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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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善光寺道名所図会 (○水内 善光寺)

供養し奉り、御船に縋り乗移り 給ふかと見へしが、其儘海中に飛入て、大往生をとげ給ひけり、乳母・ 大臣,今此像を渡す事は、 日夲を呪咀し調伏する為ならん、速に御返しあつて然るべしと奏しける、 しかるに蘇我大臣稲目,小智愚昧の国なりと侮り、吾国を窺ハんは必定成 べし、尤尊信し給ふべき形像にて候となり、御門聞召し、蘓我大臣,異国の使者に引出物を賜り、返書をあたへ、二僧を留め 御暇を給りけれバ、使者は百済国にぞ帰りける、其後蘓我大臣,の御身ハ色も変らず、聊もそこね給ハず、見聞の輩こハそも 如何にと、身の毛を立、舌を巻てぞ恐れける、大臣
和漢忠孝百人一首 ([解説])

蘇我倉山田右大臣(15)、大織冠(16)、申包胥(17)、三閭大夫屈原(18)、賛侯瀟何(23)、留侯張良
善光寺道名所図会 (○水内 善光寺)

すると蘇我大臣(そがのだいじん)稲目(いなめ)の宿祢(すくね)が天皇に申し上げた。,その後、蘇我大臣(稲目)の家に仏を安置する場所を新設して如来をお移しし、金銀や珠玉で美しくおごそかに飾,遠許志大臣ももはや興ざめがして、「ああ恐ろしい。,翌年辛卯(かのとう)(571年)の初夏に欽明天皇は崩御され、遠許志大臣も病床で亡くなった。,さてまた弓削大連(ゆげのおおむらじ)守屋大臣(もりやのおとど)(遠許志の大臣の子)は、よくよく考え、参内
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部 ([現代訳])

天皇は深く尊崇されて、曽我(蘇我)大臣に命じて豊浦(とゆら)の里の向原寺に安置されたが、守屋大連は悪逆非道
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