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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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パスファインダー (善光寺の火災と復興)

善光寺の火災と復興 トピック(テーマ) 善光寺の火災と復興 ねらい 善光寺,は何度も火災の難にあっている。,平安時代にも三回火災があった とも伝えられる。,火災およびそれに伴う堂塔の復 興のことが、各種の記録に残され、平穏無事の時の善光寺の姿は、か えって、,善光寺 の火災と復興について調べる キーワード 概要を知るための ツール 資料リスト 吾妻鏡 / 善光寺の火災と復興
パスファインダー (江戸時代信州飯田町の火災)

江戸時代信州飯田町の火災 トピック(テーマ) 江戸時代信州飯田町の火災 ねらい,キーワード 概要を知るた めのツール 資料リスト 雑誌 江戸時代の信州飯田町に発生した火災について,その概要や復興のた めの飯田藩のお救いや町人たちの見舞の実態、消防体制の整備につ いて知る 飯田町 火災,松尾村小史 太田淺太郎/編 松尾村青年会 1927 城下町出火の場合の周辺農村対応 昔からの飯田の火災,高田久四郎/著 伊那 1/2 江戸時代信州飯田町の火災 インターネット 情報 / 江戸時代信州飯田町の火災
パスファインダー (長野県の災害)

るための ツール 資料リスト 雑誌 長野県の災害 長野県に発生した水害、地震、土石流、火災,水害、地震、土石流、火災、雪害、鳥害 松代群発地震 伊那谷災害 長野県西部地震 地震と防災 1,内容紹介 長野県に起きた水害、地震、土石流、火災、雪害、鳥害等災害全般につ いての企画展図録。
パスファインダー (明治期の松本町の大火)

リスト 雑誌 明治19年の大火 明治21年の大火 明治45年の大火 1 書名 松本市火災史,著者名 松本市 出版社 出版年 1922 内容紹介 明治、大正期の松本市域の火災
松代まちあるきマップ (26高安山龍泉寺)

近世二度の火災に遭い、明治の松代大火時にも類焼したが、その後再建。
松代まちあるきマップ (16矢澤家表門)

平成十七年(二〇〇五)の近隣火災で類焼したが、約二年間の復元修復が行われて甦り、その風格が街なみを潤している
松代まちあるきマップ (47真光(信広)山 林正寺)

明治年間の火災で寺は長い間庫裏だけだったという。
松代まちあるきマップ (44関谷山西楽寺)

ゆうよしょうそう)。西条氏と村松氏が帰依し、天正二年(一五七四)に堂宇を建立、西楽寺と名付け中興。その後火災
『長野史料』索引 ([翻刻])

      4   長野史料索引       天 編      一、水難      二、火災,      仏 編         (改頁)      二、火難(注)     善光寺火災記, [三宝記 見集録 旧事記]     善光寺町火災記      人 五     寛延ノ桜屋火事      
弘化丁未夏四月十三日信州犀川崩激六郡漂蕩之図 ([現代訳])

萱ぶき屋根の家は一様ではありません]、たちまち火災が発生して、老人と若者は互いに気遣う暇もありませんし,たちまち大地震が起こって火災が発生し、周囲に燃え広がりました。,別当の大勧進は小破はありましたが倒壊は免れ、幸いに火災もありませんでした。,一説によれば、治承2年(1178)戊戌3月24日、善光寺は草創以来初めての火災に遭いました。,(注)善光寺の火災を治承2年(1178)のこととする文献もありますが、治承3年(1179)のこととするのが
パスファインダー (松本城下町の移り変わり)

松本市・塩尻市誌編纂会 東筑摩郡松本市・塩尻市郷土資料編纂会 1962.11 明治以降の、旧松本市域の火災
パスファインダー (長野県の誕生)

キーワード 信濃国 伊那県 中野県 松代県 上田県 松本県 飯田県 筑摩県 分権 論 移庁論 県庁火災
弘化丁未夏四月十三日信州犀川崩激六郡漂蕩之図 ([解説])

虚空蔵山が崩落し、犀川をせき止めたこと、澣花川(裾花川)などの支流も同様であったこと、善光寺・新町等で火災
善光寺独案内 ([現代訳])

