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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (桜井村)

桜井村 地域 東信 市町村名 現在(令和2年):佐久市(さくし) 明治初期:桜井村(さくらいむら,) 幕末から明治初期:上桜井村/中桜井村/下桜井村/桜井新田村 幕末から明治初期(よみ):かみさくらいむら,/中桜井/下桜井/桜井新田/町田/東屋敷/南屋敷/西屋敷/北屋敷/和泉屋敷 川: 千曲川/片貝川/,川除堤 橋: 片貝川橋 道路: 富岡道/下中込村道/小宮山村道/三塚村道 社: 桜井神社/,他特記ワード: 伴野庄/立科山ノ内薪山/立科の内秣場 明治初期の村絵図・地図(県立歴史館所蔵) 桜井村 / 桜井村
本朝桜陰比事 ([解題])

本朝桜陰比事 / 本朝桜陰比事 巻一 本朝桜陰比事 巻二 本朝桜陰比事 巻三 本朝桜陰比事 巻四 本朝桜陰比事 ,巻五   [原本の目録] 本朝桜陰比事 巻一(元禄2年(1689)刊) [原本の目録] 本朝桜陰比事, 巻二(元禄2年(1689)刊) [原本の目録] 本朝桜陰比事 巻三(元禄2年(1689)刊) [,原本の目録] 本朝桜陰比事 巻四(元禄2年(1689)刊) [原本の目録] 本朝桜陰比事 巻五(元禄,2年(1689)刊) [底本の目録] 本朝桜陰比事(『西鶴全集・下巻』(共益社出版部)刊) 元テレビ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (桜沢村)

桜沢村 地域 北信 市町村名 現在(令和2年):中野市(なかのし) 明治初期:桜沢村(さくらざわむら,) 幕末から明治初期:桜沢村 幕末から明治初期(よみ):さくらざわむら 『長野県町村誌』 1巻,その他特記ワード: 鶯里(うぐいすさと)を改称 明治初期の村絵図・地図(県立歴史館所蔵) 櫻澤村 / 桜沢村
パスファインダー (桜井常五郎)

桜井常五郎 トピック(テーマ) ねらい キーワード 概要を知るための ツール 資料リスト,インターネット情報 桜井常五郎 慶応4年2月、「岩倉殿官軍嚮導隊」として小県郡和田村(現長和町,)へ 「年貢半減」「残納年貢免除」を触れた佐久郡春日村(現佐久市)出身の 桜井常五郎は、その後「偽官軍,桜井常五郎について調べることで、日本の近代化の一端 を学ぼう。,先鋒嚮導隊、偽官軍、桜井常五郎につ いて調べることができる。 / 桜井常五郎
桜田門外之変速報 ([解説])

桜田門外之変速報 / [解説] [目録] 上田歴史研究会 阿部勇  万延元(1860)年3月3日に起きた「桜田門外の変,また、このできごとは、小説家吉村昭さんが綿密な取材をし『桜田門外ノ変』を著しています。  ,江戸から桜田門外の変を伝える手紙が、なぜ上田の吉池家にあるのでしょう。,桜田門外の変について、幕府では2カ月近く公表しませんでした。,上田地域の一般庶民に、桜田門外の変の知らせが届いたのは、いつだったのでしょうか。  
桜田門外之変速報 ([翻刻])

桜田門外之変速報 / [翻刻] 三月三日朝五ツ時頃      4 井伊掃部頭様御登城先桜田門外ニ而 水戸家之浪士拾七人程及狼藉刀並短筒等,評判ニ而定メ而御承知も御座候得共幸便ニ而可奉申上候   水戸殿御家来三月三日   井伊殿御登城先 桜田門外
拾八町家並帳 (桜町弐丁目)

桜町弐丁目 クリックすると原本の画像が開きます クリックすると翻刻図の画像が開きます (文字の向きをそろえています / 桜町弐丁目
拾八町家並帳 (桜町壱丁目)

桜町壱丁目 クリックすると原本の画像が開きます クリックすると翻刻図の画像が開きます (文字の向きをそろえています / 桜町壱丁目
拾八町家並帳 (桜町三丁目)

