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浅間山
(第二編 浅間山)
浅間山
/ 第二編
浅間山
はじめに、
浅間山
は富士山と並び称される名山であり「地理学者は之を活火山最良の好標本なりと,そのあと、
浅間山
は上信国境にあり、山の構造は二つの外輪山と火口丘によって成り立っていることが記されています,以下、
浅間山
を構成刷りそれぞれの山や谷、川、池などとともに、二五二〇メートルの火口丘
浅間山
(現在公表されている,次に、
浅間山
の裾に並ぶ「浅間三宿」の軽井沢・沓掛・追分を北国往還の宿として紹介しています。,「吹き飛ばす石も浅間の野分かな」(芭蕉)であった
浅間山
の裾野は近来、広野を開墾するとともに植林をし、山 / 第二編
浅間山
浅間山
(第七編 浅間山附近の動物)
浅間山
/ 第七編
浅間山
附近の動物 哺乳類では・野兎・熊・鹿などがあげられ、鳥類、爬虫類及び両生類、軟体及び蠕形動物,次に、「特に此項を設けて詳細なる研究を掲載す」として、
浅間山
附近の蝶類について、アゲハからミヤマセセリ,「ヤマモンキテフ(一名ミヤマオツネンテフ)―
浅間山
第一外輪山と第二外輪山との落合なる火口原湯平、海抜六千六百余尺 / 第七編
浅間山
附近の動物
浅間山
(第三編 浅間山変異記)
浅間山
/ 第三編
浅間山
変異記 この編は『
浅間山
』の中核部分であり、本書のなかで最も多い一七〇余ページにもわたる,本書の記述内容に入る前に、
浅間山
の火山活動について概観しましょう。 ,
浅間山
の噴火が日本の歴史を大きく動かしたのです。 ,天明の
浅間山
大噴火は、歴史を近世から近代へと動かす一因ともなったのです。 ,第三節は天明以後の
浅間山
です。 / 第三編
浅間山
変異記
浅間山
(第五編 浅間山の地質及び岩石)
浅間山
/ 第五編
浅間山
の地質及び岩石 第一章
浅間山
四圍の地
浅間山
の北東には榛名山・赤城山、東南には妙義山,停車場から
浅間山
へかけての道順に沿って説明を続けています。,次に、
浅間山
の岩石などがどのように用いられているか、項を立てて述べています。 / 第五編
浅間山
の地質及び岩石
浅間山
(第六編 浅間山附近の植物)
浅間山
/ 第六編
浅間山
附近の植物 第一章 植物採集概況 山頂付近は火山溶岩地帯であり、生物は全く見られず / 第六編
浅間山
附近の植物
浅間山
([解説])
浅間山
/ となす」と
浅間山
研究会会長の佐藤寅太郎が『
浅間山
』の「序」で述べています。,上げられ『
浅間山
』刊行への道が生まれます。 ,では、研究会が発行した『
浅間山
』を見ましょう。,第一編「東信風景論」からはじまり、第二「編
浅間山
」、第三編「
浅間山
変異記」、第四編「浅間神社考」、第五編,「
浅間山
の地質及び岩石」、第六編「
浅間山
附近の植物」、第七編「
浅間山
附近の動物」、第八編「浅間登山」、
浅間山
(第八編 浅間登山)
浅間山
/ 第八編 浅間登山 はじめに、
浅間山
麓のことわざには「二度行く馬鹿に行かぬ馬鹿」とある、
浅間山
に行かないのはその,通りだが、二度行くのも馬鹿というが、これは
浅間山
を知らぬものの言うこと、これこそ大馬鹿者だと述べ、
浅間山
登山,
浅間山
登山会の項には小諸町有力者のもの、小諸尋常高等小学校職員児童一同の大登山会などがあるとし、その活動
浅間山
(第九編 浅岳餘情)
浅間山
/ 第九編 浅岳餘情 和歌の部、漢詩之部、長歌の部、俗謡の部があり、「
