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木曾山林学校
(◎日本産重要針葉樹種子識別法)
種子の
色
は羽の
色
よりも濃く種子羽共に紫黒
色
で、2枚の同形なる羽は種子の左右に生じ先端に於て相合して居ります,故に羽の長さは殆んど種子の3倍ありまして、
色
は黄
色
を帯びて居る紫黒
色
であります。,
色
は鮮明なる紫黒
色
で同
色
の狭き羽が僅に存して居るのがわかります。,羽の固有の
色
は黄紫黒
色
(多少青緑
色
を帯ぶ)で空気中に置くときは少しくは変
色
して濃厚となります。,一、白檜(シラビソ)
色
は青
色
少しく白
色
を帯んで単
色
であります。形ちは羽と同じく楔形で脂を含む。
木曾山林学校
(学術論説)
学術論説 1 木材染
色
術 江 波 多(えばた:注1) 本編は1908,年『ヨセフピステル』氏の注入法による木材染
色
術なる記事の大要を翻訳せし者(注2)にて、固より挿入せる説明図,注入法による木材染
色
術も又防腐剤注入法と同一の径路による者にして、防腐剤に代ゆる種々なる
色
素を注入して,建築用材若(もし)くは指物(さしもの)用材を染
色
し美観を添ふるにあり。,捺染せんとする木材は勿論(もちろん)皮付の儘(まま)断面を平滑にし塵埃を除去し、之に染
色
液を充せる容器
木曾山林学校
(木曽の五木と害虫)
白
色
で痩形の顎の丈夫な奴であった。,(イ)ヒバノキクヒムシは1分内外の小さい虫で
色
は少しく褐
色
を帯びて翅鞘(ししょう:昆虫類の一部に見られるかたい,前翅)は赤く、黄
色
の小さい毛が生えて居る。,
色
は黒く穿孔状はゲジゲジが2匹つながった様なのもある。,(ハ)ナガヒラタウンカ 此虫は上部は暗黒
色
で下部は黄褐、体の巾が広くて稜状部に3個の縦線がある。
木曾山林学校
(権現滝の春)
ねたる日影小暗き坂道、仰て天を見れば、若葉の梢涼し気にソヨソヨと風に動く隙よりチラチラとさし覗く天の
色
、,可憐なる花びら紫
色
濃艶に………静に鼻を近づくれば芳香殊に愛すべし。,遥に左方を見渡せば停車場の建物・機関庫の赤煉瓦・白
色
の煙突、木立の間に隠見す。,森々(しんしん:大木が並んで茂っているさま)たる千樹彩霞(さいか:美しい
色
のかすみ)に包まれ瀑前の春
色
更
龍駕の跡
(2巡行と自由民権運動・民衆)
2巡行と自由民権運動・民衆 巡行と自由民権運動の関係については、両者の民衆の支持をめぐる競合関係を
色
川大吉,
色
川大吉は一般人民の天皇の歓迎の型は「無関心型」「信仰型」「打算型」があったが、中でも天皇を拝み、天皇
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(鼎村)
年):飯田市(いいだし) 明治初期:鼎村(かなえむら)(かなえむら) 幕末から明治初期:山村/一
色
村,長野県町村誌』 3巻 p3644に掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 上山/下山/一
色
/
弘化丁未春三月廿四日信州大地震山頽川塞湛水之図
([解説])
色
分けされた絵図 弘化4年(1847)3月24日に発生した善光寺地震は、家屋の倒壊や火災ばかりでなく,その中に「崩山」「焼失」「洪水」「流失」「潰家」などが
色
分けして記入されています。 ,須坂(須坂市)や松本(松本市)の城下も、町によっては少し黄
色
が塗られています。,これらに対して、上田の城下にはまったく黄
色
がありません。上田ではほとんど潰家がなかったのです。,村の黄
色
の量が少なくなり、上田周辺の村々にはほとんど黄
色
がありません。
