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善光寺道名所図会
(目録)
番所 大門町 朝日山 大岑山 熊野社 諏訪社 閻浮檀金 本尊如来出現 月葢長者説
百済
王説
パスファインダー
(草創期の善光寺)
るための ツール 1 書名 著者名 出版社 出版年 善光寺仏 善光寺の創建 善光寺信仰
百済
,(『国 内容紹介 史大辞典』より) 欽明天皇十三年(552) 「十三年、…同年壬申十月、
百済
明王、阿弥陀仏像長一尺五寸,2/3 草創期の善光寺 インターネット情報 新聞 5 論題名 善光寺のふるさと
百済
パスファインダー
(善光寺縁起)
善光寺の本尊が天竺・
百済
を 経て日本に渡来し、信濃の現在地に安置されるまでを語っている。,めのツール 1 書名 著者名 出版社 出版年 善光寺 長野市 元善光寺 天竺 インド
百済
弘化丁未春三月廿四日信州大地震山頽川塞湛水之図
([翻刻])
埋木ハ中むしばむといふめれバくめぢの橋ハ心してゆけ よみ人しらす] ○日本紀曰、推古天皇二十年自
百済
国有化来者,○古伝曰、推古帝二十年
百済
国皈化(オノヅカラクル)人[中畧如紀文]巧(タクミ)掛長橋。
善光寺道名所図会
(○水内 善光寺)
如来不可思議 の仏力ぞかし、本尊天竺国にまし/\て衆生を利益し給ふ、其年月五 百年の間なり、夫より
百済
国,に飛行給へり、是即月葢長者今は彼 国の大王と生れ給ふ所以なり、如来ハ
百済
国の禁闕に望み、空中に まし,の書翰を捧げ、其よしを奏す、則 (改頁) 叡聞に達しけれバ、御門諸臣を召れて、
百済
国,した まひける、かくて異国の使者に引出物を賜り、返書をあたへ、二僧を留め 御暇を給りけれバ、使者は
百済
国,金堂に移り給ふことなど生身の 仏躰ならずして争かかゝる竒特のあるべきや、仰ぐべし信ずべし、 如来
百済
国
パスファインダー
(親鸞聖人と善光寺)
他力本願 自力本願 親鸞松 堂照坊 笹字の名号 関山神社 阿弥陀三尊 善光寺聖 法隆寺 『親鸞伝絵』
百済
善光寺道名所図会
(○水内 善光寺)
その後は
百済
に飛んで行かれた。これは、月蓋長者が今はその国の大王として生まれておられるからである。,如来は
百済
の人々を教え導かれ、年月を重ねているうちに、1112年の歳月が流れた。,その間の
百済
の王は、およそ9代であったという。 さて、九代目の王を推明王と申し上げた。,次におまえは
百済
に生まれて聖明王と名乗ったので、私もその国に飛んで行ってそこに安置された。 ,『和漢三才図会』 欽明天皇13年、本尊の如来が
百済
から渡来した。しかしまだ信仰されなかった。
弘化丁未春三月廿四日信州大地震山頽川塞湛水之図
([現代訳])
「推古天皇20年、
百済
国から渡来した者がいる。その顔も体も白い斑である。,「推古天皇の20年、
百済
国の帰化人(中略)巧みに長橋を架けた。
パスファインダー
(善光寺平と渡来人)
百済
・高句麗・新羅 などの影響を受けた古墳群を紹介しながら、善光寺平は渡来人の聖地 であったことを知る
戸隠善光寺往来
([翻刻])
夫善 (改頁) 光寺之来由ハ、欽明 天皇十三年、本尊如 来従
百済
雖渡来、
戸隠善光寺往来
([現代訳])
そもそも善光寺の由来は、欽明天皇13年、本尊の阿弥陀如来が
百済
から渡来したが、あえて信仰しようとする者
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部
([現代訳])
月蓋代々生まれ変わってこの尊像を崇敬していたが、願を立てて転生し、
百済
の聖明大王に生まれた時、如来も同,じく
百済
国に飛んで来て、大極殿にお入りになった。,りを通りかかると、如来がたちまち水底より飛び出し、善光の背中に移って、「おまえの前身は、天竺では月蓋、
百済
,これは
百済
国から如来に付き従ってやって来て、常にお仕えしていた僧たちの子孫であるという。
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部
([翻刻])
月蓋代々生れ来て此尊像を敬し 奉りけるが、夲願を起して生を転じ、
百済
国聖明大王と生れしとき、, 如来も同じく
百済
国に飛来りて大極殿に入給ふ。,是
百済
国より如来に随ひ来て 常随給仕し給ひし僧達の子孫也とかや。
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