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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (藤沢村)

明治初期:藤沢村(ふじさわむら)(ふじさわむら) 幕末から明治初期:片倉村/御堂垣外村/水上村/荒町村,ページを見る キーワード 字地: 片倉(かたくら)/御堂垣外(みどうがいと)/水上(みずかみ)/荒町,北原(きたはら)/臺(だい) 山: 片倉・守屋嶽諸山/御堂垣外東諸山/水上諸山/水上高ノトヲ諸山/荒町
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (里山辺村)

さとやまべむら) 幕末から明治初期:上金井村/下金井村/新井村/湯の原村/藤井村/薄町村/兎川寺村/荒町村,長野県町村誌』 3巻 p3067に掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 兎川寺(とせんじ)/荒町
小諸洪水流失改帳 ([解説])

次が本町、次が市町で(この三町は、小諸三町とも呼ばれる)、これに与良町と本町との間に新たにつくられた荒町,というのは、松井川は光岳寺の山裾から荒町と本町との境の道を横切り、武家屋敷のほうへ流れていた。,いていた雨が、二つの川のさらに上流で土石流を発生させ、二つの川が一つの川のようになって、六供・田町・本町・荒町,本町・六供・田町・荒町・市町の流家合計二五四軒(含寺四、宮一)     内、流家一九三軒、潰家三三軒
寛保二年大洪水余禄 ([解説])

次が本町、次が市町で(この三町は、小諸三町とも呼ばれる)、これに与良町と本町との間に新たにつくられた荒町,というのは、松井川は光岳寺の山裾から荒町と本町との境の道を横切り、武家屋敷のほうへ流れていた。,いていた雨が、二つの川のさらに上流で土石流を発生させ、二つの川が一つの川のようになって、六供・田町・本町・荒町,本町・六供・田町・荒町・市町の流家合計二五四軒(含寺四、宮一)     内、流家一九三軒、潰家三三軒
小諸大変書 ([解説])

次が本町、次が市町で(この三町は、小諸三町とも呼ばれる)、これに与良町と本町との間に新たにつくられた荒町,というのは、松井川は光岳寺の山裾から荒町と本町との境の道を横切り、武家屋敷のほうへ流れていた。,いていた雨が、二つの川のさらに上流で土石流を発生させ、二つの川が一つの川のようになって、六供・田町・本町・荒町,本町・六供・田町・荒町・市町の流家合計二五四軒(含寺四、宮一)     内、流家一九三軒、潰家三三軒
寛保二年小諸大洪水変地絵図(1) ([解説])

次が本町、次が市町で(この三町は、小諸三町とも呼ばれる)、これに与良町と本町との間に新たにつくられた荒町,というのは、松井川は光岳寺の山裾から荒町と本町との境の道を横切り、武家屋敷のほうへ流れていた。,いていた雨が、二つの川のさらに上流で土石流を発生させ、二つの川が一つの川のようになって、六供・田町・本町・荒町,本町・六供・田町・荒町・市町の流家合計二五四軒(含寺四、宮一)     内、流家一九三軒、潰家三三軒
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2) ([解説])

次が本町、次が市町で(この三町は、小諸三町とも呼ばれる)、これに与良町と本町との間に新たにつくられた荒町,というのは、松井川は光岳寺の山裾から荒町と本町との境の道を横切り、武家屋敷のほうへ流れていた。,いていた雨が、二つの川のさらに上流で土石流を発生させ、二つの川が一つの川のようになって、六供・田町・本町・荒町,本町・六供・田町・荒町・市町の流家合計二五四軒(含寺四、宮一)     内、流家一九三軒、潰家三三軒
小諸洪水流失改帳 ([翻刻])

太鼓矢倉江階子より漸上り助り申し候、上下怪我人無之候、 (中略)     (改頁)      9   荒町分,水押込 十軒  流土蔵 二十八軒  寺   四ヶ寺  落橋  十壱ヶ所  (中略)  本町荒町男女并馬流失改帳写,)      28   中町分  (中略)     (改頁)   荒町之分
松代まちあるきマップ (26高安山龍泉寺)

初代の海津城主高坂弾正忠昌信が、元亀元年(一五七〇)、母の菩提を弔うため、渓岸祖聞を開基として、東条村荒町
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (山王島村)

さんのうじまむら 『長野県町村誌』 1巻 p837に掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 荒町
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (飯田町)

掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 知久町/扇町/本町/番匠町/池田町/田町/松尾町/荒町
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (東条村)

2巻 p1558に掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 長礼/瀬関/般若寺/大日堂南/荒町
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (東高遠町)

: 郭内(かくない)/殿坂(とのさか)/若宮(わかみや)/北村(きたむら)/大屋敷(おおやしき)/荒町
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (塚原村)

関添/堰下/宮ノ前/砂畑/長塚/小太郎塚/前田/堰添/藤塚/古屋敷/志茂田/井戸上/藤ノ木/姫子石/下荒町
小諸繁昌記 ([解説])

