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木曾山林学校
(八戸林学士森林行政論)
木曾山
林
学
校 / 八戸
林
学
士森
林
行政論 2 伊予新居浜 緑 山 第13号の続き 以上,の森
林
に至りては国有
林
の管理員と同資格を有する堪能の職員並低度の
学
校を卒業したる助手を採用し、大所有即,の者は論説の外に在て到底之を欧州先進国の大
学
又は高等教育を受けたる管理員と比較すべきにあらず。,の如き、三井・藤田の如き、其他2、3の場所に於て、大
学
或は高等の専門教育を受け管理員たるの資格を備へたる,我国有
林
行政に在りては監査員は
林
務総管機関、即ち大
林
区署の中に存じ大
林
区署長と同官名、即ち山
林
技師と山
林
事務官 / 八戸
林
学
士森
林
行政論
木曾山林学校
(◎木曾山林学校々友会の沿革)
木曾山
林
学
校 / ◎木曾山
林
学
校々友会の沿革 33 本会は名称を木曾山
林
学
校々友会と称して、会員相互,年7月第2日曜日開会 会するもの60名会則を議して左の役員を選定す 一、 会 長 1
学
年生, (改頁) 役 員 一、 会 長 正七位
林
学
士, 君 一、 幹事長 手塚長十 君 一、 編集長
林
, 蜂谷光香 君 同
林
義男 君 / ◎木曾山
林
学
校々友会の沿革
木曾山林学校
(8.長野県立甲種木曾山林学校学則)
木曾山
林
学
校 / 8.長野県立甲種木曾山
林
学
校
学
則 18 第 1 章 総 則 第 1 条 本校,ハ農業
学
校規程甲種程度ニ基ヅキ、森
林
ニ関スル
学
理・実習ヲ授クルヲ以テ目的トス 第 2 条 修業年限ハ,を参照) 第 4 章 実習及修
学
旅行 第 9 条 実習ハ
林
業・農業及ビ測量科ニ之ヲ,3
学
年ニハ
学
術実地指導ノ為メ修
学
旅行ヲ課シ、
林
業ニ関スル各般ノ観察ヲナサシム 但シ旅行ノ,(注 「長野県立甲種木曾山
林
学
校
学
科目及程度並毎週授業時間表」の表は原本ビューワ26コマを参照) / 8.長野県立甲種木曾山
林
学
校
学
則
木曾山林学校
(祝木曽山林学校創立20周年)
木曾山
林
学
校 / 祝木曽山
林
学
校創立20周年 13 宮 川 丑 作(注8) 岐蘇山下
学
寮清,(岐蘇山の下、
学
寮清し) 仰見料
林
千古栄(仰ぎ見る料
林
千古の栄え) 二十周年今日喜(二十周年 / 祝木曽山
林
学
校創立20周年
木曾山林学校
(◎木曾山林学校々友会々則)
木曾山
林
学
校 / ◎木曾山
林
学
校々友会々則 32 第1章 名称 ,位置 第1条 本会は木曾山
林
学
校々友会と称し木曾山
林
学
校内に設置す 第2章 目的,の方法を設く 1、機関雑誌として年2回校友会々報を発刊し会員に分つこと 2、
学
理経験, 名誉会員 特別会員 通常会員 (改頁) 第5条
林
業,諸士を以て特別会員とす 第7条 本校在
学
生を以て通常会員とす 第4章 事業 第8条 / ◎木曾山
林
学
校々友会々則
木曾山林学校
(◎長野県西筑摩郡立甲種木曾山林学校学則)
木曾山
林
学
校 / ◎長野県西筑摩郡立甲種木曾山
林
学
校
学
則 28 第1章 総則 第 1 条 本校は農業
学
校規程甲種,(注48)程度に基づき、森
林
に関する
学
理実習及普通農業の大意を授くるを以(もっ)て目的とす 第 2 , 同上 右父母後見人 何某 (印) 長野県西筑摩郡立甲種木曾山
林
学
校,)し其業を了(お)へたり仍(よっ)て之を証す 年月日 長野県西筑摩郡立甲種木曾山
林
学
校長姓名,したることを証す 年月日(校印) 長野県西筑摩郡立甲種木曾山
林
学
校 / ◎長野県西筑摩郡立甲種木曾山
林
学
校
学
則
木曾山林学校
(◎第1回木曾山林学校生徒修学旅行記)
木曾山
林
学
校 / ◎第1回木曾山
林
学
校生徒修
学
旅行記 15 今茲(きんじ:今年)明治34年6月22日午後1時、森
林
視察,の為め第1
学
年生34名、校長松田
林
学
士以下職員諸氏に引率せられて郡下駒ヶ根村(こまがねむら:現・上松町,)小川御料
