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俳諧二重染
(俳諧二重染跋)
予
眼
衰ヘ筆老ヒタリト雖ヘドモ、敢テ之ヲ拒マズ。,私は
眼
が衰ヘて筆が老いからびたと言っても、あえて拒絶しなかった。,老
眼
鏡をあつらえ、まばらな鬚をたばねて、ものの形を明らかにし、その容姿を明朗にして、それによって描いた,
眼
鏡。 鼠鬚……………まばらでまとまらない鬚。 色艶……………容貌や雰囲気。
松代まちあるきマップ
(19白鳥山證蓮寺)
真宗大谷派 本尊 阿弥陀如来(伝慈円作) 證蓮寺は、親鸞聖人の高弟・西仏坊覚明の子、康楽寺二世の法
眼
淨賀,その子・證蓮寺開基の法
眼
淨賀は、東本願寺蔵「聖人御絵伝」の原絵師。
松代まちあるきマップ
(45照光山乾徳寺)
の宝篋印塔、同家箏曲八橋流(市指定無形文化財)再興の祖・真田志んの墓、魚藍観音菩薩(六代幸弘の生母慈
眼
院,乾徳院(信弘)照光院(信守)天眞院(幸弘)慈
眼
院(幸弘生母)等の位牌も安置されている。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(栗田村)
学校: 励精学校 古跡・名勝: 行人塚/悪源太義平の墓/堀之内城墟/栗田寺跡/観音寺跡/慈
眼
菴跡
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(住良木村)
松本街道 社: 神明社/金刀比羅社/戸隠社/三島社/白山社 寺: 常源寺 古跡・名勝: 竜
眼
山清光寺址
白雄自筆 安永五年如月七日 草稿
([逸題歌仙])
りも春のしるしなるかや 五(改頁) 13 ニ 涅槃会の仏供(ぶっく)小桶にしらけツゝ 雄落て
眼
鏡
信州善光寺御堂額之写
([現代訳])
(絵)「奉掛瑞広前 長い間の
眼
病で、いつしか盲目になりましたが、如来のご利益で両目が明き、嬉しく,中仙道追分宿 甲州屋次郎右衛門」 中仙道追分宿の甲州屋次郎右衛門は、長いこと
眼
病を患い、盲目になってしまったので,(絵)「下総国海上郡銚子岡野台 梁天」 下総国銚子岡野台の梁天は、
眼
病で両目が見えなくなったため,宮下笹右衛門」 (杖の絵)「尾州中島郡おくた村 楊梅」 (杖の絵)「10年の間の
眼
病
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(富県村)
/社宮司社/若宮八幡社/姫宮社/山神社/天伯社 寺: 真常寺/宝勝寺/華林寺/観浄寺/東光寺/慈
眼
寺
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(八満村)
小諸往還/上州支道/岩村田道 社: 諏訪社/八満弓神社/駒形社/石神社/浅間社 寺: 法隆山正
眼
院
善光寺独案内
(『善光寺独案内』の広告)
現在も善光寺境内の「親鸞聖人爪彫の阿弥陀如来」のほこらは、
眼
病の平癒を祈願する人が絶えません。
木曾山林学校
(堤夕月君へ)
眼
下に展(ひら)けた町の家並を眺めて、あんなに町は平静に見えて居るけれ共、あの一つ一つの家のなかには人間,観楓(かんふう:もみじを見て楽しむこと)、焼鳥(注36)と云ふこの谷にふさはしい秋の楽しみももう
眼
の前
善光寺道名所図会
(○筑摩 麻績)
六町程相対して巷をなす、其余町裏に散在す、稲荷山宿へ三里、 此間猿ケ馬場といふ峠あり、 宿の入口左側に仏
眼
山法善寺
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(滋野村)
多古驛旧跡/柴生田氏城跡/力士雷電碑/大石氏城跡/陣馬/祢津氏城跡/川窪氏邸跡/山伏塚/御館殿墓/能救山慈
眼
寺廃寺
信州善光寺御堂額之写
([翻刻])
なか/\
眼
病にて ついもうもくとなり、 如来の御利やくにて 両かんひらき、うれしく、 あまり, 「下総国海上郡 銚子岡野台 梁天 辰八月二日」 下ふさのくにてうしをかのだい梁天、
眼
,図」 (上段) 「尾州中島郡おくた村 揚梅」 (下段) 「拾ヶ年の間
眼
病
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(八幡村)
薬師社 寺: 藤塚/旗塚/糠塚/半官塚/八幡山大雲寺/仙福寺/栂林山青松寺/法城山高円寺/恵日山開
眼
寺
