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赤松小三郎書簡 実母宛
(横浜往復と「英国歩兵練法」の翻訳・刊行)
横浜
往復と「英国歩兵練法」の翻訳・刊行 元治元年(1864)9月、小三郎は征長の役従軍のため
江戸
へ出,たが、これを好機として11月
横浜
に至り、英国公使館付騎兵大尉アフリンに面会し、直接英人に就いて英学を学,当時何等交通機関の便なき時、
江戸
~
横浜
間7里の道を遠しとせず、殆ど隔日の如く往復すること数十回、間々一日 /
横浜
往復と「英国歩兵練法」の翻訳・刊行
原町問屋日記(安政6年 6・7月)
([解説])
明けて六年の正月、中居撰之助を上田藩
江戸
屋敷に呼び出し、貿易の仕事を依頼する。,安政六年二月、上田から原町商人伊藤林之助らが藩命を受け
江戸
へ向かう。,三月、林之助らは上田藩
江戸
屋敷で家老岡部志津馬などと打合せする。,林之助らは
江戸
から一時上田へ帰り、商人たちに報告した内容が(1)にあたる。,伊藤林之助らが
江戸
へ戻った後、中居屋撰之助の
横浜
店建設が本格化する。
桜田門外之変速報
([解説])
江戸
から桜田門外の変を伝える手紙が、なぜ上田の吉池家にあるのでしょう。,吉池家に残されていた桜田門外の変をつたえる手紙は、
江戸
・
横浜
から生糸の取引状況を伝える書簡群の中にありました,、桜田門外の変により、生糸相場や洋銀(ドル)相場が大きく変動することが予想される、地元での生糸集荷は
江戸
,父親の文之助は地元の上田(旧丸子飯沼)にいて、
横浜
生糸輸出の総元締めとして指揮を執る、息子の由之助は
江戸
,・
横浜
にいて生糸情報を上田に知らせる、という関係です。
原町問屋日記(安政6年 6・7月)
([現代訳])
[現代訳] (3)安政六年七月朔のみ 神奈川交易(
横浜
港においての貿易)で、引き合いが済んだので,、生糸をアメリカへ四十五駄、オランダ人へ七駄、そのほか香仁・香干・煙草の見本を
江戸
へ送るようにと
江戸
(,急飛脚を立てて
江戸
へその旨を知らせた。
パスファインダー
(貿易の先駆者 大谷幸蔵)
先駆者 大谷幸蔵 トピック(テーマ) 貿易の先駆者 大谷幸蔵 ねらい 安政6年に
横浜
,信州の商人たちは、いち早く
横浜
に 拠点を設け売り込みを図った。,大谷幸蔵も
江戸
へ出て、日本橋に「大黒 屋」の暖簾を掲げ、
横浜
商人への売り込みを図り、後年、イタリアはじめ,約 糸繭買 産物会所 松代藩 政商 明治2年 松代商法社 生糸相 場 大黒屋 イタリアミラノ 蚕種
横浜
,また、第3章で
横浜
開港と信州の動きが述 べられている。
明治3年歎願書
([解説])
上田小県地域は
江戸
中期には「上田縞」などの絹織物が高名で、蚕糸業が盛んになっていました。,安政6(1859)年の
横浜
開港当初から上田藩は積極的に生糸輸出をしました。,
横浜
では「
横浜
売込商」と呼ばれる日本の大手商社から外国商社に売却。,
横浜
へ出荷した蚕種が売却されてから前借したお金を返却。,なお、平八郎直養は安政6年の
横浜
開港当初から
横浜
へ大量の生糸を運んでいます。
パスファインダー
(蚕都上田)
吉池文之助、吉池由之助、吉池定之助、吉池泰 助、松田玄冲、中居撰之助、中居重兵衛、上州吾妻郡中居村、
横浜
,、提げ 糸、蚕種、抜け荷、キリスト教、西洋音楽、三吉米熊、小県蚕業学校、蚕 都新報、 上田は信州の
横浜
,だった 阿部勇/著 上田小県近現代史研究会 2013 内容紹介 幕末の
横浜
開港以前から,蚕業史での項は「
江戸
時代」 「開港の前後」「明治時代」「波乱時代」「戦後の推移」の5項目に分けて 述べている,1 見出し 発行機関 年月日 2 見出し 発行機関 年月日 3 見出し 発行機関 年月日
江戸
初期
原町問屋日記(安政6年 6・7月)
([翻刻])
右之通産物交易売込共願人芝金杉片町中居撰之助と申者取扱御聞済之由ニ候 (2)安政六年六月二十四日 一 神奈川
横浜