木曾山林学校
(小品逝く春)
オレンジ
色
に栄えた夕照もうつすらと消えて、黄昏の影は何処(どこ)からともなく四辺を罩め(こめ:すっぽりおおい
木曾山林学校
([本文])
長野県西筑摩郡福島町289番地 発 行 所 蘆 澤 書 店 ○本誌目次 (学術論説)木材染
色
術
浅間山
(第七編 浅間山附近の動物)
雄は幅広く黒
色
を呈し、・・・」。
赤松小三郎書簡 実母宛
(幕末の先覚者赤松小三郎)
…特に算数に秀でしかば、人皆嘲笑して曰く、清次は算盤片手に町人になる気かと、又以てその異
色
あしを知るに
養蚕往来
([翻刻])
かけてほど なき桑あたふる時ハ 蚕ミな口より青水 運ニ寄と心得、我誤を知ず惣而 蚕を外にし、不作の後
色
々,ありとも、舟より してハ桑すくとよく 揚に少しもうれ ひなし、獅子□□ 不冴、村ニ重小粒ニ而赤
色
ニ,不〆、粒抜たる所有、或ハ一所ニ重曇 油気なく少障而も破羅々々と□ 種大下品と心得、又大粒ニて
色
,養蚕 の道ハゆだんより仕 そんずる事はなハだ 多し、されバ□□ □□□なれ共 不育種也、又水
色
ニ,後迄嫌初度の休ハ七八日 極最上也、余早ハ不宜、蚕生出ハ黒 延たるハ吉、黒共太短ハ悪し、神虫 赤
色
又
木曾山林学校
(14.生徒心得綱領)
学級主任の許可を得て、筒袖袴を以て代用することを得 一、制帽は海軍形にして地質(じしつ:きじ=生地)は黒
色
羅紗,ふる場合は次の如し 夏略帽麦質索裨(注14‐2)普通編み方形普通形鍔(つば)の広さ三寸以内鉢巻黒
色
蝶結,び所定の帽章を前面に付す 一、上衣に立襟背広形前角の釦(ボタン)止めにして、地質冬服は黒
色
の小倉とし,時宜により制定することあるべし 一、脚胖(きゃはん)は素
色
麻製のものとす 一、6月1日より9月30
地震後世俗語之種
(『地震後世俗語之種』の価値)
焼失区域を
色
分けした図(1-102)があるほか、堰き止められた犀川の決壊による大洪水が達した高さを図中
地震後世俗語之種
(『地震後世俗語之種』の価値)
焼失区域を
色
分けした図(1-102)があるほか、堰き止められた犀川の決壊による大洪水が達した高さを図中
別所温泉誌
(《名勝社寺》)
なかでも異
色
のものは「氷澤」と「征清殉死之碑」です。
木曾山林学校
([注記])
(注3)捺染(なっせん):染
色
法の一つ。型紙を当て染料をなすって布地に模様を染め出すもの。おし染め。,桿は淡緑
色
で白蝋粉に覆われ、節は二輪状。竹の皮は紫
色
。筍は食用、材は硬靱・緻密で諸器具を作る。, (注46)仁少き好言と令
色
:『論語』に「巧言令
色
鮮(こうげんれいしょくすくな)し仁」とある,口先がうまく、顔
色
をやわらげて人を喜ばせ、こびへつらうこと。仁の心に欠けることとされる。
浅間山大焼け以来難儀につき見分願い
([現代訳])
しかも、穂の
色
は紫
色
で、これでは食糧にならない。 浅間山はいまだに噴火が止まない。
松代まちあるきマップ
(37荒神堂)
内々陣に文政十年(一八二八)奉納の本尊を納めた精緻な彫刻を施した極彩
色
の宮殿と旧村社・火神三柱神社社殿
松代まちあるきマップ
(47真光(信広)山 林正寺)
御霊屋(本堂)は万治三年(一六六〇)の建立で、入母屋作り桟瓦葺き、内部は桃山様式の豪華な極彩
色
で、三十六歌仙
松代まちあるきマップ
(44関谷山西楽寺)
慶安元年(一六四八)、信之が、三男信重の御霊屋(おたまや、国指定重要文化財)を建立。創建当時は極彩
色
の
寛保二年大洪水余禄
([翻刻])
甚々強ク降出し、八月 朔日丁ノ戌日ナリ、然所ニ朝五ツ時、甚々鳴事 夥敷、諸人不思議之 思なし、
色
々
パスファインダー
(蚕糸王国信州)
