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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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パスファインダー (親鸞聖人と善光寺)

他力本願を唱 えた親鸞が聖徳太子に魅かれて善光寺詣りをしたのかを考える。,キーワード 善光寺 親鸞聖人 聖徳太子 他力本願 自力本願 親鸞松 堂照坊 笹字の名号  関山神社,の関係、また聖徳太子を尊崇した親鸞が、越後 内容紹介 での流罪赦免後、善光寺詣りをしたとされる経緯など,その中で渡辺信和同朋大学 仏教文化研究 所長が「聖徳太子と親鸞」について、その関係を詳述す る。,親鸞と聖徳太子 島田裕巳/著 角川書店 2018 内容紹介 聖徳太子に日本仏教の原点を求めた
善光寺道名所図会 (目録)

 本尊如来出現 月葢長者説 百済王説      (改頁)      3    本朝来現 聖徳太子説
松代まちあるきマップ (35真如山萬法寺)

境内には太子堂があり、善光寺信仰とも縁の深い聖徳太子(松代の仏師黒岩慶篤作)を祀り、祭礼も続いている。
松代まちあるきマップ (19白鳥山證蓮寺)

寺内には、六代幸弘直筆の「親鸞聖人御影」や「聖徳太子像(上越市浄興寺像と姉妹仏)」がある。
善光寺道名所図会 (○筑摩 郷原)

○郷福寺[桔梗山白馬院と号す、真言宗京知恩院に属す、] 本堂本尊[大日、] 観 音堂[正観音、聖徳太子御作信州百番
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (須坂町)

じょうねんじ)/誓願寺(せいがんじ) 学校: 本立学校 古跡・名勝: 須坂陣屋墟(すざかじんやあと)/聖徳太子廃堂跡
善光寺道名所図会 (○筑摩 郷原)

本堂本尊は大日如来、観音堂の正観音は、聖徳太子の作といい、信州百番のうち28番の札所です。
戸隠善光寺往来 ([翻刻])

聖徳太子、如来与往 復之書通、詩哥之応 答有之事、『風雅集』      (改頁)      11
戸隠善光寺往来 ([現代訳])

聖徳太子が善光寺如来と手紙をやり取りしたり、和歌の贈答があったりしたことが、「風雅和歌集」や「埃嚢抄」
信州善光寺御堂額之写 ([翻刻])

聖徳太子御歌 いそげ人みだのみふねのかよふまにのりおくなハたれかわたさむ     如来の御詠歌
信州善光寺御堂額之写 ([現代訳])

聖徳太子御歌 (略) 如来の御詠歌 (略)    (絵)「肥前国長崎 西中町 中村吉蔵 同行四人
善光寺道名所図会 (○水内 善光寺)

これが聖徳太子である。(胎内に12か月おいでになった。,ことに聖徳太子様が信仰しておられるから」と、朝廷の意向をうかがった後、喜び勇んで如来を背負って自分の郷里,聖徳太子は、欽明・用明両天皇と守屋一派の菩提を弔うため、清涼殿で七昼夜にわたって念仏を唱えさせた。,また聖徳太子が逝去されたのは、推古天皇29年辛巳2月である。この手紙の年は、皆ご逝去の後である。,○聖徳太子鏡の御影(浄願坊にある。
善光寺独案内 ([現代訳])

(現在の西本願寺別院)   太子堂  聖徳太子像は運慶の作。善光寺七院の一つである。  ,迦葉尊者 運慶の作   釈迦牟尼仏  阿難尊者 丹慶の作   この南に離れて   聖徳太子,聖徳太子に仕え、守屋を討ったという。そのため女子は織物を習う時、この寺に祈るという。    
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部 ([翻刻])

夲尊阿弥陀如来[善光寺分身の如来聖徳太子御感得也]〇祖師聖人枕石御本尊[御首]  [ハ御自作にして尊躰,   (改頁)    (改頁)    (改頁)    (改頁)      28    聖徳太子,開基  是信御坊奥州本誓寺に座しける時、弘長二年十一月朔日、  是信夢の中に聖徳太子告げて曰く、「
善光寺道名所図会 (○水内 善光寺)

救世の願あり、我はこれ西方よりと宣ふ声と倶に 后の御ロに飛入給ふと御覧じて、頓て懐妊まし/\ける、聖徳太子是,慶長二年七月秀吉公以   本尊奉入於洛之大仏殿、然仏不悦而有竒祟、故同   八月復奉還、   聖徳太子為欽明,南無阿弥陀仏 また元仁二乙酉年四月十五日御止宿あり、[堂照坊第二十四世空阿大徳了意此丘の時代なり、] ○聖徳太子鏡
善光寺道名所図会 (○筑摩 松本)

筑摩郡埴原村にあり、禅宗済家京都妙心寺にぞくす、]信濃百番の内四番の札所なり、   本尊千手観音[聖徳太子御作
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部 ([現代訳])

聖徳太子の感得である。)  親鸞聖人枕石御本尊(御首はご自作で、尊体は如信上人の御作である。  ,聖徳太子の真像(親鸞聖人の御真作)。この尊像を落涙の太子という。,開基の是信坊が奥州本誓寺におられた時、弘長2年(1262)11月1日、是信の夢の中で聖徳太子がお告げをされた
善光寺独案内 ([翻刻])

太子堂 聖徳太子運慶の作。     善光寺七院ノ内なり。,聖徳太子  に仕へ、守屋を討せしと  なり。
善光寺道名所図会 (○筑摩 松本)

本尊千手観音(聖徳太子作)、秋葉社(本堂のうしろ)、楼門(本堂の前)、稲荷社(客殿うしろの山手)、鎮守権現
地震後世俗語之種 ([翻刻])

○大日如来   大日堂、衆徒常智院の本尊 ○聖徳太子、四天王   太子堂、衆徒福生院の本尊 ○
地震後世俗語之種 ([現代訳])

◯大日如来 大日堂、衆徒常智院の本尊 ◯聖徳太子、四天王 太子堂、衆徒福生院の本尊 ◯曼荼羅
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