中等程度の
林学
教育ば不振であって、全国に
林学
科を併設せる農業学校,かゝる中にありて我校が
林学
科丈で独立せることは大に誇りとする所である。
木曾山林学校
(4.中等程度の林業教育の現状)
木曾山
林学
校 / 氏は親しく講座に臨みて
林学
を講ぜられ、我国
林学
の鼻祖(びそ:物事のはじめ、元祖、始祖)にして、次で同校舎,は駒場に転じ農
林学
校となり、再変して農科大学
林学
科となり、更に
林学
実科を併置せらる。,而して森林教育施設益々急を要するものありて東北帝国大学
林学
科の前身たる札幌農学校に
林学
科あり。,又修業年限3年若しくは4ヶ年の内、単に最後の1ヶ年のみ1学級を組織して
林学
志望者に
林学
を講ずる者8校、,2ヶ年間
林学
科を独立せしむる者亦2校あり。
木曾山林学校
(18.遊学者の便益)
木曾山
林学
校 / 18.遊学者の便益 47 1、
林学
科を以て独立せるを以て農学或(あるい)は獣医科を併置したるものと,異り、他に何等の係累なく全力を
林学
に傾注することを得るを以て学習に便なること。,5、盛岡及鹿児島高等農
林学
校、其他と相連絡せること。
木曾山林学校
([解説])
木曾山
林学
校 / [解説] [目録] 木曽山林資料館 山口登 『木曾山
林学
校要覧』は、当時の学校教育を窺い知る貴重,その中で木曽が歴史・地理的に
林学
・林業を学ぶに適した地であること。,加えて同年10月に予定されている、校舎の新築移転や寄宿舎完備などを伝え、
林学
科のみの学校は全国に当校しかなく,これらは学校への県外入学者が3割に達し、かつ中央西線が開通したことから、この『要覧』は、
林学
・林業を学
木曾山林学校
(6.本校の沿革)
木曾山
林学
校 / 6.本校の沿革 17 ○明治33年10月29日郡立乙種山
林学
校設立の認可を経たり ○同 34年4,35銭を以て新築工事の件を議決す ○同 43年2月5日文部省告示第17号を以て、長野県立甲種木曾山
林学
校,の位置を同県西筑摩郡新開村に変更の件認可を経たり ○同 44年11月長野県立甲種木曾山
林学
校を長野県立木曾山
林学
校
木曾山林学校
(母校を思ひて)
木曾山
林学
校 / 母校を思ひて 20 S K 生 山
林学
校が木曽の谷間に産声を挙げてから20歳漸,此の佳辰(かしん:よき日)に当って山
林学
校が今後如何にして社会に立つべきかを林友六百の会員と共に研究する,過去の山
林学
校、兎に角(とにかく)中等程度の
林学
専門の学校として全国に否海外までも名声を博して来たことは,山
林学
校の如何(いか)なるものなるやも解せぬ人多きに至っては、吾々は寧(むし)ろ憤然たらざるを得ない。,此の意味に於て山
林学
校は各種標本室の完備、演習地の拡張、実験室の整備は刻下(こっか:現在、目下)の急務
木曾山林学校
([注記])
木曾山
林学
校 / (注2)松田力熊(まつだりきくま):木曾山
林学
校初代校長。島根県出身。,明治29年帝国大学農科大学
林学
科卒業。,(1871~1949) (注3)森
林学
校:山
林学
校のこと。,(注9)江崎政忠氏:長野県出身で東京山
林学
校に学んだ。,(山口登「木曾山
林学
校の草創期に本多静六の果たした功績」平成26年3月29日、第125回日本森
林学
会にて
木曾山林学校
([本文])
木曾山
林学
校 / 発 行 所 蘆 澤 書 店 ○本誌目次 (学術論説)木材染色術、シューリツヒ氏森
林学
,、八戸
林学
士行政論、我校演習林の価値、我が故郷の森林状態、青年団体の植林を望む、(抜萃)林業年中行事(
木曾山林学校
(紀念号へ)
木曾山
林学
校 / 紀念号へ 12 静岡県立豆陽中学校 米 山 太 郎 吉(注5) 小生は山
林学
校創設,、20周年を迎へたる今日より創業当時を追憶すれば万感交々(こもごも)至るものあるも、今や全く天下の山
林学
校
木曾山林学校
([解説])
木曾山
林学
校 / [解説] [目録] 木曽山林資料館 山口登 『木曾山
林学
校校友会報』1号は、開校2年目に校友会,例えばその中の「
林学
は観察の学問である」との認識は、具体的に実習及び修学旅行を重視する方針となり、長く
木曾山林学校
