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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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木曾山林学校 (八戸林学士森林行政論)

木曾山林学校 / 八戸林学士森林行政論 2           伊予新居浜  緑  山    第13号の続き 以上,の森林に至りては国有林の管理員と同資格を有する堪能の職員並低度の学校を卒業したる助手を採用し、大所有即,の者は論説の外に在て到底之を欧州先進国の大学又は高等教育を受けたる管理員と比較すべきにあらず。,の如き、三井・藤田の如き、其他2、3の場所に於て、大学或は高等の専門教育を受け管理員たるの資格を備へたる,我国有林行政に在りては監査員は林務総管機関、即ち大林区署の中に存じ大林区署長と同官名、即ち山林技師と山林事務官 / 八戸林学士森林行政論
木曾山林学校 (◎木曾山林学校々友会の沿革)

木曾山林学校 / ◎木曾山林学校々友会の沿革 33   本会は名称を木曾山林学校々友会と称して、会員相互,年7月第2日曜日開会    会するもの60名会則を議して左の役員を選定す   一、 会 長  1学年生,    (改頁)          役 員   一、 会 長  正七位 林学士, 君   一、 幹事長           手塚長十 君   一、 編集長           林 ,   蜂谷光香 君                同   林 義男 君 / ◎木曾山林学校々友会の沿革
木曾山林学校 (8.長野県立甲種木曾山林学校学則)

木曾山林学校 / 8.長野県立甲種木曾山林学校学則 18        第 1 章  総   則 第 1 条 本校,ハ農業学校規程甲種程度ニ基ヅキ、森林ニ関スル学理・実習ヲ授クルヲ以テ目的トス 第 2 条 修業年限ハ,を参照)        第 4 章  実習及修学旅行 第 9 条 実習ハ林業・農業及ビ測量科ニ之ヲ,3学年ニハ学術実地指導ノ為メ修学旅行ヲ課シ、林業ニ関スル各般ノ観察ヲナサシム       但シ旅行ノ,(注 「長野県立甲種木曾山林学校学科目及程度並毎週授業時間表」の表は原本ビューワ26コマを参照) / 8.長野県立甲種木曾山林学校学則
木曾山林学校 (祝木曽山林学校創立20周年)

木曾山林学校 / 祝木曽山林学校創立20周年 13            宮 川 丑 作(注8)    岐蘇山下学寮清,(岐蘇山の下、学寮清し)    仰見料林千古栄(仰ぎ見る料林千古の栄え)    二十周年今日喜(二十周年 / 祝木曽山林学校創立20周年
木曾山林学校 (◎木曾山林学校々友会々則)

木曾山林学校 / ◎木曾山林学校々友会々則               32      第1章  名称 ,位置 第1条  本会は木曾山林学校々友会と称し木曾山林学校内に設置す      第2章  目的,の方法を設く      1、機関雑誌として年2回校友会々報を発刊し会員に分つこと      2、学理経験,     名誉会員  特別会員  通常会員     (改頁)   第5条  林業,諸士を以て特別会員とす 第7条  本校在学生を以て通常会員とす      第4章  事業 第8条 / ◎木曾山林学校々友会々則
木曾山林学校 (◎長野県西筑摩郡立甲種木曾山林学校学則)

木曾山林学校 / ◎長野県西筑摩郡立甲種木曾山林学校学則 28        第1章 総則 第 1 条  本校は農業学校規程甲種,(注48)程度に基づき、森林に関する学理実習及普通農業の大意を授くるを以(もっ)て目的とす 第 2 ,         同上         右父母後見人 何某 (印)     長野県西筑摩郡立甲種木曾山林学校,)し其業を了(お)へたり仍(よっ)て之を証す         年月日  長野県西筑摩郡立甲種木曾山林学校長姓名,したることを証す         年月日(校印)              長野県西筑摩郡立甲種木曾山林学校 / ◎長野県西筑摩郡立甲種木曾山林学校学則
木曾山林学校 (◎第1回木曾山林学校生徒修学旅行記)