荒町の豪商柳田茂十郎については「文明的商人」として、詳しく述べています。,第二節 商家案内  一、与良町(一四軒の商家)煙草、紙、酒、漆器、足袋などの店と鍛冶工場が  二、荒町
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (御代田村)

小人過/岩下/一本木/前林/朝日/前児玉/池尻/下苗間/雨池/一ノ沢/大塚/東林/児玉/飯綱/上小田井/荒町
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (南箕輪村)

/高木氏の宅址/宮島氏の宅址/建御名方富命、御狩の古関/御射山社の址/神宮寺平/猪ノ子芝/梨子ケ窪/荒町
戸隠善光寺往来 ([翻刻])

僕自後戸隠へ 参詣之志願候而、荒町、 牟礼井を打過、従柏原      (改頁)   直道は
戸隠善光寺往来 ([現代訳])

私はそれから戸隠に参詣したいという願いがあって、荒町、牟礼、柏原を通ってまっすぐ行く道は北国街道なので
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (小諸町)

現在(令和2年):小諸市(こもろし) 明治初期:小諸町(こもろまち) 幕末から明治初期:与良町/荒町
寛保二壬戌歳満水記 ([現代訳])

になった、    八幡村 一男2人流死、田畑本田新田石砂入、川欠山抜押出シて破損、    東条村の内荒町村,   西念寺境内 一家5軒、皆潰家、    御廐町 一家3軒皆潰家、流家1軒下田町分    荒町東条村分
寛保二壬戌歳満水記 ([翻刻])

田畑不残砂入二罷成侯、    八幡村 一男弐人流死、田畑本田新田石砂入、川欠山抜押出シニ而損、    東条村之内荒町村,御廐町     (改頁)   一家三軒皆潰家ナリ、流家壱軒下田町分    荒町東条村分
弘化丁未春三月廿四日信州大地震山頽川塞湛水之図 ([解説])

「カヂ丁(鍛冶町)」「中丁(中町)」「伊勢丁(伊勢町)」「本丁(本町)」「五アン(御安)」「アラ丁(荒町
寺子屋入門記録「壱番入門記録」 ([翻刻・注記])

  知久町三丁目 二月 大黒屋清助殿息子 一 当戌拾八歳     同断 村瀬栄三郎   荒町,黒田村高松庄左衛門殿孫 一 当戌拾三歳     素読 代田才太郎   (改頁)      15 十月十一日ヨリ 荒町
信州飯田町家控 ([翻刻])

処平右衛門様御預り候故、右御蔵屋敷も其  侭被差置候、然処当御代官千村平右衛門基寛公へ  御相対ニ而上荒町,升形長屋 右  同断      西裏御茶園 右掃地ニ成      長久寺前長屋 右同断      下荒町,    南側      上荒町    南側     (改頁)      31        
信州飯田町家控 ([現代訳])

ところが、当代千村平右衛門基寛公は相対で、上荒町へ蔵屋敷が引っ越しました。,に同じ      西裏御茶園は掃地になりました      長久寺前長屋は右に同じ      下荒町南側,     上荒町南側      文入前は真光寺前です。
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2) ([現代訳])

東沢川の泥流は、新町(現在は荒町と表記。
寺子屋師匠の日記 (寺子屋師匠の日記「当家初代好古堂芝産(注1)一代記 全 小沢和徳誌焉」)

ノ今井村梶原大膳先生并床尾先生よりも御聞被成候と被仰候 学  文之御朋友は梶少進老[医師 後ニ飯田荒町,其方兄之役ニ引取申付候間国元へ連戻り篤与異見差加候様被  仰付請取旅宿道中雑用多分之費ニ而連帰り右之段荒町御役所江
善光寺道名所図会 (○水内 善光寺)

○水内 善光寺 3   登リ丹波嶌ヘ一里なり、越後の方へ下るにハ、善光寺より荒町ヘ一里、 牟礼へ
宿継要書留 ([翻刻])

而返事仕候 廿七日 一三郎右衛門致持参候所、直ニ願書差出候様ニ  被仰付差出申候 一廿八日朝御召出荒町御評定所,  (改頁)    沙汰なく、六日ニ御召出し三駅大島町平治  片桐儀八飯島弁作三郎右衛門同道ニ而荒町評
善光寺道名所図会 (○水内 善光寺)

越後の方へ下るには、善光寺から荒町(新町)へ1里、牟礼へ2里半、柏原へ1里、野尻へ1里、越後の関川へ1
宿継要書留 ([現代訳])

一28日朝御召出され荒町御評定所で、御奉行阿久沢善内殿・中山藤左衛門殿御吟味につき、6年以前酉年松本より,・5日一向に御沙汰なく、6日にニ御召出しがあり、3駅大島町平治・片桐儀八・飯島弁作・三郎右衛門同道で荒町評定所
むしくら日記 (1巻 元)

、土蔵潰十一軒   一、同断半潰二十軒   一、物置潰十一軒   一、同断半潰十七軒      荒町神
『説諭要略』巻一 ([ルビ・注記])

荒町村(注1)ノ学校ニツキ。権令説諭ノトキ。生  徒ノ父母ヲ呼出シ。
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