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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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春色辰巳園 ([解題])

春色辰巳園 / 春色辰巳園 四編上 (二編序、巻之四を収録) 春色辰巳園 四編中 (巻之五を収録) 春色辰巳園, 四編下 (巻之六を収録) 春色辰巳園 三編中 (巻之十一を収録) 春色辰巳園 三編下 (巻之十二,春色辰巳園 四編中(天保4~6年(1833~35)刊) [原本の目録] 春色辰巳園 四編下(天保4~,[原本の目録] 春色辰巳園 三編下(天保4~6年(1833~35)刊) [底本の目録] 春色辰巳園(,』が高く評価され、続編の本著『春色辰巳園』、『春色恵之花』、『春色英対暖語』、『春色梅美婦禰』と続いていく
春色梅児誉美 ([解題])

春色梅児誉美 / 春色梅児誉美 初編下 (巻之三を収録) 春色梅児誉美 三編上 (三編序、巻之七を収録) 春色梅児誉美, 三編中 (巻之八を収録) 春色梅児誉美 三編下 (巻之九を収録) 春色梅児誉美 四編上 (,巻之十を収録) 春色梅児誉美 四編中 (巻之十一を収録) 『春色梅児誉美』の朗読動画を見る [,目録] 春色梅児誉美 初編下(天保3年(1832)刊) [目録] 春色梅児誉美 三編上(天保3年(1832,)刊) [目録] 春色梅児誉美 三編中(天保3年(1832)刊) [目録] 春色梅児誉美 三編下(
木曾山林学校 (◎日本産重要針葉樹種子識別法)

種子の色は羽の色よりも濃く種子羽共に紫黒色で、2枚の同形なる羽は種子の左右に生じ先端に於て相合して居ります,故に羽の長さは殆んど種子の3倍ありまして、色は黄色を帯びて居る紫黒色であります。,色は鮮明なる紫黒色で同色の狭き羽が僅に存して居るのがわかります。,羽の固有の色は黄紫黒色(多少青緑色を帯ぶ)で空気中に置くときは少しくは変色して濃厚となります。,一、白檜(シラビソ) 色は青色少しく白色を帯んで単色であります。形ちは羽と同じく楔形で脂を含む。
木曾山林学校 (学術論説)

学術論説 1      木材染色術           江 波 多(えばた:注1) 本編は1908,年『ヨセフピステル』氏の注入法による木材染色術なる記事の大要を翻訳せし者(注2)にて、固より挿入せる説明図,注入法による木材染色術も又防腐剤注入法と同一の径路による者にして、防腐剤に代ゆる種々なる色素を注入して,建築用材若(もし)くは指物(さしもの)用材を染色し美観を添ふるにあり。,捺染せんとする木材は勿論(もちろん)皮付の儘(まま)断面を平滑にし塵埃を除去し、之に染色液を充せる容器
木曾山林学校 (木曽の五木と害虫)

白色で痩形の顎の丈夫な奴であった。,(イ)ヒバノキクヒムシは1分内外の小さい虫で色は少しく褐色を帯びて翅鞘(ししょう:昆虫類の一部に見られるかたい,前翅)は赤く、黄色の小さい毛が生えて居る。,色は黒く穿孔状はゲジゲジが2匹つながった様なのもある。,(ハ)ナガヒラタウンカ 此虫は上部は暗黒色で下部は黄褐、体の巾が広くて稜状部に3個の縦線がある。
木曾山林学校 (権現滝の春)

ねたる日影小暗き坂道、仰て天を見れば、若葉の梢涼し気にソヨソヨと風に動く隙よりチラチラとさし覗く天の色、,可憐なる花びら紫色濃艶に………静に鼻を近づくれば芳香殊に愛すべし。,遥に左方を見渡せば停車場の建物・機関庫の赤煉瓦・白色の煙突、木立の間に隠見す。,森々(しんしん:大木が並んで茂っているさま)たる千樹彩霞(さいか:美しい色のかすみ)に包まれ瀑前の春色更
龍駕の跡 (2巡行と自由民権運動・民衆)

2巡行と自由民権運動・民衆 巡行と自由民権運動の関係については、両者の民衆の支持をめぐる競合関係を色川大吉,色川大吉は一般人民の天皇の歓迎の型は「無関心型」「信仰型」「打算型」があったが、中でも天皇を拝み、天皇
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (鼎村)