浅間山
さんなぜ焼けしやんす、裾にお,十七(三宿)もちながら」や「
浅間山
から鬼やけつ出して、鎌でかつ切るよな屁をたれた」などの俗謡を紹介しているのがおもしろい,この編の終わりに「《附》
浅間山
に関する記文」として、「研究資料の一端を紹介しておくべし」と、十八の「紀行
浅間山
(第十編 浅間性情論)
浅間山
/ 第十編 浅間性情論 ここでは、
浅間山
によって人はどのような性質と心情をはぐくまれるかを述べています。
浅間山
(第一編 東信風景論)
浅間山
/ と
浅間山
の偉大さを賛美して、風景論は結ばれています。
浅間山噴火の被害記
([解説])
浅間山
噴火の被害記 / [解説] [目録] 小諸市古文書調査室 斎藤洋一 本書「
浅間山
噴火の被害記」は、小諸市立図書館,本書の表題「
浅間山
噴火の被害記」は、その新しい表紙に貼られた題箋に書かれたものなので、新しい表紙をつけたさいに,このことから、この記事は最首氏によって、
浅間山
の大噴火からまもない天明三年(一七八三)七月二七日に記された,)に収録されている「
浅間山
大変略記」と「一話一言」に、本書と似た記述が、わずかだがある。,前者「
浅間山
大変略記」では、「葭(鎌)原村」をはじめ、村々の被害状況を記しているが、村名の誤記が目立つ
浅間山噴火の被害記
([現代訳])
浅間山
噴火の被害記 / [現代訳] 信州佐久郡
浅間山
が焼け、砂石が降ったこと 七月四日ごろから、
浅間山
の雷のような,すると、再び
浅間山
の上空に火の玉が上がり、しばらく後には小石がおびただしく降ってきた。,その辺りより
浅間山
に近くなるほど、石・砂が夥しく降り、松井田で三尺(約九〇センチ)積もった。,川々へは
浅間山
の焼け石が流れ込み、川水が湯のようになっていた。,
浅間山
に近い所では谷が山になり、田畑も民家もわからなくなった。
パスファインダー
(小諸小学校浅間山研究会)
小諸小学校
浅間山
研究会 トピック(テーマ) 小諸小学校
浅間山
研究会 ねらい,」のなかで
浅間山
研究会の設立を取り上げ、 内容紹介
浅間山
の模型を「前例のない天下一品」と,が発足したこと、明治 43年『
浅間山
』出版されたことを紹介する。,による
浅間山
研究会の成果を、山誌編纂を担当し 内容紹介 た立場から述べる。,、山誌 『
浅間山
』を発刊したことを述べる。 / 小諸小学校
浅間山
研究会
浅間山噴火の被害記
([翻刻])
浅間山
噴火の被害記 / [翻刻] 信州佐久郡
浅間山
焼砂石降ル事 6 当月四日頃より毎日、雷の如く鳴事次第に強ク相成候,、外ハてうちんにて無拠かたへ米俵を 四五枚重ねかむり往来致す、然ル所二時計りすぎて 空晴レ、又候
浅間山
,壱尺四五寸位イ(ママ)、 富岡同断、吉井にて一坪ニ附灰ヲ計り見候処、二斗有之、 押ならし右之通り、夫より
浅間山
近,牛馬百七拾五疋 同 右村々近所ニ上州吾妻(嬬カ)山と申山有之、去月中旬より
浅間山
焼
パスファインダー
(浅間山米軍演習地化反対運動)
浅間山
米軍演習地化反対運動 トピック(テーマ)
浅間山
米軍演習地化反対運動 ねらい,そのため山岳戦の訓練場所として
浅間山
山麓が最適 地として土地の接収に動き始めたことからであった。,対期成同盟 小山邦太郎 信濃の歌 堀辰雄 二百万人の勝利
浅間山
米軍演習地化反対運動史 長野県
浅間山
米軍演習地化反対期成同盟,この中で、「
浅間山
米軍演習地化反対運動」と して詳細に論じられている。,文末の「
浅間山
