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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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小諸洪水流失改帳 ([解説])

小諸洪水流失改帳 / 「戌の満水」の際には、もちろん蛇堀川も洪水を起こし、蛇堀大橋を破壊するなどの被害を与えたが、より大きな,この時の土石流の流れは、「寛保二年小諸大洪水変地絵図」(1)(小山隆司家所蔵)に詳細に描かれている。,また、これまでほとんど知られていなかったが、小山隆司家にはもう一枚「寛保二年小諸大洪水変地絵図」(2),おそらくこうした活動などのために、「小諸洪水流失改帳の写」(小山隆司家所蔵)も小山家で作成されたものと,このように「小諸洪水流失改帳の写」は、「戌の満水」による小諸町を中心とした被害状況、その後の復興の取り
寛保二年大洪水余禄 ([解説])

寛保二年大洪水余禄 / 「戌の満水」の際には、もちろん蛇堀川も洪水を起こし、蛇堀大橋を破壊するなどの被害を与えたが、より大きな,この時の土石流の流れは、「寛保二年小諸大洪水変地絵図」(1)(小山隆司家所蔵)に詳細に描かれている。,また、これまでほとんど知られていなかったが、小山隆司家にはもう一枚「寛保二年小諸大洪水変地絵図」(2),おそらくこうした活動などのために、「小諸洪水流失改帳の写」(小山隆司家所蔵)も小山家で作成されたものと,このように「小諸洪水流失改帳の写」は、「戌の満水」による小諸町を中心とした被害状況、その後の復興の取り
小諸洪水流失改帳 ([現代訳])

小諸洪水流失改帳 / [現代訳] 「寛保二壬戌年八月朔日」   与良右兵衛筆記   『小諸洪水流失改帳の写』         ,一 8月1日は晴天だったが、浅間山の前掛山付近の山が崩れ大洪水になった。
寛保二年大洪水余禄 ([翻刻])

寛保二年大洪水余禄 / [翻刻] 1   「寛保二年大洪水余録」     (改頁)      32   同年七月一日
寛保二年大洪水余禄 ([現代訳])

寛保二年大洪水余禄 / [現代訳] 「寛保二年大洪水余録」(小諸市 小山隆司氏)   寛保2年7月1日は戌午の日、同月29
寛保二年小諸大洪水変地絵図(1) ([解説])

寛保二年小諸大洪水変地絵図(1) / 「戌の満水」の際には、もちろん蛇堀川も洪水を起こし、蛇堀大橋を破壊するなどの被害を与えたが、より大きな,この時の土石流の流れは、「寛保二年小諸大洪水変地絵図」(1)(小山隆司家所蔵)に詳細に描かれている。,また、これまでほとんど知られていなかったが、小山隆司家にはもう一枚「寛保二年小諸大洪水変地絵図」(2),おそらくこうした活動などのために、「小諸洪水流失改帳の写」(小山隆司家所蔵)も小山家で作成されたものと,このように「小諸洪水流失改帳の写」は、「戌の満水」による小諸町を中心とした被害状況、その後の復興の取り
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2) ([解説])

寛保二年小諸大洪水変地絵図(2) / 「戌の満水」の際には、もちろん蛇堀川も洪水を起こし、蛇堀大橋を破壊するなどの被害を与えたが、より大きな,この時の土石流の流れは、「寛保二年小諸大洪水変地絵図」(1)(小山隆司家所蔵)に詳細に描かれている。,また、これまでほとんど知られていなかったが、小山隆司家にはもう一枚「寛保二年小諸大洪水変地絵図」(2),おそらくこうした活動などのために、「小諸洪水流失改帳の写」(小山隆司家所蔵)も小山家で作成されたものと,このように「小諸洪水流失改帳の写」は、「戌の満水」による小諸町を中心とした被害状況、その後の復興の取り
小諸洪水流失改帳 ([翻刻])