([解説])
木曾山
林学
校 / [解説] [目録] 木曽山林資料館 山口登 第2代校長江畑猷之允は、『木曾山
林学
校々友会報』の,こうした取組みや県外入学生が多いことは地域の人々を動かし、同校を国立化して高等山
林学
校に昇格させようという
木曾山林学校
(9.各学科教授の内容)
木曾山
林学
校 / 9.各学科教授の内容 27 世人の林業及
林学
に関する感想は、今尚比較的浅薄にして既に高等教育ある人士,にして
林学
を以て単に樹木の植栽のみに関する学科なりとの念を懐く者多し。,等
林学
通論 森林分布及面積。森林直接並に間接の効用。経済学上林業の性質。木材の需給。市町村林。,造
林学
材木及森林の種類名称。林木の生活及成長の原理。森林植物帯。造林上土地気候等に対する関係。
木曾山林学校
([注記])
木曾山
林学
校 / (注1)岡部喜平:木曾山
林学
校第5代校長。静岡県出身。,明治31年東京帝国大学農科大学
林学
科卒業。,なお、同大学
林学
科では初代校長松田力熊の2年後輩になる。,木曽の学校即ち木曾山
林学
校のこと。 (注4)西澤静人:教諭。長野県出身。,明治42年5月静岡県立農
林学
校から木曾山林へ。
木曾山林学校
([総合解説])
木曾山
林学
校 / [総合解説] 木曾山
林学
校は、実業学校令に基づき、我が国最初の森林・林業を専門とする実業学校として、,さらに同年3月には、日本森
林学
会から同校に残されているこれら資料と、現在も実習で使われている演習林(約,・木曽山林高校百周年記念誌『山霊生英傑』(木曽山林高等学校) ・『沖縄近代林業の父園原咲也と木曽山
林学
校
木曾山林学校
(◎林業の方面より観察したる森林教育)
木曾山
林学
校 / 森
林学
校(注3)は現今の規定によれば農業学校の中に含まれて居る訳なれ共、今日まで専門の森
林学
校若(もし,余輩の耳に達して居るのは愛知・奈良の農
林学
校其他2、3校に過ぎない。,故に森
林学
校に於ては限りある時間内に多方面に通ずる素養を与へざる可らず。,イ、森
林学
校に於ては専門の学科を授けると共に普通学を科せねばならぬ。,
林学
は観察の学問である。
木曾山林学校
([注記])
木曾山
林学
校 / (注記 4.中等程度の林業教育の現状) (注4-1)ここでは山
林学
校と書かれているが、正確には全国各地,の農
林学
校に設置された林科あるいは林業科のことである。,ちなみに山
林学
校という名称は、この時点では木曾山
林学
校のみである。 ,(注4-2)ここで僅かに1校と書かれているのが、木曾山
林学
校である。 ,(注4-3)この2校は、奈良の奈良県立農
林学
校(後の吉野林業高校)と大分の県立農
林学
校(後の日田林工高校
木曾山林学校
(学校要覧)
木曾山
林学
校 / 同年10月臨時郡会に於て乙種程度の山
林学
校設立の適切なるを認め全会一致之を可決す 〇同年10月29日郡立乙種山
林学
校設立,66,763円35銭を以て新築工事の件を可決す ○同43年2月5日文部省告示第17号を以て長野県立甲種木曾山
林学
校,として校友会雑誌を毎月一回発行の月刊となし、其の第12号を出す ○同44年11月長野県立甲種木曾山
林学
校,を長野県立木曾山
林学
校と改称の件文部大臣の認可を得たり ○同45年4月福島町所在の実習地の一部を返却,1学級を増し4学級となす ○同年同月23日県令第38号を以て本校名称の立の字を削除し、長野県木曾山
林学
校
木曾山林学校
(◎小川木山祭を視(み)る)
木曾山
林学
校 / 吾等木曾山
林学
校職員及生徒一同は修学旅行を兼ねて木山祭(注24)を見んと午前5時校庭へ集まつて出発しました,此日に吾等と同行せられたのは職員では
林学
士松田校長、手塚教諭、宮田教授、今井校医の4名、生徒は77名で
木曾山林学校
(西澤教論告別式(こくべつしき:ここでは送別の式のこと))
木曾山
林学
校 / 先生は去る明治42年本校に赴任以来、
林学
中重要なる造林利用等を (改頁)
木曾山林学校
([解説])
木曾山
林学
校 / 冒頭第5代校長岡部喜平は、各地に赴いた600名を超える卒業生の活躍で当校が全国に知られ、学校が
林学
科だけで