木曾山林学校 / ◎第1回木曾山林学校生徒修学旅行記 15 今茲(きんじ:今年)明治34年6月22日午後1時、森林視察,の為め第1学年生34名、校長松田林学士以下職員諸氏に引率せられて郡下駒ヶ根村(こまがねむら:現・上松町,)小川御料林に向て出発せり。,段々進んで行きたが、此の地一般花崗岩から成る壌土で、一帯の森林であつた林木は多くは針葉樹で古代の天然林,又々上り行くと小枝で拵(こし)らへた、巾が7、8尺の畳みの目の様なものがあつたから、之れは我々山林学校 / ◎第1回木曾山林学校生徒修学旅行記
木曾山林学校 (24.木曾山林学校々友会々則)

木曾山林学校 / 24.木曾山林学校々友会々則 56      第一章  名称 位置 第1条 本会は木曾山林学校々友会,と称し木曾山林学校に設置す      第二章  目的 第2条 本会の目的は会員相互の智徳を練磨し、,充実し、娯楽を高尚にし、親密を図り、以て一致協同の精神を鞏固(きょうこ:強固)にし、兼て地方農村に向て林業,を発刊する事     2、学理経験に富みたる人士を聘(へい:まねく)し演説講話を聴問する事     ,を以て之を報告す 第21条 本校在学生たるものは必ず入会するものとす。 / 24.木曾山林学校々友会々則
木曾山林学校 (◎林業の方面より観察したる森林教育)

木曾山林学校 / 森林学校(注3)は現今の規定によれば農業学校の中に含まれて居る訳なれ共、今日まで専門の森林学校若(もし,イ、森林学校に於ては専門の学科を授けると共に普通学を科せねばならぬ。,例へて見たならば森林学校に於て植物学を授くるにも、森林樹木に縁故深き顕花植物の説明の如きは詳細にあたるべきも,第五は、修学旅行の必要なることである。林学は観察の学問である。,第六、中等教育の森林学校・農学校は主として農家の子弟に実業を教ふる場合が多い。 / ◎林業の方面より観察したる森林教育
木曾山林学校 (◎御料局(注8)技師林学士江崎政忠氏演説(注9))

木曾山林学校 / 我日本にては明治15年に始めて山林学校を東京西ガ原に設けられたのであるが、設立当時学校を設ける位置に就,後農林学校となり、今日ではそれが農科大学となったのである。,故に山林学校は森林のある山に就て居(お)らねばならぬ訳である。,彼(か)の欧州諸国にても山林学校は森林のある場所に設くるのが通例となつて居ます。,それだからして日本の林学者にならうと思ふものは、皆此(この)学校に来て学ばんければ、真の林学者となることは / ◎御料局(注8)技師林学士江崎政忠氏演説(注9)
木曾山林学校 (木曽山林学校創立 20年記念を祝て)

木曾山林学校 / 木曽山林学校創立 20年記念を祝て 14           安 井 正 夫(注9)             / 木曽山林学校創立 20年記念を祝て
木曾山林学校 (◎殖林(しょくりん:植林)の急務)

木曾山林学校 / ◎殖林(しょくりん:植林)の急務 12           通常会員  坪 倉 藤 三 郎 諸君,元来私は昨年4月本校が開校せられしと同時に入学しまして、今日まで林業上の学理と実習とを修得した事柄に就,サワラ)などの美林を見て、日本第一の有名なる大森林と云ふ事を始めて知つたのである。,近項林業と云ふ事が追々やかましくなつて、漸(ようや)く山林、農林の学校も出来、諸君と共に林業上の道を学,さねばならない様に思はるゝ人があるかも知れないが、僕は茲にはさような理屈は余り云はずして、唯(ただ)之れ迄林学実習 / ◎殖林(しょくりん:植林)の急務
木曾山林学校 (造林上の雑感)

木曾山林学校 / 造林上の雑感 16           脇 田 山 の 人 往時造林の錯誤よりして林業経営上至大,(1)木曽地方に現れたる造林 天下に冠絶せる扁柏(へんぱく:ヒノキ)天然林の本場たる木曽御料林の伐採後,之等(これら)の原因には種々ありと雖最上(さいじょう:この上ない)注意を要すべきは、実力に欠たる高等学府,林等の美林も乱伐なし。,山の人は六ッかしい(むつかしい:難しい)学理を述べるのではない。 / 造林上の雑感
木曾山林学校 (5.中等程度森林教育の方針)

