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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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桜田門外之変速報 ([現代訳])

        この者たちは町奉行へ引き渡し、伝馬町へ送るべきところ         すぐさま細川家,へお預けとなる     4人は 細川家へ駆け込む         お預けが七人となったので、細川家
桜田門外之変速報 ([翻刻])

即死   三人     脇坂江欠込     此分町奉行へ御引渡伝馬町江可被遣候処     直様細川家,へ御預ケニ相成候   四人     細川江欠込      此分御届ケニ相成御引渡ニ相成遍く候処
新刻日本百将伝 ([解題])

護良親王、源尊氏、新田義貞、楠正成、那和長年、赤松円心、宇都宮公綱、源顕家、楠正行、源義助、足利高経、細川定禅,、赤松則祐、桃井直常、山名時氏、新田義興、菊池武光、楠正儀、足利基氏、源義満、細川頼之、大内義弘、畠山基国,、細川勝元、上杉憲実、山名宗全、北條長氏、三浦介義同、今川貞世、北條氏康、太田持資、齊藤道三、そして最後
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (日向村)

キーワード 字地: 上沖/北前田/吉田/矢崎/箱田原/長丸山/向曽根/下原/東丸山/西丸山/細川
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (坂井村)

ワード: (森)諏訪社森・安坂社森・二柱社森・熊野社森/(林)山崎山・杉崎山・堀海道山・玉称、駒方、細川山
パスファインダー (工女の道 野麦街道)

にきていた工女の姿を描く 2 書名 聞き書き 工女の道・野麦街道 著者名 出版社 細川修
義烈百人一首 ([解説])

その中で、四番の「卿の君(郷御前)」に始まり、九十九番の「細川候夫人( 細川ガラシャ)まで、二十四名の
パスファインダー (宗良親王と信濃)

衆妙集(抄) 細川幽斎作.
パスファインダー (松本・上高地の文学(2))

出版年 いつかの夢の空のように(遥かなる山国の夢-信濃路文学の旅 2) 藤岡改造・斎藤金司・細川修
パスファインダー (安曇野・大町の文学)

著者名 出版社 出版年 山を想えば人恋し:遥かなる山国の夢-信濃路文学の旅 藤岡改造/斎藤金司/細川修
秀吉と真田 (三成ほか西軍諸将よりの書状)

一長岡越中(細川忠興)儀、大閤様御逝去已後、彼の仁第一徒党の大将を致し、国乱雑意せしむる本人に候間、即,ち丹後国へ人数差し遣はし、彼の居城乗っ取り、親父幽斎(細川藤孝)在城へ押し寄せ、二ノ丸迄討ち破り候の処,幽斎(細川)儀は一命をたすけ、高野(こうや)の住居の分に相済ませ申し候。,長岡越中(細川忠興)妻子は人質に召し置くべきの由申し候処、留主居の者聞き違ひ、生害仕まつると存じ、さしころし
パスファインダー (井口喜源治)

細川修執筆。
義烈百人一首 ([翻刻])

神無月かな 【頭注】 佐々木治部少輔高秀は足利家に随従して近江を領し数度勇威をあらはす、康安元年細川清氏南朝,りことゆゑなくおさまりぬ、のち直頼伯父則祐の猶子となり武名を諸国にあらはせり、 (改頁) 39_細川満元,に移り武威を四海にしめし、同十五年五月六日、五十一才にて薨ず、鹿苑院殿と号す、 (改頁) 39_細川満元,のいひなづけの妻なり、応仁元年九月、細川勝元の長臣安富長野等、勝元の息男六郎勝之を大将として相国寺に籠,を見んとは 終に文禄四年七月十五日、高野山において自殺す、廿八歳、治世五年、 (改頁) 99_細川候夫人
武家百人一首 ([翻刻])

源(細川)氏、和氏の男。『新千載和歌集』に四首入集。,源(細川)氏、頼春の男。室町幕府管領。『新千載和歌集』初出。,源(細川)氏、頼春の男。室町幕府管領。『新後拾遺和歌集』初出。,源(細川)氏、頼元の男。室町幕府の管領。『新続古今和歌集』初出。満之は生年未詳-1405。,源(細川)氏、頼春の男。伊勢の守護などを任じた。
信濃国浅間嶽之記 天明騒動記 (信濃国浅間嶽之記)

同       井上友作 同       高崎和吉 同       小池定八 一 御普請御手伝細川越中守
(株)第十九銀行と諏訪製糸業 ([ルビ・注記])

     印刷者  山口行雄           東京市京橋区鎗屋町九番地      印刷所  細川活版所
上田の早苗 ([翻刻])

トナリタレトモ城郭ナキヲ深ク  歎キ、居城築立ノ儀ヲ奉訴シトコロ、台命許可ナリシカハ大ニ歓ヒテ、元和九年  細川越中守忠興
贈答百人一首 ([本文、奥付])

物うしといひこしける返事に あとつけて 雪にとへかし あめつちに 先立はるの 宿とおもはん 又、細川勝元,とも円陀麿(ゑんだまろ)とも称し、松永弾正の落胤(らくいん)也、武道を捨、風流をもつて世に名高し、哥は細川玄旨法印
烈女百人一首 ([翻刻])

行末を尋れどさらにしれず、十五才の時京にのぼり稲荷山に祈せいして霊夢をかうふりははにあふ、みくしげは細川右馬頭,の家にて老女たりしが、花満が孝をかんじ右馬頭ゑぼし子として細川左近となのり北国乱れし比、二の宮敵にて討
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