年):飯田市(いいだし) 明治初期:鼎村(かなえむら)(かなえむら) 幕末から明治初期:山村/一色村,長野県町村誌』 3巻 p3644に掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 上山/下山/一色/
弘化丁未春三月廿四日信州大地震山頽川塞湛水之図 ([解説])

色分けされた絵図  弘化4年(1847)3月24日に発生した善光寺地震は、家屋の倒壊や火災ばかりでなく,その中に「崩山」「焼失」「洪水」「流失」「潰家」などが色分けして記入されています。  ,須坂(須坂市)や松本(松本市)の城下も、町によっては少し黄色が塗られています。,これらに対して、上田の城下にはまったく黄色がありません。上田ではほとんど潰家がなかったのです。,村の黄色の量が少なくなり、上田周辺の村々にはほとんど黄色がありません。  
小倉百しほ染 (小倉百しほ染 坤[後書き])

小倉百しほ染 坤[後書き] 【翻刻】 27~28 桓林伎堂 江月堂は五色の筆、おのつからにして,東武書舗 通銀町三町目 富士屋藏刊   【現代語訳】 江月堂(閑翁)は、青・黄・赤・白・黒の五色の
俳諧あやめぐさ ([解題])

縦22センチ、横17センチの茶色の台紙に格子縞の入った表紙の中央に「俳諧あや免く佐」の銀紙の題簽が貼られている,①青色の三字の長方形の印 ②青色の四字の長方形の印 ③燕を思わせる鳥型の青色印 ④蝶形の青色印
小倉百しほ染 (小倉百しほ染 乾[序文])

舌鼓を打て諷ふいてや黄門定家卿の百人一首骨稽の哥たるもの也其百の心をとりて発句に工ミなせるかはらぬ松の色を,その百の心をとって、発句に趣向を凝らし、かわらない松の色を染めこんで百入染」という事である。
木曾山林学校 (小品逝く春)

オレンジ色に栄えた夕照もうつすらと消えて、黄昏の影は何処(どこ)からともなく四辺を罩め(こめ:すっぽりおおい
はなの (葛三先生小伝)

頭部と手のみに薄い肌色の着彩がある。
源氏百人一首 ([序文])

のなみならさるもてもいちしろし、こは人のもとめにつけるにて、翁のためには、いとかりそめことなりけれと、花ももみちは、一枝見てその色しられ,のいつかの日 橘守部 (改頁) 4~6 〔序文2:菅原夏蔭〕 源氏物語一人一首序 紫をくらゐの色のかみのしなと,のわたりのもゝくさのことの葉の、世のめのわらはのもてあつかひくさとなれるに、さしならふとも、さのみ」けたるゝ色ならしを,そしるへくもあらすと、めてのゝしる人おほきをきくに、けにかうめ」つらかにえらひなせる心しらひは、もとよりいみしき色あひに
信濃名勝詞林 (信濃の記)

の記  摩詰庵雲鈴(まきつあんうんれい)【注1】   (前畧)今日(正德四年三月十三日)は空の氣色心,名物とて櫻うぐゐと云(い)ふ魚を主の出しければ 酒うけてうくゐ一つもさくらなり  凉菟 みづ海の景色はさくらうぐゐかな,  雲鈴 (改頁) 14 善光寺 岡田未格(みかく)【注4】亭 そのまことあらはす色や春の山  ,雲鈴 一そなへあれにも山の櫻かな  凉莬 姨捨山(おばすてやま) 今日は曇りかちにて定かならぬ景色なるを
木曾山林学校 ([本文])

長野県西筑摩郡福島町289番地 発 行 所    蘆 澤 書 店   ○本誌目次 (学術論説)木材染色術
はなの (古慊先生小伝)

頭部と手にのみに薄い肌色の着彩があり。
浅間山 (第七編 浅間山附近の動物)

雄は幅広く黒色を呈し、・・・」。
赤松小三郎書簡 実母宛 (幕末の先覚者赤松小三郎)

…特に算数に秀でしかば、人皆嘲笑して曰く、清次は算盤片手に町人になる気かと、又以てその異色あしを知るに
〔上田の獅子舞 房山獅子 春秋庵白雄伝〕 (上田の獅子舞)

