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赤松小三郎書簡 実母宛
(横浜往復と「英国歩兵練法」の翻訳・刊行)
横浜
往復と「英国歩兵練法」の翻訳・刊行 元治元年(1864)9月、小三郎は征長の役従軍のため江戸へ出,たが、これを好機として11月
横浜
に至り、英国公使館付騎兵大尉アフリンに面会し、直接英人に就いて英学を学,当時何等交通機関の便なき時、江戸~
横浜
間7里の道を遠しとせず、殆ど隔日の如く往復すること数十回、間々一日 /
横浜
往復と「英国歩兵練法」の翻訳・刊行
明治3年歎願書
([解説])
安政6(1859)年の
横浜
開港当初から上田藩は積極的に生糸輸出をしました。,―各村の蚕種業者が製造した蚕種を、丸山平八郎のような資力を持った豪農商が買い集め
横浜
に出荷。,
横浜
では「
横浜
売込商」と呼ばれる日本の大手商社から外国商社に売却。,
横浜
へ出荷した蚕種が売却されてから前借したお金を返却。,なお、平八郎直養は安政6年の
横浜
開港当初から
横浜
へ大量の生糸を運んでいます。
桜田門外之変速報
([解説])
上田市生田―旧小県郡丸子町飯沼―の吉池家は幕末から明治にかけて上田小県地域や信州各地の生糸を集め、
横浜
,そのためこの地は上州の生糸商が「上田は信州の
横浜
であった」という言葉を残すほどの生糸集散地になっていたのです,父親の文之助は地元の上田(旧丸子飯沼)にいて、
横浜
生糸輸出の総元締めとして指揮を執る、息子の由之助は江戸,・
横浜
にいて生糸情報を上田に知らせる、という関係です。,定之助は明治になると、長野県の「生糸改会社」を牽引する立場に立ち、
横浜
の貿易商たちと渡りあいます。
パスファインダー
(貿易の先駆者 大谷幸蔵)
先駆者 大谷幸蔵 トピック(テーマ) 貿易の先駆者 大谷幸蔵 ねらい 安政6年に
横浜
,信州の商人たちは、いち早く
横浜
に 拠点を設け売り込みを図った。,大谷幸蔵も江戸へ出て、日本橋に「大黒 屋」の暖簾を掲げ、
横浜
商人への売り込みを図り、後年、イタリアはじめ,約 糸繭買 産物会所 松代藩 政商 明治2年 松代商法社 生糸相 場 大黒屋 イタリアミラノ 蚕種
横浜
,また、第3章で
横浜
開港と信州の動きが述 べられている。
原町問屋日記(安政6年 6・7月)
([解説])
諸説あるなかで、安政六年六月二十八日
横浜
で芝屋清五郎が(イギリス商人に)売ったという話が事実に近いだろうと,伊藤林之助らが江戸へ戻った後、中居屋撰之助の
横浜
店建設が本格化する。,
横浜
が開港したのは六月二日であるが、その日から貿易が開始されたわけではない。,(2)には
横浜
の貿易は「十九日始まり、生糸の引合があり相成」ったと記されている。,(2)にあるように、両町(海野町・原町)で等分して十駄分の生糸を
横浜
へ送る算段をしている。
パスファインダー
(蚕都上田)
吉池文之助、吉池由之助、吉池定之助、吉池泰 助、松田玄冲、中居撰之助、中居重兵衛、上州吾妻郡中居村、
横浜
,、提げ 糸、蚕種、抜け荷、キリスト教、西洋音楽、三吉米熊、小県蚕業学校、蚕 都新報、 上田は信州の
横浜
,だった 阿部勇/著 上田小県近現代史研究会 2013 内容紹介 幕末の
横浜
開港以前から,開港後、上田からの生糸輸出量が 増大、上州生糸商人が「上田は信州の
横浜