明暦年間の江戸の大火、八百屋お七の火災の時に、焼死した人の供養のため、吉三郎が出家して、諸国の有志の寄進,今、南門に火が移り、西の柱および門戸が火災となって、獅子に火が移ろうとした時に、雷のような音がして獅子,この門の伝来は、記録によれば、善光寺の火災は治承3年3月24日に落雷によって焼失してから、元禄13年7,月21日まで度々の火災があったとはいえ、この門だけは少しも損することはなかった。,善光寺が火災の時に仮堂になった跡である。そのためにこの地を権堂という。  
弘化丁未春三月廿四日信州大地震山頽川塞湛水之図 ([解説])

1847)3月24日に起こった善光寺地震の被害は広範囲に及び、被害も家屋の倒壊ばかりでなく、山崩れ、火災,色分けされた絵図  弘化4年(1847)3月24日に発生した善光寺地震は、家屋の倒壊や火災ばかりでなく
信州飯田町家控 ([解説])

と横町の商売物について(6)飯田町町人の山利用(7)飯田町町人の町役・職人の国役や扶持(8)飯田町の火災
パスファインダー (江戸時代千曲川水害と上今井瀬直し工事)

の洪水 戌の満水 善光寺地震 千曲川瀬直し 内務省堤防 むしくら日記 信濃国地震大絵図 信濃国大地震火災水難地方全図
(株)第十九銀行と諏訪製糸業 ([ルビ・注記])

即ち同社は主として繭の乾燥 及び保管を為すの外、米穀・肥料其他各種の商品を保 管し、内外国数社の火災保険業者,と特約して、一切の 寄託物を火災保険に附して其安全を図り、且寄託主 の要求に応じて質入証券及び預証券又,      23   千七百八十一石九斗五升にして、其他生糸・屑物・米穀 肥料・諸雑貨を合せて、之が火災保険金額,の総計参百 六拾八万四千参百六拾四円に上り、年末現在貨物の 火災保険金額は六拾四万九千二百六拾円なりき
弘化丁未夏四月十三日信州犀川崩激六郡漂蕩之図 ([翻刻])

別当大勧進雖有小破不及顛仆倖脱火災。
地震後世俗語之種 (絵の解説)

1-81  大地震で家屋が倒壊して下敷きになり、火災も発生して苦しむ人々を描いています。,その間も火災は燃え広がろうとしています。
諸国道中商人鑑 (4 小田井から本山まで)

原罪の家並は、江戸時代の火災、明治2年の大火により被害を受けたが、そのつど旧態をに復元しているので家並
寺子屋師匠の日記 (寺子屋師匠の日記「当家初代好古堂芝産(注1)一代記 全 小沢和徳誌焉」)

被遊候  諸礼等委敷(くわしく)祖父団治へ不残御伝授有之右伝書等  所持罷在候処天保五甲午二月朔日夜火災,三略註書大本[但シ写本]明教大師補教編  其外写本小本等有之候 右亀春様より匡晧迄伝来  之処去ル天保五年火災,候処芝産様御不幸諸払入用追々不如意之処江戸歩行ニ而折々留主  商売ハ休み不都合相成候処寛政十一年の春火災,親人に中臣祓をよませ一心に受用し是にて  心懸りなしと終に明る十九日五十七才ニ而暁の露と消給ふ[当春火災後山道庄,御案事強ク候故分ケ而御弱ク相見心配いたし候 然る処天保  五甲午正月より追々御よはりの処同二月朔日火災
地震後世俗語之種 (絵の解説)

三災とは地震・水害・火災で、2-60にも「三災一時の大難」という語句があります。
善光寺独案内 ([翻刻])

明暦年中江戸  大火八百屋お七の火災に、焼死人  の供養の為、吉三郎出家して  諸国の有志を以て,の難、治承三年三月二十四日に  天火にて焼失より、元録(ママ)十三年  七月二十一日まて、度々の火災有,善光寺如来火災の時、仮堂の  跡なり。故に此地を権堂卜いふ。
上田の早苗 ([翻刻])

享保十五年十月八日夜、横町より失火して海野町原町迄焼失す、斯の  時の火事程大きなる火はなし、上田始りてよりの火災,なり、此時奥坊山林  の良材を悉く伐出して火災の普請料に下されたり、   因曰、明治二巳年八月百姓暴動放火,ひしとなり、武田家真田家古文書数通、社家小野氏今尚蔵す、  此里宮村落中にあり、文化七年三月廿三日夜、火災
木曾山林学校 (木材の欠乏を憂ふ)