米軍演習地化反対運動(年 表)から根拠史料がわかり、研究を深めるのに役立つ。 /
浅間山
米軍演習地化反対運動
浅間山大焼け以来難儀につき見分願い
([解説])
浅間山
大焼け以来難儀につき見分願い / ・天明3年7月14日 御役所より被仰渡御書付之写并請印 ・天明3年8月23日
浅間山
大焼け以来難儀,史料2は、
浅間山
が大噴火して北麓の鎌原村(現群馬県吾妻郡嬬恋村)をはじめとする広い地域に大被害を与えた,このたびの
浅間山
の「大焼け」(大噴火)によって、追分・沓掛・軽井沢の三宿をはじめ、
浅間山
近辺の村々が難儀,軽井沢三宿をはじめとする
浅間山
近辺の村々が、
浅間山
の大噴火で困っていたこと、そこから米穀をはじめとする,史料によれば、岩村田町は入会で
浅間山
山麓から馬草・刈敷・薪などを採取してきた。
パスファインダー
(天明3年(1783)の浅間山噴火)
天明3年(1783)の
浅間山
噴火 トピック(テーマ) ねらい キーワード 概要を知るための,ツール 資料リスト 天明3年(1783)の
浅間山
噴火 天明3年(1783)の
浅間山
噴火は,、記録が残る
浅間山
の噴火史上最大 の被害をもたらした噴火として知られている。,出版年 2003.11 天明3年、大音響とともに始まった
浅間山
大噴火。,1 書名 天明三年
浅間山
噴火史料集 [上・下巻] 著者名
浅間山
麓埋没村落総合調査会 児玉幸多 / 天明3年(1783)の
浅間山
噴火
浅間山大焼け以来難儀につき見分願い
([現代訳])
浅間山
大焼け以来難儀につき見分願い /
浅間山
の大噴火による砂石が村々の用水路を埋め、用水路が大破したところが数カ所ある。,
浅間山
はいまだに噴火が止まない。,
浅間山
が大噴火したとき、麓の村々の人々は村を捨てて逃げ出し、岩村田藩領内の村々へ多数入り込んできた。,
浅間山
の大噴火以来、いまだに噴火が終わっていない。
浅間山
(第四編 浅間神社考)
浅間山
浅間山
(第十一編 拾遺雑編)
浅間山
浅間山焼けにより馬草などを取ることができないため小物成免除願い
([解説])
浅間山
焼けにより馬草などを取ることができないため小物成免除願い / ・天明3年7月14日 御役所より被仰渡御書付之写并請印 ・天明3年8月23日
浅間山
大焼け以来難儀,史料2は、
浅間山
が大噴火して北麓の鎌原村(現群馬県吾妻郡嬬恋村)をはじめとする広い地域に大被害を与えた,このたびの
浅間山
の「大焼け」(大噴火)によって、追分・沓掛・軽井沢の三宿をはじめ、
浅間山
近辺の村々が難儀,軽井沢三宿をはじめとする
浅間山
近辺の村々が、
浅間山
の大噴火で困っていたこと、そこから米穀をはじめとする,史料によれば、岩村田町は入会で
浅間山
山麓から馬草・刈敷・薪などを採取してきた。
浅間山大焼け以来難儀につき見分願い
([翻刻])
浅間山
大焼け以来難儀につき見分願い / 入候得共、此節 □(漸)穂出かゝり、穂の色紫ニ相成罷有候、此義者 □(決)而用立申間敷奉存候、
浅間山
之儀,存候故歟、米穀金銭借出し□□も、最早只今より □通用ニ相見へ、此節大小之百姓甚難義之儀共 有之候、
浅間山
大焼之節
浅間山焼けにより馬草などを取ることができないため小物成免除願い
([現代訳])
浅間山
焼けにより馬草などを取ることができないため小物成免除願い / [現代訳] 恐れながら書付をもってお願い申し上げます 入会で、
浅間山
のふもとの山から馬草・刈敷・薪,ところが、今年六月中旬より
浅間山