林
に向て出発せり。,段々進んで行きたが、此の地一般花崗岩から成る壌土で、一帯の森
林
であつた
林
木は多くは針葉樹で古代の天然
林
,又々上り行くと小枝で拵(こし)らへた、巾が7、8尺の畳みの目の様なものがあつたから、之れは我々山
林
学
校 / ◎第1回木曾山
林
学
校生徒修
学
旅行記
木曾山林学校
(24.木曾山林学校々友会々則)
木曾山
林
学
校 / 24.木曾山
林
学
校々友会々則 56 第一章 名称 位置 第1条 本会は木曾山
林
学
校々友会,と称し木曾山
林
学
校に設置す 第二章 目的 第2条 本会の目的は会員相互の智徳を練磨し、,充実し、娯楽を高尚にし、親密を図り、以て一致協同の精神を鞏固(きょうこ:強固)にし、兼て地方農村に向て
林
業,を発刊する事 2、
学
理経験に富みたる人士を聘(へい:まねく)し演説講話を聴問する事 ,を以て之を報告す 第21条 本校在
学
生たるものは必ず入会するものとす。 / 24.木曾山
林
学
校々友会々則
木曾山林学校
(◎林業の方面より観察したる森林教育)
木曾山
林
学
校 / 森
林
学
校(注3)は現今の規定によれば農業
学
校の中に含まれて居る訳なれ共、今日まで専門の森
林
学
校若(もし,イ、森
林
学
校に於ては専門の
学
科を授けると共に普通
学
を科せねばならぬ。,例へて見たならば森
林
学
校に於て植物
学
を授くるにも、森
林
樹木に縁故深き顕花植物の説明の如きは詳細にあたるべきも,第五は、修
学
旅行の必要なることである。
林
学
は観察の
学
問である。,第六、中等教育の森
林
学
校・農
学
校は主として農家の子弟に実業を教ふる場合が多い。 / ◎
林
業の方面より観察したる森
林
教育
木曾山林学校
(◎御料局(注8)技師林学士江崎政忠氏演説(注9))
木曾山
林
学
校 / 我日本にては明治15年に始めて山
林
学
校を東京西ガ原に設けられたのであるが、設立当時
学
校を設ける位置に就,後農
林
学
校となり、今日ではそれが農科大
学
となったのである。,故に山
林
学
校は森
林
のある山に就て居(お)らねばならぬ訳である。,彼(か)の欧州諸国にても山
林
学
校は森
林
のある場所に設くるのが通例となつて居ます。,それだからして日本の
林
学
者にならうと思ふものは、皆此(この)
学
校に来て
学
ばんければ、真の
林
学
者となることは / ◎御料局(注8)技師
林
学
士江崎政忠氏演説(注9)
木曾山林学校
(木曽山林学校創立 20年記念を祝て)
木曾山
林
学
校 / 木曽山
林
学
校創立 20年記念を祝て 14 安 井 正 夫(注9) / 木曽山
林
学
校創立 20年記念を祝て
木曾山林学校
(◎殖林(しょくりん:植林)の急務)
木曾山
林
学
校 / ◎殖
林
(しょくりん:植
林
)の急務 12 通常会員 坪 倉 藤 三 郎 諸君,元来私は昨年4月本校が開校せられしと同時に入
学
しまして、今日まで
林
業上の
学
理と実習とを修得した事柄に就,サワラ)などの美
林
を見て、日本第一の有名なる大森
林
と云ふ事を始めて知つたのである。,近項
林
業と云ふ事が追々やかましくなつて、漸(ようや)く山
林
、農
林
の
学
校も出来、諸君と共に
林
業上の道を
学
,さねばならない様に思はるゝ人があるかも知れないが、僕は茲にはさような理屈は余り云はずして、唯(ただ)之れ迄
林
学
実習 / ◎殖
林
(しょくりん:植
林
)の急務
木曾山林学校
(5.中等程度森林教育の方針)
木曾山
林
学
校 / 嘗て(かつて:以前)我国山
林
局に
林
業講習所を付設して中等程度
学
校卒業以上の
学
力ある者を教養したるが如きは,此等の
学
校は何れも教養方針を異にして、或は飛砂地に於ける森
林
保護に任ずる者、或は平地
林
又は山岳
林
地方に,
学
校は何れも小
林
区署所在地にありて小
林
区署長之が指揮監督をなす。,(オーストリア)地産
学
校の如く教授も普汎的にして、
林
学
科の外、畜産・農
