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宿継要書留
([翻刻])
奉行所証文出之、如前致通路 候、然ニ去春問屋共七色之
荷物
宿次ニ申付候由申立、
荷物
九駄押 止候由訴之,ニ可仕旨申付候故、 伊那海道筋御領私領七色之
荷物
中馬ニ不為付候所、松本町之者 今以中馬ニ
荷物
売出,り候ニ付去春訴候処、 次
荷物
証文之通宿次ニ致候故、 尾州・三州より七色之
荷物
之内、付 通り候ニ付九百駄程押之,、継
荷物
不及申 上、返し
荷物
ニ而も惣而出
荷物
之分 (改頁) 137 ,、飯田より 諏訪之出
荷物
八百太、松本より飯田表 之
荷物
六百太合出
荷物
千四百 太合弐千太ツヽ、壱ケ
宿継要書留
([現代訳])
これによって1400駄の継
荷物
が定るまでは、飯田
荷物
の内差押える
荷物
の品は左の通り 椀 元結 ,勿論商人
荷物
の他土地の産物を手馬で付送ることは、信州の通例なので商人
荷物
を紛らわし茶
荷物
として付送るので,ところが七久保は在郷村で、宿継
荷物
を飯田から出した
荷物
に紛らわし、毎日戻りの駄賃稼をしているので、宿継
荷物
,継
荷物
は申し上げるに及ばず、返し
荷物
にてもすべて出
荷物
の分は、桜町で改めます。,御裁許が済み松本より飯田着の出
荷物
600駄、飯田より諏訪への出
荷物
800駄、松本より飯田表の
荷物
600
宿継要書留
([解説])
人や
荷物
の継送りをする伊那街道の宿場と、
荷物
を付け通す中馬稼ぎの人たちや、
荷物
を送り出したり受け取ったりする,百姓の要求は全面的に認められ、
荷物
を自由に運送できることになりました。,元禄6(1693)年伊那街道の16か宿は、宿継の
荷物
の励行を願い出ました。,裁許では付け通しの
荷物
は自由にしてよいということになりました。,一方宿継
荷物
は、正保3年に渡邉九兵衛が言い渡した7品になりました。
御城下古法并市場古法書抜書集
([翻刻])
得者、近在之他領又ハ奥筋より付参り候穀物類御町ニ而 塩
荷物
ニ引替候処、御町を付通途中ニおゐて,、 一切馬問屋より為売申間敷様ニ拾三町之者共馬問屋共 申合候并肴之儀古来ハ市廻仕来候得共、塩
荷物
,、拾三町伝馬町之商人共与同様 買分ケ可申事 右之通塩
荷物
肴
荷物
市場并問屋場ニて商人とも 買分,売余之
荷物
者市場へ改置可申候事 一暮合ニ一日之余塩何駄と致都合市場江改預ケ可申候 一昼之内ニ市場之
荷物
馬宿, 一塩・肴其外拾三町御運上物不残、古法通当日之市場江 卸立、荷宿市場之者立合可致売買事 一入
荷物
何駄売
荷物
何駄
犀川を下る記
(1.犀川通船の盛衰)
.犀川通船の盛衰 (1)宿場と中馬の反発 松本から北国脇往還(善光寺街道)を経由して善光寺まで
荷物
,犀川線の全通と犀川通船の廃止 「明治35年篠ノ井線開通後は松本からの出航は廃止され、鉄道で運ばれた
荷物
,は明科駅でおろされ、
荷物
は陸路荷馬車で明科の竜門淵や、多くは木戸に運ばれ乗船した。
御城下古法并市場古法書抜書集
([現代訳])
申上げたように街道において、塩
荷物
を買うことをすれば、近くの他領又は奥筋よりつけてきた穀物類を、町で塩
荷物
,前々の通り肴
荷物
は問屋場へ卸し、13町・伝馬町の商人ともどもに買い分けをすること このように塩
荷物
,・肴
荷物
市場や問屋場で商人どもが買い分けるように裁許があった。,一塩・魚の
荷物
が領分へ入り込むことは、自分の
荷物
を付けて来て、病馬になったり馬主が病気を煩ったりしたら,但し送り
荷物
は、馬方病気や病馬となっても、そこからほかの馬を雇っても、13町の内各々の所まで
荷物
の送り
パスファインダー
(信州中馬と伊那街道)
江戸時代の村々の余剰作物販売のための運送から始まった中馬稼ぎ は、次第に専門職として遠くまで
荷物
,宿場 問屋 馬宿 伊那街道 飯田町 桜町 松本 岡崎 吉田 (豊橋) 宿継 付通し 荷歩銭 商品流通
荷物
,馬宿・馬問屋 都筑方治/著 南信州新聞社出版局 2012 内容紹介 街道における
荷物
運送
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(北穂高村)
古跡・名勝: 有明山 物産1: 梨子 物産2: 薄荷 民業男: 農業/漁業/銃猟/
荷物
稼
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(中小谷村)
