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「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(祢津東町)
祢津
東町 地域 東信 市町村名 現在(令和2年):東御市(とうみし) 明治初期:
祢津
東町(ねつひがしまち,) 幕末から明治初期:大
祢津
村/姫小沢村/
祢津
西町 幕末から明治初期(よみ): 『長野県町村誌』,2巻 p1608に掲載 該当ページを見る キーワード 社:
祢津
日吉神社 寺: 智光山長命寺,/大日堂 その他特記ワード: 童女郷 明治初期の村絵図・地図(県立歴史館所蔵)
祢津
西町、東町 /
祢津
東町
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(祢津西町)
祢津
西町 地域 東信 市町村名 現在(令和2年):東御市(とうみし) 明治初期:
祢津
西町(ねつにしまち,) 幕末から明治初期:大
祢津
村/姫子沢村/町屋/古御館/中村/有賀/在家/雁丸/古大日/真行寺/本会下,ひめこざわむら 『長野県町村誌』 2巻 p1605に掲載 該当ページを見る キーワード 社:
祢津
健事神社,寺: 臨川山常津院 学校: 鶏卵/蚕種/繭 古跡・名勝:
祢津
氏城址上ノ城、下ノ城/
祢津
氏古御館跡,: 鶏卵/蚕種/繭 その他特記ワード: 童女郷 明治初期の村絵図・地図(県立歴史館所蔵)
祢津
西町 /
祢津
西町
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(姫子沢村)
現在(令和2年):東御市(とうみし) 明治初期:姫子沢村(ひめこざわむら) 幕末から明治初期:大
祢津
村,宮嶽山陵神社/御西大神社/水神社/句々廽智神/阿夫利社/山神社 寺: 水船山嘯月院 古跡・名勝:
祢津
氏館跡,農/養蚕/製糸/木綿 その他特記ワード: 童女郷 明治初期の村絵図・地図(県立歴史館所蔵)
祢津
西町
寛保二壬戌年金井村戌出水万覚留帳
([翻刻])
(改頁) 3 加沢田、夫より村中より西手へ御通り、
祢津
御渡,夫食代金五両被下置候、 一 十月廿三日御代官浅岡彦四郎様 向弐千石より嶋河原通リ被遊、当村 御検分夫より
祢津
,へ御出被遊、村々
祢津
へ相詰メ、当村之儀一々御吟味 (改頁) , 一 手前不残村中都合百五人、自他之 へたてもなく、朔日水ひけ次第ニ 昼之九ツ時より
祢津
長命寺
寛保二壬戌年金井村戌出水万覚留帳
([現代訳])
楢原丈右衛門様 これらの方々が検分(被害の調査)のために加沢久保より入り、金井村、加沢田、
祢津
,10月23日御代官浅岡彦四郎様が検分にこられ、私たちも呼び出され、村のことについて
祢津
で吟味を受けた。,生き残った村人105名は残らず誰彼の隔てなく助け合いながら、水が引くと直ちに1日昼九ツ時(正午)より
祢津
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(新屋村)
(よみ): 『長野県町村誌』 2巻 p1612に掲載 該当ページを見る キーワード 社:
祢津
健事神社
寛保二壬戌年金井村戌出水万覚留帳
([解説])
元長野県立歴史館 青木隆幸 「寛保二壬戌年金井村戌出水万覚留帳」(以下、「万覚留帳」と略)は、
祢津
知行所金井村,上田藩や松代藩は被害報告書を作成しており、被害の実態が比較的明らかにできるが、
祢津
知行所には知行所全体,生き残って
祢津
の長命寺をめざした村人が105名だから、他所へ避難した者が若干いたとしても、当時の村の人口,生き残った者たちは
祢津
の長命寺に避難したが、その後、旧金井村より数百メートル東南の庚申原の原野に代官所
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(林之郷)
雄鴻岳/地蔵嶺/傍部山/太郎山 川: 加賀川 渡・堰: 用水堰 橋: 栄橋 道路:
祢津
街道
松代まちあるきマップ
(26高安山龍泉寺)
寛文年間(一六六一~一六七二)、真田氏の家臣
禰津
八郎右衛門(法号高安玄忠)が現在地に再建、中興開基となり
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(常入村)
千曲川 渡・堰: 内川/常入溝 橋: 荒砥橋/古里境橋/下屋鋪ノ橋 道路: 北国街道/
祢津
往還
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(古里村)
川: 神川 渡・堰: 龍王鼻堰/龍王口堰/社宮司堰/常入堰 橋: 神川橋 道路:
祢津
道
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(滋野村)
精業学校/惇信学校 古跡・名勝: 別府旧跡/多古驛旧跡/柴生田氏城跡/力士雷電碑/大石氏城跡/陣馬/
祢津
氏城跡
善光寺道名所図会
(○小県郡田中)
このあたりに
祢津
という山城があります。そこは、源頼朝の頃、根津甚平の居住地でした。
パスファインダー
(信州の山城を歩く)
清水長久/著 2005 海野平の栄華を見守った矢立城(東御市)、「信濃の京」として栄えた祢 津氏の
祢津
城
パスファインダー
(諏訪の神話)
神話・伝承・歴史』 インターネット 情報 新聞 著者名 雑誌名 出版年 巻号頁数
祢津
宗伸
小県郡民謡集
(成人謡)
〔方〕 河東地方に關する四首 ○海野平(うんのたひら)から
禰津
(ねつ)村見れば
禰津
は信濃,(滋野三家
禰津
氏據(きょ)地) ○
禰津
で寢つれて別所て○○して原で孕(はら)んで海野で産んだ。
上田案内
([解説])
上田駅開業にともなう新設の松尾町も県道となり、
祢津
街道は郡道であった。
浅間焼覚帳
([現代訳])
祢津
旗本領では、みはり(新張)村の酒屋所右衛門を打ちつぶし、焼き払った。
上田の早苗
([翻刻])
大久保山御林より材木被下たり、] 洪水之事 一寛保弐年壬戌七月より霖雨して八月朔日洪水、
祢津
金原山崩,せり、 一田中駅溺死者六十三人、家の残り九軒、 一加沢村九軒流亡、村中河原となる、溺死十五人 一
祢津
大半流失
むしくら日記
(1巻 元)
事を願けるにより、周三郎に東の方東(ママ)作ニ其次をかせし かば、打よろこひて小屋をしつらへぬ、
祢津
神平,潰、居家ハ斜みたる計、海野蔵主の長屋玄関潰、居家も 大破、藤田典膳も居家大破、土蔵物置倒れぬ、
祢津
神平,ける、そハ立か鼻 堰留てハ、こも又山中にひとしく川中嶋一円の湖と成 ぬらん、急き見分手越なんと、
祢津
刑左衛門目付
むしくら日記
(3巻 利)
を狙って盗賊が家々に押し入り略奪することがたいへん多いと聞きましたので、取次の横田甚五右衛門、目付の
祢津
刑左衛門
むしくら日記
(1巻 元)
祢津
神平の家も藤田同様、大破しました。,止められたら、これもまた山中と同様川中島一帯が湖になってしまうだろう、急いで調べて来るようにと、目付
祢津
刑左衛門
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