機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
キーワード一覧
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
キーワード
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 49件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 1ページ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(耳取村)
耳
取村 地域 東信 市町村名 現在(令和2年):小諸市(こもろし) 明治初期:
耳
取村(みみとりむら,) 幕末から明治初期:
耳
取村 幕末から明治初期(よみ):みみとりむら 『長野県町村誌』 2巻 ,鉄砲師・桶屋 民業女: 農事補助・養蚕/(農間)縫織 明治初期の村絵図・地図(県立歴史館所蔵)
耳
取村全図 /
耳
取村
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(岩野村)
民業男: 農桑/養蚕 民業女: 農桑/養蚕/生糸 その他特記ワード: 金刺貞長/神八井
耳
命
赤松小三郎書簡 実母宛
(江戸・長崎遊学)
この折の長崎航海日記が「美美婦久呂(
耳
袋)」で、内田・下曽根門で学んだ学問を緯度・水深・風速等実地に応用
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(土口村)
笹崎/雀部(ささきべ) 民業男: 農桑 民業女: 養蚕/生糸 その他特記ワード: 神八井
耳
命
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(筑摩村)
(はばうえ)/玄池/清水/大宮/県塚(あがたづか)/県宮(あがたのみや)/丹波塚/山家(やまべ)道/
耳
聞,神明社/天満社/野々宮社/神明社/鎮守両社/若宮社/県宮(あがたのみや)社/駒形社/白山社/金山社/
耳
聴社
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(古安曽村)
上平/小屋久保/鬢櫛/小森川/中谷/若宮/若宮下/駒形/駒形下/小屋岳/飼馬口/峠下/小胡桃/大胡桃/
耳
切
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(有明村)
令和2年):安曇野市(あずみのし) 明治初期:有明村(ありあけむら) 幕末から明治初期:橋爪村/
耳
塚村
木曾山林学校
(寂の姿)
更(ふけ)くるに従ひ余りに明瞭に
耳
朶(じだ:みみたぶ、みみ)打つ雨の語らひを、たゞ一人ポツネンと聴く深夜
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(豊丘村)
/八屋敷/中屋敷/南原/中原/新町/北沖/西沖/鹿猪/大星/大野田/一本松/一位屋敷/テシマダ/犬ノ
耳
/
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(小諸町)
大梁/立石/中沢尻/横山/馬場裏町/袋町/五軒町/鹿島裏町/大手町/樋下町/足柄町/日影町/鹿島山/
耳
取町,りょうじんくるわ)/籾蔵(もみぐら)台/中仕切/天守/黒門/三ノ門/足柄門/黒門橋/鍋蓋郭/根津曲輪/
耳
取曲輪
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(塩尻村)
永福寺/常光寺/慈光院 古跡・名勝: 塚田/小笠原閑斎の墓/御墓塔/記常塚/五輪塔/首塚・胴塚/
耳
塚
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(布施村)
後藤地/古城/的場/京ノ坪/栗平/雀坂/沓形/曲リ沢/岩下/赤穂地/城仏/スボ入/熊野堂/水無/大窪/
耳
取山
木曾山林学校
(生きるといふ事)
だが淋しい哀音(あいいん:悲しげな音色)の啜(すす)り泣きを
耳
にして浮華(ふか:うわべばかり華美で実のないこと,だがそれをじっと抱きしめ堪え忍んで自己内部の声に
耳
傾けつゝ進む人が向上の路を辿り得る人である。
小県郡民謡集
(凡例)
)く芳名(注3)を掲げることが出来難(できがた)いので若(もし)も本書の刊行を旧児童、学友、同族中で
耳
にせられたなら
長野師範学校は初めて学年・学期を定め、開業式・卒業式を挙行
