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戸隠善光寺往来
(善光寺)
ことに「
欽明天皇
十三年」から「因茲為寺号」までは、ほぼそのままの引用です。
パスファインダー
(草創期の善光寺)
(『国史大辞典』より) 継体天皇十年(516)九月十四日、
欽明天皇
五年(544)・六年(545)、欽,明天皇十三年(552)、
欽明天皇
十四年(553)等に善光寺に関する記述 がある。,(『国 内容紹介 史大辞典』より)
欽明天皇
十三年(552) 「十三年、…同年壬申十月、百済明王、阿弥陀仏像長一尺五寸
戸隠善光寺往来
([現代訳])
そもそも善光寺の由来は、
欽明天皇
13年、本尊の阿弥陀如来が百済から渡来したが、あえて信仰しようとする者
善光寺道名所図会
(○水内 善光寺)
大光明を放ち給ヘバ、四方の 山々忽金色の光とぞ成にける、 仰我朝に生身の如来来迎ありしハ、人皇三十代
欽明天皇
,只々水底に捨よとて、難波の堀江にぞ捨奉る、其後世間さま/\の希 有多かりき、翌年辛夘の初夏に、
欽明天皇
崩御, 右檀越交名の次第塩尻に見へたり、氏姓を相続人々如件、 縁起同文 和漢三才図会
欽明天皇
十三年本尊如来自百済国渡来,まさしく証を見奉りて候ひしと申されけり、かの幕下は 只人にハあらざりけるとぞ宮仰られしとなり、
欽明天皇
,来朝あつて、聖主十三代打続き御崇敬まし/\、或 は宮中に安置し給ひし事もありしなり、其歴代 △
欽明天皇
善光寺道名所図会
(○水内 善光寺)
そもそも我が国に生身(しょうじん)の如来がおいでになったのは、第30代
欽明天皇
の御代、13年壬申(みずのえさる,、如来を乗せたみこしをかついで、皇居の庭にそれを置き、推明王の書簡を差し出して、仏像等を献上する旨を
欽明天皇
,翌年辛卯(かのとう)(571年)の初夏に
欽明天皇
は崩御され、遠許志大臣も病床で亡くなった。,『和漢三才図会』
欽明天皇
13年、本尊の如来が百済から渡来した。しかしまだ信仰されなかった。,
欽明天皇
の御代から孝徳天皇の御代まで102年の間は、善光寺如来の宮殿(くうでん)には御戸帳(みとちょう
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部
([翻刻])
此如来の日夲へ渡らせ給ふハ、 人皇三十代
欽明天皇
十三年壬申十月十三日。,然るに此如来善光に強縁を結ばせ給ふに より、人皇三十代
欽明天皇
の御宇に当つて日夲に渡らせたまふ
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部
([現代訳])
この如来が日夲へお渡りになったのは、人皇30代
欽明天皇
13年壬申10月13日。,この如来は善光と深い縁を結んでおられたので、人皇30代
欽明天皇
の御代に日本にお渡りになった。
地震後世俗語之種
([翻刻])
三国伝来の伝書より、人皇三十代の帝
欽明天皇
の御宇にはしめて日の本に渡らせ 給ひ、三十六代の帝 孝極天皇蘇生,昔時
欽明天皇
の御代年号たに不定其昔、日の本に (改頁) 渡
地震後世俗語之種
([現代訳])
三国伝来の伝書(善光寺縁起)によると、人皇30代の
欽明天皇
の御代に初めて日本にお渡りになって、36代の,昔
欽明天皇
の御代、年号さえ定まっていなかった昔、日本へお渡りになってから、現在弘化4年(1847)丁未
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