学
・土木科或は法制経済等の大意を,伹し高等専門
学
校には諸外邦と雖も農
林
又は工
林
を併置せる者多きが如し。 / 5.中等程度森
林
教育の方針
木曾山林学校
(造林上の雑感)
木曾山
林
学
校 / 造
林
上の雑感 16 脇 田 山 の 人 往時造
林
の錯誤よりして
林
業経営上至大,(1)木曽地方に現れたる造
林
天下に冠絶せる扁柏(へんぱく:ヒノキ)天然
林
の本場たる木曽御料
林
の伐採後,之等(これら)の原因には種々ありと雖最上(さいじょう:この上ない)注意を要すべきは、実力に欠たる高等
学
府,
林
等の美
林
も乱伐なし。,山の人は六ッかしい(むつかしい:難しい)
学
理を述べるのではない。 / 造
林
上の雑感
木曾山林学校
(4.中等程度の林業教育の現状)
木曾山
林
学
校 / は駒場に転じ農
林
学
校となり、再変して農科大
学
林
学
科となり、更に
林
学
実科を併置せらる。,而して森
林
教育施設益々急を要するものありて東北帝国大
学
林
学
科の前身たる札幌農
学
校に
林
学
科あり。,甲種程度
学
校数 全国甲種程度の農業
学
校70有余の内、農
林
なる名称を冠せるは20校にして、内
林
学
を農
学
科,又修業年限3年若しくは4ヶ年の内、単に最後の1ヶ年のみ1
学
級を組織して
林
学
志望者に
林
学
を講ずる者8校、,而して修業年限の凡てを通じて農
林
両科を独立せしむる者、即入
学
当初より農
学
と
林
学
と全然(ぜんぜん:まったく / 4.中等程度の
林
業教育の現状
木曾山林学校
(シユリツヒ氏森林学抄訳 『第14号つづき』)
木曾山
林
学
校 / シユリツヒ氏森
林
学
抄訳 『第14号つづき』 2 小 松 吉 次 郎(注6,(2)森
林
は其経営及作業上、労働の要求を来す。粗製原料を生産する森
林
工業に於て然(しか)り。,(8)森
林
は国民の衛生を助く。 (9)森
林
は一国の風致を進め国民に有益なる感化を与ふ。,即ち国有
林
の一定面積を維持し或は設置し組合
林
・私有
林
を管督し奨励する方法を取らざるべからず。,(第一編森
林
の効用終了)、 (国家と森
林
との関係は次号に継ぐ) / シユリツヒ氏森
林
学
抄訳 『第14号つづき』
木曾山林学校
(学校要覧)
木曾山
林
学
校 / 同年10月臨時郡会に於て乙種程度の山
林
学
校設立の適切なるを認め全会一致之を可決す 〇同年10月29日郡立乙種山
林
学
校設立,を長野県立木曾山
林
学
校と改称の件文部大臣の認可を得たり ○同45年4月福島町所在の実習地の一部を返却,現行の
学
則これなり ○同年4月中福島町所在の実習地残部を返却し、新たに校舎隣接地畑山
林
7筆合計2反4,、長野県木曾山
林
学
校と改称す ○大正10年3月4日県令第16号を以て
学
則第30条改正授業料1ヶ月金1,とす (二)
学
則大要 目的 本校ハ農業
学
校規程ニ基ヅキ
林
業ニ従事セン卜スルモノニ須要ナル教育 /
学
校要覧
木曾山林学校
(修学旅行)
木曾山
林
学
校 / 修
学
旅行 6 芋 井 史 生 待ちに待ちたる本校修
学
旅行も愈々(いよいよ)来,3
学
年生は恒例の通り関東方面なり。,山陵(さんりょう:天皇などの墓所)を拝して桜井・大滝等に各1泊し、多武の峰・実業
学
校及び大滝吉野の森
林
,(注58)を視察して下市に入り、翌日農
林
学
校を視察して五條より汽車にて高野口に入る。,杉
林
・竹
林
等を視察し滞在する事2日。再び名古屋に戻り1泊して帰校する予定なり。 / 修
学
旅行
木曾山林学校
(我が故郷の森林状態)
木曾山
林
学
校 / 我が故郷の森
林
状態 3 ヒ ー ロ ー 生 肥沃の平野に農業行はれ山地に
林
業,然るに近年に至り町村、諸組合、
学
校等にて森
林
の直接間接の効果より植
林
の必要を感じ人工造
林
を所々に施すに,殊に小
学
校等にては日露戦勝紀念として町村より
林
野を寄付せられ、教員引卒の下に生徒の造
林
をなすもの多し。,を伐採する事多量にして比較的植
