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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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秀吉と真田 (東西に分かれた真田父子)

豊臣家五奉行のうち、石田三成と浅野長政が抜けたあとの長束(なつか)正家・増田(ました)長盛・前田玄以の,花押)          増右(増田右衛門尉)長盛(花押)          徳善(前田徳善院) 玄以
秀吉と真田 (伏見城普請)

花押)          石治(石田治部少輔)三成(花押)          徳善(前田徳善院) 玄以
秀吉と真田 (三成ほか西軍諸将よりの書状)

檄文に名を連ねていた三人、長束正家・増田(ました)長盛・前田玄以については、長束は自殺したが、増田は家康,大坂の事、西の丸へ輝元(毛利)移られ、長大(長束正家)・徳善(前田玄以)・増右(増田長盛)丸々へ移り、,               増右(増田右衛門尉)長盛(花押)                徳善(前田徳善院) 玄以
秀吉と真田 (徳川秀忠軍の上田攻め)

真田宝物館蔵   慶長五年(一六〇〇)八月二十五日  「会津中納言」上杉景勝から宇喜多秀家・毛利輝元・前田玄以
義烈百人一首 ([翻刻])

住し宝泉院と号す、後、元和元年六月、病死せられしといふ、 (改頁) 97_秀次公 96_徳善院玄以法印,96_徳善院玄以法印(とくぜんゐんげんいほういん) 常にこそ 曇もいとへ 今宵ぞと 思ふは月の ,ひかりなりけり 【頭注】 玄以法印は尾州の産にて前田次良左衛門忠重の男也、織田家に仕へ七千石にて守役,太閤の時、五万石領し五奉行を兼、京都諸司代たり、初めて洛中順見の砌、東寺辺にて牛車道路に横たはれり、玄以立腹,強気の人也、牛をさへ切るヽうへは人も此人の気にいらぬことあらば、一言もいはず切らるべしと恐れければ、玄以牛一疋殺
贈答百人一首 ([本文、奥付])

風雅の人なり、 紹巴が名誉は人のしる事なれば抄せねど、又おかしく戯れし事も多し、ある時、前田徳善院玄以,の方へ参られければ、ひめもす馳走になり庭を詠め興じてゐしに玄以法印の仕ひける小姓とも種々物語りなどして
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