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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ
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犀川を下る記
(1.犀川通船の盛衰)
犀
川
を下る記 / 1.
犀
川
通船の盛衰 (1)宿場と中馬の反発 松本から北国脇往還(善光寺街道)を経由して善光寺まで,…そうしたなかで、
犀
川
を利用しての通船計画は、それまでの流通体系を大きく覆すものであった。」,(「信濃の青竜
犀
川
」P264)
犀
川
通船は天保3年(1832年)に松本の白板から信州新町までの14,(3)篠ノ井線の開通、
犀
川
線の全通と
犀
川
通船の廃止 「明治35年篠ノ井線開通後は松本からの出航は廃止,
犀
川
を船で生坂、山清路方面へ送られ、さらに信州新町へと下っていった。」 / 1.
犀
川
通船の盛衰
犀川を下る記
(犀川を下る記[全文])
犀
川
を下る記 /
犀
川
を下る記[全文] 浅井洌 1 明治三十二年八月十四日、長野に赴かんと、早朝五時三十分,安曇、更級、水内、三郡の界は、大むね
犀
川
にて限られたるに、橋木、日名、大原、鹿谷は
川
の西にありながら,しらず、「埋木はなか虫はむといふめれは、久米路のはしは心 してゆけ」とありて古くより其名しられたり橋は
犀
川
,汽車ま たゆらぎはじめつぎ/\に早さをまして、とき風の枯野をわたるがごとく忽(たちま)ちに して
犀
川
,
犀
川
が両岸から迫る岸壁によって狭められ峡谷をなしている所に、桟と刎橋を併用して巧みな技で架けられた特異 /
犀
川
を下る記[全文]
犀川を下る記
(3.千曲川通船)
犀
川
を下る記 / 3.千曲
川
通船 (1)通船の始まり 千曲
川
通船計画は、寛延2年(1749)水内郡権堂村瀬兵衛ら4,人が、坂木陣屋に千曲
川
・
犀
川
の通船を願い出たのが最初でしが、福島・
川
田・丹波島・矢代各宿の反対で沙汰止,(2)幻の千曲
川
運河計画と信越本線 明治2年(1869)、松代藩
川
舟を引き継いだ
川
田宿又右衛門は通船会社継続願,この会社は明治7年に千曲
川
犀
川
通船会社となり、飯山から上田までの区間を、魚・塩・肥料などの荷物や人を輸送,また、明治4年には、信越
川
々検査掛が「千曲
川
大滝開鑿意見書」をつくり、新潟湊までの船運計画が立てられました / 3.千曲
川
通船
犀川を下る記
(はじめに)
犀
川
を下る記 / 長野県図書館協会 宮下明彦 長野県は日本列島の中央高地を占め、高山に源を発する大河は「流れ淀まずゆく水は 北に
犀
川
千曲
川
, 南に木曽
川
天竜
川
これまた国の固めなり」と県歌「信濃の国」に歌われています。 ,これらの河
川
は、日本海、太平洋へと注いでおり、江戸時代後期から明治期は
犀
川
通船、天竜
川
通船、千曲
川
通船
犀川を下る記
(おわりに)
犀
川
を下る記 / 大動脈を担った信州の通船は既に姿を消し、現在、観光用として残っているのみですが、宿継ぎ駅や中馬の廃止、
犀
川
通船,、天竜
川
通船、千曲
川
通船の勃興、衰退などの歴史から学ぶことは多い。 ,<参考文献> ※「信濃の青竜
犀
川
」(建設省北陸地方建設局千曲
川
工事事務所 平成6年) ※「信州新町史,の流れ-明治26年測量図と今」(千曲
川
・
犀
川
治水史研究会 2003年) ※「飯山市誌」(飯山市誌編纂専門委員会, 平成7年) ※「千曲
川
のスケッチ」(島崎藤村 岩波書店 1943年)によった。
パスファインダー
(千曲川・犀川と水害)
千曲