林
事業の発展し居らざるより、彼の吉野の
林
業の如く伐採するや否や跡地に造
林
,築く費用あらば、挙(こぞ)つて植
林
事業の費用として投入せられ、且事業の第一歩として森
林
を仕立ん事を望む / 我が故郷の森
林
状態
木曾山林学校
(13.修学旅行)
木曾山
林
学
校 / は奈艮(神社仏閣・奈良公園)、多武峯(森
林
業一般)、吉野(
林
業一般及吉野山参拝、木工
学
校参観)、奈良県立農
林
学
校,(2)第3
学
年は瀨戸(砂防工)、浜松(楽器製造会社・三方原御料
林
)、瀨尻(御料
林
・金原山
林
・天龍沿岸杉
林
,)、秋葉山(参拝・茶・杉
林
・推茸栽培)、横須賀(鎮守府)、鎌倉(古跡)、東京(農科大
学
・目黒
林
業試験所,(3)第3
学
年は瀨戸川御料
林
(天然更新・天然美
林
・運材・谷落し)、小川御料
林
(運材・小谷 ,故に時代ある
林
業の発達せる地方に旅行を企て
学
理と実際との調節を図るの必要あり。 / 13.修
学
旅行
木曾山林学校
(◎農商務省営林技師水戸章造氏の演説)
木曾山
林
学
校 / 当山
林
学
校は
学
校のある位置から申せば極めて良いのであつて、之れより外は山
林
学
校を設けるよき場所 ,元来
林
業も
学
術上より得たる智識を実地に応用するのであるから此木曽は誠によい地である。,今日諸君が此地に於て充分に
学
と術とを研究して、将来有望なる
林
業に従事する為めに勉強しつゝあるから、他の,
学
校に比して成蹟が宜しからうと信じます。,本校生徒諸君も卒業後は
学
理を実地に応 (改頁) 用し、山
林
事業 / ◎農商務省営
林
技師水戸章造氏の演説
木曾山林学校
(18.遊学者の便益)
木曾山
林
学
校 / 18.遊
学
者の便益 47 1、
林
学
科を以て独立せるを以て農
学
或(あるい)は獣医科を併置したるものと,異り、他に何等の係累なく全力を
林
学
に傾注することを得るを以て
学
習に便なること。,2、造
林
・伐木・運材等修
学
上最も必要なる実地作業は、
学
校演習
林
及付近御料
林
に於て見
学
することを得ること,5、盛岡及鹿児島高等農
林
学
校、其他と相連絡せること。 / 18.遊
学
者の便益
木曾山林学校
(9.各学科教授の内容)
木曾山
林
学
校 / 9.各
学
科教授の内容 27 世人の
林
業及
林
学
に関する感想は、今尚比較的浅薄にして既に高等教育ある人士,にして
林
学
を以て単に樹木の植栽のみに関する
学
科なりとの念を懐く者多し。,等
林
学
通論 森
林
分布及面積。森
林
直接並に間接の効用。経済
学
上
林
業の性質。木材の需給。市町村
林
。,
林
地及
林
木の価格評定の原理及方法。営業利益。利率。 森
林
経理
学
森
林
の保続。生長。蓄積。輪伐期。,造
林
学
材木及森
林
の種類名称。
林
木の生活及成長の原理。森
林
植物帯。造
林
上土地気候等に対する関係。 / 9.各
学
科教授の内容
木曾山林学校
(校友会の起源と岐蘇林友の発達)
木曾山
林
学
校 / 丁度本年が
学
校創立20周年とすれば、
林
友雑誌の発生は1年遅れて、今年は19周年に相当するといって宜しい,43年の3月第11号を長野市活版所から出版して、木曽山
林
学
校々友会々報の題号も余り永きに失するの嫌がある,幸(さいわい)校長外教官諸氏の豊富なる
学
識と研究とが毎号発表せられ、卒業生並に在
学
生諸君の着実なる研究,同年11月の第25号及び12月の第26号より郡内又は
林
業地の有力者、小
学
校長、町村長、青年会等へ広く本誌,を寄贈して、
林
業思想の鼓吹、公有
林
野の整理経営等の奨励等をなしたるは、岐蘇
林
友の
林
業界に貢献したる功績 / 校友会の起源と岐蘇
林
友の発達
木曾山林学校
(◎西筑摩郡の林業)
木曾山
林
学
校 / ◎西筑摩郡の
林
業 西筑摩郡(注26)に於ては去る33年度より
林
業巡回教師(注27)を置き、専ら
林
業の,今聞き得たる計画の大要を挙げますれば、 郡下造
林
所要山野面積表 (注 「郡下造
