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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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犀川を下る記 (1.犀川通船の盛衰)

犀川を下る記 / 1.犀川通船の盛衰 (1)宿場と中馬の反発  松本から北国脇往還(善光寺街道)を経由して善光寺まで,…そうしたなかで、犀川を利用しての通船計画は、それまでの流通体系を大きく覆すものであった。」,(「信濃の青竜 犀川」P264)  犀川通船は天保3年(1832年)に松本の白板から信州新町までの14,(3)篠ノ井線の開通、犀川線の全通と犀川通船の廃止  「明治35年篠ノ井線開通後は松本からの出航は廃止,犀川を船で生坂、山清路方面へ送られ、さらに信州新町へと下っていった。」 / 1.犀川通船の盛衰
犀川を下る記 (犀川を下る記[全文])

犀川を下る記 / 犀川を下る記[全文] 浅井洌      1 明治三十二年八月十四日、長野に赴かんと、早朝五時三十分,安曇、更級、水内、三郡の界は、大むね 犀川にて限られたるに、橋木、日名、大原、鹿谷は川の西にありながら,しらず、「埋木はなか虫はむといふめれは、久米路のはしは心 してゆけ」とありて古くより其名しられたり橋は犀川,汽車ま たゆらぎはじめつぎ/\に早さをまして、とき風の枯野をわたるがごとく忽(たちま)ちに して犀川,犀川が両岸から迫る岸壁によって狭められ峡谷をなしている所に、桟と刎橋を併用して巧みな技で架けられた特異 / 犀川を下る記[全文]
犀川を下る記 (おわりに)

犀川を下る記 / 大動脈を担った信州の通船は既に姿を消し、現在、観光用として残っているのみですが、宿継ぎ駅や中馬の廃止、犀川通船,<参考文献> ※「信濃の青竜 犀川」(建設省北陸地方建設局千曲川工事事務所 平成6年) ※「信州新町史,小布施町史」(小布施町史刊行会 昭和50年) ※「千曲川一世紀の流れ-明治26年測量図と今」(千曲川・犀川治水史研究会
犀川を下る記 (はじめに)

犀川を下る記 / 長野県図書館協会 宮下明彦  長野県は日本列島の中央高地を占め、高山に源を発する大河は「流れ淀まずゆく水は 北に犀川千曲川,これらの河川は、日本海、太平洋へと注いでおり、江戸時代後期から明治期は犀川通船、天竜川通船、千曲川通船
犀川を下る記 (3.千曲川通船)

犀川を下る記 / 通船の始まり  千曲川通船計画は、寛延2年(1749)水内郡権堂村瀬兵衛ら4人が、坂木陣屋に千曲川・犀川,この会社は明治7年に千曲川犀川通船会社となり、飯山から上田までの区間を、魚・塩・肥料などの荷物や人を輸送
信濃名勝詞林 (犀川を下る)

犀川を下る 画像をクリックすると原本の高精細画像が表示されます。,『信濃名勝詞林』より犀川を下る [目録] 犀川を下る ルビ・注記:高井地方史研究会 寺島正友 30,犀川(さいがわ)を下る   松本君平(くんぺい)【注1】   筑摩(ちくま)の都、松本の里に足,に名殘惜くも別れを告けて旅立ちぬ這度(このたび)は保福寺峠(ほうふくじとうげ)の途(みち)をは取らて犀川,奈良井川(ならいがわ)に沿うて行く程に梓川(あずさがわ)と合する所よりして犀川(さいがわ)とはなるなり / 犀川を下る
パスファインダー (千曲川・犀川と水害)

千曲川・犀川と水害について トピック(テーマ) ねらい キーワード 概要を知るための ツール,資料リスト 雑誌 千曲川・犀川と水害 千曲川・犀川は人々の生活に密着した大河だが大きな,2 書名 著者名 出版社 出版年 千曲川一世紀の流れ:明治26年測量図と今 千曲川・犀川治水史研究会,:犀川上流直轄河川改修着手四十年記念 著者名 建設省北陸地方建設局千曲川工事事務所/編 出版社,建設省北陸地方建設局千曲川工事事務所 出版年 1993-2001 内容紹介 千曲川・犀川 / 千曲川・犀川と水害
弘化丁未夏四月十三日信州犀川崩激六郡漂蕩之図 ([翻刻])

