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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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秀吉と真田 (武田氏・織田氏の滅亡と真田昌幸)

武田氏・織田氏の滅亡と真田昌幸 「秀吉と真田」の目次はこちら  真田氏は東信濃の小県(ちいさがた),その名をあらわしたのは、昌幸の父幸隆(幸綱)が信濃へ侵攻してきた甲斐の武田信玄に仕えてからのことである,真田氏は外様ながら武田氏に重用された。,さらに昌幸は武田氏末期の天正八年(一五八〇)には上州沼田城を攻略する。,ところが、天正十年(一五八二)三月、武田勝頼は織田信長に滅ぼされ、信濃など旧武田領は信長の重臣に分け与 / 武田氏・織田氏の滅亡と真田昌幸
善光寺道名所図会 (○筑摩 苅屋原)

天文21年(1552)に、武田信玄の軍勢が小県(ちいさがた)郡から攻め入り、8月5日から合戦がありました,鎌倉中期以降に海野氏の一族刈谷原五郎が築き、大永3年(1523)太田弥助資忠が守り、天文22年(1552)武田氏,このとき武田勢は竹束を数多作り、城中から放つ銃弾を防ぎつつ攻略したと「図会」に記されています。  
秀吉と真田 (徳川方への攻勢)

この神尾は遠州の出身で武田氏の家臣となり染屋(上田市)に屋敷を与えられ「海野(うんの)衆」の一員となっていた,者で、生島足島神社蔵の武田将士起請文にもその名が見える。,武田氏滅亡後、真田氏に仕えたわけだが、慶長五年に昌幸が失脚して、信之(信幸)の代になってからは真田家を
小県郡民謡集 (方言資料として)

戦国時代、敵方の武田勢を混乱させるために、わざと反対の意味の言葉を使ったという解釈である。,おもしろいことに、山梨でも「~ず」を使っており、こちらでも、「武田の逆さ言葉」と称して、東信と同じ説明
秀吉と真田 (「真田」の錦絵)

    武田二十四将図 <史料解説> 「武田二十四将図」   一孟斎(歌川,~一八八〇)画  上田市立博物館蔵  武田信玄とその有力武将を描いた武田二十四将図の類。
新刻日本百将伝 ([解題])

阿部比羅夫 『新刻日本百将伝』より坂上田村麿 『新刻日本百将伝』より源義仲 『新刻日本百将伝』より武田信玄,細川勝元、上杉憲実、山名宗全、北條長氏、三浦介義同、今川貞世、北條氏康、太田持資、齊藤道三、そして最後は武田信玄,のそれぞれの略歴、時代背景、活躍のエピソード等が記されており、その中から信濃とゆかりが深い坂上田村麿、源義仲、武田信玄
パスファインダー (村上義清と村上氏)

その 内容紹介 戦乱を切り抜けて領国を作り上げた武田・上杉・真田たちの知略を尽し た戦いを中世研究の,坂木北条の戦い、村上信貞の越後出兵、大塔合戦、永 享の乱後の更埴地方、村上・屋代両氏の幕府への勤仕、村上・武田,村上義清の文字の見へる宝篋印塔 栗岩英治 信濃 第1次第1巻06号 上杉憲政と村上義清等の反武田「上信同盟
善光寺道名所図会 (○筑摩 会田)

則会田小次郎広政の古城地なり、 広政は海野幸継の二男にて、始は当国衆一味たり、小笠原の 籏下なりしが、武田家
善光寺道名所図会 (○筑摩 会田)

小笠原の籏下でしたが、武田家の鋒先が強勢だったので、甲州へくだって10騎の軍役になりました。,天文22年(1553)に武田氏に、天正11年(1582)に小笠原氏に攻略されました。
善光寺道名所図会 (○筑摩 青柳)

はじめは信濃衆の一味だったともいい、伊勢守の代に甲州武田家に属し、50騎の軍役でした。,天文22年(1553)に武田と上杉が、天正11~2年(1583、84)に小笠原と上杉が攻防戦をした城で
秀吉と真田 (昌幸死去の悔み状)

城(じょう)昌茂は昌幸と同じく武田の旧臣で武田氏滅亡後は家康に仕えていた。
松代まちあるきマップ (36杵渕山福徳寺)