林
所要山野面積表,」は原本ビューワ18コマを参照) (改頁) 前表に掲ぐる造
林
事務,郡下造
林
所要山野面積及所要苗木数並に苗圃面積・年々の播種量取調表 (注 「郡下造
林
所要山野面積及所要苗木数並,35年度に於ては
林
業巡回教師が各町村へ出張し、第1表所掲の
林
野を調査し、而して造
林
予定案なる / ◎西筑摩郡の
林
業
木曾山林学校
(17.入学者資格及試験)
木曾山
林
学
校 / 17.入
学
者資格及試験 46 入
学
に関して
学
則第14条以下第16条に依る。,くは中
学
校第2
学
年以上修業又は之と同等以上の
学
力を有する者 2.身体健全にして規定の
学
科を修むるに耐,ふる者 3.品行方正にして
林
業に従事せんとする志望確実なる者 4.在
学
中
学
資を弁じ得るもの 入
学
志望者,にして以上の資格を具(そな)ふる者は無試験入
学
を許可し、第一項末段同等以上の
学
力を有する者に就ては
学
力,外国にては森
林
学
校に入
学
する資格の必要条件として、入
学
前に実地
林
業に従事したる者、若(もし)くは森
林
行政事務 / 17.入
学
者資格及試験
木曾山林学校
(◎林業試験苗圃演習地)
木曾山
林
学
校 / 2月造
林
試験苗圃となした。,面積1反2畝歩ありて、方位東南は開放して西北の2面は森
林
を負たる平坦の地である。,以上の仕事は演習であるからして2
学
年生徒が一切の
学
力に当て各区受持を定めて居ます。 ,本校演習
林
(注35)は福島町字大澤の山
林
総反別83町歩にして、地味は不良と云ふ程のことではなけれ共、傾斜甚,第2
学
年生を以(もっ)て雑木の伐り払ひをなし、杉、扁柏(ヒノキ)の苗木を栽植したが、総て地明、植付、手入 / ◎
林
業試験苗圃演習地
木曾山林学校
(◎山林校友会々報の発刊を祝す)
木曾山
林
学
校 / ◎山
林
校友会々報の発刊を祝す 11 通常会員 坪 倉 藤 三 郎(注16),吾が山
林
校友会の機関雜誌は今月今日を以て本校内に生れたのであります。,抑(そもそ)も本会は昨年の7月に在
学
生諸君と共に尽力して創めて設けられ、其後3、4回通常会を開て会員相互,の親密を図りて
林
業上智識の交換といふ事を謀(はか)りました。,処(ところ)が、本年4月即ち
学
年試験後に至つて、校長始め先生方より時々(ときどき)校友会は如何(いか) / ◎山
林
校友会々報の発刊を祝す
木曾山林学校
(我校演習林の価値)
木曾山
林
学
校 / 我校演習
林
の価値 3 小 羽 根 40年後に於ける我校演習
林
が
林
価算法上如何,我校演習
林
面積は約100町歩なるが、此中
林
道・岩石地・沼沢地等のために実際造
林
面積は80町歩として算すべし,86円 而して此86円は1町歩の造
林
費なるにより毎年2町歩を造
林
すれば、此2倍即ち172円を40年間毎年出,然(しか)れども演習
林
地は全部福島町の所有なり。,故に80年乃至(ないし)100年後、又は是れを法正
林
(ほうせいりん:注18)とせば、実際上我校演習
林
の / 我校演習
林
の価値
木曾山林学校
(◎図書審査官農学士針塚長太郎氏演説)
木曾山
林
学
校 / ◎図書審査官農
学
士針塚長太郎氏演説 9 諸君は木曾山
林
学
校へ入
学
して居るのであるが、御承知の如(ごと,殊に此(この)山
林
学
校と云ふのは、我国に於ては木曽を以て創始とします。,諸君は充分勉強して卒業の上は日本の
林
業家となり、
学
習経験によつて得たる知識を実業上に応用して、大は国家,又山
林
学
校が創始せられたと云ふ歴史に対しても充分勉強してもらいたい。,諸君が早く此
学
校を卒業して森
林
と撃死する覚悟でどしどし働いてもらいたい。 / ◎図書審査官農
学
士針塚長太郎氏演説
木曾山林学校
(青年団体の植林を望む)
木曾山
林
学
校 / 青年団体の植
林
を望む 3 2年 久 保 田 洋 舟 △植
林
の必要 人類生活上木材,我国の如き将来生産業として工業の興隆せんとする国に在りては、
林
