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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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浅間山 (第五編 浅間山の地質及び岩石)

浅間山 / 第五編 浅間山の地質及び岩石 第一章 浅間山四圍の地  浅間山の北東には榛名山・赤城山、東南には妙義山,・荒船山及び秩父の山々、南には八ヶ岳・蓼科山が連なり、佐久平を千曲川が流れていることなどが書かれています,裾野には碓氷山・平尾山など、西は湯の丸岳・烏帽子岳などに連なるとあります。  ,第二章 全山の地質及び岩石(上)  信越線小諸停車場で下車すると、その付近は火山灰土の地質から成り、,・建築用石材 ・焼石 ・浮石 ・火山灰土 ・硫黄 ・硫黄泉 ・酸化鉄の用途がそれぞれ書かれています。 / 第五編 浅間山の地質及び岩石
松代まちあるきマップ (41龍潭山明徳寺)

41龍潭山明徳寺 松代案内   41   ,;龍潭山明徳寺 明徳寺 明徳寺 明徳寺 写真をクリックすると、フルサイズの画像が表示されます,龍潭山明徳寺(りゅうたんざん めいとくじ) 宗派 曹洞宗 本尊 釈迦牟尼如来 由緒,曹洞宗として再興開山は明応十年(一五〇一)。,参道左手に太平洋戦争で玉砕した硫黄島軍の司令官栗林忠道と日中和平工作に奔走した今井武夫の顕彰平和宣誓碑 / 41龍潭山明徳寺
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (中山村)

中山村 地域 北信 市町村名 現在(令和2年):高山村(たかやまむら) 明治初期:中山村(なかやまむら,不動山(ふどうやま)/滝ノ入山(たきのいりやま)/矢崎山(やざきやま)/枡形城山(ますがたじょうやま,)/山王山(さんのうやま)/臼平山(うすだいらやま)/平塩山(ひらしおやま)/便六山(べんろくやま)/,桑山(くわやま)/竪壁山(たてかべやま)/中ノ倉山(なかのくらやま)/横手山(よこてやま)/満山(みつるやま,しゅうしんがっこう) 古跡・名勝: 枡形城墟(ますがたじょうあと)/滝ノ入城墟(たきのいりじょうあと)/硫黄山 / 中山村
浅間山 (第三編 浅間山変異記)

浅間山 / 第三編 浅間山変異記 この編は『浅間山』の中核部分であり、本書のなかで最も多い一七〇余ページにもわたる,本書の記述内容に入る前に、浅間山の火山活動について概観しましょう。  ,現在も活発な火山活動を続けている浅間山は、中央の前掛山、西の黒斑山、東の仏岩山と呼ばれている三層の成層火山,火山活動は黒斑(くろふ)山からはじまったとされ、それは今から約九万年のことといわれます。,異変を記したものであろうとし、煙が立ち上り硫黄の気があり、坑中に硫黄が満ち・・・と続けています。 / 第三編 浅間山変異記
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (奥山田村)

奥山田村 地域 北信 市町村名 現在(令和2年):高山村(たかやまむら) 明治初期:奥山田村,横手山(よこてやま)/池ノ塔山(いけのとうやま)/乳山/白根山(しらねさん)/満山(まんざん)/黒湯山,(くろゆやま)/老ノ倉山(ろうのくらやま)/八滝山(やたきやま)/木曽ノ城山(きそのじょうやま)/笹嶽山,(ささだけやま)/立壁山/桑山(くわやま)/鳥屋山(とややま)/山彦岩(こだまやま)/中ノ倉(なかのくら,しんたん) 民業女: 農桑(のうそう)/養蚕(ようさん)/縫織(ほうしょく) その他特記ワード: 硫黄山 / 奥山田村
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (王滝村)

