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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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秀吉と真田 (徳川方への攻勢)

神尾淡路守宛真田昌幸宛行状 <史料解説> 「神尾淡路守宛真田昌幸宛行状」   上田市立博物館蔵,天正拾四丙戌 二月十六日 昌幸(朱印)      神尾淡路守殿
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (美篶村)

名勝: 天神山/笠原ノ御牧/蟻塚ノ城/守屋山・春日の城/玉雲寺/洞泉寺/大沢六太夫重光の屋敷跡/畑淡路守
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (須坂町)

農桑(のうそう)/縫織(ほうしょく) その他特記ワード: 東行会社(とうぎょうかいしゃ)/堀淡路守直重
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (園里村)

のうそう)/薪炭(しんたん) 民業女: 農桑(のうそう)/養蚕(ようさん) その他特記ワード: 堀淡路守直重
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (小山村)

民業女: 農桑(のうそう)/縫織(ほうしょく) その他特記ワード: 柳清水(やなぎしみず)/堀淡路守直重
信州飯田町家控 ([翻刻])

を後ニ坂西  と改、建久六卯年同村の内飯坂ニ城を移し飯坂   之洞道ハ今の愛宕山也    坂西淡路守,   同 長門守    同 淡路守 此御時代御城ヲ東南之六本杉ニ          移し長姫城,改分る    一色内蔵介 此時山村北方御手ニ入          知行高二千貫御領知    坂西淡路守,  (改頁)    箕瀬羽場之御蔵屋敷を建ら連、御手代衆を被  差置候  元和三巳年より脇坂淡路守藤原安元公予州
信州飯田町家控 ([現代訳])

坂西淡路守    同 長門守    同 淡路守 この時代に城を東南の六本杉に移し、長姫城といいました,坂西淡路守 家名も姓も改めました。    ,元和3(1617)年より、脇坂淡路守藤原安元公が伊予(愛媛県)大洲より知行高55000石で移って来ました
御城下古法并市場古法書抜書集 ([翻刻])

□相廻り商売仕来申候、右之内袋茶之義ハ、慶安年中     (改頁)      9    脇坂淡路守様御代桜町新宿御取立之節,、塩茶并肴之儀者拾三町  建始り申候より出もの商売物御座候、右三品之内袋茶壱品者、  先御城主 淡路守様御代桜町江御付被遊候
御城下古法并市場古法書抜書集 ([現代訳])

右の内袋茶は、慶安年中脇坂淡路守様の御代に、桜町を新しく作った時、賑いのために13町に断って、売買を許可,右の3品の内袋茶だけは、先御城主脇坂淡路守様の代に、桜町へ許可されたものである。
宿継要書留 ([翻刻])

 赤須村之内赤須町之御高札  御免定ニ有之上穂者村被 有之候 一片桐町之義元和三巳年脇坂 淡路守様御領分之節
松本藩庄内組大庄屋御用留 ([現代訳])

三河・飛騨・信濃・伊勢・越後の八か国が、ともに勧化御免を仰せつけられたので、これにより寺社御奉行の脇坂淡路守殿御一人
宿継要書留 ([現代訳])

一片桐町は元和3巳年脇坂淡路守様御領分の時、問屋は伝馬役米として280俵地頭より渡し、夫役は免除されていました
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