桜町三丁目 クリックすると原本の画像が開きます クリックすると翻刻図の画像が開きます (文字の向きをそろえています / 桜町三丁目
桜田門外之変速報 ([現代訳])

桜田門外之変速報 / 井伊掃部頭様が江戸城へ登城するため桜田門外までさしかかりました。,水戸殿のご家来が3月3日に     井伊殿のご登城先桜田門外で     お駕籠を襲撃した17人
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (黒川村)

こうしんやま)/葭原(よしはら)/向谷地(むかいやち)/強清水(こわしみず)/西土浮(にしどぶ)/西山/桜田,/八蛇川/庚申塔/広瀬/北ノ台/殿屋敷/町田/天神山/市楽(いちらく)/薬師堂/﨤町(そりまち)/桜林,/大宮/玉林寺 川: 黒河川/八蛇川 橋: 黒河橋/八蛇川橋/大橋/誓橋/中橋/大宮橋/桜橋/,長谷寺/良松寺/悲願寺/西円寺 学校: 広育学校 古跡・名勝: 島津某旧地/観音堂/薬師堂/桜林
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (富田村)

現在(令和2年):長野市(ながのし) 明治初期:富田村(とみたむら) 幕末から明治初期:鑪村/桜村,/南沖/寺平/山手場/蟹沢/薬師土/松久保/坂沖/一本松/高木/横内/中村/籠田/田機/蓑輪/平田/桜田,/市道/堀田/若宮/須門場/下洞/天神平/鍋池/風越/向台/素桜 山: 飯縄山/葛山/岩山/高木山,/規坊瀑布 渡・堰: 北井戸堰/中堰/横堰/土平堰/高木堰/平田堰/地原堰/南瑪瑙堰/神明堰/素桜堰,・紙漉・藁細工・大工・杣・銃猟 民業女: 農/(農間)紡織/採薪 その他特記ワード: 鑪村/桜村
白雄自筆 安永五年如月七日 草稿 ([書誌・解題])

第1丁綴じしろ下方に「桜井蔵」の壷形印がある。,【解説】  本書で注目されるのは、白雄の   もの恋し火ともし比をちる桜(中七の「火」は、「灯」の,この句は後年   人恋し火とぼしころを桜ちる と改作されて白雄の代表作となり今日高校の教科書にまで,(天明中期)   人恋し火とぼし頃を桜ちる(寛政2年) となり、初案は安永元年(1773)奈良の吉野山,本書は(一)の『安永五年きぬさらき艸稿』と合綴され、例の「桜井蔵」の青色の印が捺されている。  
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (大町村)

下中町/八日町/五日町/才ノ神/子安沖/糸芝/光明寺/神明原/町尻/下町/高見/南原/若宮/坊ヶ久根/桜田,/北原/十日町/堀/六九/天神原/下桜井/上桜井/弾誓寺西/王子前/藤塚/中原/宮西/宮裏/宮前/寺東,仁科盛忠の墓/仁科氏の城跡/弾誓寺廃寺址/天正院廃寺址/泰念寺廃寺址/西岸寺廃寺址/妙喜庵廃寺址/王子の桜/
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (贄川村)

にえかわむら 『長野県町村誌』 3巻 p3249に掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 桜沢,奈良井川/町裏の堤/下原の堤/花田の滝/二ノ沢の滝 橋: 桃岡橋/片平(かたひら)橋/下ノ田橋/桜沢橋,道路: 中山道/桜沢往還 社: 麻衣廼社(あさぎぬのやしろ)/諏訪社/白山社 寺: 観音寺
松代まちあるきマップ (8象山神社 象山記念館)

、象山が使用し、高杉晋作・久坂玄瑞らが訪れた高義亭、京都在住時の家の茶室・煙雨亭、象山筆「望岳賦」「桜の,桜賦:万延元年(一八六〇)春、象山五十歳の作。孝明天皇の天覧を賜った名文。,桜花の美徳をたたえて憂国の至情をこれに託し、人に知られぬ山の奥に散りゆく桜の花を自分にたとえ、ひそかに
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (三塚村)

キーワード 字地: 三千束/前田/下屋敷 川: 清水川/片貝川/用水溝 道路: 野沢村道/桜井村道,/跡部村道/前山村道 社: 諏訪社 寺: 清久寺 学校: 桜井村日遷校へ合併 物産1:
信濃名勝詞林 (信濃の記)

