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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (耳取村)

耳取村 地域 東信 市町村名 現在(令和2年):小諸市(こもろし) 明治初期:耳取村(みみとりむら,) 幕末から明治初期:耳取村 幕末から明治初期(よみ):みみとりむら 『長野県町村誌』 2巻 ,鉄砲師・桶屋 民業女: 農事補助・養蚕/(農間)縫織 明治初期の村絵図・地図(県立歴史館所蔵) 耳取村全図 / 耳取村
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (岩野村)

民業男: 農桑/養蚕 民業女: 農桑/養蚕/生糸 その他特記ワード: 金刺貞長/神八井耳命
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (土口村)

笹崎/雀部(ささきべ) 民業男: 農桑 民業女: 養蚕/生糸 その他特記ワード: 神八井耳命
赤松小三郎書簡 実母宛 (江戸・長崎遊学)

この折の長崎航海日記が「美美婦久呂(耳袋)」で、内田・下曽根門で学んだ学問を緯度・水深・風速等実地に応用
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (筑摩村)

(はばうえ)/玄池/清水/大宮/県塚(あがたづか)/県宮(あがたのみや)/丹波塚/山家(やまべ)道/耳聞,神明社/天満社/野々宮社/神明社/鎮守両社/若宮社/県宮(あがたのみや)社/駒形社/白山社/金山社/耳聴社
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (古安曽村)

上平/小屋久保/鬢櫛/小森川/中谷/若宮/若宮下/駒形/駒形下/小屋岳/飼馬口/峠下/小胡桃/大胡桃/耳切
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (有明村)

令和2年):安曇野市(あずみのし) 明治初期:有明村(ありあけむら) 幕末から明治初期:橋爪村/耳塚村
木曾山林学校 (寂の姿)

更(ふけ)くるに従ひ余りに明瞭に耳朶(じだ:みみたぶ、みみ)打つ雨の語らひを、たゞ一人ポツネンと聴く深夜
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (豊丘村)

/八屋敷/中屋敷/南原/中原/新町/北沖/西沖/鹿猪/大星/大野田/一本松/一位屋敷/テシマダ/犬ノ耳/
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (小諸町)

大梁/立石/中沢尻/横山/馬場裏町/袋町/五軒町/鹿島裏町/大手町/樋下町/足柄町/日影町/鹿島山/耳取町,りょうじんくるわ)/籾蔵(もみぐら)台/中仕切/天守/黒門/三ノ門/足柄門/黒門橋/鍋蓋郭/根津曲輪/耳取曲輪
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (塩尻村)

永福寺/常光寺/慈光院 古跡・名勝: 塚田/小笠原閑斎の墓/御墓塔/記常塚/五輪塔/首塚・胴塚/耳塚
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (布施村)

後藤地/古城/的場/京ノ坪/栗平/雀坂/沓形/曲リ沢/岩下/赤穂地/城仏/スボ入/熊野堂/水無/大窪/耳取山
信濃奇談 (信濃奇談 上)

予為家人時東走西奔専従事医業以糊口妻子傍隆好文芸乎不得暇隙每以為憾児元鎧在膝下以纘吾志述吾事於是業有達也盖我信濃之地里老所伝鄙説奇談頗有類斉東野語者予徵諸史書一々為之解説元鎧随而録之名曰信濃奇談兹己丑二月元鎧没偶探遺筐中得之是雖予之所撰述皆元鎧与焉有力可見余之所言小言隻語必述而不貴可謂其意能勤為子之道今也逝矣悲哉予亦不遺其志伝之世以慰其魂耳,寛永年中武州江戸に駿馬あり、耳の下に角を生す。長二寸余あり。,淮南子に魍魎状如三歳小児赤黒色赤長耳美髯、左伝注疏に、魍魎ハ川沢の神なり、と見えたる、この河童に似たり
木曾山林学校 (生きるといふ事)