(長野師範学校開業式)
不可不衝動
耳
目。而激発其心志。余。徴之 古今万国。莫(なかれ)不咸(みな)然。蓋(けだし)不如此。
小県郡民謡集
(付録 春駒一首)
(改頁) くどき(注1) くどきと言ふもの數首を
耳
にすれど今首尾一貫して記憶
寛保二壬戌歳満水記
([翻刻])
沽滴砂石 を流すか程こそあれ、八朔の戌の刻より千曲川満水に及ひける に、山々諸々崩るゝ音百千の雷かと驚
耳
目,云声のみに かまびすしく、あわれとやいわん、よばわる声、きやうくわん大きやう くわん目前にありて、
耳
のふたとなる,農ハ田畑を流し、行末如何成行んと心を苦しめる多し、兼好法師 か世か定めなきこそいみしけれと云しも、
耳
にも
安曇・筑摩両郡旧俗伝
([翻刻])
シ所ニ、鬼賊の 渠魁魔道王ヲ始め、首一百三十六、其外邪賊数知れ ス、討取所乃首をハ塚ニ埋む、是ヲ
耳
塚
地震後世俗語之種
([翻刻])
雷鳴
耳
をつらぬき、電光目に遮り、おそろしといふも 尋常なり。,すといへとも何か ら先も不能思案、こつては尚更混雑不埒(ふらち)、親 の教訓(をしへ)も午(むま)の
耳
、,処狭しと建並べ、日も西山に傾きて入相
耳
をつらぬけハ、あるとあらゆる数万のしな/\、或は 蝋燭或ハ,行かふ諸人
耳
目を驚 し、西に走り東に歩み、南北たにもさだかなら さる其賑ひ、たとふるにものなし。,教に陰悪は鼾の如く陰 徳は
耳
の鳴か如しと云云。
「長野県下ノ小学教員二告ル文」
([ルビ・注記])
児童ノ智識ヲ 得ルハ外物ノ関係ニ因リ感覚シテ得ルモ ノユヘ、其脳裏ニ入ルノ通路ハ
耳
目鼻口皮 膚ノ,悟リ、生徒ヲシテ先ズ物 事ノ意思ヲ脳中ニ領解(りょうかい)(注25)知覚セシメ、然ル 後其言詞ヲ
耳
ニテ
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2)
([翻刻])
入 不申候、千曲川通為御見分御出之等(方カ)々記、当所御見分寛保二壬戌十二月十五日御見分被遊候、
耳
取村境塩川,臼田村御立被成候付、大田部村ニ而御機嫌御伺申上候而罷帰申候、四月二日岩尾村より 千曲川通御覧、落合村・塩名田宿・
耳
取村
寛保二壬戌歳満水記
([現代訳])
やかましく、哀れとはいわないが大声でさけぶ声や、わめきさけび、大声で わめきさけぶ光景を目前に、
耳
をふさぎたくなる,どのようになるのかと心を痛める人が多い、兼好法師 の言葉に「人の命の有限であることが素晴らしい」という言葉が、
耳
にも
弘化丁未夏四月十三日信州犀川崩激六郡漂蕩之図
([翻刻])
レ落ル声遠ク松代・須坂・中野ニ達ス] [是時僕昌言海津ノ西条山ニ在テ水声ヲキクコト良久ク、アタカモ
耳
ヲ
安曇・筑摩両郡旧俗伝
([現代訳])
魔道王を始め、その首が百三十六、そのほか、邪賊は数えきれないほどだ、討ち取った首は塚に埋めた、これを
耳
塚
木曾山林学校
([注記])
実習組織:ここでは実習組織として、共同・組合・個人の3形態があげられているが、このうち組合というのは
耳
なれない
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2)
([現代訳])
当所のご見分は、寛保二年十二月十五日に
耳
取村境塩川より始まり、市町にお泊まりになりました。,四月二日、岩尾村より千曲川通りをご覧になり、落合村・塩名田宿・
耳
取村・山浦村を、右岸・左岸を行ったり来
おらが春
([翻刻])
あつはれの大わか竹そ見ぬうちに ゝ 花つむや扇をちよいとほんのくほ ゝ としよりと見るや鳴蚊の
耳
のそ,のならひなれと、 いまたたのしひも半はならさる千代の小松の、二葉 はかりの笑ひ盛りなる縁(ママ)り子を、寝
耳
に,葱のともひかり 生々 軽篭仲間の小無尽を取る 梅塵 (改頁) 此頃は
耳
のほめきも, 雨わひる志賀の旅寝や鮒鱠 一朗 いらぬ灯もともしてあるや薺の夜 琴堂 鴬や東風ふく
耳
に
弘化丁未夏四月十三日信州犀川崩激六郡漂蕩之図
([現代訳])
こえました] [この時、私原昌言は松代の妻女山にいてその水音を聞きましたが、それはしばらく続き、
耳
を
小県郡民謡集
(児童謡)
○寝んねんころころころ兎 何うしてお
耳
がお長いの お母(かあ)さんお 腹(なか)に居た時に 椎(しい,)の実樫(かし)の実たべたので それでお
耳
がお長いの。,(唇歯眼 鼻
耳
殻(注1)をさす) ○上(あんが)り目に下(さんが)り目 くるりとまわつちや猫の目。,注1
耳
殻……
耳
介(じかい)。
耳
の穴のまわりに広がっている、貝殻のような形のもの。 2.
