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(飯山市小菅の柱松行事)
飯山市小菅の柱松
行
事
トピック(テーマ) 飯山市小菅の柱松
行
事
ねらい 飯山市瑞穂地区小菅集落,柱松
行
事
について調べる。,民俗学から見た小菅の柱松
行
内容紹介
事
、建築学からみた小菅の柱松
行
事
、歴史からみた柱松
行
事
、周囲の,柱松
行
事
などを掲載 資料リスト 1 書名 著者名 出版社 出版年 祭礼
行
事
「柱松」の,/編 飯山市文化遺産保存活用実
行
委員会 2013.3 本書は、柱松
行
事
と関連する一連の祭
事
について / 飯山市小菅の柱松
行
事
(株)第十九銀行と諏訪製糸業
(「普通銀行の範疇に入らぬ銀行」)
(株)第十九銀
行
と諏訪製糸業 / 「普通銀
行
の範疇に入らぬ銀
行
」 (八十二銀
行
頭取小出隆) あるいは『地方銀
行
小史』を著した土屋喬雄,は、「日本の金融史上非常に特殊な銀
行
」という第十九銀
行
は、なぜそのように言われるのだろう。,製糸業者は、生繭が出回る6月から10月までの4か月間という短期間のうちに一
事
業年度分(6月から翌月の5,その資金を銀
行
から借り入れて
行
うため、一時的に莫大なお金が集中的に必要になる。,そのため、銀
行
の自己資本だけではまかなうことができないことから、日本銀
行
や三菱銀
行
、茂木商店など横浜の / 「普通銀
行
の範疇に入らぬ銀
行
」
信州浅間焼之事
([翻刻])
信州浅間焼之
事
/ かくある
事
はとよとしのしるし (改頁) 7 なりと。,たま/\大路
行
人は松灯 して
行
通ふさま、とこやミの世となりにたり。,其日鳴神のひま をもとめ、前橋といふ所へ
行
たるもの逃帰りて 息もしあへず、おそろしき
事
の限りをも見,泥ふかけれバ
行
事
かなはず、たま/\ 浅き所有りても、火石の煙やまざれば、あつ くして足を入ることならず,杢橋と いへる、高き
事
川より三尋とかや。
信州浅間焼之事
([解説])
信州浅間焼之
事
/ [解説] [目録] 小諸市古文書調査室 斎藤洋一 本書「信州浅間焼之
事
」は、上田市立図書館花月文庫,花月文庫は、元は第十九銀
行
(後に第六十三銀
行
と合併して八十二銀
行
となる)の頭取などを務めた飯島保作(花月,表紙の題箋に「信州浅間焼之
事
」と記されているので、題としたが、一般的には「文月浅間記」として知られているものの,(一七八三)の浅間山噴火に関する史料を集成した、萩原進編『浅間山天明噴火史料集成』全五巻(群馬県文化
事
業振興会,本書「信州浅間焼之
事
」(「文月浅間記」)を読むと、「大いに評判」になった理由がわかる気がする。
パスファインダー
(角田忠行)
で起きた足利三代木像梟首
事
件の中 心人物角田忠
行
の活動を知る。,京で足利木像斬首
事
件に加わり、逃れて伊那に潜伏す る。明治になり、熱田神宮の大宮司になる。,2 書名 著者名 発
行
者 出版年 郷土歴史人物
事
典 長野 古川貞雄/編著 第一法規 1978.2,触れ、さらに第四節にも「高松平十郎・角田忠
行
」 の見出しで
事
件の中心人物として記述されている。,を、図書・記
事
論文・新聞・デジタル資料などから 探すことができる。 / 角田忠
行
長野県師範学校生徒修学旅行概況
(長野県師範学校生徒修学旅行概況[全文])
長野県師範学校生徒修学旅
行
概況 / 上条源一郎、北原琴三郎二君、随
行
員たらん
事
を望む。依て之を承諾せり。,楼上 楼下の各室、今宵談論笑語する所は、皆舟中にて、目撃遭遇せし
事
の状況ならさるは なく、一
事
の他,)ち岩を割り石を甃(しきつ)み、土を運ひ橋を架する 等の工
事
に.従
事
せる者少なからす。,道路は、昨日と同しく、開修工
事
最中 (改頁) なれは、所々
行