業を盛んならしめ以(もっ)て
林
産物を豊富,より
林
地を借り受け、之に植
林
して山守を置きて保護管理せしめ以て経営しつゝあり。,△近時何々紀念
林
として、青年団等の植
林
各地に行はるゝは大に喜ぶべき傾向なり。,曰く『我村にて数年前紀念
林
として三部落共同して植
林
せしことあり。 / 青年団体の植
林
を望む
木曾山林学校
(木曽御料林雑詠十首)
木曾山
林
学
校 / 木曽御料
林
雑詠十首 13 三 村 千 載 千早振神代の代よりしけりけん ,御料となりにけるかな 深山木もめくみの露にうるほひて ときはかきはにいや栄ゆらん み
林
をゆつりまつりしまこゝろは, なかれてきよし木曽の川みつ み
林
のあはひに匂ふもみちはゝ 民のこゝろのもゆるなりけり / 木曽御料
林
雑詠十首
木曾山林学校
(石川県の林野基本調査に就て)
木曾山
林
学
校 / (3)
林
況 陸地測量部作製5万分の1地図に
林
相(りんそう:注16)を記入すること、而して
林
相の色別,は 1、赤松と外の針葉樹と雑木
林
と混交
林
2、赤松雑木混交
林
3、樅(もみ)赤松混交
林
, 4、雑木
林
5、赤松
林
6、黒松
林
7、松・扁柏(ヒノキ)・花柏(サワラ)・,但し此場合人工
林
にありては予(あらかじ)め区長をして其区内、森
林
所有者に別表(人工造
林
調査表)を配布して,、
林
野の地況・
林
況・並要造
林
地・要
林
種改良地・
林
産物の需給関係等を調査し将来の施業確立するものとす。 / 石川県の
林
野基本調査に就て
木曾山林学校
(20.在学生状況一般)
木曾山
林
学
校 / 20.在
学
生状況一般 48 生徒の
学
歴 生徒の当校入
学
前の履歴は区々(くく:まちまち)にして、単,に高等小
学
校を終了し直に入
学
せる者、或は実業に従事せし者、他の種の
学
校より転ぜし者、又官公署に奉職せし,即ち単に高等小
学
を卒へて入
学
せし人員と、高等小
学
を卒へ然る後他の種の
学
校或は業務を履習せしものと、殆ど,便を得たると、一面(いちめん:全体として)各府県森
林
並に治水事業の声高きの致す所なるべし。,を参照) 5 入
学
前の履歴 在
学
生の入
学
前履歴及単に高等小
学
卒業せる者と、高等小
学
校終了後他の経歴 / 20.在
学
生状況一般
木曾山林学校
(25.在学生父兄に望む)
木曾山
林
学
校 / 25.在
学
生父兄に望む 57 1、当校在
学
期間の生徒の年齢より見る時は、身体及精神の発達上最も重要,4、欠席は
学
業の進歩に著しき障害を与ふるのみならず、又種々の弊害を醸し訓練上憂ふべき事項なれば、
学
則23,特に
学
期の始に於て欠席し、又は
学
期末に於て早々帰郷するものあり。,
学
資は凡て振替口座7600番木曾山
林
学
校長江畑猷之允宛送金せらるべし。,又毎月の
学
資金は勿論、修
学
旅行費等も
学
校指定の金高を準拠とし過当の送金をなさざることを切望す。 / 25.在
学
生父兄に望む
木曾山林学校
(19.在学中学資金予定)
木曾山
林
学
校 / 19.在
学
中
学
資金予定 47 所要の
学
資は物価の高低により一定し難しと雖も、1ヶ月の予算左の如し,筆墨其他雑費 1円70銭 校友会費 20銭 合 計 9円00銭 注意 此外入
学
後新調, あるものは10月まで猶予することを得 同(夏衣) 2円 50銭 入
学
後,ぐに購入すべし(注意3、2
学
年生徒の教 科書代価は之より遥かに少額なり,) 実習服 1円 00銭 既定の製法に従ひ入
学
後直に新調すべし (改頁 / 19.在
学
中
学
資金予定
木曾山林学校
(10.教職員に関する事項)
木曾山
林
学
校 / 10.教職員に関する事項 29 本校教職員数並に
学
歴を掲ぐれば 東京農科大
学
林
学
科卒業、
林
学
士, 3 名 東京農科大
学
林
学
実科卒業. 2 名 東京高等師範
学
校卒業, 1 名 盛岡高等農
林
学
校卒業 1 名 其他普通
学
科担任教師,担任
学
科 職名 氏名
林
学
通論、森
林