川
・
犀
川
と水害について トピック(テーマ) ねらい キーワード 概要を知るための ツール,資料リスト 雑誌 千曲
川
・
犀
川
と水害 千曲
川
・
犀
川
は人々の生活に密着した大河だが大きな,2 書名 著者名 出版社 出版年 千曲
川
一世紀の流れ:明治26年測量図と今 千曲
川
・
犀
川
治水史研究会,2 書名 信濃の青龍
犀
川
:
犀
川
上流直轄河
川
改修着手四十年記念 著者名 建設省北陸地方建設局千曲
川
工事事務所,千曲
川
・
犀
川
の自然、荒れる千曲
川
、用水と上下水道、渡船と通船、自 然堤防と人、民俗、たたかいの / 千曲
川
・
犀
川
と水害
犀川を下る記
(2.天竜川通船)
犀
川
を下る記 / しかし、中馬稼ぎ村や既得権を持つ下
川
路村(飯田市)等から強力な反対が起ったためこの計画は一時挫折しましたが,、豪商角倉了以は遠江見付の代官とはかり京都方広寺大仏殿造営材を鹿塩・大河原山より伐出し、小渋
川
から天竜
川
,また、慶長17年(1612)には、江戸城天守閣用材が遠山各所から遠山
川
を経て天竜
川
へ流されたという。,このように、豊臣秀吉、徳
川
家康が伊那山に着目した開発が天竜
川
を利用した材木輸送の先鞭となり、天竜
川
から,、江戸時代は膨大な材木が天竜
川
を下りました。 / 2.天竜
川
通船
弘化丁未夏四月十三日信州犀川崩激六郡漂蕩之図
([翻刻])
弘化丁未夏四月十三日信州
犀
川
崩激六郡漂蕩之図 / 其余鹿谷(かや)・猿倉(さるくら)・境
川
・聖(ひじり)・浅
川
・八蛇(やじや)・鳥居
川
等すべて
犀
千隈(ちくま,時ニ
犀
川
ノ洪水サカシマニ湛ヘ上リ、水火互ニゲキシ共ニ市中ヲ没ス]上ハいなり山に至り、下飯山に及ひ、延,[今日人ミナ以為
犀
川
溢レ出ト。資財ヲ相携テ走ル。,[是
川
安曇郡ニ出テ大安寺ニシテ
犀
川
ニ入。時ニ
犀
干(ヒ)
川
ナレトモ尋常ノ洪水ニ減セズ。,先是命有テ河内ノ粟(アワ)ヲ河東ニ徒シ、老幼ヲ東山ニ仮居ナサシム] こゝに
犀
川
の流れ停滞(とゞまる事
弘化丁未夏四月十三日信州犀川崩激六郡漂蕩之図
([現代訳])
弘化丁未夏四月十三日信州
犀
川
崩激六郡漂蕩之図 / [現代訳] 弘化4年(1847)夏4月13日、信州
犀
川
が決壊して、六郡が水没している図 今年,その他鹿谷
川
・猿倉
川
・境
川
・聖
川
・八蛇
川
・鳥居
川
等すべてが
犀
川
と千曲
川
に注いでいます。,[今日は誰もが
犀
川
があふれ出すと思い、資財を持って逃げました。,[この
川
は安曇郡に発し、大安寺(長野市七二会)で
犀
川
に合流します。,この時
犀
川
に水はありませんでしたが、通常の洪水と同じでした。
弘化丁未夏四月十三日信州犀川崩激六郡漂蕩之図
([解説])
弘化丁未夏四月十三日信州
犀
川
崩激六郡漂蕩之図 / (大地震発生) 大地震によって虚空蔵山が崩落し、
犀
川
をせき止めたこと、澣花
川
(裾花
川
)などの支流も,戸尻
川
(土尻
川
)は流れるようになりましたが、
犀
川
のせき止め湖はいよいよ大きくなってきました。,これは当時は天井
川
であった岡田
川
です。,岡田
川
が千曲
川
に合流する横田付近では、ややさかのぼった地点まで千曲
川
が氾濫しています。,こうした南方への洪水の広がりに対して、
犀
川
の北側の浸水は栗田・南俣付近まででした。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(中川手村)
中
川
手村 地域 中信 市町村名 現在(令和2年):安曇野市(あずみのし) 明治初期:中
川
手村,/中沖/中街道/町/上手/小路/下町/吐中/平/釜蓋/清水/山方 山: 長峯/日向山/漆土山
