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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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犀川を下る記 (1.犀川通船の盛衰)

1.犀川通船の盛衰 (1)宿場と中馬の反発  松本から北国脇往還(善光寺街道)を経由して善光寺まで,(「信濃の青竜 犀川」P264)  犀川通船は天保3年(1832年)に松本の白板から信州新町までの14,明治になると、宿駅制度は廃止され、犀川通船の独占権も消滅、積載貨物の制限や乗客の禁止もなくなりました。,そこで、白板の折井儀右衛門らは犀川通船会社を創って近代の通船に当たりましたが、起点は一時千歳橋の下まで,犀川通船会社は最盛期には30艘以上の船を所有し、「船の大きさは大船が上のり11間、幅6尺2寸、深さ3尺 / 1.犀川通船の盛衰
犀川を下る記 (はじめに)

これらの河川は、日本海、太平洋へと注いでおり、江戸時代後期から明治期は犀川通船、天竜川通船、千曲川通船
パスファインダー (昔の旅人)

江戸時代の旅人 善光寺道名所図会、木曽路名所 図会、木曽街道六十九次、道中続膝栗毛、方言修業金草鞋 犀川通船,著者名 江川良武/著 雑誌名 千曲 出版年 2017.11 巻号頁数 No164 2 論題名 犀川通船,amp;moveToGamenId=tifs chcmpd&lang=ja 概要 「犀川通船
犀川を下る記 (おわりに)

大動脈を担った信州の通船は既に姿を消し、現在、観光用として残っているのみですが、宿継ぎ駅や中馬の廃止、犀川通船
犀川を下る記 (3.千曲川通船)

この会社は明治7年に千曲川犀川通船会社となり、飯山から上田までの区間を、魚・塩・肥料などの荷物や人を輸送
パスファインダー (信州の通船(川の道))

千曲川 千曲川通船 松代藩川船 塩 運賃 犀川通船 天竜川通船 渡船 榑木流し  木曽川 尾張藩 木曽式伐木運材法
長野県師範学校生徒修学旅行概況 (長野県師範学校生徒修学旅行概況[全文])

是に於て、犀川通船(注4)契符を買ふ者、第二線路(注4)馬車契符を買ふ 者等多かりき。,(注4)犀川通船・第二線路  犀川通線は江戸時代後期に開設された。
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