神風館或は團友齊と云ふ 野尻 暫(しばら)く茶店に休みて湖水を眺め侍(はべ)りけるに、此所の名物とて櫻うぐゐと,  聖人日觀 留別 卯の花の寺を見歸る夜明かな  雲鈴 信あれば德あり花の靑葉まで  凉莵 櫻澤,【注7】といふ所を過る、是こそ木曾の麻衣とよみける尾張領とかや 橋こえて見かへる春や櫻澤  凉莵,【注7】 桜沢は、木曽路の入り口に位置する集落で、「是より南木曽路」という石碑が建てられている。,桜沢は、本山宿と贄川宿の間の宿(あいのしゅく)として栄えた。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (豊田村)

ほしば)/鷹落(たかおち)/林黑/銚子沢(ちょうしざわ)/古城/堀貫(ほりぬき)/焼峰/二ノ胴/繋平/桜沢,山: 鷹落山/音金山/五輪峰/猿倉山/長倉山/大門山/栃ノ峰 川: 割田溝/道津川/佐々良川/桜沢川,不動滝 渡・堰: 船窪溜井/不動山溜井 橋: 割田橋(わったばし)/立道橋/道津橋/橋場橋/桜沢橋,古館跡/極楽寺跡/元平寺跡/明正寺跡/北条観音堂跡/五荷薬師堂跡/大明神跡/宗源寺跡/中古池/大枚山大桜
豆から日記 ([翻刻])

九皐 爺婆々の守りて居たる桜かな 豊女 夜桜に誰しも遠き家路かな 方斛 山守の宿のさくら,ハ老木かな 大坂 米ひこ 桜さくといふ日よりはや散にけり 伊勢 丘高 花散て今朝ハ雨見る桜かな,の留主をもはやしけり 会 星也 遅桜花の奥なるためしかや 相ノ木 南中 さくら花夢のひまにも散,仏より桜に寝まじ山法師 菁々 桜見ぬひまにも老をわすれけり 鷺雪 塩売の見付出しけり初ざくら,かさくらがり 応々女 桜見し山の鐘きく船路かな 荷乙 菰からん桜の花のした乞食 竹馬 うき
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (川谷村)

/隠石(かくれいし)/梨ノ木/大池/飛石/狸久保(たぬきくぼ)/地蔵ノ浦/狐山/小丸山/宮ノ浦/辻/桜井屋敷,山神社/天神社/飯綱社 寺: 龍谷山長清寺 学校: 倉井村の知新学校へ合併 古跡・名勝: 桜井屋敷
木曾山林学校 (福島通信)

何処(どこ)を見ても桜花なりし福島も僅(わずか)の間に葉桜の世と相成(あいなり)候。,従而(したがって)やれ観桜会の、やれ同年講の、やれすべいつたころんだと底抜け喧ぎをした金比羅山の平地も
はなの (春部)

武 鴬邨 ちるをのミうたふうき世の桜哉 ベツ処僧 拙庵 散や桜流の末もさぞさくら 牧ノシマ,手する程ちられけり 夜桜やよにあるものゝ迎ひ馬 こハ刈や原てふ里の碑、生前に建る処。,山桜 親に先かへらば告んやまざくら アミ掛 雨量 さかり十日あらば知べきを山ざくら 牧ノシマ ,流関 咲ぬうちの嵐は兎(と)まれ山桜 竹フ 真下 山桜たれに見られてちる事ぞ 36 山桜とふ,則長谷山主超悟の功也 遅桜 世はなべて春からいそぐにをそ桜 シホジリ 布雪女 菊植 植かへて
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (軽井沢村)

上雨池/下雨池/池ノ尻/下陣馬/中陣馬/上陣馬/上森外/中村道下/上梨木/中梨木/下梨木/丸子下/中村/桜沢,/林根/唐松/東屋敷裏/東裏地/大ケ塚/浅間隠シ/上浅間隠シ/林根山/桜沢丸子山/釜ノ沢/城尾根/池ノ,西小丸/南小丸/東小丸/上鶴見/下鶴見/中鶴見/鶴見道下/雲場道脇/下雲場/中雲場/上雲場/東雲場原/上桜井戸,/中桜井戸/下桜井戸/東笹原/南笹原/西笹原/北笹原/南雲場原/東松原/南松原/西松原/離山下道下/離山上道下
善光寺道名所図会 (○小県郡田中)