川
:,
犀
川
/会田
川
/塔原の渡 渡・堰: 光用水/柳瀬堰/下用水/手前の池/薄無ノ池 橋: 会田
川
橋,/柏崎橋 道路:
川
手往還 社:
犀
宮(さいのみや)社/広田社/諏訪社/竜神社/熊野社/白山社,民業男: 農/漁猟 民業女: 農事/(余暇)養蚕・煙草製造 その他特記ワード: (森)
犀
宮社朱引外 / 中
川
手村
パスファインダー
(信州の通船(川の道))
、大正時代 にかけて木材や各種物資、さらに人を大量に運ぶ手段として千曲
川
、
犀
川
、天竜
川
、木曽
川
を使って,千曲
川
千曲
川
通船 松代藩
川
船 塩 運賃
犀
川
通船 天竜
川
通船 渡船 榑木流し 木曽
川
尾張藩 木曽式伐木運材法,
犀
川
、天竜
川
、木曽
川
を使って通船であっ た。,千曲
川
一世紀の流れ:明治26年測量図と今 千曲
川
・
犀
川
治水史研究会/編 信濃毎日新聞社 2003.12,信濃の青竜
犀
川
:
犀
川
上流直轄河
川
改修着手四十年記念 建設省北陸地方建設局千曲
川
工事事務所/編 建設省北陸地方建設局千曲
川
工事事務所 / 信州の通船(
川
の道)
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(川合村)
川
合村 地域 北信 市町村名 現在(令和2年):長野市(ながのし) 明治初期:
川
合村(かわいむら,) 幕末から明治初期:
川
合村 幕末から明治初期(よみ):かわいむら 『長野県町村誌』 1巻 p1412,該当ページを見る キーワード 字地: 村南真島境/村東真島境/村北土手合/村西真島境/村西/古
川
式,
犀
川
/千曲
川
/小山溝/鯨沢溝/権現堤/梵天浦堤/天王堤/大久保堤/宮島堤/三番島堤/三番所堤 渡,・堰:
川
合堰/本田堰/新田堰/新田分堰 道路: 長野道 社:
川
合神社/皇大神社/八幡社/ /
川
合村
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(上川手村)
上
川
手村 地域 中信 市町村名 現在(令和2年):安曇野市(あずみのし) 明治初期:上
川
手村,/野田/南村/中条/北村/御法田/白牧/蛼/矢ノ沢 山: 上野山/透ケ原山/二場城山/黒尾山
川
:,
犀
川
/池沢
川
/麻績(おみ)
川
/田沢
川
/中曽根
川
渡・堰: 南原下堰/上花見堰/中花見堰 橋:,ワード: (舟渡)田沢渡舟・光渡舟/(冷泉)吹上ノ泉 明治初期の村絵図・地図(県立歴史館所蔵) 上
川
手村周囲分間全図 / 上
川
手村
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(東川手村)
東
川
手村 地域 中信 市町村名 現在(令和2年):安曇野市(あずみのし) 明治初期:東
川
手村,うしおむら 『長野県町村誌』 3巻 p3155に掲載 該当ページを見る キーワード 字地:
川
原田,/下田/上
川
原/下
川
原/歳ノ神/横田/浦田/追込/塩田/堰行田/尾沢/寺沢/天田/中邑/瓜ケ久保/小日向,大久保/城登/半沢/延命/黒坪/明賀/南村/中村/北村/切久保 山: 高登尾山/三峯/切久保山
川
:,
犀
川
/会田
川
/潮沢(うしおざわ)
川
渡・堰: 和田堰/下田堰/外越堰/中越堰 橋: 会田
川
橋 / 東
川
手村
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(川合新田村)
川
合新田村 地域 北信 市町村名 現在(令和2年):長野市(ながのし) 明治初期:
川
合新田村,(かわいしんでんむら) 幕末から明治初期:
川