弘化丁未夏四月十三日信州犀川崩激六郡漂蕩之図 / トモ]といへる 高ねいたゞき両端に崩れ[一方高卅余丁長廿余丁、岩倉・孫瀬ノ二村水中ニ陥ル]、名たゝる犀(,其余鹿谷(かや)・猿倉(さるくら)・境川・聖(ひじり)・浅川・八蛇(やじや)・鳥居川等すべて犀千隈(ちくま,時ニ犀川ノ洪水サカシマニ湛ヘ上リ、水火互ニゲキシ共ニ市中ヲ没ス]上ハいなり山に至り、下飯山に及ひ、延,[今日人ミナ以為犀川溢レ出ト。資財ヲ相携テ走ル。,[是川安曇郡ニ出テ大安寺ニシテ犀川ニ入。時ニ犀干(ヒ)川ナレトモ尋常ノ洪水ニ減セズ。
弘化丁未夏四月十三日信州犀川崩激六郡漂蕩之図 ([現代訳])

弘化丁未夏四月十三日信州犀川崩激六郡漂蕩之図 / [現代訳] 弘化4年(1847)夏4月13日、信州犀川が決壊して、六郡が水没している図    今年,その他鹿谷川・猿倉川・境川・聖川・八蛇川・鳥居川等すべてが犀川と千曲川に注いでいます。,[今日は誰もが犀川があふれ出すと思い、資財を持って逃げました。,[この川は安曇郡に発し、大安寺(長野市七二会)で犀川に合流します。,この時犀川に水はありませんでしたが、通常の洪水と同じでした。
弘化丁未夏四月十三日信州犀川崩激六郡漂蕩之図 ([解説])

弘化丁未夏四月十三日信州犀川崩激六郡漂蕩之図 / (大地震発生)  大地震によって虚空蔵山が崩落し、犀川をせき止めたこと、澣花川(裾花川)などの支流も,戸尻川(土尻川)は流れるようになりましたが、犀川のせき止め湖はいよいよ大きくなってきました。,こうした南方への洪水の広がりに対して、犀川の北側の浸水は栗田・南俣付近まででした。
犀川を下る記 (2.天竜川通船)

犀川を下る記
安曇・筑摩両郡旧俗伝 ([翻刻])

しアリ、又 是ヨリ東高梨と云所乃地ニ白竜王卜云し者アリ シカ、犀竜卜共ニ交合して一子ヲ生ス、八峯瀬山,汝我ニ乗へし、此湖ヲ突 破り水ヲ落して平陸となし、人里とせんと教へらる ニ任セ、小太郎尾入沢ニテ犀竜,ニ乗しより今ニ 犀乗沢と称せり、三清地と云所乃大岩ヲ突破リ、     (改頁)      5,ヨリ 下千曲川へ落合ふ所迄ヲ犀川卜称ス、其後犀竜ハ 白竜王ヲ尋て、坂木ノ横吹と云所の岩穴ニ入、小太郎,有んや、犀に乗水ミち付て透すなりひろき世界へいつる犀川 彼犀ヲ神ニ祝ひ、今ノ出川町乃辺ニアル犀口水
安曇・筑摩両郡旧俗伝 ([現代訳])

、放光寺山(ほうこうじやま、松本市)のあたりで     (改頁)   成長した、その後、母の犀竜,き破って水を下流に落して平らな陸地として人の住める里としようと教えられるにまかせて、小太郎は尾入沢で犀竜,から千曲川へ合流する場所までを犀川(さいがわ)という、その後、犀竜は白竜王を尋ね、坂木(さかき)の横吹,、かんたんなことだ、犀に乗って水は広い世界へ流れ出ていった、この犀を神に祝い、今の出川町(いでがわまち,、松本市)のあたりにある犀口水引大明神がこれである。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (四ッ屋村)

/思沢/中道/遍屋/遍屋新田/中河原/大河原/下土手外/上土手外/上河原/上洞田/下洞田 山: 犀沢山,川: 犀川/犀沢/大堤 渡・堰: 下堰/鯨沢堰/小山堰/峯島堰/手堰/洞田新堰 道路:
パスファインダー (信州の通船(川の道))

以前、江戸時代後期から明治、大正時代 にかけて木材や各種物資、さらに人を大量に運ぶ手段として千曲川、犀,千曲川 千曲川通船 松代藩川船 塩 運賃 犀川通船 天竜川通船 渡船 榑木流し  木曽川 尾張藩 木曽式伐木運材法,1991.7 江戸時代後期から明治、大正時代にかけて木材や各種物資、さらに人 を大量に運ぶ手段は千曲川、犀川,千曲川一世紀の流れ:明治26年測量図と今 千曲川・犀川治水史研究会/編 信濃毎日新聞社 2003.12,信濃の青竜 犀川:犀川上流直轄河川改修着手四十年記念 建設省北陸地方建設局千曲川工事事務所/編 建設省北陸地方建設局千曲川工事事務所
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (中川手村)

中街道/町/上手/小路/下町/吐中/平/釜蓋/清水/山方 山: 長峯/日向山/漆土山 川: 犀川,光用水/柳瀬堰/下用水/手前の池/薄無ノ池 橋: 会田川橋/柏崎橋 道路: 川手往還 社: 犀宮,民業男: 農/漁猟 民業女: 農事/(余暇)養蚕・煙草製造 その他特記ワード: (森)犀宮社朱引外
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (七貴村)