がたびたび噴火し、入会山へ石砂を降らせたため、入会山へ入ることができなくなってしまった
御役所より被仰渡御書付之写并請印
([解説])
・天明3年7月14日 御役所より被仰渡御書付之写并請印 ・天明3年8月23日
浅間山
大焼け以来難儀,史料2は、
浅間山
が大噴火して北麓の鎌原村(現群馬県吾妻郡嬬恋村)をはじめとする広い地域に大被害を与えた,このたびの
浅間山
の「大焼け」(大噴火)によって、追分・沓掛・軽井沢の三宿をはじめ、
浅間山
近辺の村々が難儀,軽井沢三宿をはじめとする
浅間山
近辺の村々が、
浅間山
の大噴火で困っていたこと、そこから米穀をはじめとする,史料によれば、岩村田町は入会で
浅間山
山麓から馬草・刈敷・薪などを採取してきた。
御役所より被仰渡御書付之写并請印
([現代訳])
[現代訳] 申し渡し覚え このたびの
浅間山
の大噴火によって、追分・沓掛・軽井沢三宿をはじめ、
浅間山
近辺,右のことは、常々心得ておくべきことであるが、このたび
浅間山
が大噴火して右の三宿はいたって難儀しているという
パスファインダー
(佐藤寅太郎)
キーワード 小諸尋常高等小学校 小諸小学校 小諸商工学校 岩村中学校 岩村田高等 女学校
浅間山
研究会,小諸小学校長時代は、
浅間山
全校登山を 内容紹介 行い、職員による
浅間山
研究を行った。,小諸小学校長時代は、職員による
浅間山
研究を行った。,2 書名 著者名 出版社 出版年
浅間山
小諸尋常高等小学校 田中書籍出版部(復刻版 国書刊行会,1910.9 (復刻版1981) 内容紹介 佐藤寅太郎が会長を務め、小諸小学校職員で構成された
浅間山
研究会
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(追分村)
北浦堰上/天神山/馬場/天神山西/寺脇/経塚東/経塚/白ハリ/庚申塚/塩野道下/塩野道上/上野原/浅間麓/
浅間山
,/大谷地道/大石/三ツ石 山:
浅間山
川: 神池ノ瀑布 渡・堰: 上堰/下堰/神ノ池(血,北国往還/隣村道 社: 諏訪社/浅間大神 寺: 泉洞寺 学校: 分里学校 古跡・名勝:
浅間山
,民業男: 農業/旅社営業/採薪等 民業女: 客舎営業/農業/養蚕 その他特記ワード: (森林)
浅間山
麓林
御役所より被仰渡御書付之写并請印
([翻刻])
天明三卯年七月十四日 御役所様より被仰渡御書付之写并請印 」 申渡覚 2 此度
浅間山
大焼,ニ付、追分・沓掛 軽井沢三ケ宿を初、
浅間山
近辺之 村々及難儀候時節ニ候条、別而申渡候者、 米穀者不及申,決而不相成、其外有来之諸売 物随分正路ニ商ひ候様可致候、 右之儀常々可相心得儀ニ有之候、尚 以此度
浅間山
之変事
信州浅間焼之事
([解説])
天明三年(一七八三)の
浅間山
噴火に関する史料を集成した、萩原進編『
浅間山
天明噴火史料集成』全五巻(群馬県文化事業振興会,また、児玉幸多ほか編『天明三年
浅間山
噴火史料集』上巻(東京大学出版会)には、「七月の記」と題された写本,『
浅間山
天明噴火史料集成』の編者である萩原進は、Ⅱ巻の「文月浅間記」の解説で「『文月浅間記』は高崎の俳人羽鳥一紅,たしかに本書は、高崎やその周辺における
浅間山
の噴火と被災の様子、とりわけ利根川を流されて行く人々の様子
善光寺道名所図会
(○佐久郡小諸)
このあたりは、
浅間山
(注1)のふもとをめぐる街道で、上田のあたりからしだいにつま先上がりとなります。,
浅間山