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(里山辺村)
古跡・名勝: 小笠原秀政・忠脩墓/林城址/兎田(うさぎだ)旧址/小森殿・塚田/湯原ノ碑/兎川寺址/慈
眼
(
木曾山林学校
(シユリツヒ氏森林学抄訳 『第14号つづき』)
勿論(もちろん)一国が森林の間接効能を主
眼
として森林を仕立つることを勧誘するや否やを考ふるに気候と地勢,(1)国家或は国王(2)組合(3)個人 森林には歳入及職業の供給を主
眼
として間接の効果を必要となさざる
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(小泉村)
ノ木/中町/舞台/万年堂/腰巻/下ノ原/上ノ原/上ノ山/横山/坂ノ上/箕ノ輪/泉池/山崎/池下/地ノ
眼
/
俳諧あやめぐさ
([翻刻])
毛 繕いて作るもよしやふくべ垣 〔利根川の玉句より四句続て鄙めきし躰にてハ残念〕 櫛の歯挽か
眼
鏡古,よめ)まツ門の松明(まつ)明り(印②) 帯 〔これ迄四句鄙めきたれど〕 富士も築(ママ)波も
眼
の
上田郷友会月報 第壱号
(2 われらが国を引っ張っていこうという気概の籠った「緒言」)
眼
を世界に転じると、日本は東洋一の孤立国になっている。
地震後世俗語之種
([翻刻])
戊申晩春折節
眼
病に脳むこと既に半月、
眼
鏡 (改頁) 5 ,銚子口に至りて水勢ば つと開く時は、大難の心痛
眼
前たり。,此時 の鳴動四・五里の間に響き渡りし事、是
眼
前 たり。,已に二十 日に及で渺々茫々たる事、湖水にして諸人
眼
を驚かすはかりなり。,折節
眼
病ニ痛ク悩ミテアリケレハ 此絵図ニ力ヲ得テ、幸ニ水災ノ図画ヲ爰ニ省畧ス。
木曾山林学校
(14.生徒心得綱領)
上下の分を明にし秩序を正し、中心より恭敬の実を表するを要す 一、普通礼は先つ直立の姿勢を取り、先方の
眼
に,近づかしむるを度(ど:物事の基準・標準とすべきもの)とす 一、最敬礼は先づ直立の姿勢を取り、先方の
眼
に
木曾山林学校
(◎我が国人の天性植物を愛する志想に富む事を述ぶ)
禿山連亘(れんこう:つながって長く続いていること)し、生産収利は日に減じつゝありし勢なりしも、政府は茲に着
眼
せられ
明治3年歎願書
([翻刻])
慥成引当之地所受取之證人立入罷存候間、尋常之 年柄ニ御座候へ者、右躰之義可奉申上御儀ニ無御座候得共、真実 私始過分之損失仕候事
眼
前
木曾山林学校
(権現滝の春)
迂回する事数回、大平山演習林の尽くる所一橋を渡れば権現滝は忽然として
眼
前にあり。
信濃名勝詞林
(犀川を下る)
舟行愈々(いよいよ)遄(はや)くして山色愈々(いよいよ)妙なり峯白く水淸く時々刻々に變り行く両岸の勝景は錦
眼
鏡,セルロイドの小片と三角に組んだ鏡を入れて、端の小さい穴からのぞくと、模様が種々に変化して見える仕組みののぞき
眼
鏡
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(刈谷原村)
他特記ワード: (森林)竹ノ地林/鷹巣峯林/高萩林/秋葉山林/入洞林/矢室林/向山林/日影山林/慈
眼
寺林
善光寺道名所図会
(○筑摩 麻績)
宿の入口の左側に仏
眼
山法善寺(曹洞派、寺領8石)の黒門の脇に庚申の祠反古塚などがあります。
木曾山林学校
(木曽の五木と害虫)
木曽で私の
眼
に触れたもの丈でも尠なくはない。其中の2、3は本『林友』に記した通りである。
木曾山林学校
(実習便り)
断崖絶壁に立つて黒川の清流を
眼
下に眺め、駒ヶ岳(注60)の白峰を天空に仰ぎて、ヨイショヨイショの掛声勇
木曾山林学校
(◎実験談)
は其効が少ないのみならず、却(かえっ)て蚊に食はれて苦しいよりも煙の為めに苦めらるゝ事が多く、為めに
眼
病或
桜田門外之変速報
([解説])
より質の良い生糸、と同時に相場を見る
眼
が大切だったのです。
善光寺独案内
([翻刻])
左りの方にハ 如意輪観世音菩薩 法道仙人 の開
眼
なり。 ,雲切めぐすり 伊勢町
眼
界堂笠原十兵衛氏製。 動物標本廛 西町東側、若松町角福島氏製造。,入歯 徳武金太郎 ――― 上後町 印舗 潤光堂 久保田照華 ――― 雲切目薬
眼
病一切,長野市伊勢町 本舗
眼
界堂 笠原十兵衛 附言、請売御望ノ方ハ御申込アレ。,一名善光寺のめぐすり (商標) 雲切光明香 貝入 金二銭 瓶入 金五銭 本剤が如何に
