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(『更科紀行』と芭蕉)
『更科紀行』と
芭蕉
トピック(テーマ) 『更科紀行』と
芭蕉
ねらい 俳聖松尾
芭蕉
,『更科紀行』と
芭蕉
について調べる。,街道 筋の
芭蕉
の句碑もすべて紹介し、「更科紀行」「更科姨捨月之弁」の原 文も収録。,新赤版) 上野洋三/著 岩波書店 1989.11 まんが 松尾
芭蕉
の更科紀行 松尾
芭蕉
/原作 さらしな,内容紹介 松尾
芭蕉
、与謝蕪村、小林一茶。 / 『更科紀行』と
芭蕉
善光寺道名所図会
(○筑摩 郷原)
「野を横に馬ひきむけよほとゝきす はせを(
芭蕉
)」という句碑があります。 ,本堂南側に、高さ63センチメートルの自然石に刻んだ
芭蕉
の句碑があります。,碑面上部に
芭蕉
翁とあり、
芭蕉
の「奥の細道」のなかの句が刻まれています。,連中五尺庵露白」とあり、当地の江戸時代の俳人で菅江真澄とも親交のあった俳人青柳露白の建立したもので、当地方の
芭蕉
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(春秋庵加舎白雄(かやしらお))
(1767)初め信州に来て、上田、戸倉、更埴、松代の門人を結束させて明 和6年(1769)姨捨山に
芭蕉
句碑,俳人 上田藩士 姨捨山
芭蕉
句碑 面影塚 明和 安永 江戸日本橋 鉄砲町 春秋庵 別所北向観音
芭蕉
塚 ,1986.1 内容紹介 春秋庵加舎白雄の解説、肖像、四季詠草、長谷寺詠草、遺稿、別所北 向観音
芭蕉
塚建立,加舎白雄:
芭蕉
に継ぎ、蕪村に並ぶ上田ゆかりの俳人 窪田英治[ほか]/編集 加舎白雄顕彰保存会事務局
善光寺道名所図会
(○筑摩 村井)
なるふじ見橋をこゆる日ハ、雨ふりて山みな雲にかくれたり 霧しくれ富士を見ぬ日そおもしろき はせを(
芭蕉
,) この句は、
芭蕉
翁の袖日記にあり、東海道の句です。
善光寺道名所図会
(○下戸倉)
ここに、松尾
芭蕉
の句碑があります。 ,横笛や駒もいななく雪あらし これは、
芭蕉
の句ではなく、加賀藩の者の句であるともいわれています。
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(信濃の古典文学)
平家物語 義経記 曽 我物語 説経節 徒然草 新古今和歌集 歌物語 説話集 軍記物語 和歌 俳諧 松尾
芭蕉
,続編 の下巻は、中世の文学、近世以降の文学の2章で、説話文学、木曽義 仲、
芭蕉
などを取り上げている。,松尾
芭蕉
や正岡子規など県外の俳人についても、信 濃との関係を記している。
善光寺道名所図会
(○筑摩 麻績)
弘法袈裟掛松とて一古松あり、麓に清泉涌出る、蟹 清水といふなり、掛茶屋一軒[一の川より出る、]傍に
芭蕉
翁句碑,あり、表に
芭蕉
、 塚裏に さゝれ蟹足はい登る清水かな はせを 嶺に水茶舗あり、又右に夜が
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(姨捨山の文学)
1 書名 著者名 出版社 出版年 更級 姨捨山 月の名所 古今和歌集 大和物語 李白
芭蕉
,姨捨山の文学 矢羽勝幸/著 信濃毎日新聞社 1988 “月の都”姨捨山の変遷、パロディーの姨捨、
芭蕉
,内容紹介 『古今和歌集』の有名な「わが心なぐさめかねつ~」一首によって姨捨は 田毎の月といわれ、
芭蕉
善光寺道名所図会
(○下戸倉)
をなすばかりなり、冠着山西に相対す、ばせを翁の句碑あり、 横吹や駒もいななく雪あらし[或曰、此句
芭蕉
翁
はなの
(白雄先生小伝)
白雄先生小伝 8~10 白雄先生初称昨烏信州之人父上田候の臣加舎某也 先生志気高邁放棄世事慕
芭蕉
翁之蹤游歴海内止于東都師事于松露
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(木曽の文学)
中山道 木曽路 兼好法師 和宮 木曾義仲 菊池寛 恩讐の彼方に
芭蕉
更科紀行 幸田露伴 風流仏 泉鏡花,信濃毎日新聞社 2008.2 内容紹介 木曽路から姨捨、善光寺、碓氷を越えて上州坂本まで、
芭蕉
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(信濃の古典(1))