木曾山林学校 / 嘗て(かつて:以前)我国山林局に林業講習所を付設して中等程度学校卒業以上の学力ある者を教養したるが如きは,此等の学校は何れも教養方針を異にして、或は飛砂地に於ける森林保護に任ずる者、或は平地林又は山岳林地方に,学校は何れも小林区署所在地にありて小林区署長之が指揮監督をなす。,(オーストリア)地産学校の如く教授も普汎的にして、林学科の外、畜産・農学・土木科或は法制経済等の大意を,伹し高等専門学校には諸外邦と雖も農林又は工林を併置せる者多きが如し。 / 5.中等程度森林教育の方針
木曾山林学校 (シユリツヒ氏森林学抄訳 『第14号つづき』)

木曾山林学校 / シユリツヒ氏森林学抄訳 『第14号つづき』 2              小 松 吉 次 郎(注6,(2)森林は其経営及作業上、労働の要求を来す。粗製原料を生産する森林工業に於て然(しか)り。,(8)森林は国民の衛生を助く。 (9)森林は一国の風致を進め国民に有益なる感化を与ふ。,即ち国有林の一定面積を維持し或は設置し組合林・私有林を管督し奨励する方法を取らざるべからず。,(第一編森林の効用終了)、 (国家と森林との関係は次号に継ぐ) / シユリツヒ氏森林学抄訳 『第14号つづき』
木曾山林学校 (4.中等程度の林業教育の現状)

木曾山林学校 / は駒場に転じ農林学校となり、再変して農科大学林学科となり、更に林学実科を併置せらる。,而して森林教育施設益々急を要するものありて東北帝国大学林学科の前身たる札幌農学校に林学科あり。,甲種程度学校数  全国甲種程度の農業学校70有余の内、農林なる名称を冠せるは20校にして、内林学を農学科,又修業年限3年若しくは4ヶ年の内、単に最後の1ヶ年のみ1学級を組織して林学志望者に林学を講ずる者8校、,而して修業年限の凡てを通じて農林両科を独立せしむる者、即入学当初より農学と林学と全然(ぜんぜん:まったく / 4.中等程度の林業教育の現状
木曾山林学校 (学校要覧)

木曾山林学校 / 同年10月臨時郡会に於て乙種程度の山林学校設立の適切なるを認め全会一致之を可決す 〇同年10月29日郡立乙種山林学校設立,を長野県立木曾山林学校と改称の件文部大臣の認可を得たり ○同45年4月福島町所在の実習地の一部を返却,現行の学則これなり ○同年4月中福島町所在の実習地残部を返却し、新たに校舎隣接地畑山林7筆合計2反4,、長野県木曾山林学校と改称す ○大正10年3月4日県令第16号を以て学則第30条改正授業料1ヶ月金1,とす    (二)学則大要 目的 本校ハ農業学校規程ニ基ヅキ林業ニ従事セン卜スルモノニ須要ナル教育 / 学校要覧
木曾山林学校 (修学旅行)

木曾山林学校 / 修学旅行 6           芋 井 史 生 待ちに待ちたる本校修学旅行も愈々(いよいよ)来,3学年生は恒例の通り関東方面なり。,山陵(さんりょう:天皇などの墓所)を拝して桜井・大滝等に各1泊し、多武の峰・実業学校及び大滝吉野の森林,(注58)を視察して下市に入り、翌日農林学校を視察して五條より汽車にて高野口に入る。,杉林・竹林等を視察し滞在する事2日。再び名古屋に戻り1泊して帰校する予定なり。 / 修学旅行
木曾山林学校 (我が故郷の森林状態)