眼
の
上田郷友会月報 第壱号
([翻刻])
器ハ愈々(いよいよ)利ナ リ嗚呼(ああ)此ノ間ニ身ヲ処シ邦ヲ保ッハ亦(また)容易ノ業ニ非ラサルナリ
眼
ヲ
明治3年歎願書
([現代訳])
でしたらこのようなお願いを申し上げることはありませんが、私をはじめとし、大きな損失を受けている事態が
眼
前
信濃名勝詞林
(更科紀行)
步行(かち)より行ものさへ、
眼
くるめき、魂しほみて、足定まらざりけるに、彼の連たる奴僕、いとも恐る〻氣色見
小学理科生徒筆記代用
([解説])
自然界に於ける生活共同体としての考察より、動植物其他の自然物を説明」(生物)し、「自然力の征服及利用に着
眼
し
木曾山林学校
(科学文明と信仰)
時々刻々と発明発明を産んで、はては種々雑多の機械がうづ高く積み上げられ、人をして驚歎の
眼
をみはらしめるのである
扶桑之蚕6巻
([解説])
明治27年(1894)の上田新参町には、
眼
科医院や弁護士事務所、その現在地を知りたくなる。
「上田郷友会月報」記念号中「既往八十年」
([解説])
「六日は一日見物に費やし、先づ(まず)海を見たり、汽車にも乗て見んものと、朝早く大略の道順を聞いて、
眼
鏡橋
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部
([翻刻])
はやく上洛せよ」との霊夢に 驚き、覚めて尊像を拝し奉れば、遍身に汗を流し、連
眼
より御 涙を流させ,今におひて尊像の連
眼
に落涙の痕在しける。 〇聖人御真像[御自作也。,く消しかば、彦四郎辛き命を助かりし も、ひとへに名号の御利益なるべしと、いよ/\信仰肝に徹し、今
眼
下,〇御伝絵四巻[御伝ハ覚如上人の御筆、絵ハ康楽寺二代目浄賀法
眼
筆。]
地震後世俗語之種
([翻刻])
かゝる 盛衰を
眼
前に見る事を思ひ徒に筆を 採て気欝を紙上にさらして累代のなくさみ に残すのみなり,り 一身爰に滅亡するとも、妻子ハ纔に山門を 隔りて出店梅笑堂にありて、おなし苦患に 悲歎する事
眼
前,時節なるかな、悪風悪火なる哉、火気 盛んになりて、本願上人様御院内・中衆・妻戸を
眼
たたく間に焼失,満足栄花を
眼
たゝくま (改頁) 85 にくつがへし、,明行寺大門先まて焼下る事、
眼
たゝく間にして左右へ吹かけ、また下た町へ焼下 るといへとも、逃去りし
天保飢愁
([翻刻])
来るへきもはかりかたけれハ、随分ニ心を 用ひ、其貯致度ものなり、此かなしみを
眼
前
木曾山林学校
(生きるといふ事)
多くの人々は傷き損ねられた心を持って、たった一つのものを血
眼
になって探して居る。
上田案内
([解説])
このほかに内科・外科・小児科・婦人科・
眼
科の医院が各所に散在していたとある。
俳諧二重染
(四季時候順)
の首尾 露月 つくづくみればすりこ木の眉 青峨 剃髪の祝儀とは誰か言そめし 財峨 竜
眼
聞
木曾山林学校
(◎林業の方面より観察したる森林教育)
の道すら充分着手するの場合に立至らざりしを以(もっ)て、森林教育のことなどに至りては近年迄(ま)で着
眼
されなかつたのである,先年我国有林に於ては特別経営の事業に着手されたが、それと前後して各府県に於ても此公有林・民有林の営林保護に着
眼
し
養蚕往来
([翻刻])
(改頁) 14 神こそ養蚕なれ あらゆるひとのたすけなりせば
眼
のまへの
はなの
(冬部)
れて花むなし 葱 ねぎの香を酒のからミにワすれ鳬 牧田ナカ 雲頂 鷹 山風にするどきたかの
眼
かな
贈答百人一首
([本文、奥付])
、頓阿、浄弁、慶運を和歌の四天王といふ、古人戒の詞に万事皆少しの所より障あり、慎み恐るへし、指一本、
眼
にあつれば, 慶運 抑(そもそも)仏法に入、生死を離んと思ふ心は、是何ものぞ、只此心の源をかへし見るべし、
眼
に,にして閑静をたのします、天下に事ありてその才力を逞するをよろこぶ、安居して礼を守らんと思ふ時なりとも、
眼
前,の居宅に月を見て うち出る 月は世界の てつほうず 玉のやうにて 雲をつんぬく 延享元年極月、法
眼
に,華厳、一部の法華了艮(れうこん)の卦(け)をもちゆるにしかず、只無欲は背中に止まると云、人の身うち耳
眼
鼻口
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