丸山内蔵助盛秀墓所/千速城跡/丸山/夏川石 物産1: 麻苧 民業男: 農業/(農間)松本より糸魚川へ
荷物
善光寺道名所図会
(○筑摩 洗馬)
多くの大名たちが参勤交代などのときに
荷物
の目方を改める役所が置かれているのは、東海道の府中のようです。,本陣の南側に、正徳2年(1712)から江戸の板橋宿とともに幕府の貫目改所がおかれ、継ぎ立
荷物
の目方を検査
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(千国村)
: 麻苧/米/粟/稗/大豆/蕎麦/酒 物産2: 麻布/玉子/生糸 民業男: 農業/(農間)
荷物
運送
御城下古法并市場古法書抜書集
([解説])
飯田町に入る
荷物
、出て行く
荷物
の量はかなりの増加となり、人の動きもさらに活発になりました。,安永期には、塩・魚
荷物
について13町内での申合せが書かれています。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(北小谷村)
/大豆/楮皮/葉煙草 物産2: 楮麻布/繭/真綿 民業男: 農業/(農間)松本より糸魚川への
荷物
運送
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(大日向村)
大豆/小豆/大麦/小麦 物産2: 繭/生糸/御種人参 民業男: 農桑/商/伐薪/炭焼/石灰焼/
荷物
運搬
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(神城村)
/大豆/蕎麦/麻/莨/清酒 物産2: 畳縁布/畳糸 民業男: 農業/(農間)麻/薪採・運送諸
荷物
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(朝日村)
物産1: 藍玉 物産2: 酒器/茶器/土瓶/大小瓶/擂鉢/生糸 民業男: 農/工/(農間)
荷物
駄送
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(平村)
/燕青/清酒 物産2: 麻苧/麻布/紙/鮒/赤魚/鶏卵/石灰 民業男: 農業/(農間)薪炭・
荷物
運送
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(藤沢村)
すずしろ)/牛房(ごぼう)/茄子(なす) 物産2: 石灰/炭/薪/絹糸 民業男: 農/商/炭薪/
荷物
輸送
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(中箕輪村)
大出の城址 物産1: 豆/藍葉/油荏/菜種 物産2: 絹糸 民業男: 農桑/商・(農間)
荷物
駄送
犀川を下る記
(3.千曲川通船)
この会社は明治7年に千曲川犀川通船会社となり、飯山から上田までの区間を、魚・塩・肥料などの
荷物
や人を輸送
パスファインダー
(松本・上高地の文学(1))
内容紹介 上高地の河童橋は小さなつり橋であるが、まだ橋のない昔、この辺を渡 渉する人が頭上に
荷物
絵頭入書百性往来童子宝全
([翻刻])
#160; (改頁) 10 之到着御用無指 支様馬指之任指 図、継送
荷物
宰
信州飯田町家控
([解説])
領主の変遷(2)飯田町の出来ていく過程(3)飯田町町人の地子米上納に至る経過(4)市運上と塩・肴・茶
荷物
信州飯田町家控
([現代訳])
知久町3丁通りは、横畑・根羽より来る馬 大横町は、武節・津具やこぼれ馬 この通りに決め、
荷物
,一塩ならびに肴を城下町において売買することについては、昔は尾張への通路の村の中馬追いが、出所より両方の
荷物
,伝馬町が言うには、昔は伝馬町へも塩・肴の
荷物
が市廻りで付けられてきた。,一2つの
荷物
の内塩
荷物
は、13町の内市場へ付けて来て、13町の商人が買い取るようにすること。,前の通肴
荷物
は問屋場へ卸し、13町・伝馬町の商人とも一緒に買い分けをすること。
木曾山林学校
(16.舎生心得)
各人現金を以て之れを購ひ得るものとす 第十二 雑則 一、金銭衣類等貸借を禁ず 一、
荷物
信州飯田町家控
([翻刻])
ニ糾明之裁許 一塩并肴御城下町ニおゐて売買之義、往昔者尾 州江通路之在之中馬追、出所より両種之
荷物
,を以十三町内市場町へ相納申候由緒、拾三町 之者申之、伝馬町より申候ハ往昔ハ伝馬町江も両種 之