木曾山林学校
(◎発刊の辞)
木曾山
林学
校 / ◎発刊の辞 木曾山
林学
校々友會報 第一號 2 (明治35年10月 日発行
木曾山林学校
(◎農商務省営林技師水戸章造氏の演説)
木曾山
林学
校 / 当山
林学
校は学校のある位置から申せば極めて良いのであつて、之れより外は山
林学
校を設けるよき場所
木曾山林学校
(◎図書審査官農学士針塚長太郎氏演説)
木曾山
林学
校 / ◎図書審査官農学士針塚長太郎氏演説 9 諸君は木曾山
林学
校へ入学して居るのであるが、御承知の如(ごと,殊に此(この)山
林学
校と云ふのは、我国に於ては木曽を以て創始とします。,又山
林学
校が創始せられたと云ふ歴史に対しても充分勉強してもらいたい。
木曾山林学校
(5.中等程度森林教育の方針)
木曾山
林学
校 / 下級程度の森
林学
校は其数11ありて設立者にありて二者に分たる。,尚諸外邦に於て森林教育に実習の重んぜらるゝ一例を挙ぐれば、印度(インド)の『デラ』山
林学
校の如きは、夏期,又彼の『バイエルン』国『ケルハイム』小林区署の付属せる造
林学
校も此主義に依れり。,現況より推究(すいきゅう:おしきわめる)して、澳国(オーストリア)地産学校の如く教授も普汎的にして、
林学
科,; (改頁) は農林両科は凡て併置の状態なるも、独澳の例に倣ひ甲種程度は必ず
林学
科
木曾山林学校
(修学旅行)
木曾山
林学
校 / して桜井・大滝等に各1泊し、多武の峰・実業学校及び大滝吉野の森林(注58)を視察して下市に入り、翌日農
林学
校
木曾山林学校
([注記])
木曾山
林学
校 / 明治40年(1907)7月農科大学卒業、同41年12月から44年4月まで木曾山
林学
校在任。,同5月ドイツの名門ターラント高等山
林学
校(現、ドレスデン大学)に2年余留学。,帰朝後は同校へ戻ることなく、盛岡高等農
林学
校に招聘された。,初代松田校長、2代江畑校長など歴代校長をはじめ、何人かの教諭は農科大学
林学
科の卒業生であった。
木曾山林学校
(廿周年記念号の終に)
木曾山
林学
校 / 大正10年10月 編集員に代て 甲 氏(注53) 木曽山
林學
校位置圖 (注 これについての
木曾山林学校
(17.入学者資格及試験)
木曾山
林学
校 / 外国にては森
林学
校に入学する資格の必要条件として、入学前に実地林業に従事したる者、若(もし)くは森林行政事務
木曾山林学校
(◎我が国人の天性植物を愛する志想に富む事を述ぶ)
木曾山
林学
校 / 14 通常会員 西 尾 忠 治(注18) 吾人は実業的志想を抱いて此山
林学
校
木曾山林学校
(◎開校一周年紀念祝賀運動会)
木曾山
林学
校 / 内来賓には「木曾山
林学
校一周紀念」と染め抜きたる手拭(てぬぐい)一通づゝを配り、正午より生徒校友一同にて
木曾山林学校
(木曽の五木と害虫)
木曾山
林学
校 / (つゞく) 昆虫及び虫喰ひの材は山
林学
校宛に送り下さい。
木曾山林学校
(25.在学生父兄に望む)
木曾山
林学
校 / 学資は凡て振替口座7600番木曾山
林学
校長江畑猷之允宛送金せらるべし。
木曾山林学校
(12.本校の実習に対する便宜)
木曾山
林学
校 / 多くの甲種程度農
林学
校は概ね農業地方に設置せられ、且つ農業教育に重きを置けるを以て、農学科は其構内若くは
木曾山林学校
(13.修学旅行)
木曾山
林学
校 / (神社仏閣・奈良公園)、多武峯(森林業一般)、吉野(林業一般及吉野山参拝、木工学校参観)、奈良県立農
林学
校
木曾山林学校
(11.実習)
木曾山
林学
校 / 明年度に於て測量及設計をなし、本邦産及外国産の有望林木の森林並に各種の造林法式及作業方法の森林を造り、造
林学
研究,見本苗圃は内外各種の有用林木の苗木を培養し、見本林及植物園等の植付の用に供し、併せて造
林学
教授の参考となす
木曾山林学校
(卒業生に望む)
木曾山
林学
校 / 12 西 澤 静 人(注4) 既に諸君の知らるゝが如く、我長野県木曾山
林学
校
木曾山林学校
([本文])
木曾山
林学
校 / [本文] 木曾山
林学
校要覧 目次 2 1.木曽ノ天然………………………………………………
/ 3ページ