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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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はなの (葛三先生小伝)

葛三先生小伝 10~11 葛三先生一名奇鯨薙髪改朽仏後号黙斎姓倉田氏信州松代人也 性簡易少言不栄利受業於古慊翁終為俳歌者流之詞宗,古慊翁老□使其子八朗召先生以為乕杖庵主居之無幾復帰于相州文政戊寅夏六月病終于鴫立庵春秋五十七其縊一阿葛三居士云,青木九峨題(印)(印) (改頁) 註:葛三肖像。,(改頁) 12 六月や十日くらせしひと手柄  葛三 (註:葛三の自筆を摸刻) / 葛三先生小伝
豆から日記 ([解題])

[解題]  葛三句集 首尾二冊 文政二年刊 黒表紙  葛三の後継者鴫立庵雉啄が師の歿した翌年其の遺吟,奥書に 鴫立庵主人蔵版とある原本は松代松濤軒所蔵である  葛三句集葛古補遺 天保八年句集へ朱もて記入, 信州佐久八幡といふ処の門人小林葛古が文政十二年冬鴫立庵を訪問した折手書しておいた句中、雉啄編『葛三句集,葛三句集拾遺 未 刊  雉啄選『葛三句集』、『葛古補遺』に採録されて居ない句を、瓢左、草聖両人が長年,立句により、白雄のありし日を懐ふ葛三、一蕙等連衆九人の連句を連ね、末に葛三の一座せる連句三巻が掲げられてゐる
豆から日記 ([解説])

二松学舎大学文学部 矢羽勝幸 文化12年(1815)千曲市下戸倉の俳匠宮本虎杖の高弟で虎杖庵の二世を継ぐ倉田葛三,出句者は、戸倉を中心として、北は須坂市から東は軽井沢町に及ぶ北、東信濃の俳人(虎杖・葛三門下)たちの作品,すべて板下は葛三筆。序文は葛三、跋文は無い。2丁目表裏にかけて鈴木道彦筆の若松の図「彩色摺」がある。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (坂木村)

/山寺(やまでら)/刈谷原(かりやはら) 山: 大道山(だいどうざん)/五里ケ峯(ごりがみね)/葛尾山,橋: 木橋/土橋 道路: 北国街道 社: 坂城神社(さかきじんじゃ)/稲荷社/日吉社/葛尾神社,満泉寺(まんせんじ)/心光寺(しんこうじ) 学校: 阪城学校(さかきがっこう) 古跡・名勝: 葛尾城
はなの ([解題])

二松学舎大学文学部 矢羽勝幸  文政7年(1824)宮本八朗(のちの舟山)が、父虎杖、加舎白雄(虎杖の師)、師倉田葛三,巻頭に白雄・虎杖・葛三の略伝(青木九峨撰の漢文)と肖像(翠溪筆・色摺)及び筆蹟を掲げる。,の武曰(ぶえつ)・上田の雲帯・小諸の魯恭(ろきょう)・八朗の母鳳秋女・西寺尾の丿左(へっさ)・八満の葛古,(くずふる・葛三の高弟)等々各地域で活躍した俳人が少なくない。  
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (富田村)

蓑輪/平田/桜田/市道/堀田/若宮/須門場/下洞/天神平/鍋池/風越/向台/素桜 山: 飯縄山/葛山,馬継場橋/西福寺橋 道路: 戸隠街道/上ヶ屋村街道/入山街道/北郷街道 社: 皇足穂命神社/葛城神社,/天神社/飯縄社/山神社/子安社 寺: 地蔵寺/本地院 学校: 允升学校 古跡・名勝: 葛山城墟
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (南向村)

なかがわむら) 明治初期:南向村(みなかたむら)(みなかたむら) 幕末から明治初期:大草村/四徳村/葛島村,天白社 寺: 常泉寺/浄蓮寺/福泉寺/松福寺/延壽院 学校: 曾利学校/大草学校/四徳学校/葛嶋学校
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (磯部村)