小諸洪水流失改帳 / ] (改頁)      1    「寛保二壬戌年八月朔日」   与良右兵衛筆記   『小諸洪水流失改帳
パスファインダー (「戌の満水」(寛保2年の洪水)による小諸の被害)

「戌の満水」(寛保2年の洪水)による小諸の被害 トピック(テーマ) ねらい キーワード 概要,を知るための ツール 雑誌 インターネット情報 「戌の満水」(寛保2年の洪水)による小諸の被害,その被害状況を調べ、今後起こるかもしれない洪水・土石流災害に そなえる。,戌の満水 寛保2年 洪水 8月1日(八朔) 千曲川 小諸 松井川 中沢川 本町 六供 田町 浅間山麓,青木隆幸/著 信濃 2013.9 65(9),55-80 気象条件からみた「戌の満水」(寛保二年の洪水 / 「戌の満水」(寛保2年の洪水)による小諸の被害
弘化丁未夏四月十三日信州犀川崩激六郡漂蕩之図 ([解説])

(その後)  澣花川(裾花川)でも、湛水が崩壊して洪水になりました。,描かれた大洪水  4月13日の大洪水は、濃淡の青2色で示されています。,この辺りは延徳たんぼと呼ばれる水田地帯で、洪水の常襲地として知られています。,川中島平での洪水の範囲は、西(図の上部)は川が境になっています。,こうした南方への洪水の広がりに対して、犀川の北側の浸水は栗田・南俣付近まででした。
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2) ([現代訳])

寛保二年小諸大洪水変地絵図(2)
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2) ([翻刻])

寛保二年小諸大洪水変地絵図(2)
パスファインダー (江戸時代千曲川水害と上今井瀬直し工事)

特に、洪水と瀬直しの章では、歴史上の 大洪水についてどの様な被害であったかを明らかにし、その対応策で,信濃毎日新聞社 2002.8.1 江戸時代中期の1742年、長野県と関東地方を襲った歴史的な洪水,として、寛保2年(1742年)の「戌の満水」が千曲川史上最大の洪水 であったと記している。,( トップページ >川のデータ >洪水の歴史 >既往 洪水) 4 サイト名 氾濫解析,による千曲川流域における1742年洪水の再現に関する研究 http://www.shinshu-
宮坂弥五左衛門古記録 ([現代訳])

寛保2年7月27日の祭日から昼夜大雨が止むことなく降り、佐久郡小諸の脇の深沢という大沢が大洪水になった,村は8月1日昼4ツ時(10時頃)から大洪水になった。,大洪水の後3年の間は千曲川の水が半分ほどは村の中を流れるようになった。
むしくら日記 (『むしくら日記』の構成)

単に被害の状況だけではなく、洪水のうわさにおびえる人々の混乱なども記述してあるのが貴重です。   ,亨    4月13日の大洪水前後の状況。   ,利    4月13日の大洪水以後の状況。    ようやくまとまってきた被害状況。   
寛保2年 戌の満水 原町問屋日記 ([現代訳])

[現代訳] 一 八月一日は激しい風雨になり前代未聞の洪水になりました。,一 千曲川東の松代も被害を受け洪水になりました。,一 江戸も洪水になり五百羅漢まで水がついたといわれています。,上州も洪水になり熊谷の土手は三カ所切れ、阿部豊後守様の御城下も被害を受けました。
宮坂弥五左衛門古記録 ([解説])

「古記録」は犠牲者数だけでなく、洪水の発生日時、復興の過程なども記されており、寂蒔地域の「戌の満水」研究,とはいえ、弥五左衛門が「古記録」を執筆したのは寛保の洪水からすでに一世紀余を経過した嘉永六年である。,洪水の記録もそのまま史実と見なすことはできない。  ,① 八月朔日昼四ツ時分(8月1日10時頃)大洪水。  ② 水の深さは3.5メートル。,そして、この大洪水が、徐々に水嵩が増すタイプの洪水ではなく、突然、善光寺地震の塞き止めダム決壊同様、いわば
木曾山林学校 (◎山と川とに付きて)

