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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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龍駕の跡 (1概要)

また、明治9年に一方的に通達された区域改正は、県庁の位置をめぐる地域住民間の対立問題を引き起こすことになった,明治9年に筑摩県と旧長野県が合体して成立した長野県の場合、北辺に長野町が県庁とされたため、県民のみならず,県官も不便を訴え、楢崎寛直権令は明治10年11月に県庁位置変更願いを出した。
分県之建白 (ひとつの長野県に)

このことが、のちに県庁の北偏を理由とする移庁・分県問題を激化させていくことになります。  ,ひとつの長野県に統合されて1年3か月後の10年11月に、長野県は、早くも「本国全地ノ中央」にちかい上田町に県庁,を移したいという県庁移転の伺いを出します。,松本出身の県会議員市川量造が、その翌年の13年7月5日、県会議長に「県庁移転ノ建議」を提出しました。
分県之建白 (信濃国から二つの県へ)

ところが、3年12月に、中野で騒動がおき、県庁をはじめ中野の町の多くが焼失してしまいます。,維新政府は、中野に県庁をおくことをやめ、4年6月22日には中野県は「長野県」と改称され、県庁は長野に設置,筑摩県の県庁は旧松本県庁(旧松本城二の丸御殿)とさだめられ、木曽福島宿に取締所、高山に支庁、東京に支庁,長野県の県庁は、それまでとおなじように水内郡長野村に置かれました。
パスファインダー (移庁・分県運動)

トピック(テーマ) 移庁・分県運動 ねらい 明治期から昭和戦後期にかけての長野県の県庁,びとの願いなど、移庁・分県運動の経過を 調べる キーワード 移庁 分県 県会 市川量造 県庁移転建議書, 県庁舎建築 やまびこ国体 概要を知るた めのツール 資料リスト 1 書名 著者名 出版社,1 書名 著者名 出版社 出版年 内容紹介 2 書名 著者名 出版社 出版年 信州南北戦争―県庁争奪,、百年の戦い― 中村勝実/著 櫟 1991 長野市と松本市が県庁をめぐって争った100年の歴史 『長野県謎解
信濃国村名尽 ([解説])

慶応四年(1868)八月二日、信濃国には県庁を伊那郡飯島に置いた伊那県が生まれました。,中野に県庁がおかれた中野県は、四年月二十二日に県庁を長野に移し長野県となりました。  ,さらに、明治四年十一月二十日には、東北信の各県が長野県となり県庁を長野に置き、中南信の各県と飛騨が筑摩県,となり県庁を松本に置きました。
伊那県布令書 ([解説])

伊那県の県庁は、伊那郡飯島の旧陣屋に置き、北小路俊昌を知事に任命しました。,この伺いが認められ、九月には中野県が成立し、県庁には旧中野代官所陣屋があてられました。,このあと、中野騒動が起き中野県庁が焼失、明治四年六月長野へ県庁が移され、旧長野県が誕生しました。  
分県之建白 (分県建白書の提出)

3人はここで人力車に乗って長野に向かい、21日には県庁で知事から請願書についての添書を得て上京しました,第3として、県庁のある長野が北に寄りすぎているということをあげ、第4に、県庁に近い者は利益をうけ、遠い,このあとも、県庁を移すという移庁運動、それがだめなら分県運動と、中南信の人びとを中心とする運動が続きます
パスファインダー (中野県分県と長野県誕生)

明治3年9月に伊那県から分県して成立した中野県は、9か月後の明治 4年6月に長野村善光寺町に県庁移転,信毎書籍印刷 198110.31 長野県 自明治4年 至同9年 の項に、中野県移転願いから長野県庁建,発行機関 年月日 信濃国から長野県へ 信濃毎日新聞 朝刊13ページ 2017.7.5 「中野県庁,」通達文書 発見 信濃毎日新聞 朝刊23ページ 1994.2.9 中野陣屋 県庁記念館 かつての中の県
分県之建白 (分県の建白)

それ以来、長い歳月がたち、季節が移り変わっても、松本の県庁が廃されたことは、寝ていても何度も夢にまででてきて,さらにまた、県庁の位置は、北部の上水内郡長野町にあります。,それならば県庁を中央の場所に移さないのでしょうか。これは言うべきことですが実現できません。,いっぽうの県庁から遠い地域にいて、他方の遠隔の地域を治めようとすることは、たとえ公明の理事者がいて完璧,このように、県庁に近い人は、その恩恵を受けやすく、県庁から遠い人は、薫陶や監督、保護の機会にあいにくく
木曾山林学校 (西澤教論告別式(こくべつしき:ここでは送別の式のこと))

西澤教論告別式(こくべつしき:ここでは送別の式のこと) 6 本校西澤教諭(注54)は長野県庁へ御栄転
パスファインダー (長野県の誕生)

キーワード 信濃国 伊那県 中野県 松代県 上田県 松本県 飯田県 筑摩県 分権 論 移庁論 県庁火災,明治期の早い段階では松 代や上田も県庁として考えられた経過も述べている。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (腰村)