ページを見る キーワード 字地: 街道端/清雲寺/五軒在家 山: 五里ケ嶽(ごりがたけ)/葛尾山,: 生糸/白紬 民業男: 養蚕/薪伐/漁業 民業女: 生糸/縫織 その他特記ワード: 葛尾城
パスファインダー (村上義清と村上氏)

著者名 出版社 出版年 村上盛清 木曽義仲 吾妻鑑 村上基国 村上信貞 信濃惣大将軍 坂 木 葛尾城,ふるさとの 英雄村上義清、葛尾城落城後のさかき、戦国時代以前の村上氏、『甲 陽軍艦』に見る村上義清等の,www.knowledge.pref.nagano.lg.jp/index.html 「村上義清 村上氏」に関連する図書、記事論文などを探すことができる 葛尾城跡保存会,が誕生 貴重な文化財、後世に 信濃毎日新聞 朝刊21ページ 1997.11.25 坂城の葛尾城紹介本 
パスファインダー (高井・水内地域の文学(2))

終焉日記 おらが春 鈴木牧 之 北越雪譜 秋山紀行 高野辰之 春が来た 春の小川 故郷 紅葉 朧月夜 葛飾北斎,1987.1 内容紹介 枕頭の書 書物の心 秋風日記 7 書名 江戸のジャーナリスト葛飾北斎,URL 概要 2 サイト名 URL 概要 2021.5 90歳まで絵筆をとった人気浮世絵師・葛飾北斎
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (古海村)

正育学校 古跡・名勝: 古城址/狢倉城址 物産1: 米/粟/稗/蕎麦/藍 物産2: 玉子/葛粉
善光寺道名所図会 (○埴科郡坂木)

○埴科郡坂木 55右   上田へ三里八町、榊・坂城とも書す、九町程相対して巷となす、むかしハ葛,中条・北条と分る、南条ハ今鼠宿 といふ、中条は今の中ノ条なり、北条は即坂木宿なり、 ○坂城神社 葛尾古城山
扶桑之蚕6巻 ([解説])

「史伝」では「藤本善右衛門縄葛(ふじもとぜんえもんつなね)」の業績を紹介している。,藤本縄葛は弘化2年新種「掛合」―別名信州かなす―を育成し、上田小県地域を全国にゆるぎない蚕種製造地とした,このとき縄葛は長野県の大総代に選ばれ、蚕種業に関する制度の基礎確立などにかかわり、県下への指導をする。,縄葛は、明治23年に76歳で死去するまで地域文化の向上に貢献する。
パスファインダー (春秋庵加舎白雄(かやしらお))

酔(うすい) 松露庵烏明(うめい) 宮本虎杖(こじょう) 坂井鳥奴(ちょう ぬ) 常世田長翠 倉田葛山,別所北 向観音芭蕉塚建立の文、白雄短冊、俳諧寂栞、白井烏酔・松露庵烏明・ 宮本虎杖・常世田長翠・倉田葛山
烈女百人一首 ([解説])

本書の内題は「緑亭川柳輯/列女百人一首 完/葛飾卍老人画/一陽斎豊国画/錦耕堂梓」とあり、書名が「烈」,画工につては、葛飾卍老人(北斎)と一陽斎豊国の両名が記されているが、奥付によると、口絵の細画担当が葛飾卍老人
おらが春 (小林一茶の生涯)

その間に俳諧を学んだらしく、25歳ころから葛飾派の俳人として活動を開始しました。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (広瀬村)

池の塔溜池 橋: 下立橋/立橋 道路: 戸隠街道/入山街道/入山下街道 社: 広瀬神社/葛城裾花神社
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (富倉村)

(あわ)/黍(きび)/藍葉(あいのは)/馬鈴薯(ばれいしょ) 物産2: 石炭油/楮皮(ちょひ)/葛粉
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (木祖村)