の渓流はいくつも流れ出ていますが、この川だけが赤濁色です。,また、石像の仏が多く、小諸あたりから軽井沢宿までは
浅間山
のふもとを通ります。,頂上からは千曲川、
浅間山
、小県郡、佐久郡が一望できます。,(注3)山号は
浅間山
、本尊は普賢菩薩、
浅間山
守護の祈願所です。
別所温泉誌
(《詩歌》)
東叡山三世公辨法親王の漢詩からはじまり、一茶の俳句などが載せられ、最後は「七くりの里にて年送る思ひつらなりて
浅間山
善光寺道名所図会
(○安曇 池田)
信濃富士と称す、鶏・雷鳥・熊・くらしゝ等多しといふ、此あたり を有明山の里といふも、此山の辺故とかや、
浅間山
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(塩野村)
谷堰/大沼堰/船ケ沢堰/藤沢堰/寺沢堰 道路: 北国街道支道 社: 浅間社/諏訪社 寺:
浅間山
新義真言宗真楽寺,/
浅間山
普賢寺 学校: 研文学校 物産1: 米/大麦/小麦/大豆/小豆/粟/蕎麦/稗 民業男
寛保二年大洪水余禄
([現代訳])
浅間山
方面の法印坊沢というところから「蛇水」(土石流)が発生したらしく、みな驚き騒ぎはじめた。,同じ頃、
浅間山
真楽寺の付近の寺沢という所から土石流が発生し、与良口のような水が押し出し、寺社ばかりを残
パスファインダー
(小山敬三)
スペイン 茅ケ崎 小山久左衛門 小山邦太郎 日展 長 野県美術展 日本芸術院 小山敬三美術賞
浅間山
,信濃毎日新聞 朝刊21ページ 年月日 1995.10.17 2 見出し 小諸で第9回フェス
浅間山
描
浅間焼覚帳
([現代訳])
[現代訳] 天明三年五月二四日から
浅間山
が噴火を始め、七月二日からは大噴火となった。,
浅間山
が噴火してから、穀物の値段が上がった。,この騒動は、
浅間山
が噴火し不作になったことから起こった。 ,これも
浅間山
が噴火して不作となり、穀物の値段が上がったからだった。,ところが
浅間山
が噴火したため、途中で逗留した。
善光寺道名所図会
(○佐久郡小諸)
より十八丁脇に諸村といふあり、 其村より出し小諸なり、[小室共書す、] 大井庄長倉の里といふ、此辺ハ
浅間山
,石標有り、[浅間別当真楽寺へ廿五丁、星の宮へ十丁、小諸へ通り抜、]其先に濁川とて四季ともに赤濁也、
浅間山
,日昼夜大焼、同六日七日八日此三ヶ日ハ極て大焼也、 [但し八日ハ昼前計リ、] 北上州吾妻郡にてハ
浅間山
半腹,物一葉もなく、野菜等迄難 (改頁) 36 義なりしとぞ、将また
浅間山
根,に宝永山といひ慣せり、かゝる名山の姿も爰に一つの 廉付たり、其後は烟も立ずなりて今ハ見る事なし、
浅間山
善光寺道名所図会
(○安曇 池田)
浅間山
に劣らない高い山で、いつも霧が深く立ちこめていて、山の姿もはっきりしません。
パスファインダー
(天明3年の上信一揆(騒動))
キーワード 天明3年 佐久 小県 西上州(群馬県西部)
浅間山
噴火 米不足 一 揆(騒動) 打ちこわし,内容紹介 第二部第四章 第七節 二「天明の
浅間山
噴火と上信一揆」で、浅科村に おける
浅間山
噴火と
パスファインダー
(小諸市三岡地区の桃栽培の始まり)
塩川伊一郎評伝:
浅間山
麓の先覚者 小林收/編著 龍鳳書房 1996.3 小諸義塾長木村熊二の指導,のもと、
浅間山
麓の荒地を果樹栽培への 内容紹介 情熱によって開拓し、農家経済の発展を真摯に追及した塩川伊一郎父
浅間山焼けにより馬草などを取ることができないため小物成免除願い
([翻刻])
浅間山