ること無し、房山獅子の行粧大略左の如し[人員は此外ニ各手代りありと知るへし] 六人 三人ハ黒三人ハ赤色の,とあるは、尤も古きものなるかことし(鉦打を俗に魔よけ又は鬼もんよけと呼ぶ) 笛吹 三升紋の上下浅黄色なるをつけ,響頗る瀏亮たり、 謡揚 普通の麻上下をつけ手に扇を携へ、声高らかに謡ふ、 猿田彦(一人) 頭に金色の,鳥兜を戴き、金色の天狗面をかふり、千早の上着に袴をつけ狩衣を着し、裁 付袴を穿ち、草鞋をはき、手に五色紙千枚,りたる獅子頭をいたゝき、鈴と小団扇を左右の手に持ち、 浅黄筋染の上着に裁付袴草鞋の打扮なり、腰に五色の
養蚕往来 ([翻刻])

かけてほど なき桑あたふる時ハ 蚕ミな口より青水 運ニ寄と心得、我誤を知ず惣而 蚕を外にし、不作の後色々,ありとも、舟より してハ桑すくとよく 揚に少しもうれ ひなし、獅子□□ 不冴、村ニ重小粒ニ而赤色ニ,不〆、粒抜たる所有、或ハ一所ニ重曇 油気なく少障而も破羅々々と□ 種大下品と心得、又大粒ニて色,養蚕 の道ハゆだんより仕 そんずる事はなハだ 多し、されバ□□ □□□なれ共 不育種也、又水色ニ,後迄嫌初度の休ハ七八日 極最上也、余早ハ不宜、蚕生出ハ黒 延たるハ吉、黒共太短ハ悪し、神虫 赤色又
はなの ([解題])

巻頭に白雄・虎杖・葛三の略伝(青木九峨撰の漢文)と肖像(翠溪筆・色摺)及び筆蹟を掲げる。,挿絵は3枚(就夫・南喬・桃堂の筆で各色摺り)が本文中に組み込まれている。
木曾山林学校 (14.生徒心得綱領)

学級主任の許可を得て、筒袖袴を以て代用することを得 一、制帽は海軍形にして地質(じしつ:きじ=生地)は黒色羅紗,ふる場合は次の如し   夏略帽麦質索裨(注14‐2)普通編み方形普通形鍔(つば)の広さ三寸以内鉢巻黒色蝶結,び所定の帽章を前面に付す 一、上衣に立襟背広形前角の釦(ボタン)止めにして、地質冬服は黒色の小倉とし,時宜により制定することあるべし 一、脚胖(きゃはん)は素色麻製のものとす 一、6月1日より9月30
夢想兵衛胡蝶物語 巻之五 貪婪国 ([解題])

この夢想兵衛胡蝶物語は前編巻之一・発端・少年国、前編巻之二色欲国上品、前編巻之三色欲国中品・下品、前編巻之四強飲
俳諧二重染 (俳諧二重染跋)

靉靆(あいたい)を倩(あつら)ヒ、鼠鬚(そしゅう)ヲ把(たばね)テ、其ノ形界ヲ明ニシ、其ノ色艶ヲ朗ニシテ,色艶……………容貌や雰囲気。 諭………………さとす。言いきかせる。教えみちびく。
本朝桜陰比事 ([解題])

人間関係など社会通念の価値観が変わりゆく世相を背景に、「好色一代男」に代表される好色物をはじめ武家物、
地震後世俗語之種 (『地震後世俗語之種』の価値)

焼失区域を色分けした図(1-102)があるほか、堰き止められた犀川の決壊による大洪水が達した高さを図中
別所温泉誌 (《名勝社寺》)

なかでも異色のものは「氷澤」と「征清殉死之碑」です。  
地震後世俗語之種 (『地震後世俗語之種』の価値)

焼失区域を色分けした図(1-102)があるほか、堰き止められた犀川の決壊による大洪水が達した高さを図中
はなの (白雄先生小伝)

頭部と手のみに薄い肌色の着彩がある。
木曾山林学校 ([注記])

(注3)捺染(なっせん):染色法の一つ。型紙を当て染料をなすって布地に模様を染め出すもの。おし染め。,桿は淡緑色で白蝋粉に覆われ、節は二輪状。竹の皮は紫色。筍は食用、材は硬靱・緻密で諸器具を作る。,  (注46)仁少き好言と令色:『論語』に「巧言令色鮮(こうげんれいしょくすくな)し仁」とある,口先がうまく、顔色をやわらげて人を喜ばせ、こびへつらうこと。仁の心に欠けることとされる。
浅間山大焼け以来難儀につき見分願い ([現代訳])

しかも、穂の色は紫色で、これでは食糧にならない。  浅間山はいまだに噴火が止まない。
偐紫田舎源氏 ([解題])

