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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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善光寺道名所図会 (著者)

利忠は、別名を庸園と号し、美濃国今尾藩(岐阜県海津市)の城主竹腰氏の家臣です。
パスファインダー (善光寺参詣と善光寺道)

善光寺道名所図会」を歩く 善光寺街道協議会/編 善光寺街道協議会 2014年 「『善光寺道名所図会』は美濃国今尾,美濃国から遥々信州へ取材に訪れ、著述 と絵図制作の両方をたった一人で成し遂げることに挑みました。
夢想兵衛胡蝶物語 巻之五 貪婪国 ([解題])

美濃国の貧民父に孝なり。
信州善光寺御堂額之写 ([現代訳])

(絵)「文化十一戌年五月廿一日 美濃国方県郡長島郷 さぎ山村 貞善尼」   美濃国方県郡鷲山村(さぎやまむら
木曾山林学校 (2.木曽の歴史)

続日本紀に曰(いわ)く大宝2年始めて美濃国岐蘇の山道を開くと。,是れ木曽の名目が文献に現はれたる嚆矢(こうし:事のはじまり)にして、当時美濃国に属せしことを知るべし。
小県郡民謡集 (付録 春駒一首)

)さも似たり堅さも似たり 綿繭(注11)千石絲繭(注12)千石(ごく)種繭(注13)ともに三千石よ 美濃國
木曾山林学校 (1.木曽ノ天然)

たる信濃国の西南隅に位し、東は上下伊那郡に接し、西は濃飛両国に隣り、南は下伊那郡及恵那山に拠(より)て美濃国
信州善光寺御堂額之写 ([翻刻])

(下段)   「文化十一年戌年   五月廿一  美濃国方県郡長良郷 さぎ山村 貞善尼」 みのゝくにかた
上田の早苗 ([翻刻])

寛永二年乙丑ナリ     石神     奈良尾         柳沢 一東鑑治承五年二月十二日知盛卿等於美濃国討取源氏相従勇士頸等,同上]  神地六郎康信[上田太郎家子]    按此後ニ越後信濃ノ勇士出陣セシナリ、 一一本ニ云 美濃国原刑部少輔秀成領信州上田荘云々, 源頼光九代  光定 土岐隠岐守 頼貞伯耆守   頼清伊予守  頼康大膳太夫 康行大膳太夫   美濃国土岐郷
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部 ([翻刻])

教如上人・琢如上人御究書ありと云云]     〇美濃国より信濃に入、東国に至るを木曽街道といへり。
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部 ([現代訳])

〇美濃国より信濃に入り、東国に至る道を木曽街道(中山道)と言う。まず美濃の落合から馬籠に至る。
違作書留帳 ([現代訳])

実入りすれば、以前の暖かかったときとちがって多いかどうか、田の水のかけ引きを工夫すべきだ、 濃州(美濃国
義烈百人一首 ([翻刻])

老の涙に のこる月かげ 【頭注】 東中務入道素暹は千葉介常胤の孫にして武勇の人なり、承久二年より美濃国郡上
宿継要書留 ([翻刻])

右品々多分 一水油                所々より出ル 一瀬戸物               美濃国
宿継要書留 ([現代訳])

一水油                 所々より出る 一瀬戸物                美濃国
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