物くさ太郎 御伽草子 善光寺紀行 とはずがた り 生身の如来 善光寺縁起 紅葉狩 一茶 おらが春
芭蕉
,信濃毎日新聞社/編 出版社 信濃毎日新聞社 出版年 1975.9 兼好法師の「木曽の御坂」、
芭蕉
善光寺道名所図会
(○筑摩 麻績)
掛茶屋が1軒(一の川より出る)あり、傍に
芭蕉
の句碑あります。,表に
芭蕉
、塚裏に さゝれ蟹足はい登る清水かな はせを とあります。 嶺に水茶舗があります。
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(飯島保作と花月文庫)
第十九銀行 第六十三銀行 八十二銀行 上田市横町 銀行家 花月 一万冊 御当代記 近世文学関係
芭蕉
,飯島保作の略歴ついて、また、『御当代記』はじめ、赤松 小三郎、上野尚志等の郷土資料関係、近世文学関係では
芭蕉
関係
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(長野・更埴地域の文学について(1))
キーワード 概要を知るた めのツール 1 書名 著者名 出版社 出版年 姨捨
芭蕉
,出版年 姨捨山の文学 矢羽勝幸/著 信濃毎日新聞社 1988 内容紹介 古典の姨捨山、
芭蕉
俳諧二重染
([下巻])
(改頁) [十丁 オモテ] 雪の
芭蕉
包メども そもや豫譲(よじょう)の 朧月 和律,(注)「雪の
芭蕉
」 未詳。,唐時代の詩人で画人の王維が、雪景色のなかに
芭蕉
(植物)を描いたという故事に基づくか。,
芭蕉
は、春夏には大きな葉を繁らすが、冬は葉が枯れてしまうことから、雪の中の
芭蕉
を描くことは、誤り。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(奈良井村)
諏訪神社 寺: 大宝寺/長泉寺/法然寺/専念寺/浄竜寺 古跡・名勝: 奈良井治部少輔義高の城墟/
芭蕉
絶句
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(稲荷山町)
長雲寺 学校: 小学稲荷山学校 古跡・名勝: 城址/鉦山/塚穴/城水/義仲鞍掛石/舟繋石/和歌ノ
芭蕉
碑
浅間山
(第二編 浅間山)
「吹き飛ばす石も浅間の野分かな」(
芭蕉
)であった浅間山の裾野は近来、広野を開墾するとともに植林をし、山
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(信州の道・街道(中南信地域))
信濃毎日新聞社 2008.2 内容紹介 木曽路から姨捨、善光寺、碓氷を越えて上州坂本まで、
芭蕉
,街道 筋の
芭蕉
の句碑もすべて紹介し、「更科紀行」「更科姨捨月之弁」の原文 も収録。
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(善光寺参詣と善光寺道)
木曽路名所図会 木曽街道六十 九次 道中続膝栗毛 方言修業金草鞋 滑稽旅賀羅寿 更科紀行 十 返舎 一九
芭蕉
,善光寺参詣と善光寺道について 内容紹介 著者はまえがきで、「その人の足あとふめば風薫る」とし、
芭蕉
信濃名勝詞林
(更科紀行)
越人は、越後出身の尾張蕉門の重鎮で、松尾
芭蕉
『更科紀行』に同行し、そのまま
芭蕉
と共に江戸まで同道した。
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(長野・更埴地域の文学について(2))
長野・更埴地域について代表的な 文学作品について調べる キーワード 姨捨
芭蕉
面影塚 加舎白雄
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(小林一茶の生涯)
信 濃町 黒姫 柏原 柏原宿 古間宿 江戸 善光寺 長沼 六川 小布施 町 高山村 俳壇 俳諧師
芭蕉
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(長野市鬼無里地区)
キーワード 長野市 西山 裾花川 水
芭蕉
奥裾花自然園 鬼女 紅葉 伝説 松 巖寺 東京 西京
〔上田の獅子舞 房山獅子 春秋庵白雄伝〕
(春秋庵白雄伝)
白雄が『
芭蕉
七部集』の第一『冬の日』(野水等編)に依ったのは天明の後半のことで明和2年ではない。
小倉百しほ染
(小倉百しほ染 乾[本文])
芭蕉