木曾山林学校 / 我が故郷の森林状態 3           ヒ ー ロ ー 生 肥沃の平野に農業行はれ山地に林業,然るに近年に至り町村、諸組合、学校等にて森林の直接間接の効果より植林の必要を感じ人工造林を所々に施すに,殊に小学校等にては日露戦勝紀念として町村より林野を寄付せられ、教員引卒の下に生徒の造林をなすもの多し。,を伐採する事多量にして比較的植林事業の発展し居らざるより、彼の吉野の林業の如く伐採するや否や跡地に造林,築く費用あらば、挙(こぞ)つて植林事業の費用として投入せられ、且事業の第一歩として森林を仕立ん事を望む / 我が故郷の森林状態
木曾山林学校 (◎農商務省営林技師水戸章造氏の演説)

木曾山林学校 / 当山林学校は学校のある位置から申せば極めて良いのであつて、之れより外は山林学校を設けるよき場所  ,元来林業も学術上より得たる智識を実地に応用するのであるから此木曽は誠によい地である。,今日諸君が此地に於て充分に学と術とを研究して、将来有望なる林業に従事する為めに勉強しつゝあるから、他の,学校に比して成蹟が宜しからうと信じます。,本校生徒諸君も卒業後は学理を実地に応     (改頁)   用し、山林事業 / ◎農商務省営林技師水戸章造氏の演説
木曾山林学校 (13.修学旅行)

木曾山林学校 / は奈艮(神社仏閣・奈良公園)、多武峯(森林業一般)、吉野(林業一般及吉野山参拝、木工学校参観)、奈良県立農林学校,(2)第3学年は瀨戸(砂防工)、浜松(楽器製造会社・三方原御料林)、瀨尻(御料林・金原山林・天龍沿岸杉林,)、秋葉山(参拝・茶・杉林・推茸栽培)、横須賀(鎮守府)、鎌倉(古跡)、東京(農科大学・目黒林業試験所,(3)第3学年は瀨戸川御料林(天然更新・天然美林・運材・谷落し)、小川御料林(運材・小谷  ,故に時代ある林業の発達せる地方に旅行を企て学理と実際との調節を図るの必要あり。 / 13.修学旅行
木曾山林学校 (18.遊学者の便益)

木曾山林学校 / 18.遊学者の便益 47 1、林学科を以て独立せるを以て農学或(あるい)は獣医科を併置したるものと,異り、他に何等の係累なく全力を林学に傾注することを得るを以て学習に便なること。,2、造林・伐木・運材等修学上最も必要なる実地作業は、学校演習林及付近御料林に於て見学することを得ること,5、盛岡及鹿児島高等農林学校、其他と相連絡せること。 / 18.遊学者の便益
木曾山林学校 (9.各学科教授の内容)

木曾山林学校 / 9.各学科教授の内容 27 世人の林業及林学に関する感想は、今尚比較的浅薄にして既に高等教育ある人士,にして林学を以て単に樹木の植栽のみに関する学科なりとの念を懐く者多し。,等 林学通論  森林分布及面積。森林直接並に間接の効用。経済学上林業の性質。木材の需給。市町村林。,林地及林木の価格評定の原理及方法。営業利益。利率。 森林経理学 森林の保続。生長。蓄積。輪伐期。,造林学  材木及森林の種類名称。林木の生活及成長の原理。森林植物帯。造林上土地気候等に対する関係。 / 9.各学科教授の内容
木曾山林学校 (校友会の起源と岐蘇林友の発達)

木曾山林学校 / 丁度本年が学校創立20周年とすれば、林友雑誌の発生は1年遅れて、今年は19周年に相当するといって宜しい,43年の3月第11号を長野市活版所から出版して、木曽山林学校々友会々報の題号も余り永きに失するの嫌がある,幸(さいわい)校長外教官諸氏の豊富なる学識と研究とが毎号発表せられ、卒業生並に在学生諸君の着実なる研究,同年11月の第25号及び12月の第26号より郡内又は林業地の有力者、小学校長、町村長、青年会等へ広く本誌,を寄贈して、林業思想の鼓吹、公有林野の整理経営等の奨励等をなしたるは、岐蘇林友の林業界に貢献したる功績 / 校友会の起源と岐蘇林友の発達
木曾山林学校 (◎西筑摩郡の林業)