合新田村 幕末から明治初期(よみ):かわいしんでんむら,ふるやしき)/古屋敷北/古屋敷東/法京道(ほうきょうどう)/東法京道/千田境/松岡境/松岡境南/白樺/
川
合境,/
川
合境北/
川
合境下/東島
川
合境/東島/前島/古屋敷前島/綱島境/青木島境/市村境
川
:
犀
川
/用水溝,/宮
川
溝/
川
除土堤 橋: 法京橋/宮
川
橋/中橋/板橋 道路: 北国街道より柳原村舟橋道/同上州大笹道 /
川
合新田村
弘化丁未春三月廿四日信州大地震山頽川塞湛水之図
([解説])
弘化丁未春三月廿四日信州大地震山頽
川
塞湛水之図 / これは「弘化丁未春三月廿四日信州大地震山頽
川
塞湛水之図」と「弘化丁未夏四月十三日信州
犀
川
崩激六郡漂蕩之図,千曲
川
と
犀
川
の合流点付近には「甲越和睦ノ地」という場所もあります。,(平出)四月九日、加州大聖寺侯、
犀
川
湛水ニヨリ、平出、カジロ、
川
東、フクシマヨリ、矢代御泊。 ,小市(長野市安茂里)では地震で真神山が崩落し、
犀
川
へ押し出しました。,「弘化丁未夏四月十三日信州
犀
川
崩激六郡漂蕩之図」を参照) 大俣(中野市大俣)の千曲
川
に女夫(めおと
パスファインダー
(市川谷の鮭漁)
市
川
谷の鮭漁 トピック(テーマ) ねらい 市
川
谷の鮭漁 かつて、信濃国では日本海へ流,れでる千曲
川
やその支流に鮭が遡上し ており、領主は
川
沿いの村々に狩漁許可を与え、代わりに運上(税)を,とくらしで、鮭漁を中心に
川
入会権、信濃
川
の漁場、 内容紹介
川
役出入、初鮭献上、鮭の捕り上げなどについて,7月1日号~令和2年3月1日号 巻号頁数 平成30年7月1日号~令和2年3月1日号 2 論題名 近世
犀
川
,号 3 論題名
犀
川
の鮭と信濃御厨 著者名 小出武/著 雑誌名 長野 出版年 1986.9 巻号頁数 / 市
川
谷の鮭漁
パスファインダー
(天竜川・木曽川と水害)
資料リスト 天竜
川
・木曽
川
と水害 1 書名 著者名 出版社 出版年 千曲
川
・
犀
川
,天竜
川
木曽
川
三峰
川
三六災害 じゃぬけ 諏訪湖 大西山 遠山
川
通船 伊那谷の土石流と満水:三六災害,「天竜
川
上流河
川
事務所では、天竜
川
のより 良い
川
づくりを進めるにあたり、天竜
川
流域の災害・環境・歴史・,4 書名
川
筋の変遷 (語りつぐ天竜
川
):天竜と三峰
川
の場合 著者名 唐沢和雄/著,の変遷 5 書名 天竜
川
の災害年表(語りつぐ天竜
川
) 1/2 天竜
川
・木曽
川
と / 天竜
川
・木曽
川
と水害
安曇・筑摩両郡旧俗伝
([翻刻])
又水内乃橋下の岩山をも破リ開きて、千曲
川
ノ
川
筋ヲ越後国大海迄乗込しとナリ、是ニ依テ其所の,名ヲ乗(ノツ)タリト号ストカヤ、是ヨリ此所ニ於て
犀
乗沢ヨリ 下千曲
川
へ落合ふ所迄ヲ
犀
川
卜称ス、其後
犀
竜,所ニ住居して、子孫繁昌ス、年ヲ経テ白竜王・
犀
竜共ニ
川
会ニ来りて対面あり、白竜王乃曰、我ハ , (改頁) 日輪の精霊即ち大日如来の化身ナリとて
犀
竜卜共ニ今松
川
組一本 木村西乃山、仏崎卜云所乃岩穴,有んや、
犀
に乗水ミち付て透すなりひろき世界へいつる
犀
川
彼
犀
ヲ神ニ祝ひ、今ノ出
川
町乃辺ニアル
犀
口水
弘化丁未春三月廿四日信州大地震山頽川塞湛水之図
([翻刻])
弘化丁未春三月廿四日信州大地震山頽
川
塞湛水之図 / 偏ニ雖不可徴(チヤウ)ス、按ルニ六郡ヲ貫通スル巨河恐クハ
犀
千隈ノ 両流ニ過ズ[岐蘇・天竜,・大井・姫
川
等不及之]。,この地北は戸隠の峻嶮(けハしき)により、東南に
犀
川
を 帯ひ、西に境
川
あり、東に澣花(すゝハな)
川
あり,此地両山はなハだ狭り
犀