だが淋しい哀音(あいいん:悲しげな音色)の啜(すす)り泣きを耳にして浮華(ふか:うわべばかり華美で実のないこと,だがそれをじっと抱きしめ堪え忍んで自己内部の声に耳傾けつゝ進む人が向上の路を辿り得る人である。
小県郡民謡集 (凡例)

)く芳名(注3)を掲げることが出来難(できがた)いので若(もし)も本書の刊行を旧児童、学友、同族中で耳にせられたなら
長野師範学校は初めて学年・学期を定め、開業式・卒業式を挙行 (長野師範学校開業式)

不可不衝動耳目。而激発其心志。余。徴之 古今万国。莫(なかれ)不咸(みな)然。蓋(けだし)不如此。
小県郡民謡集 (付録 春駒一首)

(改頁)      くどき(注1) くどきと言ふもの數首を耳にすれど今首尾一貫して記憶
はなの ([追善連句])

下略 芳明忌 梨翁居士 曇るとハ人のうへなりけふの月 袖に夜寒のかけあます頃 八朗 木耳を
寛保二壬戌歳満水記 ([翻刻])

沽滴砂石 を流すか程こそあれ、八朔の戌の刻より千曲川満水に及ひける に、山々諸々崩るゝ音百千の雷かと驚耳目,云声のみに かまびすしく、あわれとやいわん、よばわる声、きやうくわん大きやう くわん目前にありて、耳のふたとなる,農ハ田畑を流し、行末如何成行んと心を苦しめる多し、兼好法師 か世か定めなきこそいみしけれと云しも、耳にも
はなの (夏部)

芥子 けしやたゞ露に紛れぬ寂栞(さびしおり) 武 扇和 咲も散も露しらげしの一重哉 ヒクマ 熊耳,やくれかゝるより十ばかり はへ 雨の蝿追ば淋しう迯(にげ)にけり 城 五芳 蝿打の音の入たる寝耳哉
はなの (冬部)

(改頁) 65 冬籠朝日拝めと訪れけり 冬構 冬がまへ念入過てくらき也 十夜 上人の御耳かぞふる,鳴時月のちどり哉 小夜千鳥人をなかする声ぞかし 水鳥 たかなみに水鳥の背のかくれけり トクマ 茗耳
安曇・筑摩両郡旧俗伝 ([翻刻])

シ所ニ、鬼賊の 渠魁魔道王ヲ始め、首一百三十六、其外邪賊数知れ ス、討取所乃首をハ塚ニ埋む、是ヲ耳塚
俳諧あやめぐさ ([翻刻])

裙 蓋 (改頁) ニウ 放れ駒霧にかぶるゝあたり迄 毛 銅の鳥井に抱ついて見る 琴の曲耳をよすれ
地震後世俗語之種 ([翻刻])

雷鳴耳 をつらぬき、電光目に遮り、おそろしといふも 尋常なり。,すといへとも何か ら先も不能思案、こつては尚更混雑不埒(ふらち)、親 の教訓(をしへ)も午(むま)の耳、,処狭しと建並べ、日も西山に傾きて入相 耳をつらぬけハ、あるとあらゆる数万のしな/\、或は 蝋燭或ハ,行かふ諸人耳目を驚 し、西に走り東に歩み、南北たにもさだかなら さる其賑ひ、たとふるにものなし。,教に陰悪は鼾の如く陰  徳は耳の鳴か如しと云云。  
「長野県下ノ小学教員二告ル文」 ([ルビ・注記])

児童ノ智識ヲ 得ルハ外物ノ関係ニ因リ感覚シテ得ルモ ノユヘ、其脳裏ニ入ルノ通路ハ耳目鼻口皮 膚ノ,悟リ、生徒ヲシテ先ズ物 事ノ意思ヲ脳中ニ領解(りょうかい)(注25)知覚セシメ、然ル 後其言詞ヲ耳ニテ
義烈百人一首 ([解説])