上杉・武田相争う川中島合戦の戦火に焼かれ東寺尾山根に、さらに永禄二年(一五五九)現在の地に移った。
パスファインダー (真田三代~幸隆・昌幸・信之(信幸)・信繁(幸村))

上中下3巻から成るが、特に上巻には、武田晴信宛行状・武田勝頼条 内容紹介 目・真田昌幸宛行状,第1章 真田氏と武田氏  第2章 真田氏の自立と所領拡大  第3章 上田築城と城下町の形成
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (生萱村)

なまに)古橋/禅透院跡/本誓寺跡/埴科乃石井 その他特記ワード: 大穴郷/金刺氏/三代実録/村上氏/武田氏
善光寺道名所図会 (○筑摩 苅屋原)

たり、七百貫文を領し、小笠原家にて一の大身なり、此辺十六ヶ 村を領し、武功の者なり、天文廿一年、武田
パスファインダー (真田一族と家臣団)

 [14] 丸島和洋/編 岩田書院 2014.4 真田家臣団の基礎研究、上田城下の商家となった武田家臣,のすべて (新人物文庫) 丸島和洋/編 KADOKAWA 出版年 2016年 内容紹介 武田信玄
パスファインダー (飯綱(飯縄)信仰)

その中でも飯綱(飯縄)信仰は、上杉謙信 や武田信玄が信仰したことで知られている。,キーワード 概要を知るための ツール 資料リスト 雑誌 飯綱高原 飯縄山 飯綱山 上杉謙信 武田信玄
パスファインダー (生島足島神社)

キーワード 塩田平 大社 国幣中社 金指氏 他田氏 北条氏 武田氏起請文 真 田氏 諏訪社 八幡社,社殿、お籠り祭りと諏訪神社、御神体、武田信玄の願文、起請文、鉄製 油釜、回り舞台などの項目から生島足島神社
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (杵淵村)

槌井神社/伊勢社/猿田彦社/秋葉社 寺: 松操山典厩寺 学校: 小学稽徴学校 古跡・名勝: 武田左馬助繁墳墓
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (上田原村)

伊勢社/飯縄社/戸隠社 寺: 観音寺 学校: 弘教学校 古跡・名勝: 塚/古戦場/旗塚/武田氏陣所跡
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (伴野村)

県神社/諏訪社 寺: 宝藏寺/金龍寺/宝生寺/清安寺 学校: 伴野学校 古跡・名勝: 武田殿床机場
善光寺道名所図会 (○筑摩 青柳)

青柳氏の城趾あり、城主青柳近江守清長・同伊勢守頼長 なり、始は信濃衆一味なりしかとも、伊勢守代に甲州の武田家
松代まちあるきマップ (39阿弥陀山東光寺)

武田信玄海津城築城時の祈願寺だったとも言われている。
松代まちあるきマップ (41龍潭山明徳寺)

中興の祖は、武田家三弾正の一人、海津城初代城主高坂弾正忠虎綱(昌信)。
松代まちあるきマップ (48松操山典廏寺)

てんきゅうじ) 宗派 曹洞宗 本尊 釈迦牟尼仏 川中島合戦(永禄四年の戦い)で戦死した武田信玄
松代まちあるきマップ (27久龍山蓮乗寺)

永禄年間(一五五八~一五七〇)、武田信玄による海津城築城の折、戦乱等で荒廃した海津寺を再建。
善光寺道名所図会 (○下戸倉)

(注8)天文22年、武田信玄に敗れた村上義清の奥方と姫は、越後に落ち延びようとして、この渡しを渡ろうとしましたが
松代まちあるきマップ (14真田宝物館)

永楽焼十一代目保全の茶碗などお茶道具の逸品、昌幸所用の「昇り梯子の甲冑」や刀剣類、豊臣秀吉・石田三成・徳川家康・武田信玄
パスファインダー (水戸の浪士伊那路通行)

移 り変わりを学ぶ キーワード 概要を知るた めのツール 資料リスト 水戸藩 天狗党 武田耕雲斉,出版年 小林郊人/著 豊国社 1943.1 幕末期の水戸藩の動きの中から、京都へ向っていった武田耕雲斎
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (玉川村)

中沢耕地堤 橋: 粟沢橋/中沢橋 道路: 大門道/御柱道 社: 壺井八幡社/多留姫社/矢作武田八幡社
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (西高遠町)