焼けにより馬草などを取ることができないため小物成免除願い
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部
(著者、絵師等)
その間には、野尻湖、川中島、姨捨山、
浅間山
、諏訪湖といった、一般的な名所の紹介もしています。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(龍江村)
)/尾科(おしな)/尾林(おばやし)/宮沢/安戸(やすんど)/大屋敷/石林(いしばやし) 山:
浅間山
小諸繁昌記
([解説])
同じころ、東信濃地域では『
浅間山
』、『上田案内』、『別所温泉案内』などの研究書や案内書も発刊されます。,第一章 小諸町沿革誌 第一節 緒言
浅間山
と千曲川、この「秀美高潔の江山」に囲まれた地が信州小諸市街地,第四章 霊場案内記 「
浅間山
真楽寺」「菱野薬師」「浅間登山」「布引山」が載っています。
寛保二年小諸大洪水変地絵図(1)
([解説])
小諸町は
浅間山
の南西側の山麓に位置した城下町で、山麓を下りきったところを千曲川が東南から北西方向へ流れている,町へは
浅間山
麓から蛇堀川・松井川(東沢川とも呼ばれている)・中沢川などが注ぎ、千曲川へ流れ込んでいる。,「寛保二年大洪水余録」(小山隆司家所蔵)は、「戌の満水」の前年に
浅間山
の法印坊沢に山ごもりした僧を小諸藩
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2)
([解説])
小諸町は
浅間山
の南西側の山麓に位置した城下町で、山麓を下りきったところを千曲川が東南から北西方向へ流れている,町へは
浅間山
麓から蛇堀川・松井川(東沢川とも呼ばれている)・中沢川などが注ぎ、千曲川へ流れ込んでいる。,「寛保二年大洪水余録」(小山隆司家所蔵)は、「戌の満水」の前年に
浅間山
の法印坊沢に山ごもりした僧を小諸藩
小諸洪水流失改帳
([解説])
小諸町は
浅間山
の南西側の山麓に位置した城下町で、山麓を下りきったところを千曲川が東南から北西方向へ流れている,町へは
浅間山
麓から蛇堀川・松井川(東沢川とも呼ばれている)・中沢川などが注ぎ、千曲川へ流れ込んでいる。,「寛保二年大洪水余録」(小山隆司家所蔵)は、「戌の満水」の前年に
浅間山
の法印坊沢に山ごもりした僧を小諸藩
寛保二年大洪水余禄
([解説])
小諸町は
浅間山
の南西側の山麓に位置した城下町で、山麓を下りきったところを千曲川が東南から北西方向へ流れている,町へは
浅間山
麓から蛇堀川・松井川(東沢川とも呼ばれている)・中沢川などが注ぎ、千曲川へ流れ込んでいる。,「寛保二年大洪水余録」(小山隆司家所蔵)は、「戌の満水」の前年に
浅間山
の法印坊沢に山ごもりした僧を小諸藩
小諸大変書
([解説])
小諸町は
浅間山
の南西側の山麓に位置した城下町で、山麓を下りきったところを千曲川が東南から北西方向へ流れている,町へは
浅間山
麓から蛇堀川・松井川(東沢川とも呼ばれている)・中沢川などが注ぎ、千曲川へ流れ込んでいる。,「寛保二年大洪水余録」(小山隆司家所蔵)は、「戌の満水」の前年に
浅間山
の法印坊沢に山ごもりした僧を小諸藩
浅間焼覚帳
([解説])
次に、本書の内容であるが、天明三年七月の
浅間山
の大噴火とそれにまつわること、その後の不作による穀物などの,つだけ指摘しておくと、一〇月の上信騒動の記事中に「中町はたり又兵衛」とあるが、『天明雑変記』(萩原進編『
浅間山
天明噴火史料集成
/ 2ページ