が詠んだ句「やがて死ぬ景色は見えず蟬の声」(『猿蓑』)があるが、この句を知っていての作かどうかは不明,(改頁) 敦忠 清原元輔 清原元輔(もとすけ) 玉を まく
芭蕉
や 幕の しほり かす 【読,「玉をまく
芭蕉
」(玉巻く
芭蕉
)は、巻かれた状態にある新しい
芭蕉
の葉。,五月頃、
芭蕉
の葉がほぐれると長さ二メートルほどの広葉となり、美しく風になびく。,季語は「
芭蕉
」で秋。
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(信濃の古典(2))
物くさ太郎 御伽草子 善光寺紀行 とはずがた り 生身の如来 善光寺縁起 紅葉狩 一茶 おらが春
芭蕉
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(善光寺の物語・紀行文・文学)
出版年 2008年 内容紹介 著者はまえがきで、「その人の足あとふめば風薫る」とし、
芭蕉
俳諧あやめぐさ
([解題])
白雄殁後、国分寺の境内に門人とともに
芭蕉
の句碑を建立した。
信濃名勝詞林
(信濃の記)
涼菟は、初め伊勢神宮の下級神職となったが、後に松尾
芭蕉
の晩年の門人となり俳諧を学んだ。
おらが春
([現代訳])
みやび)が次第に定まって以来、諸氏の趣は、それぞれがその得手不得手によって、姿形はそれぞれであっても、
芭蕉
翁,俳風は独自のもので、
芭蕉
翁の細みを探求し、あえて世塵を嫌うわけではなく、人情についてもまたなみひととおりではない,もし160年前の昔にこれがあって、
芭蕉
翁が目を通されたなら、惟然の兄とおっしゃっただろうか、弟とおっしゃっただろうか
俳諧二重染
(四季時候順)
そめし 財峨 竜眼聞も十三夜もの 超波 本阿弥は下谷あたりを千代の秋 撰居 (改頁)
芭蕉
はなの
(秋部)
らんの香や夜深に机置直し ばせを 露見出す奥やばせをの月明り 今ザト 蕉丘 破れ鐘の声にくれ行
芭蕉
哉
善光寺道名所図会
(○筑摩 松本)
、松本より塩尻宿へ出るの閑道なり、旅人ハ通らざれども、霊場の一、二をしる す、和泉村茶臼山の麓に
芭蕉
翁
おらが春
([翻刻])
未達 貞享四丁夘哥仙 葛の縄目をゆるされし文 まゝ子をもいたはる嫁の名をとけて
芭蕉
,改頁) 継母の又口はしる夜の雨 未達 おく五哥仙 山木かくれて草に血をぬる
芭蕉
, ゝ 其引 あゝ立たひとり立たることし哉 貞徳 子にあくと申人には花もなし
芭蕉
信濃名勝詞林
(かけはしの記)
路/\立てたる
芭蕉
塚に興を催ほして辿り行けば行くてはるかに山重なれり。
地震後世俗語之種
(絵の解説)
に付けられた短冊には「月かげや四門四州(宗)もたゞひとつ」という
芭蕉
の句が記されています。
違作書留帳
([翻刻])
てよし、桑の 葉なくバ枝にてもよし 一日ねつ殊の外強く、気 違ひの如く騒(サハ)ぎ苦しむ にハ
芭蕉
,共に 実法五くさ 我等田方うんかすくなし、 有かたき事 七月廿一日松本清水の 全昌寺の庭の
芭蕉
花
善光寺道名所図会
(○筑摩 松本)
和泉村(松本市中山)の茶臼山(いまの弘法山)の麓に
芭蕉
の句碑があります。
地震後世俗語之種
([現代訳])
月かげや四門四州(宗)もただひとつ
芭蕉
翁 かつて定額山善光寺は東門で、御堂も東向きでしたが、幾度,
芭蕉
翁の句「月かげや四門四州も唯ひとつ」が印刷されています。,のどかな春から「いざ行かむ雪見に転ぶ所まで」(
芭蕉
)の冬まで、四季折々の風流を楽しみ、御開帳の真っ最中
小倉百しほ染
(小倉百しほ染 坤[本文])
芭蕉
句「花は賤の目にも見えけり鬼薊」が謡曲『山姥』の「賤の目に見えぬ鬼とや人のいふらん」を踏まえて、賤
善光寺独案内
([現代訳])
芭蕉
の句碑 月かげや四門四州もただ一つ はせを 山寺常山先生の碑 長三洲の書である。
違作書留帳
([現代訳])
、桑の葉がなければ、桑の枝でもよい、 一、日熱がことのほか強く、気が違ったよう騒ぎ苦しむときには、
芭蕉
,実法五くさ、我等田方うんかすくなし、有かたき事」、 七月二十一日、松本清水(しみず)の全昌寺の庭の
芭蕉
義烈百人一首
([翻刻])
_園生 46_今出川義視 46_今出川義視(いまでがはよしみ) 故郷を かり寝の旅の 夜嵐に
芭蕉
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