なお、本編である百首に先立つ口絵には、大彦命が北陸道を下向の折の和耳坂での逸事、日本武尊が相模国より舩
寛保二壬戌歳満水記 ([現代訳])

やかましく、哀れとはいわないが大声でさけぶ声や、わめきさけび、大声で わめきさけぶ光景を目前に、耳をふさぎたくなる,どのようになるのかと心を痛める人が多い、兼好法師 の言葉に「人の命の有限であることが素晴らしい」という言葉が、耳にも
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2) ([翻刻])

入  不申候、千曲川通為御見分御出之等(方カ)々記、当所御見分寛保二壬戌十二月十五日御見分被遊候、耳取村境塩川,臼田村御立被成候付、大田部村ニ而御機嫌御伺申上候而罷帰申候、四月二日岩尾村より  千曲川通御覧、落合村・塩名田宿・耳取村
信濃名勝詞林 (かけはしの記)

鳥の聲(声)耳元に落ちて見あくれば千仭(せんじん)の絶壁、百尺の老樹、聳(そび)え/\て天も高からず。,尋常(じんじょう)ならぬ粧ひ(よそおい)にうつ〻をぬかし桃原遠からずと獨(独)り勇めば鳥の聲(声)も耳にたちてめづらし
弘化丁未夏四月十三日信州犀川崩激六郡漂蕩之図 ([翻刻])

レ落ル声遠ク松代・須坂・中野ニ達ス] [是時僕昌言海津ノ西条山ニ在テ水声ヲキクコト良久ク、アタカモ耳ヲ
信濃名勝詞林 (犀川を下る)

吾は詩人に非す美術家に非す此に來て宏壯雄大ある自然を感して徒らに此の絶美の歌はれす畵かれさるを愛しむ耳」
田ごとのはる ([翻刻])

改頁) 6 鶯の億(臆)セぬまゝに初音哉 トグラ釈 松唫 うぐひすや障子隔て磐の音 ゝ 兎耳,二三里も先の船見て夕すゞみ 両和 たけ狩やうへにはびこる枝を見ず 五窓 秋たツや笛を聞居る馬の耳
安曇・筑摩両郡旧俗伝 ([現代訳])

魔道王を始め、その首が百三十六、そのほか、邪賊は数えきれないほどだ、討ち取った首は塚に埋めた、これを耳塚
木曾山林学校 ([注記])

実習組織:ここでは実習組織として、共同・組合・個人の3形態があげられているが、このうち組合というのは耳なれない
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2) ([現代訳])

当所のご見分は、寛保二年十二月十五日に耳取村境塩川より始まり、市町にお泊まりになりました。,四月二日、岩尾村より千曲川通りをご覧になり、落合村・塩名田宿・耳取村・山浦村を、右岸・左岸を行ったり来
俳諧二重染 (四季時候順)

素丸  録のあるので抜井戸も出来 露月 負と見し征崩れて花なれや 華洲 (改頁)  飼鶯の耳へうれしき
おらが春 ([翻刻])

あつはれの大わか竹そ見ぬうちに ゝ   花つむや扇をちよいとほんのくほ ゝ   としよりと見るや鳴蚊の耳のそ,のならひなれと、 いまたたのしひも半はならさる千代の小松の、二葉 はかりの笑ひ盛りなる縁(ママ)り子を、寝耳に,葱のともひかり 生々    軽篭仲間の小無尽を取る 梅塵     (改頁)     此頃は耳のほめきも,  雨わひる志賀の旅寝や鮒鱠 一朗   いらぬ灯もともしてあるや薺の夜 琴堂   鴬や東風ふく耳に
弘化丁未夏四月十三日信州犀川崩激六郡漂蕩之図 ([現代訳])

こえました]  [この時、私原昌言は松代の妻女山にいてその水音を聞きましたが、それはしばらく続き、耳を
小県郡民謡集 (児童謡)

