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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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パスファインダー (筑摩県と「夜明け前」)

筑摩県と「夜明け前」 トピック(テーマ) ねらい キーワード 筑摩県と「夜明け前」,伊那県 偽二分金 伊那県商社事件 平田国学 『夜明け前』 中野県 筑摩県 市川量造 教育 概要を,図書館送信限定) 国立国会図書館サーチ http://iss.ndl.go.jp/ 1/2 筑摩県,と「夜明け前」 新聞 コメント 概要 「筑摩県」に関する資料を、図書・記事論文・新聞,信濃毎日新聞社・朝刊29ページ 年月日 2003.12.30 信濃地域、とりわけ伊那県、筑摩県 / 筑摩県と「夜明け前」
信濃国村名尽 ([解説])

これは、本書が著された明治七年、信濃国が筑摩県と長野県とに分かれていたことに起因するのです。,さらに、明治四年十一月二十日には、東北信の各県が長野県となり県庁を長野に置き、中南信の各県と飛騨が筑摩県,この状態が五年ほど続き、明治九年八月二十一日に旧長野県と、飛騨を分離した筑摩県が一つになり現在の長野県,以上のことからわかるように、本書が著されたとき、信濃国は筑摩県と長野県に分かれていたのです。,したがって上巻の筑摩県、下巻の長野県と二冊にしたのです。    
『説諭要略』巻一 ([解説])

[解説] [目録] 長野市公文書館 西沢安彦 筑摩県権令永山盛輝と『説諭要略』    明治四年,(一八七一)十一月二十日、筑摩県が設置され、長官には元伊那県大参事永山盛輝が任命された(六年三月権令に,松本城内の筑摩県庁が開庁したのは五年一月十三日のことであった。,明治五年五月五日、筑摩県学校が開校、七月までに安曇・筑摩郡に一〇校の小校が設立された。,筑摩県の学務担当の官員は、明治六年五月~九年八月(筑摩県廃止)の間、十数回にわたり管内を視察巡回し、学校元資金加入
分県之建白 (信濃国から二つの県へ)

筑摩県の範囲は、松本県(旧松本藩)、高遠県(旧高遠藩)、飯田県(旧飯田藩)、高島県(旧高島藩・諏訪藩),筑摩県の県庁は旧松本県庁(旧松本城二の丸御殿)とさだめられ、木曽福島宿に取締所、高山に支庁、東京に支庁,合併時の筑摩県の戸数11万4561、人口55万841人、「長野県」(第2次)の戸数は10万4962、人口,戸数も人口も筑摩県が多くなっています。飛騨国も含んでいたからです。
分県之建白 (ひとつの長野県に)

ひとつの長野県に 明治政府は県の配置分合をすすめ、明治9年8月21日に、飛騨国を分離させた筑摩県と「,筑摩県の信濃分(中南信)は長野県に統合されて(飛騨分は岐阜県に統合)、信濃一円(東北信・中南信)が新しい
パスファインダー (松本城天守を守った市川量造)

ツール 資料リスト 雑誌 インターネット情報 松本城天守を守った市川量造 明治初期の筑摩県,市川量造 松本城 国宝松本城天守 筑摩県 永山盛輝 博覧会 文化 財 1 書名 わたしたちの,雑誌名 出版年 巻号頁数 1 サイト名 山本 まさみ/著 日本児童文学 2016 30-35 筑摩県
パスファインダー (長野県の誕生)

トピック(テーマ) 長野県の誕生 ねらい 信濃国から伊那県、中野県、長野県と筑摩県時代,キーワード 信濃国 伊那県 中野県 松代県 上田県 松本県 飯田県 筑摩県 分権 論 移庁論 県庁火災,出版社 出版年 信州 南北戦争 中村勝実/著 櫟出版 1991 内容紹介 明治4年、筑摩県
龍駕の跡 (1概要)

明治9年に筑摩県と旧長野県が合体して成立した長野県の場合、北辺に長野町が県庁とされたため、県民のみならず
違作書留帳 (3、江戸時代の神戸村)

明治2年(1869)に伊那県、同4年に筑摩県に所属し、同7年に笹下村(ささげむら)の一部となります。
伊那県布令書 ([解説])

廃藩置県のときに県となっていた松代県・上田県などを含めた「長野県」、伊那県は、松本県・飯田県などを含めた「筑摩県,このような複雑な経過を経て、明治九年八月に長野県と筑摩県(飛騨地域をを切り離し)が一つになり、現在の長野県
松本繁昌記 上・下 (2人の編輯人)