河の水たぎりて落、かの北涯(きし)の半腹(なかば)を うがちて酉(にし)より夘,いはゆる
川
中嶋四郡ハ、はじな、さらしな、 みぬち、たかゐなり。
パスファインダー
(江戸時代千曲川水害と上今井瀬直し工事)
信濃の巨流 千曲
川
建設省北陸地方建設局千曲
川
工事事務所 その他/編 財団法人河
川
情報センター 1993.2.24,千曲
川
・
犀
川
地名に見る
川
と人の営み 国土交通省千曲
川
河
川
事務所/企画 国土交通省千曲
川
河
川
事務所,2008.3.20 千曲
川
・
犀
川
流域の氾濫原および一部地域に限り、河岸段丘・扇状地 内容紹介 の,雑誌名 出版年 巻号頁数 1 サイト名 URL 概要 2 サイト名 URL 維新期における大河
川
治水工事一信州水内郡千曲
川
,千曲
川
河
川
事務所 既往洪水 http://www.hrr.mlit.go.jp/chikuma/index.html / 江戸時代千曲
川
水害と上今井瀬直し工事
弘化丁未春三月廿四日信州大地震山頽川塞湛水之図
([現代訳])
弘化丁未春三月廿四日信州大地震山頽
川
塞湛水之図 / [現代訳] 弘化4年(1847)春3月24日、信州の大地震で山が崩れて
川
をせき止め、水をたたえている,はっきりと証明はできませんが、6郡を貫通する大河といえば
犀
川
と千曲
川
だけでしょう。,この地は北に戸隠の険しい山々があり、南には
犀
川
が流れ、西に境
川
があり、東に裾花
川
があって、いわば島のようになっています,この地は両側の山がたいそう狭く迫っているので、
犀
川
の水が激しく流れ下っています。,いわゆる
川
中島4郡とは、埴科郡・更級郡・水内郡・高井郡のことです。
安曇・筑摩両郡旧俗伝
([現代訳])
、標高二二六八メートル)という大きな山の麓だったからその名がついた、有明山は、今(江戸時代中頃)の松
川
組,所の大きな岩を突き破り、 (改頁) また、水内(みのち)の橋下を突き破り、千曲
川
(,から千曲
川
へ合流する場所までを
犀
川
(さいがわ)という、その後、
犀
竜は白竜王を尋ね、坂木(さかき)の横吹,所に住んで、子孫は繁昌した、何年かたって白竜王と
犀
竜はともに
川
会に来て対面した、白竜王のいうことには、,、かんたんなことだ、
犀
に乗って水は広い世界へ流れ出ていった、この
犀
を神に祝い、今の出
川
町(いでがわまち
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(四ッ屋村)
/思沢/中道/遍屋/遍屋新田/中河原/大河原/下土手外/上土手外/上河原/上洞田/下洞田 山:
犀
沢山,
川
:
犀
川
/
犀
沢/大堤 渡・堰: 下堰/鯨沢堰/小山堰/峯島堰/手堰/洞田新堰 道路:
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(七貴村)
あずみのし) 明治初期:七貴村(ななきむら) 幕末から明治初期:中野郷村/鵜山村/上押野村/下押野村/塩
川
村,駒立/金山/七光沢/姥ヶ懐(うばがふところ)/白沢/会田分/八分平/入道幅/太師山 山: 中山
川
:,梓
川
/高瀬
川
/(堤塘)
犀
川
に沿う三か所/
犀
川
に沿う 渡・堰: 押野渡/荻原渡/信
犀
橋 道路:
パスファインダー
(昔の旅人)
江戸時代の旅人 善光寺道名所図会、木曽路名所 図会、木曽街道六十九次、道中続膝栗毛、方言修業金草鞋
犀
川
通船,を下る記」は、明治32年8月14日に、松本 から信州新町まで、
犀
川
を船で下るようすが描かれている。,/著 雑誌名 千曲 出版年 2017.11 巻号頁数 No164 2 論題名
犀
川