古跡・名勝: 鉾持の桟道/林向寺廃寺址/天女橋/弁天岩/雨寶巌/鉾持桟道/稲荷社/金刀比羅社/武田氏墓
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (坂木村)

農桑 民業女: 縫縫(ほうしょく)/製糸 その他特記ワード: 村上義清(むらかみよしきよ)/武田晴信
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (里見村)

: 農桑 民業女: 農桑/紡糸/養蚕/縫食 その他特記ワード: 増ノ原/大島原/大島山林/武田信玄
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (吉田村)

p53に掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 本城/屋鋪田/宮田/浅川端/広町/塚田/町西/武田
(株)第十九銀行と諏訪製糸業 (諏訪地域への進出)

諏訪地方の製糸業に大きく影響したことはもちろんであるが、近代的な経営方法でもまた影響をおよぼした」(武田安弘
パスファインダー (長野市長沼地区)

書名 著者名 出版社 出版年 令和元年10月の千曲川の洪水で大被害を受けた長野市長沼地区は、 武田信玄,長沼太郎 島津氏 川中島の戦 長沼城 武田信玄 長沼藩 佐久間勝 之 佐久間勝友 佐久間勝豊 佐久間勝茲
松代まちあるきマップ (1松代城)

   山城が平城に変わる時代を先駆けた名城で、川中島の合戦時、武田信玄が
パスファインダー (真田氏関係の城址、寺社、文化遺産)

寺 開善寺 大林寺・大輪寺 願行事 大英寺 白鳥神社 松尾古城之 図、白鳥神社海野系図、真田幸隆宛武田信玄宛行状,扉、長篠合戦図屏風、真田幸隆墓、鎧の銅、血染めの陣羽織、真田昌幸 着用具足、名胡桃城代鈴木主水の墓、武田勝頼書状
パスファインダー (長野・更埴地域の文学について(2))

 草川信 夕焼け小焼け 善光寺縁起 風 林火山 山本勘助 井上靖 天と地と 上杉謙信 海音寺潮五郎 武田
善光寺道名所図会 (○埴科郡坂木)

神領は村上家の 頃三百貫文、其時神主小宮山和泉守兼武の社職たり、其後甲州領と成り、 永禄十一年に武田家
パスファインダー (信濃の『万葉集』)

3 書名 万葉集全注釈【増訂版】 著者名 出版社 出版年 武田祐吉/著 角川書店 1959
パスファインダー (諏訪の文学)

新田次郎記念会/編 新人物往来社 2005.2 昭和31年に「強力伝」で直木賞受賞以後、「武田信玄
パスファインダー (宗良親王と信濃)

宗良親王 安井久善 政治経済史学 1993.8 326号 1-17ページ 宗良親王の隠栖--南信濃谷行説 武田太郎
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (岩村田町)

他特記ワード: 往昔大井郷/元禄16年に内藤正友領地となる/長野県支庁あり/岩子に冷泉あり/竜雲寺に武田氏累代
善光寺道名所図会 (○筑摩 麻績)

麻績氏は天文22年(1553)に武田氏に攻められて上杉氏」へ逃げ、のちにふたたび麻績へ入りましたが、小笠原氏
パスファインダー (高梨氏)

高梨氏は、中野地域に進出して中野氏を滅ぼす とともに、越後との関係を深めることにより全盛期を迎えるが、武田氏
戸隠善光寺往来 ([現代訳])

丹波島は甲斐の武田と越後の上杉の古戦場。
弘化丁未春三月廿四日信州大地震山頽川塞湛水之図 ([解説])

「川中島古戦場」として知られているのは「八幡原」ですが、その周辺には、「典厩寺」に「武田信繁ハカ」があります,「武田信玄茶臼山陣趾」や「西条山」の「上杉謙信陣跡」も記されています。
諸国道中商人鑑 (4 小田井から本山まで)

永禄六の年武田信玄の伝馬定書から中山道制定以前から宿があったことは確かである。,武田信玄のいう宿は「古町」と呼ばれ、東北よりの場所である。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (協和村)

/中沢/向/宮前/吉田/雫田/柳峠/曲窪/土府上/宿窪/堰下/水出/宮裏/小平/中村/黄金山/上村/武田
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