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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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諸国道中商人鑑 (3 松井田から追分まで)

旅人は碓氷峠を越える心準備をしたことであろう。,・「さ 中山道坂本宿 軽井沢え二里半十六丁 是より碓氷峠」  六軒の宿と八軒の店が掲載されている。,碓氷峠には5軒の「御小休所」が載っており、餅・餅菓子砂・糖餅・御茶漬の広告を載せている。  ,碓氷峠の嶺は「峠町」(しゃもじ町)と呼ばれていた。,碓氷峠の登り口として栄えた軽井沢宿は明治維新期には衰微しはじめ、碓氷新道の開鑿、信越線の全通によりすっかりさびれた
善光寺道名所図会 (『善光寺道名所図会』の構成)

さらに善光寺から北国街道を江戸に向い、碓氷峠に至る間の各宿駅ごとに名所古蹟がまとめられています。  ,ここから分かれて布引山釈尊寺をたずね、浅間岳山を眺め、追分から碓氷峠に登り熊野神社に日本武尊の昔をしのび
善光寺独案内 (明治時代の長野の観光案内書)

ことに明治21年(1888)5月に長野駅が開業し、明治26年(1893)4月に碓氷峠のトンネルが開通すると
信濃国浅間嶽之記 天明騒動記 (信濃国浅間嶽之記)

軽井沢・坂本・松井田などの上州の町や村、さらには武州児玉郡まで降灰があり、碓氷峠が通行できなくなった。
善光寺道名所図会 (○佐久郡小諸)

水施餓鬼并堂塔供養      (改頁)    追善有之、七月朔日二日焼ること甚しく、軽井沢・碓氷峠,からハ烟気  殊に多しときく、        (略)          38   ○碓氷峠
戸隠善光寺往来 ([現代訳])

それより、板鼻宿、安中宿では妙義への道が左に分かれ、松井田宿、坂本宿は碓氷峠の麓、峠の熊野権現の社は信州
パスファインダー (信州の峠道と峠の物語)

キーワード 概要を知るための ツール 資料リスト 碓氷峠 十石峠 地蔵峠 鳥居峠 渋峠 万座峠
信州浅間焼之事 ([現代訳])

ちょうどこの時、小笠原相模守が国元へ帰るため、碓氷峠の麓の松井田宿に宿泊していた。,噴火がなくても険しい碓氷峠の坂に、石砂が降り積もり、人の行き来が絶えたため、宿場に六日留まった。,今回、浅間山が噴火してしばらくの間、碓氷峠が通れなくなった。
御役所より被仰渡御書付之写并請印 ([解説])

ちなみに岩村田宿は、中山道の宿場の一つで、江戸から碓氷峠を越えて信州に入ると、最初の宿場が軽井沢宿で、
浅間山大焼け以来難儀につき見分願い ([解説])

ちなみに岩村田宿は、中山道の宿場の一つで、江戸から碓氷峠を越えて信州に入ると、最初の宿場が軽井沢宿で、
浅間山焼けにより馬草などを取ることができないため小物成免除願い ([解説])

ちなみに岩村田宿は、中山道の宿場の一つで、江戸から碓氷峠を越えて信州に入ると、最初の宿場が軽井沢宿で、
善光寺道名所図会 (○佐久郡小諸)

7月1日と2日は噴火が激しく、軽井沢・碓氷峠・坂本宿・松井田・安中・板鼻・高崎、武州児玉郡・榛沢郡30,碓氷峠  上州碓氷郡にかかわるので、この名がついています。  熊野権現の宮があります。
秀吉と真田 (小田原出陣)

碓氷峠から上野(こうずけ)へ入った北国口軍は、まず北条氏の重臣大道寺政繁の守る松井田城を攻め立てた。,天正十八年(一五九〇)三月八日  小田原討伐の北国囗隊を命ぜられた真田勢は出発して間もなく、信濃と上野境の碓氷峠
パスファインダー (善光寺参詣と善光寺道)

由比ヶ浜、入間川、倉賀野、松井田、碓氷峠 を越え、布引山、海野、坂木、篠ノ井などを経て善光寺に着きます
天明三年浅間騒動記 ([翻刻])

し故、諸人家々に帰り初而人心地附ク、石砂 軽井沢宿ニ四尺余降る、是ハ沓掛川を限り 東え降る、碓氷峠御師町,をまぬかれさせん との御誓願なり、実に如来の御恩難有事ならすや、 スデニ焼も次第ニしつまりけれとも、碓氷峠七月,往来相止ミ、宿々難相立候段御訴申上け れハ、江戸表より度々御見分方御出、御普請被  仰付霜月朔日頃漸々碓氷峠切開御普請出来
信濃国浅間嶽之記 天明騒動記 (信濃国浅間嶽之記)

七月三日四日別して大焼甚敷、軽井沢・坂本・ 松井田・安中・高崎より武州児玉郡・榛沢郡三拾四里の内 弐尺三尺、碓氷峠字笹沢,へ五尺六寸降、人馬通路なく 上り下りの大小名御家中方甲州廻り、中山道軽井沢火石 降三拾軒余焼失、碓氷峠社家拾四軒砂石
浅間山 (第三編 浅間山変異記)

九月二十七日になると、「上州松井田筋諸村に張り札する者あり」・・・一揆勢は、安中穀屋三軒潰し・・・十月二日碓氷峠
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部 ([現代訳])

、塩尻、下諏訪、和田峠を越して、芦田、望月、塩名田、さらにどんどん行って、浅間山の麓、沓掛、軽井沢、碓氷峠,それより沓掛、軽井沢、碓氷峠に至る。この峠には熊野三社権現が鎮座している。    ,ここから碓氷峠までの街道は、既に前に記してある。 〇上諏訪に鎮座する神は、建御名刀命と申し上げる。
小県郡民謡集 (成人謡)

○碓氷峠のあの風車よ誰を待つやらくるくると。,○碓氷峠の權現(ごんげん 注9)樣は私がためには守神。
上田の早苗 ([翻刻])

以テ出馬シ速ニ攻落シ依田右衛門佐信  蕃ヲ入替、直ニ進ヲ軽井沢ヘ出張シ北条家ノ兵粮ノ通路ヲ止メント碓氷峠,ヲ按スルニ、スハベノ大神宮社地ノ辺ニ当レリ、] 一海野幸好[幸善ナリト云フ]新田義宗ノ義兵ニ従ヒ、碓氷峠
長野県師範学校生徒修学旅行概況 (長野県師範学校生徒修学旅行概況[全文])

明治26年には碓氷峠があき、高崎-直江津間が全通した。,なお、第一線路とは碓氷峠越えの国道18号旧道である。
信濃名勝詞林 (戸隱山紀行)

ちから)が入(はい)る、それ丈(たけ)に一足(ひとあし)下(くた)せばぐつと潜(もく)つた、會(かつ)て碓氷峠
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