通船の沿革 著者名,adeac.jp/shinshu-chiiki/ 概要 「紀行文、道中記、地誌」に、浅井洌「
犀
川
,amp;moveToGamenId=tifs chcmpd&lang=ja 概要 「
犀
川
通船
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(安茂里村)
/城戸/観音前/差出/本堂/大門/小路/内河原/伊勢宮/西河原/南中御堂/北中御堂/園/住吉/宮平/
犀
沢山,山: 朝日山/安茂里山/小市山
川
:
犀
川
/裾花
川
/勝手沢北堤/勝手沢南堤/一号堤/二号堤/,久保寺堰/小柴見堰/小市堰/安茂里村渡 橋: 相生橋 道路: 長野より大町道 社:
犀
川
神社
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(高家村)
堰下/新町/西原/本郷/上出/中村/町村/寺林/堰上/本町/下中曽根/上真々部/中村/本郷/田中
川
:,梓
川
/
犀
川
/中萱渠/鳥羽渠/飯田渠/勘左衛門渠/十ヶ渠/飯田渠/熊倉渠/矢原渠/勘左衛門堤/十ヶ堤,渡・堰:
犀
川
渡 橋: 梓
川
橋 道路: 北国(ほっこく)脇往還/千国往来/飛州往還/長尾道,鶏/生糸/蚕種 民業男: 農/猟銃 民業女: 農/縫針/養蚕 その他特記ワード: 梓
川
原
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(若里村)
該当ページを見る キーワード 字地: 鉢ヶ久保/柳沢/蓮池/東沖/村合/村西/東吹上/池田/宮
川
沖,/大道西/大道東/吹上/
川
端/上河原/幅下/村前/起目/桑ノ木島/船渡島/升形島
川
:
犀
川
/裾花,の土堤/
犀
川
土堤 渡・堰: 計渇堰/土城堰/宮田堰/宮
川
堰/姫塚堰/糀屋堰/中堰/漆田堰/四ヶ郷堰
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(陸郷村)
くさおむら 『長野県町村誌』 3巻 p2808に掲載 該当ページを見る キーワード 山: 中山
川
:,
犀
川
/深見沢/寺沢/木沢/八代沢/牛沢/甲斐沢/五ヶ用水堰 渡・堰: 小泉渡/日岐渡/草尾渡,道路:
犀
川
岸往還/大町往来 社: 大穴社/大穴社/八幡社/諏訪社/神明社/日岐社/樹神社/三島神明社
地震後世俗語之種
(絵の解説)
2-57 「
犀
川
之湛水一時ニ押破リ、土砂・磐石・樹木民家ト共ニ押出シ、水煙リノ有様、
川
中嶋・小松原・,右の「丹波嶋駅」の北側は干上がった
犀
川
があって、綱を渡した丹波島の渡しがあります。,2-58 「
犀
川
洪水一時ニ押出シ、三災ノ苦難ニ逼(せま)リ、コヽニ命ヲ失フノ図」 原本は「
犀
川
洪水,」ではなく、「
犀
川
嵩水」になっています。,2-74 2-72に「
犀
川
の平水と村山村の高低を見競図畧」とあります。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(牛島村)
うしじまむら 『長野県町村誌』 1巻 p1416に掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 村南
川
田堺境,/村南土手外/村東中堰向/村東土手外/村東沖/村南沖/南組屋敷/北組屋敷/村北沖/村西沖/西向
川
原/中
川
原,/北向
川
原
川
: 千曲
川
/
犀
川
/保科沢
川
/赤野田沢
川
/村西堤/村東堤 渡・堰: 大豆島舟渡,道路: 高井郡保科村より長野町に達する里道/
川
田村、綿内村等より長野町に達する里道 社: 牛島神社
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(小森村)