民業男: 農/(春冬)薪炭/医 民業女: 工/農/工業 その他特記ワード: 藪沢官林/葛沢官林
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (境村)

富士見町(ふじみまち) 明治初期:境村(さかいむら) 幕末から明治初期:小六新田村/高森村/池之袋村/葛窪村
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (中土村)

半坂/道田/廻渕/宮ノ上/宮ノ下/塩ノ久保/中谷/松本/神久/石原/高地/真木/日春間/大草連/田中/葛草連
善光寺道名所図会 (○埴科郡坂木)

昔は葛尾城の城下であったといいます。,坂城神社  葛尾古城山の麓にあり、村上氏がいたころはその城内であったといわれています。
はなの (花野集叙)

春秋庵白雄叟ハ世にゆるされしものしり人なるが其にごりなきすじを信濃の国の天姥ぬしにつたへ、ぬしより又同じ国の葛三
はなの ([跋])

二木季鳥 春秋庵碩布(印) (改頁) 行先もまた行さきも旅にしてつひに鴫たツ沢に一箇の古饅頭を積一河葛三
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (平村)

木綿糸・藁細工 その他特記ワード: (原野)借馬原・恵比寿間原/(鉱山)水晶山・硫黄山/(温泉)葛湯
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (片桐村)

かたぎりむら)(かたぎりむら) 幕末から明治初期:田島村/前沢村/上片桐村/片桐村/七久保村/小平村/葛島村
原町問屋日記(安政6年 6・7月) ([翻刻])

一棕呂箒          一棕呂皮 一蜜かん 一九年母 一生蝋          一干藻類 一葛 
蚕かひの学 ([現代訳])

保右の子縄(つな)葛(ね)は、新蚕種「掛合」(信州かなす)を選び出し、この地域を全国一蚕種業地帯にしたといわれます,藤本善右衛門保右は、安政三年(一八五六)ごろ子の縄(つな)葛(ね)に家督を譲り、元治二年(一八六五)に
パスファインダー (伊藤千代子)

治安維持法と拘禁精神病―伊藤千代子の死― 秋元波留夫/著 2003 イエローローズ 伊藤千代子の青春 葛城誉子
豆から日記 ([翻刻])

文化十二年乙亥の春 乕杖庵二世 葛三 (改頁)3 [挿絵(鈴木道彦筆)] (改頁)     4,)    16 かへる鴈入るさの月をなくしけり 杜宇雨 見しほどの顔揃ふてやかへる鴈 近江 葛松,(改頁) 閑覧亭即事 嬉しさの先(まず)ひとふしを畑芹 葛三 籬(まがき)の山をとし玉にして,椿老 春もはや内裡拝ミにさそふらん 林牛 衣裳の色を探る明ぼの 呂□ 葛花のくづおれ時も,へぬかの翁 徳 椎のワか木にもゆる陽炎 筆 四時亭漫興 梅の花ふた木とあれバみきもほし 葛三
昔語質屋庫 ([解題])

それぞれは皆、由緒のある道具類で、例えば、曽我十郎の千鳥小紋の小袖、諸葛孔明の陣太鼓、俵藤太(藤原秀郷
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (川田村)

: 東明寺山(とうめいじやま)/前山(まえやま)/上ノ山(うえのやま)/滝久保山(たきくぼやま)/葛巻山
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (平穏村)

ささのゆ)/錦ノ湯(にしきのゆ)/七繰ノ湯(ななくりのゆ)/目洗湯(めあらいゆ)/花ノ湯(はなのゆ)/葛ノ
パスファインダー (小林一茶の生涯)

蕪村 宗匠 句碑 野尻湖 黒姫山 おらが春 我春集 七番日記 父の終焉日記 一茶発句集 夏目成美 葛飾派
パスファインダー (上田・小県地域の文学)

キーワード 久米正雄 父の死 不肖の子 有島武郎 信濃日記 葛西善蔵 不能者 タカクラテル 倉田白羊
絵本東名物鹿子 二 ([翻刻])