ほと西にさかさ藤といふあり、俚老の曰、頼朝卿さし置れし藤今に栄へたり と是より南七町はかりに南殿の桜とて,、大樹の桜三株あり、此傍に市神の祠あり、 此筋に星見の井といふあり、此井戸に臨めバ、昼も星の影見ゆる
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (富県村)

とみがたむら) 幕末から明治初期:新山村/貝沼村/福地村/丹生山村/上新山村/下新山村/中新山村/桜井村,3巻 p3469に掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 柴尾/上耕地/中耕地/北林/桜井
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (東船山村)

ちくまし) 明治初期:東船山村(ひがしふなやまむら) 幕末から明治初期:寂蒔村/鋳物師屋村/打沢村/桜堂村,ページを見る キーワード 字地: 寂蒔(じゃくまく)/鋳物師屋(いもじや)/打沢(うっさわ)/桜堂
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (宗賀村)

/山岸/釜ノ沢/反目/吹上/石塚 山: 比叡ノ山/大洞山/上ノ木嵐山/雷神山/尾沢山/釜ノ沢山/桜沢山,奈良井川/花見飯米場の堤塘/牧野/本山沢 渡・堰: 尾沢溜池 橋: 屋沢橋/関屋橋/釜ノ沢橋/桜沢橋
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (滋野村)

) 幕末から明治初期:芝生田村/赤岩村/大石村/中屋敷村/片羽村/井子村/糠地村/別府村/原口村/桜井村,/大石氏城跡/陣馬/祢津氏城跡/川窪氏邸跡/山伏塚/御館殿墓/能救山慈眼寺廃寺/庄司館跡/西行屋敷/桜ノ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (河合村)

芝平学校 古跡・名勝: 山田古城/山田の城・山田与市ノ城跡/山田小池城/小原丸山城/非持城/小原桜馬場,墓/小山田備中守昌辰□/渡辺金太夫照墓/諏訪勝右衛門妻花の墓/諸士□/非持検校塚/豊平屋敷跡/石碑/桜馬場
木曾山林学校 (小品逝く春)

2片3片音もなく散る桜、彼れが肩へはらはらとかゝつた。
〔上田の獅子舞 房山獅子 春秋庵白雄伝〕 (房山獅子)

、唱哥ヲ調シ拍子ヲナシ、祝テ 曰ク 山口村ノ民仝敷之ヲナスト雖、其装少シク異ナレリ 御門の脇の紅桜(,ゴンサクラ)(一ニ近桜)二返(又云小桜濁テゴン桜トイフ)小金の花か咲たトナア(コンカネバナガサイタトナア
松代まちあるきマップ (1松代城)

桜の名所として知られ、四月中旬頃、城内は満開の桜で彩られる。
善光寺道名所図会 (○小県郡田中)

ここから南7町ほどのところに、南殿の桜という大きな桜の木が3株あります。
御城下古法并市場古法書抜書集 ([解説])

また表紙の左すみに「桜井氏蔵書」と書かれています。,桜井氏は本町2丁目にいて問屋役など勤めた桜井氏(板屋)だと思われますが、はっきりとはしません。,伝馬町として成立した伝馬町・桜町の5町は、次第に人馬の通行が活発になるにつれて、様々な必要に対応した商売
御城下古法并市場古法書抜書集 ([翻刻])

御城下古法并      1            抜書集      市場古法書        桜井氏蔵書,    安左衛門支配之町廻り、桜町弐丁目番屋善兵衛・本町     長瀬借屋伊勢屋宗十郎両人也,  【(朱書)十八 ○】 一享和二戌年九月桜町土屋助蔵と申者遠州より棋子弐駄     (改頁),   相調参、右荷物桜町壱丁目和泉屋六右衛門方へ付込、右之内壱  駄本町壱丁目万屋孫三郎買取候,  京屋平助     桜ニ  穀屋善次郎   桜三  水引屋順吉      中嶋屋八兵衛  紙問屋一件青物問屋一件両種共
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (長野町)

