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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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赤松小三郎書簡 実母宛 (父兄との書簡、佐久間象山との交流)

象山は吉田松陰の密航事件に連座して安政元年(1854)から文久2年(1862)にかけて松代に蟄居の身となっていたが
松代まちあるきマップ (25旧前島家住宅)

慶長五年(一六〇〇)、真田昌幸・幸村(信繁)父子が九度山蟄居の際、家臣十六名が昌幸に従って高野山に随行
松代まちあるきマップ (8象山神社 象山記念館)

安政元年(一八五四)、吉田松陰密航事件に連座し、国元蟄居を命ぜられた、望月の下屋敷聚遠楼に住んでいた象山
秀吉と真田 (昌幸最晩年の書状 幸村筆)

のなかで「次に左衛門佐(さえもんのすけ)(幸村)慮外ながら御言伝(ことづて)申し入れ候」として、永年の蟄居生活
パスファインダー (佐久間象山)

吉田松陰の密航事件に連座して郷 里に蟄居させられたが、許された後、京都で活動中に暗殺された。
秀吉と真田 (「真田」の錦絵)

<史料解説> 「名誉十八番」   梧斎年英(一八六二~一九二五)画  上田市立博物館蔵  九度山蟄居中
上田の早苗 ([翻刻])

寛政年間植タリ    ト云フ]是城慶長五年石田関原乱後安房守昌幸左衛門佐信繁等高野   山麓久度村へ蟄居,ケアリテ、両人ヲ高野へ遣シ可申旨命セラレケレハ、信幸  難有由御請アリテ則両人ヲ紀州高野山ノ麓久度村へ蟄居,セリ、月窓寺ト号、其  後慶長七年樹昌和尚寺ヲ焼テ退去セリト云、 一里伝ニ云フ、真田幸村高野山へ蟄居
龍駕の跡 (龍駕(りょうが 天子の車)の跡(注一))

聞きたる一同は服装こそは醜けれ、曰く、至尊(しそん)に仕へん赤心に何の差違がある、此盛典に会しながら蟄居
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