「孔明」 諸葛孔明。諸葛 亮。中国後漢末期から三国時代の蜀漢の政治家・武将。亮は諱で字は孔明。,司隷校尉諸葛豊の子孫。泰山郡丞諸葛珪の子。諡は忠武侯。
天保飢愁 ([解説])

命をつなぐため、山に登って葛・蕨の根を掘り、木の実を拾い、食べられると聞けばどんなものでも刈取り、野も
パスファインダー (信州の山城を歩く)

葛尾城跡 戦国武将・村上義清の拠点 信濃毎日新聞社・朝刊28ページ 2018.6.17 塩崎城の「大塔合戦
小県郡民謡集 (付録 春駒一首)

へとおみすに上げる 三まへ織りてはお伊勢は内宮(なへぐ) 外宮(げくう)兩社へおみすに上げる殘りし絹を葛籠
源氏百人一首 ([本文])

こゝろもしらで ゆく月は うはのそらにて 影やたえなん 【頭注】 三位中将の娘也、致仕のおとゞに逢て玉葛(,(改頁) 63_玉葛内侍督 62_夕顔乳母 62_夕顔乳母(ゆうがほのめのと) 年を経て いのる,(改頁) 63_玉葛内侍督(たまかづらのないしのかみ) こゑはせて 身をのみこがす 蛍こそ いふより, 何により たちとまるべき 槙のはしらぞ 【頭注】 式部卿の宮の御娘にて、紫の上の姉也、おとゞ玉葛に,女房なり、この歌は玉葛の姫君たちに心をかけて蔵人少将(くらうどのせうしやう)の通へるころ、薫も来たまひて
秀吉と真田 (小田原出陣)

小田原の役の終了後、天正十八年十月、奥州で領地を没収された大崎氏・葛西氏の遺臣が、新領主に反抗して蜂起,大崎・葛西一揆と呼ばれる反乱事件であるが、この鎮圧に真田昌幸も出動を命ぜられている。  
はなの ([追善連句])

のけふはのどけき 筆 右竜夢館の主いとなミておくりたる也 文政七年申年六月十二日 休広忌法会 葛三居士
後撰百人一首 ([解説])

奥付には「筒井尚堂書伯手澤/淵上旭江畫宗縮圖/彫生 浪華 藤本金兵衛/文化龍集丁卯夏新鐫/大坂書舗 葛城長兵衛
弘化丁未春三月廿四日信州大地震山頽川塞湛水之図 ([翻刻])

又来目ノ岩橋ナド詠ルハ、大和ノ葛城ニ在ト。
はなの (夏部)

条 金花 地草のくさびをしめす清水哉 47 打水 打水や鶏ひとつそれて行 山田僧 旭海 葛水,葛水や山水も来る処にて 播 六英 竹婦人 ある時ハしき出しけり竹婦人 たかむしろ 薄月や
はなの (秋部)

ちぎれたるワらぢ見せけりわれもこう 武 径羽 世にそまぬ花のすがたやわれもこう 上田 雲帯 葛,葛の花老し桜にかたよりぬ ハセ 里桂 花野 見通しに畑をかよふ花野かな ミツマタ 甫喬 嚔(
贈答百人一首 ([解説])

画については、本書奥付に 口画 従一至十    葛飾為斎 肖像 従一至十    一勇斎国芳 同  
弘化丁未春三月廿四日信州大地震山頽川塞湛水之図 ([現代訳])

また「来目の岩橋」などと詠む橋は大和の葛城にあるといいます。
天保飢愁 ([翻刻])

をつがん、其餓を     (改頁)   しのがんと、或は山ニ登り又谷に下りて、葛
分県之建白 (分県之建白[全文])

スヘカラサル者アリ、然レトモ法令 ノ厳粛ナル之ヲ分疏スルニ途ナク唯命維服ス ルニ至ル、爾来歳月荏苒数裘葛ヲ
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