であった」と表現するまでに なった,工業史での項は「絹紬工業」、商業史の項では「
横浜
開港 と生糸商の活躍」「蚕種貿易の興亡」ほか生糸や蚕種
明治3年歎願書
([現代訳])
毎年それぞれの家で精を出して製造し、
横浜
へ出荷してきました。 ,
横浜
での損失はおよそ200万両にも及ぶといわれています。,私のほうで蚕種製造のための元金を、それぞれの製造者に立て替えておいた代金(
横浜
の商人と契約を結ぶ前に上田地域,(外国へ蚕種を売り込んでいる
横浜
の商人は、現在の価格で売買すると)どのようにしても勘定が成り立たないので,さらにまた今年の夏には(プロイセンとフランスの戦争勃発の知らせの届く前までに)、仲間の者たちと、
横浜
で
原町問屋日記(安政6年 6・7月)
([現代訳])
[現代訳] (3)安政六年七月朔のみ 神奈川交易(
横浜
港においての貿易)で、引き合いが済んだので
パスファインダー
(蚕糸王国信州)
トピック(テーマ) ねらい キーワード 概要を知るための ツール 資料リスト 蚕糸王国信州
横浜
開港,蚕種 風穴 微粒子病 生糸 製糸工場 座繰り 機械製糸 の ぼせ糸 工女
横浜
開港 富岡製糸場 小野組,
横浜
開港と信州とのつながり、地域ごとの特色豊かな蚕糸業 の発展、繭や生糸を運んだ「道」の発達等、信州蚕糸業
パスファインダー
(大谷幸蔵)
横浜
に開店した中居屋、上田生糸商人、
横浜
商人などの活躍を紹介し生糸 と蚕種のくわしく輸出を述べ、そのあとに
明治3年歎願書
([翻刻])
御開港以来別而蠶種紙之義者御國益第一之 産物ニ有之、就中當御管内逸品与賞算仕候より、 年増銘々出精多分製作いたし、
横濱
表輸出仕候処,乍不及銘々 丹誠を尽し候處、御厚意を以管下札五万両拝借 被 仰付、夫々難有奉存分配周旋仕候処、不図も
横濱
表
(株)第十九銀行と諏訪製糸業
(「普通銀行の範疇に入らぬ銀行」)
そのため、銀行の自己資本だけではまかなうことができないことから、日本銀行や三菱銀行、茂木商店など
横浜
の
(株)第十九銀行と諏訪製糸業
([ルビ・注記])
ノ「明治三十八 年
横浜
生糸貿易概況」ヨリ数種ノ統計ヲ摘録シテ事実ヲ示スヘシ(夏蚕卜 云ヒ秋蚕卜云フ,生糸ヲ製シ得へキヤ知リ難シト雖モ今日ノ大勢ハ 比較的品位優良ニシテ繊度均一ナルモノハ外国輸出トシテ
横浜
,ニ輸送セラ レ然ラサルモノハ国用トシテ内地ニ消費セラル故ニ
横浜
ノ入荷高ハ依テ以 テ製糸ノ大勢ヲ卜(,アラス殊ニ仕入ノ期節ハ製糸ノ盛期ニシテ周歳(しゅうさい:まる一年)製出ノ約半額ハ此仕入期節 ニ於テ
横浜
,尚不足スルトキハ繭ヲ各地ノ銀行ニ質入シテ 資金ヲ得ルナリ(四)ハ斯クシテ或程度ノ原料ヲ買入レ之ヲ製シテ
横浜
原町問屋日記(安政6年 6・7月)
([翻刻])
右之通産物交易売込共願人芝金杉片町中居撰之助と申者取扱御聞済之由ニ候 (2)安政六年六月二十四日 一 神奈川
横浜
貿易十九日相始糸引合相成候旨
善光寺道名所図会
(○小県郡上田)
彼は日本の開国・貿易を推進し、上田藩は安政6年の
横浜
開港当初から、ヨーロッパなどへ生糸を輸出しました。
(株)第十九銀行と諏訪製糸業
(3点史料の概要)
項目は、「長野県器械生糸産額」や「信州系器械生糸
横浜
入荷高調」、「器械製糸工女出身地方別調」、「諏訪製糸研究会工場表
(株)第十九銀行と諏訪製糸業
(資金供給源の(株)第十九銀行略史)