経理 校長兼教諭 ,、測量 教諭 小松吉次郎 代数、三角、化
学
、物理 同兼舎監
林
重郎
木曾山林学校
([解説])
木曾山
林
学
校 / [解説] [目録] 木曽山
林
資料館 山口登 『木曾山
林
学
校要覧』は、当時の
学
校教育を窺い知る貴重,その中で木曽が歴史・地理的に
林
学
・
林
業を
学
ぶに適した地であること。,加えて同年10月に予定されている、校舎の新築移転や寄宿舎完備などを伝え、
林
学
科のみの
学
校は全国に当校しかなく,これらは
学
校への県外入
学
者が3割に達し、かつ中央西線が開通したことから、この『要覧』は、
林
学
・
林
業を
学
,それ以後、年によっては5割を超える県外生が入
学
することもあり、ますます「木曾山
林
」の名は全国に知られるようになった
木曾山林学校
(◎職員任命)
木曾山
林
学
校 / ◎職員任命 27 校長兼教諭 松田力熊 島根県技師兼同県
林
業巡回教師たりし
林
学
士松田力熊氏,は、明治34年5月20日長野県技師に転任せられ、同時に山
林
学
校長兼教諭に任ぜられ、爾来(じらい:その時以来,教諭 手塚長十 西筑摩郡
林
業巡回教師たりし同氏は、明治34年4月1日長野県木曾山
林
学
校助教諭兼西筑摩郡
林
業巡回教師,20日木曾山
林
学
校教授兼舎監の嘱託せらる。 ,書記 鈴岡実造 氏は明治34年4月19日木曾山
林
学
校書記に任ぜらる。
木曾山林学校
([注記])
木曾山
林
学
校 / 明治29年帝国大
学
農科大
学
林
学
科卒業。,(1871~1949) (注3)森
林
学
校:山
林
学
校のこと。,養蚕
学
校・山
林
学
校・獣医
学
校及ビ水産
学
校等ハ農業
学
校ト看做(みな)ス」とある。,(注9)江崎政忠氏:長野県出身で東京山
林
学
校に
学
んだ。,同校は近代
林
学
・
林
業をドイツで
学
び日本に伝えた松野はざま(石偏に間)が、明治15年(1882)12月に
木曾山林学校
([総合解説])
木曾山
林
学
校 / [総合解説] 木曾山
林
学
校は、実業
学
校令に基づき、我が国最初の森
林
・
林
業を専門とする実業
学
校として、,戦後は木曽山
林
高等
学
校となったが、少子化にともなう生徒減少のため、平成21年(2009)3月その歴史の,幕を閉じ、その教育は木曽青峰高等
学
校に引き継がれた。,さらに同年3月には、日本森
林
学
会から同校に残されているこれら資料と、現在も実習で使われている演習
林
(約,・木曽山
林
高校百周年記念誌『山霊生英傑』(木曽山
林
高等
学
校) ・『沖縄近代
林
業の父園原咲也と木曽山
林
学
校
木曾山林学校
([本文])
木曾山
林
学
校 / 社 長野県西筑摩郡福島町289番地 発 行 所 蘆 澤 書 店 ○本誌目次 (
学
術論説,)木材染色術、シューリツヒ氏森
林
学
、八戸
林
学
士行政論、我校演習
林
の価値、我が故郷の森
林
状態、青年団体の,植
林
を望む、(抜萃)
林
業年中行事(続)、木材紙料製造業、(文苑)我徒の本領、権現滝の春、逝く春、砂バク,之夜、(
学
校便)伊藤先生の通信、西澤先生告別式、修
学
旅行、寄宿舎より、実習便り、福島通信、雑報
木曾山林学校
(学校便)
木曾山
林
学
校 /
学
校便 6 伊藤先生よりの御通信 (4月27日着) 拝啓不肖(ふしょう /
学
校便
木曾山林学校
(創立20周年を迎へて所感を述ぶ)
木曾山
林
学
校 / 創立20周年を迎へて所感を述ぶ 11 長野県木曾山
林
学
校長 岡 部 喜 平(,注1) 木曾山
林
学
校の創立せられたる明治34年頃は
林
学
教育の大本山たる農科大
学
林
学
科ですら、僅に十数名,の
学
生しか居なかった時代であったから、長野県の木曽に郡立の山
林
学
校が出来て松田
林
学
士が校長になられたと,扨(さて)全国を見渡すと、兎角(とかく)中等程度の
林
学
教育ば不振であって、全国に
林
学
科を併設せる農業
学
校,かゝる中にありて我校が
林
学
科丈で独立せることは大に誇りとする所である。