木曾山林学校 / ◎西筑摩郡の林業 西筑摩郡(注26)に於ては去る33年度より林業巡回教師(注27)を置き、専ら林業の,今聞き得たる計画の大要を挙げますれば、   郡下造林所要山野面積表  (注 「郡下造林所要山野面積表,」は原本ビューワ18コマを参照)     (改頁)   前表に掲ぐる造林事務,郡下造林所要山野面積及所要苗木数並に苗圃面積・年々の播種量取調表 (注 「郡下造林所要山野面積及所要苗木数並,35年度に於ては林業巡回教師が各町村へ出張し、第1表所掲の林野を調査し、而して造林予定案なる   / ◎西筑摩郡の林業
木曾山林学校 (◎林業試験苗圃演習地)

木曾山林学校 / 2月造林試験苗圃となした。,面積1反2畝歩ありて、方位東南は開放して西北の2面は森林を負たる平坦の地である。,以上の仕事は演習であるからして2学年生徒が一切の学力に当て各区受持を定めて居ます。     ,本校演習林(注35)は福島町字大澤の山林総反別83町歩にして、地味は不良と云ふ程のことではなけれ共、傾斜甚,第2学年生を以(もっ)て雑木の伐り払ひをなし、杉、扁柏(ヒノキ)の苗木を栽植したが、総て地明、植付、手入 / ◎林業試験苗圃演習地
木曾山林学校 (17.入学者資格及試験)

木曾山林学校 / 17.入学者資格及試験 46 入学に関して学則第14条以下第16条に依る。,くは中学校第2学年以上修業又は之と同等以上の学力を有する者 2.身体健全にして規定の学科を修むるに耐,ふる者 3.品行方正にして林業に従事せんとする志望確実なる者 4.在学中学資を弁じ得るもの 入学志望者,にして以上の資格を具(そな)ふる者は無試験入学を許可し、第一項末段同等以上の学力を有する者に就ては学力,外国にては森林学校に入学する資格の必要条件として、入学前に実地林業に従事したる者、若(もし)くは森林行政事務 / 17.入学者資格及試験
木曾山林学校 (◎山林校友会々報の発刊を祝す)

木曾山林学校 / ◎山林校友会々報の発刊を祝す 11           通常会員  坪 倉 藤 三 郎(注16),吾が山林校友会の機関雜誌は今月今日を以て本校内に生れたのであります。,抑(そもそ)も本会は昨年の7月に在学生諸君と共に尽力して創めて設けられ、其後3、4回通常会を開て会員相互,の親密を図りて林業上智識の交換といふ事を謀(はか)りました。,処(ところ)が、本年4月即ち学年試験後に至つて、校長始め先生方より時々(ときどき)校友会は如何(いか) / ◎山林校友会々報の発刊を祝す
木曾山林学校 (我校演習林の価値)

木曾山林学校 / 我校演習林の価値 3           小 羽 根  40年後に於ける我校演習林が林価算法上如何,我校演習林面積は約100町歩なるが、此中林道・岩石地・沼沢地等のために実際造林面積は80町歩として算すべし,86円 而して此86円は1町歩の造林費なるにより毎年2町歩を造林すれば、此2倍即ち172円を40年間毎年出,然(しか)れども演習林地は全部福島町の所有なり。,故に80年乃至(ないし)100年後、又は是れを法正林(ほうせいりん:注18)とせば、実際上我校演習林の / 我校演習林の価値
木曾山林学校 (◎図書審査官農学士針塚長太郎氏演説)

木曾山林学校 / ◎図書審査官農学士針塚長太郎氏演説 9 諸君は木曾山林学校へ入学して居るのであるが、御承知の如(ごと,殊に此(この)山林学校と云ふのは、我国に於ては木曽を以て創始とします。,諸君は充分勉強して卒業の上は日本の林業家となり、学習経験によつて得たる知識を実業上に応用して、大は国家,又山林学校が創始せられたと云ふ歴史に対しても充分勉強してもらいたい。,諸君が早く此学校を卒業して森林と撃死する覚悟でどしどし働いてもらいたい。 / ◎図書審査官農学士針塚長太郎氏演説
木曾山林学校 (青年団体の植林を望む)