明治11年『銀行検査官報告書さつよう撮要(さつよう)』)とのことから生糸の集散地として繁盛し「信州の
横浜
(株)第十九銀行と諏訪製糸業
([ルビ・注記])
安政五年海外貿易の開始せらるゝや、翌年九月平 野村林善左衛門、
横浜
商人の手を経て之を外人に売 渡せるを,同年
横浜
内外商間の確執より取 引中止せられて糸価暴落し、製糸家の損失多大にし て斯業に一大頓挫を来,、太くて硬いことから繊維として生糸に使われる)・デニール糸・蛹(さなぎ)等の製糸副産 物を処理し、
横浜
其他,今之を輸出品の みに就て見るも、同年度各府県より
横浜
に入荷せる生糸の総額 は二十五万六千二百七十八個,其内諏訪人が県内外に有する工場のみにて製出せる総額を約 七万個として計算すれば、
横浜
入荷総額の二割七分強
パスファインダー
(浅岡一)
著 長野大学紀要 1987 8(4) 1-24p 教育精神の継承と高揚--信州教育管見 松本 賢治
横浜
国立大学教育紀要
(株)第十九銀行と諏訪製糸業
([ルビ・注記])
( 九) 諏訪人経営器械製糸総釜数五月一日現在累年比較 (一〇) 信州系器械生糸
横浜
入荷高調,西京西陣及濃州岐阜ニ販出セシヲ以 テ嚆矢(こうし)トス降テ安政六年九月ニ至リ平野村林善左衛門ナル者始テ
横浜
,諏訪人経営器械製糸総釜数五月一日現在累年比較 第十九銀行調査 【表は原本ビューワ参照】 (改頁) 一、信州器械製糸
横浜
入荷高調
パスファインダー
(柴崎虎五郎)
2 書名 著者名 出版社 出版年 上田は信州の
横浜
だった 阿部勇/著 上田小県近現代史研究会 2013
パスファインダー
(下村亀三郎)
彼の地元への愛、製糸業と教 育に尽力する姿、政治への関心、
横浜
や海外とのつながりを調べる。
パスファインダー
(依田社の製糸業)
依田社の製糸業 トピック(テーマ) 依田社の製糸業 ねらい 生糸の
横浜
出荷量
パスファインダー
(赤松小三郎)
上田市立博物館 出版年 1994.10.9 内容紹介 赤松小三郎について、江戸遊学、長崎航海、
横浜
往還
パスファインダー
(工藤善助)
、信濃絹糸紡績、鐘ヶ淵紡績、帝国 蚕糸株式会社、丸子鉄道、第一回万国(国際)労働者会議、関東大震災
横浜
倉庫生糸全滅
パスファインダー
(三吉米熊)
蚕都信州上田の近代 阿部勇 井川克彦 西川正臣/編著 岩田出版 2011
横浜
開港と上田小県地域
上田郷友会月報 第壱号
([翻刻])
ニ限ル 第四条 会員ヲ分ツテ通常会員及ヒ特別会員ト為ス (但)通常会員ハ東京
横浜
其他交通便利
木曾山林学校
(木材の欠乏を憂ふ)
即ち出張すべき地名に
横浜
と称する所あり。,盛んに
横浜
々々と連呼せらるゝ為テッキリ神奈川県の夫れと思ひ、遠方まで行くものだと其の一瞬考へさせられし
浅間山
(第三編 浅間山変異記)
・草津・佐久郡小沼村・岩村田町・小諸町・東京・高崎・安中・松井田・伊勢崎・前橋・浦和・熊谷・宇都宮・
横浜
小県郡民謡集
(児童謡)
よーい二首 ○よーい
横浜
調練場(注1) おつちよこちよいが笛吹きや足そろへ。
「上田郷友会月報」記念号中「既往八十年」
([ルビ・注記])
小河滋次郎君、欧洲へ出張につき、三月十六日錦輝館に 於(おい)て送別会を開き、二十三日に
横浜
港を、解纜
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