荷物
市廻,伝馬町之申分不法二候間、自今市廻り運 上納候義ハ拾三町ニ限り可申事 (改頁) 一右両種之内塩
荷物
十三町之内市場江付参,相成候而者肴買分不相成由ニて差押へ候旨申 候ハヽ、双方令詮議候処ニ売子と申す義不相成候、前 之通肴
荷物
者問屋場
「上田郷友会月報」記念号中「既往八十年」
([ルビ・注記])
ちゅうちょ)したが、彼が頻(しき)りに呼ぶので、やっとはいっ (改頁) た、彼が私の
荷物
,一両日の内に
荷物
一切を取纏(とりまと)め、出京の日 を待つばがりとなった処、母の甥の一人が、此(こ),
荷物
が届かぬので、学校へ行くこともできぬから、今八 (改頁) 21 日は,
荷物
は届けて貰ふことにして、急い で宅に戻った。,吉田氏に下宿屋の
荷物
や、質屋に預け置きたる、
荷物
の 整理方を、依頼したので牛込馬場下町の質屋と、神田猿楽
地震後世俗語之種
([現代訳])
、また下手の町に燃え移って行きましたが、避難した人たちはみな1丁余りも離れた田畑の中に小屋掛けして、
荷物
,もそんな様子ですので、自分の小屋を一歩出て帰ろうとすると自分の小屋が分からなくなって、取り散らかした
荷物
,ここにいては危ないといって、人々は我先にと
荷物
を運んでいきます。,御輿の安置された傍らの麦畑の中で野宿して、ようやくここ権堂に帰ってきても、家には入れず、今日も一日中
荷物
,普段食べている菓子なども食べずに、ようやくここに仮住まいを定めましたが、「もし水が押し寄せて来たら、
荷物
犀川を下る記
(犀川を下る記[全文])
契符を買ひて、舟に、乗るに、乗る人猶多ければ、俄(にわか)に舟を増して、後れ至りしはそ が方に乗せ
荷物
地震後世俗語之種
([翻刻])
(改頁) (改頁) (改頁) 93 命から/\持出せし
荷物
,左右へ吹かけ、また下た町へ焼下 るといへとも、逃去りし諸人は壱丁有余も離れ し田畑の中に小屋掛し、
荷物
, (改頁) してハおのれか小屋に帰る事を見失ひ、取散らし たる
荷物
,権堂に続きて 火は炎々と燃くたるゆゑに、此所にありてハ事の 危しとて、人々われや先人におくれしと
荷物
,に帰りても、我家に入ること能はすして、今日 (改頁) も終日
荷物
善光寺道名所図会
(○筑摩 松本)
大通り十三 街、町数凡四十八丁、商家軒をならべ、当国第一の都会にて、信府と称す、相 伝ふ牛馬の
荷物
一日
龍駕の跡
(龍駕(りょうが 天子の車)の跡(注一))
などに宿貸すべき様あらざる故沓掛(くつかけ 今の中軽井沢)に至りて泊らんと歩を進めて行きけるに、早御
荷物
,聞く菊地某は今般の
荷物
人足を請負ひし人なりと、其家の印ならん。 午後一時沓掛駅に至る。,当駅は唯陸続と
荷物
等の通行するのみにして足を止むる者少なきを以て、旅宿は大概閑靜(かんせい)なり。,6 偖(さて)一時三十分頃より
荷物
の来ること夥(おびただ)しく皆宮内省内膳課、同内廷課、同調度課、,其
荷物
に交りて兵士巡査の来ること陸々続々たり、巡査は黒のマンテルに白のズボンを穿(うが)ち同じ色の脚袢
違作書留帳
([翻刻])
葛 の粉・粟ぬか其外いろ/\の 雑水等ニ而渡世仕候得共、御 用御通り之節人足差出候 而も、御
荷物
持送, 江崎金一郎様 六月廿二日 角之丞御役所 より扱被仰付 小又村与 高出村へ掛リ、 馬
荷物
出入
善光寺道名所図会
(○筑摩 松本)
牛馬の
荷物
が1日に千駄も入りまた千駄が附送られるといわれています。じつに繁昌の地です。
小県郡民謡集
(成人謡)
3.だ……馬一頭にのせるだけの
荷物
。 4.と……容積の単位。
違作書留帳
([現代訳])
そのほかいろいろな雑炊(ぞうすい、粥)にして生活してきている、宿場を御用御通りのときに人足を差し出しても、御
荷物
,六月二十二日 角之丞が御役所より扱い仰せ付けられ、小又村と高出村(たかいでむら、塩尻市)へ掛る、馬
荷物
寺子屋師匠の日記
(寺子屋師匠の日記「当家初代好古堂芝産(注1)一代記 全 小沢和徳誌焉」)
先江帰宅其後被送首尾克 御引取被成候 南殿村より御引取御帰家之節も惣代ニ而平右衛門 殿庄左衛門殿送りニ被参
荷物
等
小県郡民謡集
(児童謡)
(改頁) むしう(注5)御座(ござ)る 船の出先へ躑躅(つつじ)を植ゑて 躑躅咲くさくお花が
荷物
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