木曾山林学校 / 青年団体の植林を望む 3           2年  久 保 田 洋 舟 △植林の必要  人類生活上木材,我国の如き将来生産業として工業の興隆せんとする国に在りては、林業を盛んならしめ以(もっ)て林産物を豊富,より林地を借り受け、之に植林して山守を置きて保護管理せしめ以て経営しつゝあり。,△近時何々紀念林として、青年団等の植林各地に行はるゝは大に喜ぶべき傾向なり。,曰く『我村にて数年前紀念林として三部落共同して植林せしことあり。 / 青年団体の植林を望む
木曾山林学校 (木曽御料林雑詠十首)

木曾山林学校 / 木曽御料林雑詠十首 13           三 村 千 載 千早振神代の代よりしけりけん       ,御料となりにけるかな 深山木もめくみの露にうるほひて       ときはかきはにいや栄ゆらん み林をゆつりまつりしまこゝろは,      なかれてきよし木曽の川みつ み林のあはひに匂ふもみちはゝ       民のこゝろのもゆるなりけり / 木曽御料林雑詠十首
木曾山林学校 (石川県の林野基本調査に就て)

木曾山林学校 / (3)林況  陸地測量部作製5万分の1地図に林相(りんそう:注16)を記入すること、而して林相の色別,は   1、赤松と外の針葉樹と雑木林と混交林   2、赤松雑木混交林   3、樅(もみ)赤松混交林,  4、雑木林   5、赤松林   6、黒松林   7、松・扁柏(ヒノキ)・花柏(サワラ)・,但し此場合人工林にありては予(あらかじ)め区長をして其区内、森林所有者に別表(人工造林調査表)を配布して,、林野の地況・林況・並要造林地・要林種改良地・林産物の需給関係等を調査し将来の施業確立するものとす。 / 石川県の林野基本調査に就て
木曾山林学校 (20.在学生状況一般)

木曾山林学校 / 20.在学生状況一般 48 生徒の学歴  生徒の当校入学前の履歴は区々(くく:まちまち)にして、単,に高等小学校を終了し直に入学せる者、或は実業に従事せし者、他の種の学校より転ぜし者、又官公署に奉職せし,即ち単に高等小学を卒へて入学せし人員と、高等小学を卒へ然る後他の種の学校或は業務を履習せしものと、殆ど,便を得たると、一面(いちめん:全体として)各府県森林並に治水事業の声高きの致す所なるべし。,を参照) 5 入学前の履歴  在学生の入学前履歴及単に高等小学卒業せる者と、高等小学校終了後他の経歴 / 20.在学生状況一般
木曾山林学校 (25.在学生父兄に望む)

木曾山林学校 / 25.在学生父兄に望む 57 1、当校在学期間の生徒の年齢より見る時は、身体及精神の発達上最も重要,4、欠席は学業の進歩に著しき障害を与ふるのみならず、又種々の弊害を醸し訓練上憂ふべき事項なれば、学則23,特に学期の始に於て欠席し、又は学期末に於て早々帰郷するものあり。,学資は凡て振替口座7600番木曾山林学校長江畑猷之允宛送金せらるべし。,又毎月の学資金は勿論、修学旅行費等も学校指定の金高を準拠とし過当の送金をなさざることを切望す。 / 25.在学生父兄に望む
木曾山林学校 (19.在学中学資金予定)

木曾山林学校 / 19.在学中学資金予定 47 所要の学資は物価の高低により一定し難しと雖も、1ヶ月の予算左の如し,筆墨其他雑費 1円70銭 校友会費     20銭 合 計    9円00銭   注意 此外入学後新調,               あるものは10月まで猶予することを得 同(夏衣)  2円 50銭   入学後,ぐに購入すべし(注意3、2学年生徒の教                科書代価は之より遥かに少額なり,) 実習服    1円 00銭   既定の製法に従ひ入学後直に新調すべし     (改頁 / 19.在学中学資金予定
木曾山林学校 (10.教職員に関する事項)