5年5月に開設した筑摩県学に出仕し、教師として出発します。,地元の『信飛新聞』に、明治8年9月から連載された関口友愛による、筑摩県の永山盛輝権令(いいまの県知事),明治9年に、筑摩県の訟課員に抜擢され、ついで飯田区裁判所判事に任じ、つづいて大町・上田・福島に転じ、14
パスファインダー (明治9年(1876)新築の開智学校)

開智学校 筑摩県 永山盛輝 立石清重 擬洋風校舎 松本尋常高等 小学校 一市一校 教師と児童 説諭要略,https://adeac.jp/shinshu-chiiki/ 「説諭要略」の資料と解説で、筑摩県
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (広津村)

ノ田/梶本 山: 金戸山/高津屋山 川: 犀川/日野川/金熊川/糸滝/北ノ沢滝 道路: 筑摩県松本
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (玉川村)

(御小屋官林・鷹ノ巣乗場官林・鎌ナギ民有山林・アオナギ山林)/原野(御小屋平・奥野・俎板原)警察所(筑摩県第五部警察出張所
長野県師範学校生徒修学旅行概況 (4.数千の教師を育てた浅井洌先生)

明治5年筑摩県学出仕、翌年25歳のとき開智学校勤務。明治14年松本中学校教員。  
「長野県下ノ小学教員二告ル文」 ([解説])

目録] 長野市公文書館 西沢安彦 師範教育と能勢栄    明治九年(一八七六)八月、旧長野県と筑摩県,が合県して長野県となったことにより、十月旧筑摩県師範学校は長野県師範学校松本支校となった。
長野師範学校は初めて学年・学期を定め、開業式・卒業式を挙行 ([解説])

目録] 長野市公文書館 西沢安彦 師範教育と能勢栄    明治九年(一八七六)八月、旧長野県と筑摩県,が合県して長野県となったことにより、十月旧筑摩県師範学校は長野県師範学校松本支校となった。
『説諭要略』巻一 ([ルビ・注記])

明治二年(一八六九)伊那県に勤務し、同四年一一月筑摩県参事から権令となる。,明治維新後筑摩県が設置されると庶務課に勤務した。,(改頁)   第八回   11  筑摩県下ノ産物種々アリト雖。,第三十回   28  筑摩県管下。設立ノ学校。五百余校アリ。,第五十回   39  筑摩県管内。各校元資金。
パスファインダー (移庁・分県運動)

移庁・分県運動の経過を 調べる キーワード 移庁 分県 県会 市川量造 県庁移転建議書 筑摩県
信濃国諳射図記 ([解説])

明治初期、佐久・水内・高井・伊那はまだ上・下の二つに分けられていないこと、信濃国が長野県と筑摩県に分かれていたことがわかります
分県之建白 (分県の建白)

廃藩置県で、12の藩を廃止して12の県とし、11月には12の県と伊那県を廃止して長野県の管轄を拡げ、新たに筑摩県,する所は、長野県では、今日の南佐久・北佐久・小県・更級・埴科・上高井・下高井・上水内・下水内の9郡、筑摩県,ところが、明治9年8月に筑摩県は廃止されて飛騨の国は分離し、東筑摩郡以下の6郡は長野県の管轄になりました
分県之建白 (分県之建白[全文])

キノ十二番ヲ廃 シテ十二県トシ、十一月更ニ十二県及ヒ伊那 県ヲ廃シテ長野県ノ管地ヲ拡メ、且新 ニ筑摩県,今日ノ東西筑摩・南北安曇・ 上下伊那・諏訪ノ七郡及ヒ飛弾(ママ)国一円タ リ、然ルニ明治九年八月筑摩県
木曾山林学校 (2.木曽の歴史)

明治元年名古屋藩の管轄に属し、3年名古屋県に、4年筑摩県に、9年遂に長野県の管内に入れり。
「内藤家十五世紀」(十一)(藩校進徳館設置のこと) ([解説])

しかし同年11月、筑摩県との合併により高遠県がなくなり、旧藩主の内藤家が高遠を去ると、主を失った学校も
龍駕の跡 (龍駕(りょうが 天子の車)の跡(注一))

明治四年(1872)筑摩県権参事。同年十二月長野県権参事に転任。,筑摩県においては明治六年(1873)五月筑摩県師範講習所を松本開智学校内に開設した。,両講習所は明治七年筑摩県師範学校を深志町に、同八年長野県師範学校が旭町に新築された。,明治四年(1871)伊那県が廃止となり新たに設けられた筑摩県参事に就任し、明治六年(1873)三月、筑摩県権令,筑摩県では教育の普及に尽力し、県内を巡回し学制前に郷学校百数十校を設置した。
「上田郷友会月報」記念号中「既往八十年」 ([ルビ・注記])

(注1)明治九年筑摩県が長野県に合県後は長野師範     学校松本支校となった。      
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