となるのであるが故に、下流に至つても矢張(やは)り清流であつて、降雨の時などでも濁流となることがなく洪水,近来も維新以後の森林経制の緩なりしが為めか、森林が荒廃して洪水が頻繁となつて来て、之れを防止する堤防などを,之れを償ふには又森林を伐採して充(あ)てんければならぬ故、伐採すれば又洪水が多くなると言ふ様になる。,如斯(かくのごとき)訳だから勿論(もちろん)魚類など生育する訳のものでなく、山は崩れ谷は埋もれ洪水の時,降雨でもすれば忽ち洪水となれども、夏期に至れば水が全く涸るゝが如(ごと)き川の多きのは、実に嘆(たん:
小諸大変書 ([解説])

「戌の満水」の際には、もちろん蛇堀川も洪水を起こし、蛇堀大橋を破壊するなどの被害を与えたが、より大きな,この時の土石流の流れは、「寛保二年小諸大洪水変地絵図」(1)(小山隆司家所蔵)に詳細に描かれている。,また、これまでほとんど知られていなかったが、小山隆司家にはもう一枚「寛保二年小諸大洪水変地絵図」(2),おそらくこうした活動などのために、「小諸洪水流失改帳の写」(小山隆司家所蔵)も小山家で作成されたものと,このように「小諸洪水流失改帳の写」は、「戌の満水」による小諸町を中心とした被害状況、その後の復興の取り
パスファインダー (千曲川・犀川と水害)

寛保2年 千曲川大洪水 戌の満水 千曲川の自然、荒れる千曲川 用 水と上下水道 渡船と通船 自然堤防と,人 民俗 たたかいの跡 橋と 風景の変遷 文学 口碑伝説 1 書名 寛保2年の千曲川大洪水,/編 信濃毎日新聞社 2002.8 江戸時代中期の1742年、長野県と関東地方を襲った歴史的な洪水,著者名 長野県/編 出版社 長野県史刊行会 出版年 1973 内容紹介 寛保の大洪水関係史料
パスファインダー (延徳沖の水害と治水)

延徳沖の水害と治水 ねらい 千曲川の東側に位置する延徳沖(小布施町・中野市)は、千曲川洪水,キーワード 概要を知るた めのツール 1 書名 著者名 出版社 出版年 千曲川洪水,延徳沖治水三十三年誌 柴本泰蔵 平和孔版 1956.1.31 内容紹介 長年千曲川洪水,特に洪水による川の脅威は人々の心に強く刻まれ、後世へと伝え られきた。,その中に、延徳沖洪水の様子を示す史料として地図・写真が ある。
寛保2年 戌の満水 原町問屋日記 ([解説])

・旧暦の七月二七日から八月一日(新暦八月二七日から三〇日)にかけての豪雨による洪水を戌の満水といいます,堤防を決壊させた洪水は、まず塩崎村を、次に御幣川村、会村、を襲い小森村に流れ込みました。,・江戸も上州も大洪水に襲われたといいます。,境内には上田海野町の縁者が講中を組織し、洪水の四年後に建てた石造の大地蔵尊があます。
パスファインダー (長野市長沼地区)

著者名 出版社 出版年 内容紹介 5 書名 著者名 出版社 出版年 令和元年10月の千曲川の洪水,その深歴 史と洪水との戦いについて調べる。,赤沼 妙笑寺 玅笑寺 西厳寺 正覚寺 千曲川 佐藤魚 淵 西島士英 村松春甫 りんご アップルライン 洪水水位標,北陸新 幹線 洪水 東日本台風 長沼地震 長沼村史 長沼村史編集委員会/編 長沼村史刊行会 1975
むしくら日記 (4巻 貞)