農/商/水車営業/工/雑業 民業女: 農/紡績織紝 その他特記ワード: 石山郷路/塩沢冷泉/県庁
龍駕の跡 (はじめに)

「6大巡行で天皇は政府中枢の高官等とともに地方を廻り、府・県庁で府・県治報告を受け、学校・産業施設・軍事施設等
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (小島村)

橋: 押堀橋(おしぼりばし)/八木沢橋(やぎさわばし)/宮川橋(みやがわばし) 道路: 長野県庁
分県之建白 (分県之建白[全文])

猶斯ノ如キノ傾キ アリ、一般人民ノ趨勢推シテ知ルヘシ、是レ分県 ヲ請フノ理由第二也、 且夫レ長野県庁,ヲ隔ツル殆ント五十里余ニ及 フ、蓋シ斯ノ如キノ差アルモノ各県未タ其例ヲ見 ス、故ニ南部人民ヲシテ県庁,ノ法律ヲ施スト雖モ、其治蹟ニ 多少ノ精粗ヲ来スハ免ル可カラサルノ数也、夫 レ斯ノ如クナルヲ以テ、県庁
パスファインダー (筑摩県と「夜明け前」)

雑誌 インターネット情報 2 書名 著者名 出版社 出版年 伊那県時代:飯島陣屋から伊那県庁
パスファインダー (長野空襲)

(テーマ) 長野空襲 ねらい 昭和20年(1945)8月13日の長野空襲は、全国の県庁所在地
善光寺独案内 ([現代訳])

これを行くと長野県庁の前に至る。   信濃毎日新聞社  旭町にある。  ,若松町  大門町より長野県庁への本道である。  ,旭町  県庁前より下る町である。これを行くと駅に至る。  ,長野県庁  左側にある。     長野県尋学師範学校  県庁の西にある。  ,長野県庁  左にある。   上水内郡役所  右側にある。
パスファインダー (信越を結ぶ谷街道)

2003.8.27 谷街道のよさ再認識 信濃毎日新聞 朝刊16ページ 2007.7.19 中野陣屋 県庁記念館
『説諭要略』巻一 ([解説])

松本城内の筑摩県庁が開庁したのは五年一月十三日のことであった。
善光寺独案内 ([翻刻])

県庁よりステーシヨンヘ通ス町。 犀北館 県町にあり。,是を  行ハ長野県庁の前にいたる。 信濃毎日新聞社旭町にあり。,○旭町 県庁前より下ル町なり。     是を行ハステーシヨンにいたる。,長野県庁 左り側にあり      (改頁)      11   長野県尋常師範学校 県庁の  ,長野県庁 左りにあり。 上水内郡役所 右側にあり。 ○西長野町 立町よりつゞく。
パスファインダー (長野市中央通り(善光寺表参道)の移り変わり)

そうした地域の変化を調べ、県庁所在地長野市や善光寺の歴 史への理解も深める。
龍駕の跡 (龍駕(りょうが 天子の車)の跡(注一))

[此印鑑は宮内省より県庁に下し県庁より必要ある者に下したるものなり]玉座の御備付は総て御持越(持参)品,県庁ニテ拝シタル御写      7 真顔色大ニ異リテ、御色殊ニ白クイトモ/\美麗(びれい)ニ見エ給ヒキ,19  第一 県庁、第二 博物場御通覽、第三 製糸場御通覽、第四 師範学校、第五 松本裁判所長野支庁,聖上(天皇のこと)には県庁御出門有りて、直に勧業場に御著輦(ちゃくれん)、陳列品を御通覽在らせ給へり。,明治十年、長野県の管轄地域の広大さと、県庁所在地の長野の偏在を理由として、県庁の上田への移庁伺を内務省
信濃名勝詞林 (陸路廼記)

午前十時に県庁に臨ませたまへり。県令楢崎寛直(ならさきひろなお)。祝詞を奏し。,其県庁は庁を両所にかまへて。第一の正庁を御休ひ所となし。
木曾山林学校 ([注記])

2年1ヶ月在職した後、長野県庁林務課に転勤、大正3年(1914)10月再度同校へ転勤してきた。
『説諭要略』巻一 ([ルビ・注記])

県庁  其法ヲ以テ。速ニ指揮ヲ下シ。又二銭ヲ以テ。逓送(ていそう)(注5)スル  ナリ。,米ハ金ニ  替テ県庁に出シ。,加ルニ是マテ県庁ニアリシ  金員。三万八千七百円アリ。是ヲ勧業社資本ノタメ。,カクマテ県庁  ニ於テモ焦心(しょうしん)(注11)苦思シテ。民ノ救助ヲ起スナリ。,ユレニ依テ県庁厚キ御世話  アリタリト聞。今般権令様。御廻村ニテ。
(株)第十九銀行と諏訪製糸業 ([ルビ・注記])

長野市は 善光寺の大伽籃を有し、且長野県廰の所在地たり。    
「上田郷友会月報」記念号中「既往八十年」 ([ルビ・注記])

あとは上田の昔話しなぞで此(こ)の 夜は終った、翌日は狭い長野ではあるが、善光寺、師範学 校(注7)県庁等
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