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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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寛保二年大洪水余禄 ([現代訳])

(蛇堀川、別名にごり沢で発生したこの)土石流の水煙は天に達するほど高く、段々屏風をたてたような形になり,(蛇堀川の土石流は)与良口木戸の庇より高く跳ね上がり、橋を破壊し、木戸の入り口の柵をなぎ倒し十王堂の広場,この時松井川も氾濫し、蛇堀川と一緒に城下の田畑を流出させた。土石流は三度城下を襲った。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (小諸町)

/東原田/原田/北原田/西原田/大洞/扇畑/要畑/狐穴/川原田/上古宿/下古宿/南城/鹿曲輪/笠石/蛇堀川,/古屋敷/六供町 山: 高峯山/糠塚(ぬかづか)山 川: 千曲川/繰谷(くりや)川/乙女川/蛇堀川,/松井川/中沢川/栃木川/花川/小原(こはら)滝 渡・堰: 用水堰 橋: 乙女川橋/蛇堀川橋/
小諸洪水流失改帳 ([解説])

追分側からいうと、蛇堀川を渡った最初の町が与良町、次が本町、次が市町で(この三町は、小諸三町とも呼ばれる,町へは浅間山麓から蛇堀川・松井川(東沢川とも呼ばれている)・中沢川などが注ぎ、千曲川へ流れ込んでいる。,「戌の満水」の際には、もちろん蛇堀川も洪水を起こし、蛇堀大橋を破壊するなどの被害を与えたが、より大きな
寛保二年大洪水余禄 ([解説])

追分側からいうと、蛇堀川を渡った最初の町が与良町、次が本町、次が市町で(この三町は、小諸三町とも呼ばれる,町へは浅間山麓から蛇堀川・松井川(東沢川とも呼ばれている)・中沢川などが注ぎ、千曲川へ流れ込んでいる。,「戌の満水」の際には、もちろん蛇堀川も洪水を起こし、蛇堀大橋を破壊するなどの被害を与えたが、より大きな
小諸大変書 ([解説])

追分側からいうと、蛇堀川を渡った最初の町が与良町、次が本町、次が市町で(この三町は、小諸三町とも呼ばれる,町へは浅間山麓から蛇堀川・松井川(東沢川とも呼ばれている)・中沢川などが注ぎ、千曲川へ流れ込んでいる。,「戌の満水」の際には、もちろん蛇堀川も洪水を起こし、蛇堀大橋を破壊するなどの被害を与えたが、より大きな
寛保二年小諸大洪水変地絵図(1) ([解説])

追分側からいうと、蛇堀川を渡った最初の町が与良町、次が本町、次が市町で(この三町は、小諸三町とも呼ばれる,町へは浅間山麓から蛇堀川・松井川(東沢川とも呼ばれている)・中沢川などが注ぎ、千曲川へ流れ込んでいる。,「戌の満水」の際には、もちろん蛇堀川も洪水を起こし、蛇堀大橋を破壊するなどの被害を与えたが、より大きな
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2) ([解説])

追分側からいうと、蛇堀川を渡った最初の町が与良町、次が本町、次が市町で(この三町は、小諸三町とも呼ばれる,町へは浅間山麓から蛇堀川・松井川(東沢川とも呼ばれている)・中沢川などが注ぎ、千曲川へ流れ込んでいる。,「戌の満水」の際には、もちろん蛇堀川も洪水を起こし、蛇堀大橋を破壊するなどの被害を与えたが、より大きな
小諸洪水流失改帳 ([現代訳])

一 寛保2年7月28日は大雨、29日は夜9時すぎから雨が降りだし、法圓房沢の所どころが崩れ、濁り川(蛇堀川
浅間焼覚帳 ([解説])

のことが記されているが、天明五年に「八満宿七兵衛」が願い出たと記されていることから、この川は濁り川ではなく蛇堀川
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