字地: 大門町/後町/横町/岩石町/新町/東之門町/西町/長門町/東町/伊勢町/元善町/栄町/立町/桜枝町,蓮池坊廃址/行蓮坊廃址/白狐庵廃跡/耕雲庵廃趾/霊雲院廃趾/宗光寺廃跡/歓喜庵廃跡/虎石庵廃跡/聖臨庵廃跡/桜巷庵廃跡
パスファインダー (赤報隊と上田の丸山久成、斎藤謙助)

赤報隊 年貢半減令 草莽 相楽総三 奥田元 丸山久成 丸山徳五郎 金井久成 斎藤謙助 科野東一郎 桜井常五郎,岩立将史/著 地方史研究 2012.6 357号 25-46 4 論題名 維新の魁となった赤報隊の桜井常五郎, 新資料から桜井の行跡を辿る 著者名 雑誌名 出版年 巻号頁数 1 サイト名 URL 概要
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (檀田村)

まゆみだむら 『長野県町村誌』 1巻 p386に掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 里城/桜町
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (跡部村)

松本より上野国富岡への通路 社: 諏訪社/熊野社/伊勢社/八幡社 寺: 西方寺 学校: 桜井村日遷校
拾八町家並帳 (松尾町弐丁目)

傳兵衛 北横町 イ 三間三尺 はりまや  善兵衛 三間三尺 イ 畳屋  幸蔵 イ 五間 桜屋
寺子屋師匠の日記 (小沢和徳の手習塾)

この点はこの時期の学びの様子をうたった小林一茶の句 「なまけるな イロハニホト 散る桜」(「七番日記,」)   (桜が散れば農作業の季節。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (力石村)

 p1152に掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 中村/竹之花/大師免/南沖/岩井堂/桜之宮
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (小野村)

/宇志久比峠 川: 小野川/河原堤 橋: 長橋/羽場橋/鴛鴦橋/境橋 道路: 伊那街道/桜沢往還
御城下古法并市場古法書抜書集 ([現代訳])

風聞によると  この一件について桜町中でいろいろ相談し、袋茶・鍋釜については古来より桜町に免許されたものであるので,いくら桜町より願い出ても叶うことではない。,桜町への免許はその後のことである。,  京屋平助     桜ニ  穀屋善次郎   桜三  水引屋順吉      中嶋屋八兵衛  紙問屋一件,袋茶については前の御領主様(脇坂氏)の代に、新規に桜町を取り立ての時、賑いのため桜町にするように仰せ付
絵本東名物鹿子 二 ([翻刻])

是を浅草のみのいちといふ  青瓐書 簔市や 桜曇りの 染手本    遨誠舎 沾意 (注)「浅草寺みのいち,(改頁) [四丁 オモテ]   津打治兵衛      和笑画 孔明が 勝事ひろし やま桜       ,元禄13年(1700年)江戸市村座へ下り、翌年に《持統天皇都移》《傾城乳母桜》で当りをとった(『改訂新版,雪岑筆 人に酔(よい)ぬ まはり大師の 寺桜       露沾 (注)「上野桜」 上野が花見の名所,になったのは、徳川家の菩提寺である寛永寺の境内に、徳川家光が吉野を模して桜を植樹させたのが始まり。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (筑摩村)

旧念来寺址/旧全昌寺址/旧前山寺址/旧清宝院址/旧正福寺址/旧本秀院址/旧明覚院址/旧往生院址/清水里/桜井清水,/埋橋(うずはし)の調布/丹波塚の桜/権現の池/念来寺の時鐘/念来寺の大杉 物産1: 稲/大麦/小麦
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (日下野村)

/中内/梅野城/茂田井/若神子/城/青木平/念仏寺/臥雲院/平沢/石原/舟之谷/大内/丸山/切久保/桜出
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (下之条村)

ページを見る キーワード 字地: 上組/中組/本組/久根下/八幡田/山崎/吹田/落田/鳴子田/桜区
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (吉村)

七面社 寺: 浄泉院 学校: 共愛学校 古跡・名勝: 宇佐美沢砦跡/山千寺廃址/山千寺の桜
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