淀地/長トロ/三沢/中越/上島/大又/溝口/幕島/鈴ヶ沢/野口/松原/池ノ越/瀬戸/柳ケ瀬/滝越し 山:,御嶽山/三笠山/鯎(うぐい)川山/瀬戸川山 川: 御嶽川/二子持溝/清滝/新滝/樽沢滝/大樽滝,: 杣/木挽/大工/桶師/石工/商/農 民業女: 縫織/養蚕/農業 その他特記ワード: 春山/,角橋/赤ソレ/荻野/細野/樽沢/正ノ森/蛇尾/大原/溝口/鈴ヶ沢/滝越し/上黒沢/柳ケ瀬/吉蔵谷/硫黄山
浅間山大焼け以来難儀につき見分願い ([翻刻])

浅間山大焼け以来難儀につき見分願い / 入候得共、此節 □(漸)穂出かゝり、穂の色紫ニ相成罷有候、此義者 □(決)而用立申間敷奉存候、 浅間山之儀,時より □八日朝迄之内焼出シ候、烟南之方へ吹返シ雨ニ交り □(石)砂降り申候処、打続大風雨ニ而、硫黄之毒,米穀金銭借出し□□も、最早只今より □通用ニ相見へ、此節大小之百姓甚難義之儀共 有之候、 浅間山大焼之節,相掛り候、是等之儀□□今ニ罷成候ハヽ者〔(衍)者〕 百姓痛ニ相成、此節之難儀と罷成候、 □(浅)間山大焼以来
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (藤沢村)

片倉・守屋嶽諸山/御堂垣外東諸山/水上諸山/水上高ノトヲ諸山/荒町・堂ケ入・小仏沢・細尾諸山/北原諸山,/臺・鉢伏諸山 川: 藤沢川/片倉堤/浅間の滝 橋: 片倉橋/薬師堂橋/御堂垣外橋/水上橋/台,・北原合橋 道路: 伊那街道支道 社: 守屋社/社宮司社/山王社/権現山神社/山神社/諏訪社/,天王社/富士浅間正一稲荷社/宮前正一稲荷社/神明社/硫黄沢社/熊野社/金刀比羅社/正八幡社/貴船社/貴公神,/権現山神上知森/山神上知森/諏訪上知森/天狗上知森/貴船上知森/萩ノ尾治右衛門林 明治初期の村絵図
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (三岳村)

屋敷野/羽入/荻ノ島/大洞/上垂/牧/西洞/東股/枠本/中切/野口/三ツ屋/合戸/下殿/田中/栩(う)山/,藪原/和田/黒瀬/大島/小島 山: 御嶽山 川: 西野川/黒沢川/堤防/堤防/堤防/堤防/堤防,池/御嶽山三ノ池/栩山溜池/合渡溜池/水口沢溜池/万渡洞溜池 橋: 常磐橋/本社橋/赤岩洲橋 道路,/筍/蕈/桃/栗/梨/柿/檎/梅/李/胡桃/桑/百草 物産2: 馬/猪/鹿/熊/狐/狸/兎/雉/山鳥,瀬戸の原より黒瀬迄/鹿ノ瀬より黒瀬迄/福島村境川合峠尾通りより鳥尾モレ迄・王滝村境沢渡峠より越立峠迄/硫黄山
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (平村)

/犬ノ久保/鹿島/黒沢/木崎/追分/東田/原田/川端/梁場/森/千国道/西木戸/原小根/西原/北原/山下,道下/道上/梁場/川ノ入/宮ノ前/押出/柳川/恵比寿間/加蔵新田/糀原/本村/藪沢/棚口/和地場 山:,野口山/鹿島山 川: 高瀬川/籠川/鹿島川/不動滝 渡・堰: 青木湖/中綱湖/盛湖 道路,: 北国脇往還 社: 大神宮/金山神社/稲尾社/安部社/諏訪社/諏訪社/水神社/水神社/神明宮,水晶山・硫黄山/(温泉)葛湯 明治初期の村絵図・地図(県立歴史館所蔵) 平村全図 史料ID:10
浅間山大焼け以来難儀につき見分願い ([現代訳])

浅間山大焼け以来難儀につき見分願い / 浅間山の大噴火による砂石が村々の用水路を埋め、用水路が大破したところが数カ所ある。,浅間山はいまだに噴火が止まない。,その後の大風雨によって、硫黄の毒が植物に染みこんだのか、畑作物がすべて白く枯れ、痛んだ。,浅間山が大噴火したとき、麓の村々の人々は村を捨てて逃げ出し、岩村田藩領内の村々へ多数入り込んできた。,浅間山の大噴火以来、いまだに噴火が終わっていない。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (米子村)