木曾山林学校
([解説])
木曾山
林
学
校 / [解説] [目録] 木曽山
林
資料館 山口登 『木曾山
林
学
校校友会報』1号は、開校2年目に校友会,この中で初代校長松田力熊は6項目の教育方針を示し、日本で初めて実業
学
校で森
林
・
林
業教育を開始した。,例えばその中の「
林
学
は観察の
学
問である」との認識は、具体的に実習及び修
学
旅行を重視する方針となり、長く,また校長を会長とした校友会が組織され、生徒・職員のみならず
林
業界や地元関係者も会員となり、さらに卒業生,会員相互の親睦を深めることはもちろん、教科書すら満足に揃わなかった時代、教科書や副教材の役割を果たし、また
学
校
木曾山林学校
(11.実習)
木曾山
林
学
校 / 、殊に
林
業は其性質上高尚なる
学
術を応用すること多く、且つ急坂を踏破して劇烈なる労働に従事するを要するを,以て、将来
林
業の実務に従事すべき技術者を養成するを目的とせる本校に於ては、甚だ複雑なる
学
科を修得せしむると,9、地方的の特種
林
業の方法を調査せしめ、併せて
林
業の全般に関し常識を養成せしむるため、3
学
年生に約3週間,造
林
法式及作業方法の森
林
を造り、造
林
学
研究の資料となす見込なり。,見本苗圃は内外各種の有用
林
木の苗木を培養し、見本
林
及植物園等の植付の用に供し、併せて造
林
学
教授の参考となす
木曾山林学校
(12.本校の実習に対する便宜)
木曾山
林
学
校 / 12.本校の実習に対する便宜 35 実業
学
校に対し必要なる設備は元より多々あるべしと雖も、殊に実習地,多くの甲種程度農
林
学
校は概ね農業地方に設置せられ、且つ農業教育に重きを置けるを以て、農
学
科は其構内若くは,に於けるが如く、
学
科の教授と相俟(まっ)て時々の実習を課するが如きは絶対に不可能にして、毎
学
年僅かに両,10万余町歩の木曽御料
林
は、各種の実務上並に
学
術上の研究をなすに至大(しだい:この上なく大きいこと)の,)皆伐作業(面積361町歩)、択伐作業(面積79町歩)の2種を有し、森
林
経理
学
の究竟(きゅうきょう:最上
木曾山林学校
(母校を思ひて)
木曾山
林
学
校 / 母校を思ひて 20 S K 生 山
林
学
校が木曽の谷間に産声を挙げてから20歳漸,此の佳辰(かしん:よき日)に当って山
林
学
校が今後如何にして社会に立つべきかを
林
友六百の会員と共に研究する,過去の山
林
学
校、兎に角(とにかく)中等程度の
林
学
専門の
学
校として全国に否海外までも名声を博して来たことは,而し今迄の
林
業教育は甚だ不振で、母校を除くの外は総て農業と
林
業と併置の
学
校であって、而(しか)もそれが,山
林
学
校の如何(いか)なるものなるやも解せぬ人多きに至っては、吾々は寧(むし)ろ憤然たらざるを得ない。
木曾山林学校
([注記])
木曾山
林
学
校 / [注記] *この注では、木曾山
林
学
校のことを「木曾山
林
」、校友会報のことを「会報」、岐蘇
林
友のことを,明治31年東京帝国大
学
農科大
学
林
学
科卒業。,なお、同大
学
林
学
科では初代校長松田力熊の2年後輩になる。,木曽の
学
校即ち木曾山
林
学
校のこと。 (注4)西澤静人:教諭。長野県出身。,明治42年5月静岡県立農
林
学
校から木曾山
林
へ。
木曾山林学校
([解説])
木曾山
林
学
校 / [解説] [目録] 木曽山
林
資料館 山口登 第2代校長江畑猷之允は、『木曾山
林
学
校々友会報』の,さらに名称から「校友」を外して『岐蘇
林
友』とし、19号はその最初の号となった。,こうして同誌は
学
内の枠を超え、地域への近代
林
業の啓蒙誌となり、県下の郡役所・町村役場・小
学
校・青年会などへ,こうした取組みや県外入
学
生が多いことは地域の人々を動かし、同校を国立化して高等山
林
学
校に昇格させようという,なお19号の内容は意欲的な教師たちによる原書からの翻訳、
林
業関係の先端記事、卒業生の任地からの報告及び
/ 10ページ