地震後世俗語之種
([現代訳])
折しも夏の日の夕立が篠つくように降り、雷鳴は
耳
をつんざかんばかり、稲光に目もくらんで恐ろしいという言葉,親の教えも馬の
耳
に念仏、悔やんでも取り返しのつかない無知無学で、述べる考えはまったくの俗物のたわごとで,見物客は木戸口で押し合い、笛・太鼓の音が
耳
をつんざかんばかり、三味線の美しい音色が流れ、口上言いは冗談,教えに「陰悪はいびきのごとく陰徳は
耳
の鳴るがごとし」と言います。,しく、火の粉は空を覆い、10丁余り先まで吹きまくる風にあおられて、屋根瓦の落ちる音や、竹が弾ける音が
耳
を
木曾山林学校
(木材の欠乏を憂ふ)
1914~18)により我国森林は過伐に陥り、各地共木材の不足せるを
耳
にす。
木曾山林学校
(ペテロ大帝と脱走兵)
スタン 若し露(ロシア)皇帝の配下の
耳
へでも入るものなら大変困るからね ぺテロ 露皇帝ぺテロはそれに
信州浅間焼之事
([現代訳])
それぞれ
耳
をふさぎ、目をおおいながら、光に怖れることなく夜通し騒ぎ歩くと、噴火の音もそれに負けまいと鳴
信州浅間焼之事
([翻刻])
おのがじち
耳
ふ たき目おほひながら、光るにもおぢす夜一よ呼のゝ しりありくに、神もまけじと鳴ひゞき
善光寺道名所図会
(○水内 善光寺)
事、見るにしのびず、昔の機縁つきざる故に済度利益せんが為、今 此処に来現せりと告給ふ、御声聖明王の
耳
にふるゝと,飛入給ふと御覧じて、頓て懐妊まし/\ける、聖徳太子是 なり、[胎内に十二月在す、厩戸の王子上宮皇子、八
耳
の
『説諭要略』巻一
([ルビ・注記])
善根隹柄(とりえ)(注8)ナルモノ聞毎ニ心之ヵ為ニ改 リ、
耳
之ヵ為ニ澄ミ、墨(注9)亦倍(ママ)従(,最初ヨリ心
耳
(しんじ)ヲ澄シ テ聞イタリシカ。感激ノ極ニヤ鼻打カミ。涙ヲ拭(ぬぐ)ヒ。,終(つい)ニ親類ノ
耳
ニ触レタレハ。其モノ一日戸長ニ 謂テ曰(いわく)。翁ノ家豪農ナル。,
耳
能ク聞キ。鼻能ク嗅キ。口能ク味ヒ。皮膚能 ク感ス。脳獨リ能ク此五者ノ報告ヲ集メテ。
地震後世俗語之種
([翻刻])
高き 橋よりみなきる瀬音
耳
欹たてゝ聞、浪の うね/\に《フカ》き青渕たちし恐ろしさたとへん かたもなし,引受け、人力衰ふる時は必狼狽必心魂を 脳乱する事下賤の身の常なれハ、斯はでや かなるをもつて人民の
耳
目
おらが春
([現代訳])
のならいであるけれど、まだ楽しみが半ばにもなっていない、千年も経るべき小松で、二葉ほどの笑い盛りである幼子が、寝
耳
に
木曾山林学校
(◎林業の方面より観察したる森林教育)
余輩の
耳
に達して居るのは愛知・奈良の農林学校其他2、3校に過ぎない。
善光寺道名所図会
(○水内 善光寺)
このお声が聖明王の
耳
に触れるやいなや、聖明王は前世での習慣がよみがえって、信仰心が心に刻み込まれ、感激,厩戸(うまやど)の皇子、上宮(じょうぐう)皇子、八
耳
(やつみみ)の皇子などのお名前がある。
(株)第十九銀行と諏訪製糸業
([ルビ・注記])
ント日用品トシテ取扱 ハルヽニ至リ彼ノ南阿ノ事件(注4)日露ノ戦役(注5)独仏ノ確執(注6)等世界ノ
耳
目
上田の早苗
([翻刻])
来数世詳ならす、貞観五年九月、諏訪郡人右近将監正六位上金刺舎 人貞長、大朝臣の姓を賜ふ、神八井
耳
命
地震後世俗語之種
([現代訳])
高い橋の上からみなぎり流れる水音を
耳
を澄ませて聞き、目に見える波の下の青深い淵の恐ろしさは例えようもありません
「上田郷友会月報」記念号中「既往八十年」
([ルビ・注記])
(きゅう)して、授業生に なったのであるから、花柳界(かりゅうかい)の話なぞ、得意にやるのには
耳
障,自然他の人にも知れる者と見へて、宮下さん は、近いうちにやめるんぢゃないかと云ふような、ささや きを
耳
にするので
長野県師範学校生徒修学旅行概況
(長野県師範学校生徒修学旅行概況[全文])
其大なるものは、口径凡六寸、小なるものは凡 三寸、共に噴勢頗る猛烈にして、轟聲(ごうせい)殷々殆と
耳
を
むしくら日記
(1巻 元)
ひたもの乞て止されは、さらは重役に申んと答しニ、御重 役迄ハとかくはからい給へ、もし 大守の御
耳
ニ
むしくら日記
(1巻 元)
ならば重役に申しましょうと答えますと、「重役までは何とかお計らいなさいましょうが、もし大守のお
耳
に入ったらきっとお
松本藩庄内組大庄屋御用留
([翻刻])
(改頁) 79 色浅黒く 眼細く 囗小く 小鼻ひくき
耳
尋常体
松本藩庄内組大庄屋御用留
([現代訳])
、中肉小太リ、丸顔、頬こけ、 (改頁) 色浅黒く、眼細く、囗小さく、小鼻ひくい、
耳
尋常体
/ 1ページ