p1317に掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 町裏/稗田/合戦場/金井田/福王寺/
川
越,/古
犀
川
/西原/居返
川
: 千曲
川
/
川
除石積 渡・堰: 西沢堰/東沢堰 道路: 松代より篠野井道,社: 伊勢社/諏訪社 寺: 龍登山真月寺 古跡・名勝: 経塚古城跡横田河原古戦場
川
中島古戦場福王寺跡
むしくら日記
(『むしくら日記』に登場する人物)
犀
川
を堰留めた大岩を、地雷火を仕掛けて破壊するよう献策した(亨)、地割れの中に転落した(利)など、興味深
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(竹房村)
p1259に掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 山ノ神/大門/原/坂之頭/塩本/八布施/大
川
/,邸 山: 西八布施山/中八布施山/東八布施山/袖山/中林山/向林山/稲場山
川
:
犀
川
道路
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(日高村)
上五十里/下五十里/一ノ瀬/栗林/松ノ木/百瀬/上長井/生板/芦沼/梨木/和沢 山: 秋葉山
川
:,
犀
川
/土尻
川
/栃木滝 橋: 土尻橋 道路: 長野より越後国糸魚
川
道/長野より大町道 社:
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(綱島村)
つなしまむら 『長野県町村誌』 1巻 p1399に掲載 該当ページを見る キーワード 字地:
川
井新田境,/狐巣/中土手添/梵天浦/小中島/大塚境/往来下
川
:
犀
川
/新田堰/石宮
川
除堤/中土手
川
除堤/梵天浦
川
除堤,/住居囲
川
除堤/広土
川
除堤/小中島
川
除堤 道路: 松代街道 社: 綱島社/綱島神社/皇大神社/
地震後世俗語之種
(絵の解説)
絵の解説 1-9 「従
犀
川
渡舟善光寺遠見之畧図」(
犀
川
渡舟より善光寺遠見の略図) 現在の丹波島橋付近,1-21
犀
川
の丹波島の渡しの船頭が、綱をたぐって舟を渡している絵です。,大地震によって岩倉山(虚空蔵山)が崩落し、
犀
川
を堰き止めている図です。,岩倉山は西(右)と東(左)の2方向に崩落し、2か所で
犀
川
を堰き止めました。,1-84 「
犀
川
筋小市渡船塲之辺急災除土堤御普請之図」
犀
川
の堰き止め箇所が決壊して大洪水になることを
寛保二戌年水害御届書
([翻刻])
先達申上候通、私在所信州 松代従去月廿七日雨降続同 廿九日夜中大風雨當朔日従 未之刻千曲
川
・,
犀
川
其外
川
々 満水千曲
川
定水ニ二丈五尺余 増水仕、城内并侍屋鋪・町家 損失之覚 一、本丸二丸三丸并居宅床上三尺
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(真島村)
該当ページを見る キーワード 字地: 蔵王/本道/中真島/本道/三匹山/鎌倉/社宮社/梵天/中
川
原,/高島/四ツ橋/伊勢宮/北村/前淵/水ノ宮/村東/堀之内/東方
川
:
犀
川
/千曲
川
/小山溝/鯨沢溝
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(生坂村)
関屋/木村/竹ノ本/上ノ平・南/須沼・原/本村木戸/雪根/込地/重ケ/入山/丸山 山: 榾山
川
:,
犀
川
/池沢
川
/麻績(おみ)
川
社: 平七社大神社/丸木七社大神社/五社大神社/神明大神社 寺
戸隠善光寺往来
(口絵)
口絵 冒頭に見開きで、「信州