を歌舞伎の「東山」の世界、室町時代に移して当世風に書き換え、歌舞伎と浄瑠璃と物語が一体化した文体に特色を,そこには光源氏的な光氏の好色遍歴を装いながらの宗全の追い詰めがあるが、これは推理小説仕立てと言ってよいであろう
松代まちあるきマップ (37荒神堂)

内々陣に文政十年(一八二八)奉納の本尊を納めた精緻な彫刻を施した極彩色の宮殿と旧村社・火神三柱神社社殿
松代まちあるきマップ (47真光(信広)山 林正寺)

御霊屋(本堂)は万治三年(一六六〇)の建立で、入母屋作り桟瓦葺き、内部は桃山様式の豪華な極彩色で、三十六歌仙
信濃名勝詞林 (犀川を下る)

【注4】此地に來て更に富士川に優るとも劣らさる江流を發見しぬ犀川(さいがわ)の流に沿ふ山光壑(がく)色の,瑰奇(かいき)なるは楮墨(ちょぼく)の能く盡(つく)す所に非す」舟行愈々(いよいよ)遄(はや)くして山色愈々,這(この)の自然の美に醉ふて嗒然(とうぜん)吾を忘る〻のみ是は此れ山淸地一帯の概勝(勝概・すぐれた景色),円筒形の筒の中に、種々の色のガラスやセルロイドの小片と三角に組んだ鏡を入れて、端の小さい穴からのぞくと
松代まちあるきマップ (44関谷山西楽寺)

慶安元年(一六四八)、信之が、三男信重の御霊屋(おたまや、国指定重要文化財)を建立。創建当時は極彩色の
寛保二年大洪水余禄 ([翻刻])

甚々強ク降出し、八月 朔日丁ノ戌日ナリ、然所ニ朝五ツ時、甚々鳴事 夥敷、諸人不思議之 思なし、色々
豆から日記 ([解説])

2丁目表裏にかけて鈴木道彦筆の若松の図「彩色摺」がある。
パスファインダー (蚕糸王国信州)

概要を知るための ツール 資料リスト 蚕糸王国信州 横浜開港と信州のつながり、信州各地域の特色ある,横浜開港と信州とのつながり、地域ごとの特色豊かな蚕糸業 の発展、繭や生糸を運んだ「道」の発達等、信州蚕糸業
龍駕の跡 (はじめに)

戦後、1966年に色川大吉が巡行と自由民権運動との関係を示唆して以来、この六大巡行の意義について、次のような
木曾山林学校 (寂の姿)

アオギリ)の一片にも、友に離れた孤雁(こがん)の悲しげなるにも、夜毎の草叢(くさむら)に細り行く虫の音色にも
赤松小三郎書簡 実母宛 (横浜往復と「英国歩兵練法」の翻訳・刊行)

これは表紙の色より「赤本」と呼ばれた。
田ごとのはる ([解題])

縹色に蜀江空摺り文の表紙。題簽は中央に単辺で「田ことのはる」と白雄の筆。内題は「田毎の春」。
御役所より被仰渡御書付之写并請印 ([翻刻])

右三宿 至而難儀ニ付、取続難成由、依之     (改頁)   買置并諸色高直
戸隠善光寺往来 (一九の作品中の『戸隠善光寺往来』の位置)

表紙に、色刷りの絵を入れた大きな題簽(だいせん)(絵題簽)を貼ったものもたくさんあります。
木曾山林学校 (祝母校隆盛)

偉大なるかなの成長―当初向城(むかいじょう:福島町内の地名)の中央に赤色の方形不完全な古建築(注14)
後撰百人一首 ([凡例])

本書には巻頭に「建保六年八月中殿御会」の図(彩色)がある。
信州浅間焼之事 ([現代訳])

しばらくして噴火の音が遠ざかったので、頭を持ち上げて見ると、南側の障子は、空の色によって、紅く見えた。,そうしているうちに、紅い色が少しずつさめ、ようやく人の顔が白く見えるようになり、夜が明けた。  ,鬼にまどわされたかと眺めていると、空は薄く黄ばんで、雪が降るような色だった。,実政の渡しは、利根川が狭まったところで、普段でも水の流れが速く、水深が深く、水の色も藍より青い。,広野は草の色がなくなり、鶉の巣も焼けてしまい、きぎす(雉)も隠れることができず、猪の寝床も荒れてしまい
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