木曾山林学校 / 10.教職員に関する事項 29 本校教職員数並に学歴を掲ぐれば    東京農科大学林学科卒業、林学士,    3  名    東京農科大学林学実科卒業.      2  名    東京高等師範学校卒業,         1  名    盛岡高等農林学校卒業         1  名    其他普通学科担任教師,担任学科         職名        氏名 林学通論、森林経理      校長兼教諭     ,、測量     教諭        小松吉次郎 代数、三角、化学、物理    同兼舎監      林重郎
木曾山林学校 ([解説])

木曾山林学校 / [解説] [目録] 木曽山林資料館 山口登  『木曾山林学校要覧』は、当時の学校教育を窺い知る貴重,その中で木曽が歴史・地理的に林学・林業を学ぶに適した地であること。,加えて同年10月に予定されている、校舎の新築移転や寄宿舎完備などを伝え、林学科のみの学校は全国に当校しかなく,これらは学校への県外入学者が3割に達し、かつ中央西線が開通したことから、この『要覧』は、林学・林業を学,それ以後、年によっては5割を超える県外生が入学することもあり、ますます「木曾山林」の名は全国に知られるようになった
木曾山林学校 ([注記])

木曾山林学校 / 明治29年帝国大学農科大学林学科卒業。,(1871~1949) (注3)森林学校:山林学校のこと。,養蚕学校・山林学校・獣医学校及ビ水産学校等ハ農業学校ト看做(みな)ス」とある。,(注9)江崎政忠氏:長野県出身で東京山林学校に学んだ。,同校は近代林学・林業をドイツで学び日本に伝えた松野はざま(石偏に間)が、明治15年(1882)12月に
木曾山林学校 (◎職員任命)

木曾山林学校 / ◎職員任命 27           校長兼教諭 松田力熊 島根県技師兼同県林業巡回教師たりし林学士松田力熊氏,は、明治34年5月20日長野県技師に転任せられ、同時に山林学校長兼教諭に任ぜられ、爾来(じらい:その時以来,教諭 手塚長十 西筑摩郡林業巡回教師たりし同氏は、明治34年4月1日長野県木曾山林学校助教諭兼西筑摩郡林業巡回教師,20日木曾山林学校教授兼舎監の嘱託せらる。           ,書記 鈴岡実造 氏は明治34年4月19日木曾山林学校書記に任ぜらる。           
木曾山林学校 (学校便)

木曾山林学校 / 学校便 6      伊藤先生よりの御通信           (4月27日着) 拝啓不肖(ふしょう / 学校便
木曾山林学校 ([総合解説])

木曾山林学校 / [総合解説] 木曾山林学校は、実業学校令に基づき、我が国最初の森林・林業を専門とする実業学校として、,戦後は木曽山林高等学校となったが、少子化にともなう生徒減少のため、平成21年(2009)3月その歴史の,幕を閉じ、その教育は木曽青峰高等学校に引き継がれた。,さらに同年3月には、日本森林学会から同校に残されているこれら資料と、現在も実習で使われている演習林(約,・木曽山林高校百周年記念誌『山霊生英傑』(木曽山林高等学校) ・『沖縄近代林業の父園原咲也と木曽山林学校
木曾山林学校 ([本文])

木曾山林学校 / 社  長野県西筑摩郡福島町289番地 発 行 所    蘆 澤 書 店   ○本誌目次 (学術論説,)木材染色術、シューリツヒ氏森林学、八戸林学士行政論、我校演習林の価値、我が故郷の森林状態、青年団体の,植林を望む、(抜萃)林業年中行事(続)、木材紙料製造業、(文苑)我徒の本領、権現滝の春、逝く春、砂バク,之夜、(学校便)伊藤先生の通信、西澤先生告別式、修学旅行、寄宿舎より、実習便り、福島通信、雑報
木曾山林学校 (創立20周年を迎へて所感を述ぶ)

木曾山林学校 / 創立20周年を迎へて所感を述ぶ 11           長野県木曾山林学校長  岡 部 喜 平(,注1) 木曾山林学校の創立せられたる明治34年頃は林学教育の大本山たる農科大学林学科ですら、僅に十数名,の学生しか居なかった時代であったから、長野県の木曽に郡立の山林学校が出来て松田林学士が校長になられたと,扨(さて)全国を見渡すと、兎角(とかく)中等程度の林学教育ば不振であって、全国に林学科を併設せる農業学校,かゝる中にありて我校が林学科丈で独立せることは大に誇りとする所である。
木曾山林学校 ([解説])