貿易十九日相始糸引合相成候旨,ニ而疑念有之彼是差縺、第一如何ニ取計候哉、此方より出張居候者も当会所を差置外々江爲知候者不宜義ニ付、
江戸
表江掛合状参候,神奈川交易引合相済候ニ付、糸アメリカへ四拾五駄、オランダ人江七駄、其外香仁香干多葉粉見本として差送様ニ
江戸
,より申参候へ共、糸之義金子差送り無之候分者出荷方手段無之ニ付、急飛脚
江戸
へ差立申候。
パスファインダー
(蚕糸王国信州)
トピック(テーマ) ねらい キーワード 概要を知るための ツール 資料リスト 蚕糸王国信州
横浜
開港,蚕種 風穴 微粒子病 生糸 製糸工場 座繰り 機械製糸 の ぼせ糸 工女
横浜
開港 富岡製糸場 小野組,2 書名 著者名 出版社 出版年 内容紹介 阿部勇/編著 信濃毎日新聞社 2016.1
江戸
末期,
横浜
開港と信州とのつながり、地域ごとの特色豊かな蚕糸業 の発展、繭や生糸を運んだ「道」の発達等、信州蚕糸業
パスファインダー
(大谷幸蔵)
横浜
に開店した中居屋、上田生糸商人、
横浜
商人などの活躍を紹介し生糸 と蚕種のくわしく輸出を述べ、そのあとに,心を入れかえた幸蔵は上田産の絹織物商売で 成功、
江戸
日本橋に「大黒屋幸蔵」の暖簾をかかげる。
善光寺道名所図会
(○小県郡上田)
上田藩主松平忠優(ただます)(のち改名し忠固(ただかた))は、『名所図絵』が書かれたころ幕府の老中で、
江戸
城西,彼は日本の開国・貿易を推進し、上田藩は安政6年の
横浜
開港当初から、ヨーロッパなどへ生糸を輸出しました。
パスファインダー
(赤松小三郎)
佐久間象山 赤松小三郎顕彰会 政体改革意見書 京在日記 英国歩兵 練法 国会開設等の建白書 議会政治 書簡
江戸
遊学,上田市立博物館/編 上田市立博物館 200.10.14 内容紹介 赤松小三郎について、
江戸
遊学,出版社 上田市立博物館 出版年 1994.10.9 内容紹介 赤松小三郎について、
江戸
遊学,、長崎航海、
横浜
往還、京都兵学塾、英国歩兵練法 の翻刻発行等について編集されている。
(株)第十九銀行と諏訪製糸業
([ルビ・注記])
(改頁) 9 一は 酒造の杜氏又は其労働者となり、或は軽子 と称し
江戸
,安政五年海外貿易の開始せらるゝや、翌年九月平 野村林善左衛門、
横浜
商人の手を経て之を外人に売 渡せるを,同年
横浜
内外商間の確執より取 引中止せられて糸価暴落し、製糸家の損失多大にし て斯業に一大頓挫を来,今之を輸出品の みに就て見るも、同年度各府県より
横浜
に入荷せる生糸の総額 は二十五万六千二百七十八個,其内諏訪人が県内外に有する工場のみにて製出せる総額を約 七万個として計算すれば、
横浜
入荷総額の二割七分強
浅間山
(第三編 浅間山変異記)
・草津・佐久郡小沼村・岩村田町・小諸町・東京・高崎・安中・松井田・伊勢崎・前橋・浦和・熊谷・宇都宮・
横浜
,なお、天明の大噴火に関する記録は、信州を中心に上州、武蔵、
江戸
などの各地に七十冊以上が残っています。,この点からも、浅間山が大爆発した天明期は、
江戸
時代の大きな転換期だったといえましょう。
小県郡民謡集
(児童謡)
お
江戸
じやちん縮緬(ちりめん 注2)ちりめん育ち。 ,よーい二首 ○よーい
横浜
調練場(注1) おつちよこちよいが笛吹きや足そろへ。,(売薬を嘲る) ○こそこそ話は
江戸
まで聞ける
江戸
の絵かきが字にかいた。,
江戸
時代、村の行政事務をあつかった者。(主に西日本での呼び名。,注1.
江戸
時代後期の国学者。
「上田郷友会月報」記念号中「既往八十年」
([ルビ・注記])
中世後期に南宋の 徐子光の補注本が伝来し、
江戸
時代にはそれに 基づく研究が開花した,
江戸
で私塾を開き、岩崎弥太郎、 小栗忠順、清河八郎らが学んだ。 ,赤松小三郎と同時代の人で、赤 松と一緒に
江戸
遊学をした。,
江戸
後期から大正期にか けて人気を博した。,小河滋次郎君、欧洲へ出張につき、三月十六日錦輝館に 於(おい)て送別会を開き、二十三日に
横浜
港を、解纜
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