概要を知るための ツール 資料リスト 蚕糸王国信州 横浜開港と信州のつながり、信州各地域の特
色
ある,横浜開港と信州とのつながり、地域ごとの特
色
豊かな蚕糸業 の発展、繭や生糸を運んだ「道」の発達等、信州蚕糸業
龍駕の跡
(はじめに)
戦後、1966年に
色
川大吉が巡行と自由民権運動との関係を示唆して以来、この六大巡行の意義について、次のような
赤松小三郎書簡 実母宛
(横浜往復と「英国歩兵練法」の翻訳・刊行)
これは表紙の
色
より「赤本」と呼ばれた。
木曾山林学校
(寂の姿)
アオギリ)の一片にも、友に離れた孤雁(こがん)の悲しげなるにも、夜毎の草叢(くさむら)に細り行く虫の音
色
にも
木曾山林学校
(祝母校隆盛)
偉大なるかなの成長―当初向城(むかいじょう:福島町内の地名)の中央に赤
色
の方形不完全な古建築(注14)
戸隠善光寺往来
(一九の作品中の『戸隠善光寺往来』の位置)
表紙に、
色
刷りの絵を入れた大きな題簽(だいせん)(絵題簽)を貼ったものもたくさんあります。
御役所より被仰渡御書付之写并請印
([翻刻])
右三宿 至而難儀ニ付、取続難成由、依之 (改頁) 買置并諸
色
高直
信州浅間焼之事
([現代訳])
しばらくして噴火の音が遠ざかったので、頭を持ち上げて見ると、南側の障子は、空の
色
によって、紅く見えた。,そうしているうちに、紅い
色
が少しずつさめ、ようやく人の顔が白く見えるようになり、夜が明けた。 ,鬼にまどわされたかと眺めていると、空は薄く黄ばんで、雪が降るような
色
だった。,実政の渡しは、利根川が狭まったところで、普段でも水の流れが速く、水深が深く、水の
色
も藍より青い。,広野は草の
色
がなくなり、鶉の巣も焼けてしまい、きぎす(雉)も隠れることができず、猪の寝床も荒れてしまい
信州浅間焼之事
([翻刻])
明て六日の朝まだき、 おきいでゝミれば、庭も籬も白妙に、きくさミな花 咲たるがことく、雪の朝の気
色
にて,やゝ 神鳴音も遠くなるやうなれバ、かしらもたけて みれバ、南のさうじにうつりたる空の
色
ハ、紅の,こはいかに此上に又氷ならぬ誠の 火の雨もや降つらむと、いきたる心地もせず、とかく する内あかき
色
少,水ハ 硯の海の
色
して、三尋計りなる火石、黒煙 りうつまひて行中に、かすかに人の声の今を限 りと泣,広野ハ草の
色
もなく、鶉の床も やけうせて、きゞすのつまもかくれえず、ふす ゐの床もあれゆけバ、犬狼
パスファインダー
(佐久市跡部の踊り念仏2)
のお 船祭り 湯原の式三番 田立の花馬祭り 遠山霜月祭り等掲載 口絵写真―国重要文化財 紙本著
色
一遍上人絵詞伝,一遍上人と踊り念仏 市川武治/著 佐久 2009.3 第56号 (口絵写真―国重要文化財 紙本著
色
一遍上人絵詞伝
善光寺道名所図会
(○筑摩 松本)
白沢大和・白沢越後]其外[飯田靱負・村上主殿・宮岡讃岐] 巫女一人 △祭礼の節は氏子より船の形を作りて、
色
々,これを漁る、大なるものは壱尺四、五寸計、下池は大さ上 池の半といふ、石南花池の周に繁茂して、花の
色
殊, 祈るに験ありとぞ、講堂の阿遮羅王ハ弘法大師の作仏なり、境内に雄鳥 羽の滝あり、此水に浴すれバ
色
黒,酒造家などありて、山間の一邑なり、此村の山の中 腹に三光石あり、長六尺ばかり、巾四尺程、高二尺五寸、
色
黒,く日月星は うす赤
色
なり、日月 の太径五寸程、星は大小有て数十八、九あり、此石 昔梓川の河原に
善光寺独案内
(『善光寺独案内』に収録された伝説)
『善光寺独案内』に収録された伝説 『善光寺独案内』の特
色
の一つに、他の本にはない珍しい伝説をたくさん
パスファインダー
(信州の道・街道(中南信地域))