木曾山林学校 / [解説] [目録] 木曽山林資料館 山口登  『木曾山林学校校友会報』1号は、開校2年目に校友会,この中で初代校長松田力熊は6項目の教育方針を示し、日本で初めて実業学校で森林・林業教育を開始した。,例えばその中の「林学は観察の学問である」との認識は、具体的に実習及び修学旅行を重視する方針となり、長く,また校長を会長とした校友会が組織され、生徒・職員のみならず林業界や地元関係者も会員となり、さらに卒業生,会員相互の親睦を深めることはもちろん、教科書すら満足に揃わなかった時代、教科書や副教材の役割を果たし、また学校
木曾山林学校 (11.実習)

木曾山林学校 / 、殊に林業は其性質上高尚なる学術を応用すること多く、且つ急坂を踏破して劇烈なる労働に従事するを要するを,以て、将来林業の実務に従事すべき技術者を養成するを目的とせる本校に於ては、甚だ複雑なる学科を修得せしむると,9、地方的の特種林業の方法を調査せしめ、併せて林業の全般に関し常識を養成せしむるため、3学年生に約3週間,造林法式及作業方法の森林を造り、造林学研究の資料となす見込なり。,見本苗圃は内外各種の有用林木の苗木を培養し、見本林及植物園等の植付の用に供し、併せて造林学教授の参考となす
木曾山林学校 (12.本校の実習に対する便宜)

木曾山林学校 / 12.本校の実習に対する便宜 35 実業学校に対し必要なる設備は元より多々あるべしと雖も、殊に実習地,多くの甲種程度農林学校は概ね農業地方に設置せられ、且つ農業教育に重きを置けるを以て、農学科は其構内若くは,に於けるが如く、学科の教授と相俟(まっ)て時々の実習を課するが如きは絶対に不可能にして、毎学年僅かに両,10万余町歩の木曽御料林は、各種の実務上並に学術上の研究をなすに至大(しだい:この上なく大きいこと)の,)皆伐作業(面積361町歩)、択伐作業(面積79町歩)の2種を有し、森林経理学の究竟(きゅうきょう:最上
木曾山林学校 (科学文明と信仰)

木曾山林学校 / 人は現代を科学の世紀だといふ。その科学の世紀は今頂上に達して居る。,かの欧州戦争(:第1次世界大戦)は科学文明が産んだいたづら児であった。,科学文明を母として居た戦は理智的戦争と名づくべきであらう。,その理智的戦争をひきおこした科学文明について少しく考察して見やう。科学の任務は研究と発明である。,これが科学文明の堕落である。科学文明の絶頂は科学文明の堕落の深淵である。 / 科学文明と信仰
木曾山林学校 (母校を思ひて)

木曾山林学校 / 母校を思ひて 20           S K 生 山林学校が木曽の谷間に産声を挙げてから20歳漸,此の佳辰(かしん:よき日)に当って山林学校が今後如何にして社会に立つべきかを林友六百の会員と共に研究する,過去の山林学校、兎に角(とにかく)中等程度の林学専門の学校として全国に否海外までも名声を博して来たことは,而し今迄の林業教育は甚だ不振で、母校を除くの外は総て農業と林業と併置の学校であって、而(しか)もそれが,山林学校の如何(いか)なるものなるやも解せぬ人多きに至っては、吾々は寧(むし)ろ憤然たらざるを得ない。
木曾山林学校 ([注記])

木曾山林学校 / [注記] *この注では、木曾山林学校のことを「木曾山林」、校友会報のことを「会報」、岐蘇林友のことを,明治31年東京帝国大学農科大学林学科卒業。,なお、同大学林学科では初代校長松田力熊の2年後輩になる。,木曽の学校即ち木曾山林学校のこと。 (注4)西澤静人:教諭。長野県出身。,明治42年5月静岡県立農林学校から木曾山林へ。
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