(こなぶり)/老ノ久保(おいのくぼ)/硯原(すずりはら)/海倉(うみぐら)/芦ノ沢(あしのさわ) 山:,四阿山(あずまやさん)/根小岳(ねこだけ)/米子岳(よなごだけ)/峯山(みねやま) 川: 米子川,農(のう)/薪炭(しんたん) 民業女: 農(のう)/縫織(ほうしょく) その他特記ワード: 硫黄山
パスファインダー (松本・上高地の文学(2))

深田久弥 雨飾山 冠松次郎 中里介山 美ヶ原 尾崎喜八 槍ヶ岳開山 新田次郎 氷壁 井上靖 河童 槍ヶ,秋の山 石 川欣一著. 赤岳より硫黄岳への尾根 馬場忠三郎著. 雨飾山 冠松次郎 著., (ヤマケイ文庫):紀行とエッセーで読む 山と渓谷社/編 山と渓谷社 2017.3 作家たちは山,渓谷社 出版年 2019.6 数多くの登山家や文学者に愛された上高地。,「小梨の花咲く上高地」「日 内容紹介 本アルプスの登山と探検(抄)」など、紀行・エッセーの名作と登山史
浅間焼覚帳 ([翻刻])

 癸卯ノ五月廿四日 与良与兵衛  」   (本文)      2  天明三癸五月廿四日より浅間山焼始, 近付方江参り、しはらく外へ迯いきて折(居カ)申候、上州  万座湯江浅間七月八日焼ぬけ、ゆおう(硫黄,)山へ     (改頁)    焼付、ゆおう山江焼、とね川江焼くすれ、水かさ,へ参り、上田罷出へく  と存出候所ニ、伊勢山村役人川保(川久保カ)河原へ相つめ  罷出、四、五人打,ころし申候、其内ニ上田御     (改頁)    上様より被聞及、伊勢山村御
浅間焼覚帳 ([現代訳])

[現代訳] 天明三年五月二四日から浅間山が噴火を始め、七月二日からは大噴火となった。,七月八日の浅間山の噴火が上州万座温泉へも影響し、硫黄山が焼け、利根川へ焼け崩れた。,浅間山が噴火してから、穀物の値段が上がった。,騒動勢はそこから下り、伊勢山村へ行き、上田町へ行こうとしたが、伊勢山村の役人が川久保河原で待ち受け、四,ところが浅間山が噴火したため、途中で逗留した。
信州浅間焼之事 ([現代訳])

五尋・七尋の火石が飛び出るのと同様に、硫黄が流れ出して泥を押し出し、山河草木がそのままの状態で流れた。,今回、浅間山が噴火してしばらくの間、碓氷峠が通れなくなった。,これは山津波が急に押し出したからだという。  ,どのような山でも、山全体が噴火によって吹き飛ぶようなことはないだろうと思うが、今回降った浅間山の石砂を,集めると、浅間山より高くなるのではないかと思われる。
信州浅間焼之事 ([翻刻])

のさわりなれバとて   (改頁)   かきあつめたれバ、門々に時ならぬ雪の山作,山はいよ/\なりどよミしんどうし、いた     (改頁)      9   戸ふすまはひゞき通,五尋七尋の火石飛ひ出るとひとしく、 硫黄流いでゝ泥おしいだし、山河草木其まゝ にとうようして流行。,こは山つなミといふもの俄に押出たるなり とかや。,いかなる山なりとも底をつくしてやけ ぬらむとおもふに、此程ふりつみたる石砂 を集めば、浅間山よりたかゝるべきに
信濃国浅間嶽之記 天明騒動記 (信濃国浅間嶽之記)