歴史街道トラベルガイド 児玉幸多/監修 学研 2001.1 内容紹介 宿場町時代の空気を
色
濃,沿道の代表的な風景や風物を紹介するほ か、通過地点間の所要時間、舗装・未舗装の道を
色
わけした地図などを
パスファインダー
(草創期の善光寺)
出版社 出版年 善光寺仏 善光寺の創建 善光寺信仰 百済 日本書紀 扶桑略記(ふそうりゃっき)
色
葉字類抄,・2・3・4] 著者名 正宗敦夫/編纂校訂 出版社 現代思潮社 出版年 1978
色
葉字類抄
木曾山林学校
(生きるといふ事)
人々には、華美麗艶(れいえん:美しくなまめかしい)しかも毒々しい眩惑(げんわく:まよわすこと)する様な
色
彩,栄光の輝く所其処には灰
色
の零落がある。,だが淋しい哀音(あいいん:悲しげな音
色
)の啜(すす)り泣きを耳にして浮華(ふか:うわべばかり華美で実のないこと
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(南箕輪村)
物産2: 繭/蚕種/鶏/鶏卵/生糸/縮緬/真綿/斜子布/絹布/白木綿/縞木綿/玉糸/手屑糸/織
色
木綿
犀川を下る記
(3.千曲川通船)
光線は波に銀
色
の反射を与えた。」
善光寺道名所図会
(○筑摩 郷原)
南東の方角(巽の方)に1町ほど列をなして松が茂り、朱
色
の鳥居をこえると稲荷の祠があります。
木曾山林学校
(文苑(ぶんえん:注40))
に、至つて撲吶(注45)であるけれども、口に蜜持つ蜂は尻に針ある事は知るが故に、吾人は仁少き好言と令
色
(
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(奥山田村)
硫黄山(いうやま)/鉛山(なまりやま)/陶石山(とうせきやま)/本湯(もとゆ)/滝ノ湯(たきのゆ)/五
色
ノ
パスファインダー
(善光寺平と渡来人)
渡来人 トピック(テーマ) 善光寺平と渡来人 ねらい 善光寺平には渡来人の痕跡が
色
濃
浅間山大焼け以来難儀につき見分願い
([翻刻])
も苅取、百姓夫食取続仕、 □□当秋之儀者、明廿四日彼岸ニ入候得共、此節 □(漸)穂出かゝり、穂の
色
紫
犀川を下る記
(犀川を下る記[全文])
岩根には、躑躅(つつじ)山吹さらぬこと木もまじらひて、下ゆく水に緑を添 へ、くれゆく春は、また波の
色
を,おひたちて川水に うつる緑の影そすゝしき 岩ねにはつゝし山吹春はしも 波の
色
さへ,とかうしてこぎ来るほどに遥(はるか)に新町も見えそめ ぬれば、惓(う)み果てぬる人々の心も、とみに喜びの、
色
にあらはれた
木曾山林学校
([注記])
春、白
色
の小花が開き、紅
色
・球形の核果を結ぶ。,材は器具に、葉は染
色
に使われ、樹皮からは鳥もちを採る。
木曾山林学校
([注記])
(注14)赤
色
の方形不完全な古建築:開校当初の校舎は、郡立高等小学校の廃校舎であった。,それを
色
分けして図面に表示したものを林相図という。,(注17)青表紙:直接的には青
色
の表紙の本を指すが、古くは藤原定家が校訂した源氏物語や儒教関係の書物、
木曾山林学校
(◎我が国人の天性植物を愛する志想に富む事を述ぶ)
彼(かの)春日(しゅんじつ)、野に耕して居る面
色
(めんしき:顔のいろ)漆の如き農夫が、終日泥土・糞尿を
木曾山林学校
(母校を思ひて)
第一学校の設備が他の実業学校に比して甚だ遜
色
(そんしょく:おとっているようす)がある様である。
パスファインダー
(長坂利郎)
信州人物誌 田島 清他/著 信州人物誌刊行会 1971.4 教育界にも戦時
色
が強まり、教員も戦闘帽
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