川
中島舟渡之図」があります。,上下の図の間には、「舟渡しハ斎(
犀
)
川
といふ。水上ハ飛騨の国より出て、水上は梓
川
といふ。,筑广(摩)
川
と落合。,此所にてハ大河となり、舟の棹たゝす、綱にて向ふへわたる
川
なり」という説明が記されています。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(塩生村)
/麻庭/本郷/花上/花倉/栗林/鍋割/日方/栃窪/平林/平村/深沢/馬神/臥部 山: 富士嶺
川
:,
犀
川
/大原滝/不動滝 橋: 両郡橋 道路: 北国脇道大町街道 社: 水内鎮神社/八幡社,/石窟/両郡橋/富士嶺/地獄 物産1: 大麦/小麦/大豆/小豆/油種/藍葉/楮皮 物産2:
川
魚
松代まちあるきマップ
(31送経山西念寺)
その後、松城城主松平忠輝(徳
川
家康の六男)の時代に、同城代だった花井吉成が、中興開基となって寂れた同寺,吉成は、北国街道の改修、伝馬宿の設置をはじめ、裾花
川
の瀬直し、
川
中島平に
犀
川
から用水路を引くなど水田の
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(水内村)
/舞台/橋場/安用/本道/二丁田/切久保/穴平/牛沢/向山/寺尾/日影 山: 飯綱山/大峯山
川
:,
犀
川
道路: 糸魚
川
及び松本街道 社: 水内神社/伊勢社/瀬就社/熊野社/飯縄社/諏訪社,胡麻/大角豆/蘿蔔/蕪菁/胡蘿蔔/菜/甘薯/牛蒡/茄子/実綿/葉藍/麻/桑 物産2: 繭/蚕卵紙/
川
魚
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(山平林村)
大山/下荒上/柏山/西岩倉/丸山/茅場/袖山/新谷/樋尻/滝沢/下和田/上和田 山: 虚空蔵山
川
:,
犀
川
渡・堰: 涌池 道路: 隣村への道 社: 涌井神社/平林神社/伊勢社/秋葉社/宮平社
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(南穂高村)
田甫/四ツ家/水門原/花見(けみ)/原村/馬屋ノ尻(まやのしり)/本郷/蹴出/中花見(なかけみ)/高
川
原,荒起(あらおこし)/下田甫/瀞(とろ)/三竹原/東新屋/堰下/中新切/前原/町/番場/東村/田屋
川
:,
犀
川
/万水
川
/中曽根
川
/矢原堰/堀田口/粟田口/中花見 渡・堰: 光ノ渡 橋: 万水橋/中曽根
川
橋,道路: 北国(ほっこく)脇往還/
川
手道/松本通 社: 白狐神社/戸隠神社/青島神社 物産1,中牛馬稼・牛馬売買渡世 民業女: 木綿・足袋裏製/生糸製/養蚕 その他特記ワード: 原野(東
川
原
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(信岡村)
藤塚/千切/中尾/久保/宮之向/本町/下平/千原田/一ノ段/下町/中町/上町/西上町/常盤町/町裏/
川
咽,鹿島/鹿島立/宮ノ越/宮ノ越立/神田/穂刈/上平/上平立/大上手 山: 木賊山/五百山/小倉山
川
:,
犀
川
/小
川
/神田沖
川
除/町裏沖
川
除 渡・堰: 下市場渡し/淵頭渡し 道路: 長野道/東京街道
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(小松原村)
前平/山ノ神/城山/北池/高松/実山/四十二/獅子岩/裏山黒岩笹原裏山 山: 黒岩山/天照寺山
川
:,
犀
川
/
川
除石積 渡・堰: 上堰/下堰/鯨沢堰/悪水払堰 橋: 両郡橋 道路: 篠井往来
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