○寝んねんころころころ兎 何うしてお耳がお長いの お母(かあ)さんお 腹(なか)に居た時に 椎(しい,)の実樫(かし)の実たべたので  それでお耳がお長いの。,(唇歯眼 鼻耳殻(注1)をさす) ○上(あんが)り目に下(さんが)り目 くるりとまわつちや猫の目。,注1 耳殻……耳介(じかい)。耳の穴のまわりに広がっている、貝殻のような形のもの。   2.
地震後世俗語之種 ([現代訳])

折しも夏の日の夕立が篠つくように降り、雷鳴は耳をつんざかんばかり、稲光に目もくらんで恐ろしいという言葉,親の教えも馬の耳に念仏、悔やんでも取り返しのつかない無知無学で、述べる考えはまったくの俗物のたわごとで,見物客は木戸口で押し合い、笛・太鼓の音が耳をつんざかんばかり、三味線の美しい音色が流れ、口上言いは冗談,教えに「陰悪はいびきのごとく陰徳は耳の鳴るがごとし」と言います。,しく、火の粉は空を覆い、10丁余り先まで吹きまくる風にあおられて、屋根瓦の落ちる音や、竹が弾ける音が耳を
木曾山林学校 (木材の欠乏を憂ふ)

1914~18)により我国森林は過伐に陥り、各地共木材の不足せるを耳にす。
木曾山林学校 (ペテロ大帝と脱走兵)

スタン 若し露(ロシア)皇帝の配下の耳へでも入るものなら大変困るからね ぺテロ 露皇帝ぺテロはそれに
信濃名勝詞林 (碓氷紀行)

北向山の法のともしひ とよみて出しけれはかへしにとて義逢 北向の山の松風いかなれは おほみや人の耳に
信州浅間焼之事 ([翻刻])

おのがじち耳ふ たき目おほひながら、光るにもおぢす夜一よ呼のゝ しりありくに、神もまけじと鳴ひゞき
信州浅間焼之事 ([現代訳])

それぞれ耳をふさぎ、目をおおいながら、光に怖れることなく夜通し騒ぎ歩くと、噴火の音もそれに負けまいと鳴
源氏百人一首 (惣論)

、柏木(かしはぎの)権大納言と書べきを柏木右衛門督と書る類多し、是等は聊にても広く世人(よのひと)の耳にふれたる
善光寺道名所図会 (○水内 善光寺)

事、見るにしのびず、昔の機縁つきざる故に済度利益せんが為、今 此処に来現せりと告給ふ、御声聖明王の耳にふるゝと,飛入給ふと御覧じて、頓て懐妊まし/\ける、聖徳太子是 なり、[胎内に十二月在す、厩戸の王子上宮皇子、八耳の
信濃名勝詞林 (陸路廼記)

耳にきゝめにみることも珍しき たひちはいかにたのしかるらん とありけるかへりことに。
『説諭要略』巻一 ([ルビ・注記])

善根隹柄(とりえ)(注8)ナルモノ聞毎ニ心之ヵ為ニ改 リ、耳之ヵ為ニ澄ミ、墨(注9)亦倍(ママ)従(,最初ヨリ心耳(しんじ)ヲ澄シ  テ聞イタリシカ。感激ノ極ニヤ鼻打カミ。涙ヲ拭(ぬぐ)ヒ。,終(つい)ニ親類ノ耳ニ触レタレハ。其モノ一日戸長ニ  謂テ曰(いわく)。翁ノ家豪農ナル。,耳能ク聞キ。鼻能ク嗅キ。口能ク味ヒ。皮膚能  ク感ス。脳獨リ能ク此五者ノ報告ヲ集メテ。
地震後世俗語之種 ([翻刻])

高き 橋よりみなきる瀬音耳欹たてゝ聞、浪の うね/\に《フカ》き青渕たちし恐ろしさたとへん かたもなし,引受け、人力衰ふる時は必狼狽必心魂を 脳乱する事下賤の身の常なれハ、斯はでや かなるをもつて人民の耳目
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