うばがふところ)/白沢/会田分/八分平/入道幅/太師山 山: 中山 川: 梓川/高瀬川/(堤塘)犀川,に沿う三か所/犀川に沿う 渡・堰: 押野渡/荻原渡/信犀橋 道路: 北国(ほっこく)西街道支道
パスファインダー (昔の旅人)

江戸時代の旅人 善光寺道名所図会、木曽路名所 図会、木曽街道六十九次、道中続膝栗毛、方言修業金草鞋 犀川通船,を下る記」は、明治32年8月14日に、松本 から信州新町まで、犀川を船で下るようすが描かれている。,著者名 江川良武/著 雑誌名 千曲 出版年 2017.11 巻号頁数 No164 2 論題名 犀川通船,adeac.jp/shinshu-chiiki/ 概要 「紀行文、道中記、地誌」に、浅井洌「犀川,amp;moveToGamenId=tifs chcmpd&lang=ja 概要 「犀川通船
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (安茂里村)

/城戸/観音前/差出/本堂/大門/小路/内河原/伊勢宮/西河原/南中御堂/北中御堂/園/住吉/宮平/犀沢山,山: 朝日山/安茂里山/小市山 川: 犀川/裾花川/勝手沢北堤/勝手沢南堤/一号堤/二号堤/,久保寺堰/小柴見堰/小市堰/安茂里村渡 橋: 相生橋 道路: 長野より大町道 社: 犀川神社
弘化丁未春三月廿四日信州大地震山頽川塞湛水之図 ([解説])

これは「弘化丁未春三月廿四日信州大地震山頽川塞湛水之図」と「弘化丁未夏四月十三日信州犀川崩激六郡漂蕩之図,中でも虚空蔵山(岩倉山)の崩壊は犀川をせき止めて天然ダムを造り、4月13日にはそれが決壊して大洪水を引,千曲川と犀川の合流点付近には「甲越和睦ノ地」という場所もあります。,小市(長野市安茂里)では地震で真神山が崩落し、犀川へ押し出しました。,松代藩は虚空蔵山の崩落によってせき止められた犀川が決壊するのに備え、小市辺に堤防を築きました。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (高家村)

西原/本郷/上出/中村/町村/寺林/堰上/本町/下中曽根/上真々部/中村/本郷/田中 川: 梓川/犀川,中萱渠/鳥羽渠/飯田渠/勘左衛門渠/十ヶ渠/飯田渠/熊倉渠/矢原渠/勘左衛門堤/十ヶ堤 渡・堰: 犀川渡
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (陸郷村)

長野県町村誌』 3巻 p2808に掲載 該当ページを見る キーワード 山: 中山 川: 犀川,深見沢/寺沢/木沢/八代沢/牛沢/甲斐沢/五ヶ用水堰 渡・堰: 小泉渡/日岐渡/草尾渡 道路: 犀川岸往還
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (若里村)

/宮川沖/大道西/大道東/吹上/川端/上河原/幅下/村前/起目/桑ノ木島/船渡島/升形島 川: 犀川,/裾花の土堤/犀川土堤 渡・堰: 計渇堰/土城堰/宮田堰/宮川堰/姫塚堰/糀屋堰/中堰/漆田堰/四
地震後世俗語之種 (絵の解説)

名橋として知られていましたが、岩倉山(虚空蔵山)が崩落して犀川を堰き止めたことにより水没し、流失してしまいました,右の「丹波嶋駅」の北側は干上がった犀川があって、綱を渡した丹波島の渡しがあります。,2-58 「犀川洪水一時ニ押出シ、三災ノ苦難ニ逼(せま)リ、コヽニ命ヲ失フノ図」  原本は「犀川洪水,」ではなく、「犀川嵩水」になっています。,2-74  2-72に「犀川の平水と村山村の高低を見競図畧」とあります。
むしくら日記 (『むしくら日記』に登場する人物)

犀川を堰留めた大岩を、地雷火を仕掛けて破壊するよう献策した(亨)、地割れの中に転落した(利)など、興味深
浅間山 (第六編 浅間山附近の植物)

第二章 主要なる植物目録  菌類や羊歯門からはじまり木犀科などの類・門・科に属する植物名を十三ページ
地震後世俗語之種 (絵の解説)

絵の解説 1-9 「従犀川渡舟善光寺遠見之畧図」(犀川渡舟より善光寺遠見の略図)  現在の丹波島橋付近,1-21  犀川の丹波島の渡しの船頭が、綱をたぐって舟を渡している絵です。,大地震によって岩倉山(虚空蔵山)が崩落し、犀川を堰き止めている図です。,岩倉山は西(右)と東(左)の2方向に崩落し、2か所で犀川を堰き止めました。,1-84 「犀川筋小市渡船塲之辺急災除土堤御普請之図」  犀川の堰き止め箇所が決壊して大洪水になることを
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (竹房村)