      6     私領内信濃国埴科郡・水内郡・更級郡・高井   郡之内千曲川・犀川、寛保二戊年洪水,如何共無致方   心痛至極御坐候得共、御料所他領打交居候場所ニ而、   用水井筋も悉皆損所有之上、洪水,、埴科・更級・     (改頁)      45     水内・高井右四郡之内八拾ヶ村一円之洪水, 一、同石積流失延長弐千九百間余   但、洪水之節  一、同菱牛石積流失三百八ヶ所   但、,  弐拾弐ヶ所   半潰之処洪水ニ而潰   五拾六ヶ所   潰  一、同大破八百弐拾五ヶ所
寛保二年十一月堤防工事嘆願口上書 ([現代訳])

[現代訳] 恐れながら書付をもって願い上げ奉る口上の覚え 一、当八月一日の洪水により鹿曲川が満水になり
寛保二年十一月堤防工事嘆願口上書 ([翻刻])

[翻刻] 1       乍恐以書付奉願上候口上之覚 一当八月朔日洪水ニ付、鹿曲川満水望月宿
弘化丁未春三月廿四日信州大地震山頽川塞湛水之図 ([解説])

また4月13日に犀川のせき止め場が決壊して善光寺平が大洪水になった折も、高井郡や埴科郡の養蚕家を訪ねるために,中でも虚空蔵山(岩倉山)の崩壊は犀川をせき止めて天然ダムを造り、4月13日にはそれが決壊して大洪水を引,この図は、4月13日に大洪水が発生する前までの被害状況を図示しています。,その中に「崩山」「焼失」「洪水」「流失」「潰家」などが色分けして記入されています。  ,加賀の大聖寺藩の殿様は、参勤交代で江戸に出る途中、犀川決壊による大洪水を恐れて、平出(飯綱町平出)から
地震後世俗語之種 (絵の解説)

この穏やかな平野も、4月13日には大洪水に見舞われることになります。,右上の善光寺の門前には焼け野原が広がっていますが、標高が高いのでそちらまで洪水が及ぶことはありませんでした,2-58 「犀川洪水一時ニ押出シ、三災ノ苦難ニ逼(せま)リ、コヽニ命ヲ失フノ図」  原本は「犀川洪水,大洪水は千曲川を乗り越えて、松代城下にまで浸入しました。,このあたりは両側が山で、4月13日の犀川の大洪水では数十メートルもの高さの水が一気に流れ下ったのです。
地震後世俗語之種 (『地震後世俗語之種』の価値)

焼失区域を色分けした図(1-102)があるほか、堰き止められた犀川の決壊による大洪水が達した高さを図中
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (黒彦村)

斜子 その他特記ワード: 允恭(いんぎょう)天皇/黒彦王/白彦王/若宮/須坂/千本柳/黒彦/千曲川洪水
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (清野村)

農桑/藁細工 民業女: 養蚕/生糸 その他特記ワード: 村上氏/真田昌之/寛保2年千曲川大洪水
地震後世俗語之種 (『地震後世俗語之種』の価値)

焼失区域を色分けした図(1-102)があるほか、堰き止められた犀川の決壊による大洪水が達した高さを図中
寛保二年八月上畑村水災救恤願 ([現代訳])

そのような交通の要衝ですが、右に申し上げたように四つの川の川端なので、千曲川の洪水の節は、当村の住宅地,また、住宅はほかへ移しても、堤防工事をしなければ残った田地が再び洪水によって荒らされてしまいます。
パスファインダー (巨人伝説(でいらぼっち)・黒姫伝説)

 水の神竜蛇神 黒姫伝説 高梨政盛・政頼 日野城主 黒姫 黒姫山雲竜寺 中野 信濃町 虫倉山の山姥 洪水神,巻号頁数 1984.8 でいらぼっちと青い花 綾 京介/文 信濃教育会出版部 1981 洪水説話
パスファインダー (松本城下町の移り変わり)