古代中国の伝説上の人物、火事を意味する)の為に全焼の憂き目に会し、前年外業の成果を悉く烏有(うゆう:火災
地震後世俗語之種 ([現代訳])

さらなる火災や盗難を恐れて、小屋ごとに拍子木を打ち鳴らし、ちょうちんで照らして小屋の周囲を見回り、狼よけの,死者やけが人も大勢あり、瞬く間に火災となりました。,○下々(しもじも)の我々は、ただ自身の成り行きを心配し、妻子の愛情に心を砕くばかりで、たとえどんな火災
善光寺道名所図会 (○水内 善光寺)

考えてみると、善光寺の仏閣はたびたび火災に遭って無常の姿を示したとはいうものの、善光寺如来の徳によって,また後土御門天皇の御代の文明年間にも火災があった。  ,こうした度々の火災にも、一光三尊の霊仏は、ある時はにわかに横山の堂に飛び移ったり、ある時はお厨子の辺りには
地震後世俗語之種 ([翻刻])

火災の後改暦、戊申の春を迎ふ といへとも、松城より辰巳にかけ戸倉・坂木辺 の山続に至り、何所とも無,#160;   (改頁)   御両士御出張ありて自ら潰家を踏み、倒れ家 をくゞり廻りて火災
善光寺道名所図会 (○筑摩 松本)

享和3年(1803)年閏正月に火災にあい、それから39年後の天保13年(1842)に起工し、檀家の協力
地震後世俗語之種 ([現代訳])

新道からの火災は、西之門町・桜小路・阿弥陀院町とどこまで焼け広がっているかも分からず、町一面の炎が空に,火災を免れるための辛く苦しい騒動で、驚き嘆くばかりです。,地は一刻の間に6、7回も余震に揺れ、たいへんな火災や水害が起こっています。
善光寺道名所図会 (○水内 善光寺)

 の之門より火発り、堂塔一宇も不残焼滅、又後土御門院の御宇文明年間にも  炎上あり、かく度々の火災
むしくら日記 (2巻 亨)

捨置取繕不申候而は、苗間ハ 勿論無難之田地植付候も差支候処、場広大破之儀 中々以村々及自力不申候、火災等之難共訳違
松本藩庄内組大庄屋御用留 ([翻刻])

御心 得可被成候、右御通 達申上度、早々如 斯ニ御座候、以上、   八月十日 川口段兵衛殿江火災之,八月十一日    上条 弥御安康可被成御座奉 賀候、然者郷御目付ニ面御内々 被仰候者先日放光寺火災
「上田郷友会月報」記念号中「既往八十年」 ([ルビ・注記])

明治十一年、明治天皇北陸御巡幸の際、行在所となったが、     明治三十一年火災で焼失した。,十月二十八日、濃尾に大地震があった、地烈け家倒れ、 人死する数を知らず、加ふるに火災あり、其の惨害実
松本藩庄内組大庄屋御用留 ([現代訳])

思うので、心得るように御通達申し上げたく、早々にこのような次第である、 八月十日 川口段兵衛殿へ火災,御安康になるようにお祝い申し上げる、しからば、郷御目付にあってないないに話されたことは、先日の放光寺の火災
むしくら日記 (4巻 貞)

見しニ、長国寺・大英寺の外御郡中 触示しなき故、僅の参詣みへたるのみ也、 ○前にも云如く御城下に火災
むしくら日記 (1巻 元)

子十二三計なるを、善光寺   の何やなるかへ年季奉公に約束して、廿四日ニ遣りぬ、 しかるに其夜地震の上の火災
むしくら日記 (1巻 元)

◯26日の夜、善光寺の火災は漸く消えました。
地震後世俗語之種 ([翻刻])

残りし家財こはれ戸 や破れ障子を持運ひ、畳よ桶よ戸棚よと、老 若女男女入交り、上よ下へと散乱し、火災
『説諭要略』巻一 ([ルビ・注記])

請フ某(それがし)ノ寺近日火災ニ罹(かか)レリ。資金ヲ布施(注4)シ。
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