八布施/大川/邸 山: 西八布施山/中八布施山/東八布施山/袖山/中林山/向林山/稲場山 川: 犀川
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (布施高田村)

キーワード 字地: 下居帰/上居帰/南条/佃/一ノ坪/臼女(うすめ)/唐臼/里嶋 渡・堰: 犀口
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (今里村)

八反田/東俣/石原/塚山/長峯/内後(うちご)/新屋/上西/中西/下西/長面(ながおも) 山: 犀沢山
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (牛島村)

/村東沖/村南沖/南組屋敷/北組屋敷/村北沖/村西沖/西向川原/中川原/北向川原 川: 千曲川/犀川
地震後世俗語之種 (『地震後世俗語之種』の価値)

焼失区域を色分けした図(1-102)があるほか、堰き止められた犀川の決壊による大洪水が達した高さを図中
松本藩庄内組大庄屋御用留 (4、御用留の書かれた年)

この大地震のため、善光寺西山地区で山崩れが発生し、とくに岩倉山の大崩落が犀川をせき止め、湛水湖をつくり
地震後世俗語之種 (『地震後世俗語之種』の価値)

焼失区域を色分けした図(1-102)があるほか、堰き止められた犀川の決壊による大洪水が達した高さを図中
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (日高村)

/下五十里/一ノ瀬/栗林/松ノ木/百瀬/上長井/生板/芦沼/梨木/和沢 山: 秋葉山 川: 犀川
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (小森村)

p1317に掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 町裏/稗田/合戦場/金井田/福王寺/川越/古犀川
弘化丁未春三月廿四日信州大地震山頽川塞湛水之図 ([翻刻])

偏ニ雖不可徴(チヤウ)ス、按ルニ六郡ヲ貫通スル巨河恐クハ犀千隈ノ        両流ニ過ズ[岐蘇・天竜,この地北は戸隠の峻嶮(けハしき)により、東南に犀川を  帯ひ、西に境川あり、東に澣花(すゝハな)川あり,此地両山はなハだ狭り犀河の水たぎりて落、かの北涯(きし)の半腹(なかば)を うがちて酉(にし)より夘
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (上川手村)

南村/中条/北村/御法田/白牧/蛼/矢ノ沢 山: 上野山/透ケ原山/二場城山/黒尾山 川: 犀川
寛保二戌年水害御届書 ([翻刻])

先達申上候通、私在所信州  松代従去月廿七日雨降続同  廿九日夜中大風雨當朔日従  未之刻千曲川・犀川其外川々
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (山平林村)

下荒上/柏山/西岩倉/丸山/茅場/袖山/新谷/樋尻/滝沢/下和田/上和田 山: 虚空蔵山 川: 犀川
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (川合村)

北半右衛門島/稗島/万野/東河原/関崎河原/東万野牛島境/北稗島/北三番島/西河原/北宮島 川: 犀川
パスファインダー (軽井沢・小諸の文学(1))

落葉松(からまつ) 星野温泉 有島武郎 堀辰雄 美しい村 ふるさとびと 立原道造 萱草 に寄す 室生犀星,1981 内容紹介 2 書名 著者名 出版社 出版年 我が愛する詩人の伝記 室生犀星
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (生坂村)

木村/竹ノ本/上ノ平・南/須沼・原/本村木戸/雪根/込地/重ケ/入山/丸山 山: 榾山 川: 犀川
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (塩生村)

本郷/花上/花倉/栗林/鍋割/日方/栃窪/平林/平村/深沢/馬神/臥部 山: 富士嶺 川: 犀川
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (往平村)

/トノシウス/トウジナミ/伊切/伊切古免/伊切池ノ平/成上/日方林/日影林/丸山/孫ノ沢 川: 犀川
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (綱島村)

る キーワード 字地: 川井新田境/狐巣/中土手添/梵天浦/小中島/大塚境/往来下 川: 犀川
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (真島村)

鎌倉/社宮社/梵天/中川原/高島/四ツ橋/伊勢宮/北村/前淵/水ノ宮/村東/堀之内/東方 川: 犀川
戸隠善光寺往来 (口絵)

上下の図の間には、「舟渡しハ斎(犀)川といふ。水上ハ飛騨の国より出て、水上は梓川といふ。
松代まちあるきマップ (31送経山西念寺)

吉成は、北国街道の改修、伝馬宿の設置をはじめ、裾花川の瀬直し、川中島平に犀川から用水路を引くなど水田の
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (水内村)

橋場/安用/本道/二丁田/切久保/穴平/牛沢/向山/寺尾/日影 山: 飯綱山/大峯山 川: 犀川
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