初変無明の山也、外の 浜内の浜あり、其後久敷絶て登る人なし、 弘安四年六月九日の暮方山より西に黄なる,処より僧壱人 来りて、此山に登りて一夜をあかせりといふ、其夜不思儀の霊 夢を蒙り、吾妻郡山の麓鎌原村,に住居して、度々 此山に登り延命寺となりて、東都東叡山寛永寺の (改頁) 5 末寺、此僧義海とて,則延命寺開山にて北の方浅間 山大明神の別当也、 尓時天明三癸卯年四月九日より焼初め、夫より日々止事,右陽気不順之事ハ土を動し、煙日々に雲の如く なる故に、照り薄く土ひゆるか、又ハ灰砂降諸作の 花の実に硫黄灰
むしくら日記 (1巻 元)

ここから洗馬宿の間の出川と申すところの、往来から3丁ほど東の方の田の中に、今回硫黄の煙が噴き出し、穴が,この場所は硫黄田とかねてから呼ばれていましたが、これまでこのように火を噴くようなことは老人も覚えがないとのことです,4月6日                        山越嘉膳   この硫黄田のことを考えてみますと,西条では大嵐山が鳴動したといいますが、関屋辺りでは野山からのろし山、牧内まででは牧内山、東条では東条山,また上郷では冠着山、西山腰では長谷山・岡田山・有旅山が鳴ったといいます。
むしくら日記 (1巻 元)

へ 遁れ散たる趣なれは、是等を集めんと、山寺源大夫公事方 ハ柴・金井山より関崎・保科辺の山々へ逃入,風遮り候ヘハ吹消申候、珍事故近村之者旅人等も     (改頁)     打寄見物仕候、右場所ハ硫黄田与兼而唱候得共,  此硫黄田の事を按るに、クサウヅなるへし、兼て其 気のある所をゆり出したる事とみへたり、,山、牧内辺ニてハ 牧内山、東条にてハ東条山、かゝ井辺にてハ尼厳山、清 野にてハ鞍骨山鳴と云、又上郷,にてハ冠着山、西山腰 にてハ長谷山・岡田山・有旅山鳴といへ、上高田辺にてハ飯 縄山鳴と云しとそ、小市御普請所
天明三年浅間騒動記 ([翻刻])

浅間騒動記 (改頁) 4 浅間騒動記并泥押 大全 (改頁) 5  抑信濃国浅間ヶ嶽ハ国中第一之高山也,、 平日峯に煙りたへす山半より峯に草木なし、 峯に釜といへる所一面之岩にて形摺鉢のことし、廻り,壱里程有り、平日此内より煙りもへ出る、山面ハ信州に 属し裏ハ北上州に属す、此山四月八日より外山え登る,事叶ハす、間に山登すれハ色々の怪我ありとて 恐れ登るものなし、爰に頃ハ天明三年卯孟 (改頁),皆泥中ニおし 流さる、其外村々泥ニ而押流されし所四拾二 ケ村人馬の流死何万といふ数不知、此泥全体 硫黄山
地震後世俗語之種 ([翻刻])

一山四門に勅額あり。,、南門を南命山無量寿寺、 北門を北空山雲上寺。   ,尤山国なれとも遠近山中に村々夛く、 何れも市町に便利ありて炭・薪・麻・木綿・雑穀 を夥鋪商ふ。,におしあて物すごく、胸中にこたへ、北より 西を眺れハ、拾丁有余一円の盛火空にうつり、 味噌・酒・硫黄,爰にいかなる天災不思議なるか、山中 虚空蔵山また岩倉山ともいふ、此大山左右に抜     
地震後世俗語之種 ([現代訳])

一山の4つの門には勅額があり、東門を定額山善光寺、西門を不捨山浄土寺、南門を南命山無量寿寺、北門を北空山雲上寺,山国ではありますが、山中のあちこちに多くの村々があります。,また山中では山崩れがあって大河の流れをせき止めたり、そのほか震災の恐ろしい話は数えきれません。,味噌・酒・硫黄・金物が燃える青・黄・赤・白・黒の炎の色も恐ろしく、火薬に火が移って辺りの潰れた家を跳ね,なんという前代未聞の天災か、山中の虚空蔵山あるいは岩倉山ともいう大山が左右に抜け崩れて犀川を押し埋め、
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