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戸隠善光寺往来
([翻刻])
其后
皇極天皇
元年、仍而仏勅水内 郡ニ建立有。本願は本 田善光。因茲為寺号。
戸隠善光寺往来
([現代訳])
推古天皇10年、伊那郡麻績里(おみのさと)宇沼村に寺を建てたのが始まりで、その後
皇極天皇
元年、仏のお告
パスファインダー
(草創期の善光寺)
「
皇極天皇
元年(642)壬寅、 …長老東人、水内の宅庇に此の仏を祭る。」等の記述あり。
善光寺道名所図会
(○水内 善光寺)
ばかりの供養をなし奉りける、 如来当国にて伊那郡に止住し給ふ事既に四十一年の間なり、 人皇三十六代
皇極天皇
元年壬寅,欽明天皇十三年本尊如来自百済国渡来、而未信、 推古天皇十年草創、建寺於伊奈郡麻績続里宇沼村、 而後
皇極天皇
元年依仏勅,三十三代在位五年] △推古天皇[三十四代在位三十六年] △舒明天皇[三十五代在位十三年] △
皇極天皇
善光寺道名所図会
(○水内 善光寺)
第36代
皇極天皇
元年壬寅(みずのえとら)の年(642年)になって、如来はお告げになった。,その後、如来の御堂の建立は、
皇極天皇
の願いとして、りっぱに造営がなされた。 ,その後
皇極天皇
元年に、仏のお告げにより水内郡に移して寺を建立した。
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部
([翻刻])
夲堂建立ハ人皇三十 六代
皇極天皇
の勅願也。開基ハ本多善光朝臣也。 ,而后人皇三十六代
皇極天皇
崩御有 て、悪趣に堕せんとし給ひしを、如来これを救ハせ給ひし事有。
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部
([現代訳])
本堂の建立は、人皇36代
皇極天皇
の勅願である。開基は本多善光朝臣である。 ,その後、人皇36代
皇極天皇
が崩御されて、地獄に落ちそうになった時に、如来がそれをお救いになったことがあった
地震後世俗語之種
([現代訳])
これは、「泣く泣くひとり行くと答えよ」(『善光寺縁起』にある、地獄に落ちる
皇極天皇
が詠んだという歌)ということでしょうか
地震後世俗語之種
([現代訳])
三国伝来の伝書(善光寺縁起)によると、人皇30代の欽明天皇の御代に初めて日本にお渡りになって、36代の
皇極天皇
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