著者名 出版社 出版年 松本の城下町 江戸時代の町絵図 明治の町の合併 城下町の大火城 下町の洪水,東筑摩郡松本市・塩尻市郷土資料編纂会 1962.11 明治以降の、旧松本市域の火災(明治期に3回の大火)と大洪水
寛保二壬戌年金井村戌出水万覚留帳 ([現代訳])

飢人数113人   7歳以下は除くと男62人、女51人  信州小縣郡松平采女正知行所金井村は、8月の洪水,(中略)  一 8月1日夜中におびただしく雨が降り、朝5ツ時(8時頃)に大洪水となった。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (天神堂村)

のう)/薪(まき) 民業女: 農桑(のうそう)/養蚕(ようさん) その他特記ワード: 寛保二年洪水
パスファインダー (江戸時代飯田・下伊那の水害)

概要を知るた めのツール 資料リスト 江戸時代飯田・下伊那では天竜川を中心に多くの支流でも洪水,天竜川  松川  未満水  満水  洪水  川除  川除普請  惣兵 衛川除  石川除  治水  川路村
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (一本木村)

ようさん) 民業女: 農(のう)/養蚕(ようさん)・木綿布(もめんふ) その他特記ワード: 星川洪水
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (野坂田村)

(わらざいく) 民業女: 農桑(のうそう)/養蚕(ようさん) その他特記ワード: 寛保二年大洪水
善光寺道名所図会 (○小県郡田中)

務るなり、田中を出放れて、左に摺      (改頁)   臼宮とて一村の木立茂りてあり、往昔洪水
松代まちあるきマップ (43金剛樹山 開善寺)

朱印地として安堵し、松代藩主の祈願寺として手厚く庇護(ひご)。寛保(かんぽう)二年(一七四二)、千曲川大洪水
パスファインダー (小泉小太郎(泉小太郎)伝説)

 白竜太郎 竜蛇神 太陽神 妖怪 変化 坪田譲治 日本昔ばなし 信府統記旧俗伝 犀竜 白竜王 産川 洪水神話,論題名 著者名 雑誌名 出版年 巻号頁数 2 論題名 著者名 雑誌名 出版年 巻号頁数 信濃の洪水説話
弘化丁未春三月廿四日信州大地震山頽川塞湛水之図 ([現代訳])

「(上略)この日信濃国では大山が崩れ、大河が洪水を起こして、6郡で家やかまどがすべて流失した。,でも甚大な被害を受けたのは水内郡と更級郡で、上流では筑摩郡と安曇郡を浸し、下流では埴科郡と高井郡に大洪水,4月13日の決壊による大洪水に流されて、どこへ行ったか分かりません。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (笠原村)

農業養蚕(のうぎょうようさん)/生糸(きいと)・織物(おりもの) その他特記ワード: 夜間瀬川洪水
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (竹原村)

民業女: 農桑(のうそう)/養蚕(ようさん)・木綿布(もめんふ) その他特記ワード: 横湯川洪水
朝陽館漫筆(千曲川の改修工事) ([翻刻])

[翻刻]     (改頁)      62   叉曰寛保壬戌八月の洪水は前代未聞
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (金井村)

わらざいく) 民業女: 農桑(のうそう)/養蚕(ようさん) その他特記ワード: 永禄八年星川洪水
朝陽館漫筆(千曲川の改修工事) ([現代訳])

[現代訳] また言うことには、寛保壬戊八月の洪水は前代未聞であった、溺死する ものはその数を知らず
地震後世俗語之種 ([現代訳])

10丈余もある材木を押し流し、ここに漂着させた大洪水の、何と恐ろしいことでしょう。,単に縁組しただけの関係ではないとは言っても、今にも洪水が押し寄せるかと思うと、慌てふためいてどうしても,間に壊れ、その他数か所でも堤防が切れて、川中島は一面の洪水となりました。  ,それが突然決壊して大洪水が押し出したのは、いわゆる大山が崩れたかのようでした。,それを伝え聞いて、大洪水が押し寄せると思った人は一人もありませんでした。
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