歩に艱(くるし)む所多,当
事
の男子生徒数は121人だったが、その夏の悪性流
行
性感冒により参加できなかった者も多い。 / 長野県師範学校生徒修学旅
行
概況[全文]
パスファインダー
(警廃事件)
資料リスト 1 書名 著者名 出版社 出版年 長野県史 通史編 第8巻 近代2 長野県史刊
行
会,1989.3.31 内容紹介 第6章 第一次世界大戦以後の自治拡大と長野県民 第2節 警察
行
政, 近代史料編 第4巻 軍
事
警察・司法 長野県史刊
行
会 信毎書籍 1988.3.20 内容紹介,に関する項目があるか検索することがで きる 新聞 1 発
行
機関 年月日 2 見出し 発
行
機関,年月日 3 見出し 発
行
機関 年月日 信濃毎日新聞 大正15年7月を中心に警廃
事
件に関する記
事
/ 警廃
事
件
信州浅間焼之事
([現代訳])
信州浅間焼之
事
/ この雲の
行
く先は、どこまでも灰が降るだろう。,闇路を
行
くようで、何も見えないので、灯火をつけて集まっていた。,その渡しへ
行
って舟に乗ろうとした時、対岸から笠を上げて水上を見るように知らせるので、何
事
かと見ると、川,家は数しれず流れて
行
った。 ,知らない世界に
行
った気がする。
パスファインダー
(警廃事件(長野騒擾事件))
警廃
事
件(長野騒擾
事
件) トピック(テーマ) 警廃
事
件(長野騒擾
事
件) ねらい,強
行
した知
事
は史上初の更迭。,それとともに官選知
事
を排して県民 知
事
にしようとする全国初の知
事
公選の意見書が県会で採択されるま でにいたった,記述のある自治体誌を探すことができる 1 見出し 発
行
機関 年月日 2 見出し 発
行
機関 年月日,われら警察を奪回す』は、これ以前発
行
の『長野県警察史』や『長野県の百年』などを踏まえながら総合的に
事
/ 警廃
事
件(長野騒擾
事
件)
木曾山林学校
(修学旅行)
修学旅
行
6 芋 井 史 生 待ちに待ちたる本校修学旅
行
も愈々(いよいよ)来,に入り、農科大学(注56)・砲兵工廠(ほうへいこうしょう:注57)及目黒林業試験所を視察し、滞在する
事
3,翌日高野山に参拝、次で九度山官
行
伐木所を視察し、粉川より汽車にて和歌山に至り、和歌山より大坂に入り、造幣局,杉林・竹林等を視察し滞在する
事
2日。再び名古屋に戻り1泊して帰校する予定なり。 / 修学旅
行
パスファインダー
(『秋山紀行』)
現代口語訳 信濃古典読み物叢書 第8巻 著者名 信州大学教育学部附属長野中学校創立記念
事
業編集委員会,出版年 2016.7 内容紹介 「雪国」に重きをおき、これまであまり日のあたらなかった年中
行
事
,や、年 中
行
事
の体系のなかに入りにくかった季節にかかわる人びとのいとなみ に光をあてる。,に関連する図書、記
事
論文などを探すことができる 信州ブックサーチ https://www.knowledge.pref.nagano.lg.jp,/index.html 『秋山紀
行
』に関連する図書、記
事
論文などを探すことができる ふるさと長野の本 / 『秋山紀
行
』
寛保三年二月宿の堤防工事嘆願書
([解説])
寛保三年二月宿の堤防工
事
嘆願書 / その中途、鹿曲川左岸に鹿曲川に平
行
するように中山道望月宿(現佐久市)が存在した。,その望月宿へ江戸方面から
行
く場合、寛保二年以前は瓜生坂を越えて下って
行
くと望月新町に出る。,望月新町の家並は、下り坂から始まり、右折して鹿曲川に平
行
して存在した。,つまり、望月宿と望月新町は大部分が鹿曲川の両岸に、鹿曲川と平
行
して存在していた。 ,寛保二年一一月の「宿の堤防工
事
嘆願書」は、望月宿から幕府道中奉
行
所へ、流失をまぬがれた家の軒下が鹿曲川
パスファインダー
(二・四事件)
1 書名 著者名 出版社 抵抗の歴史 戦時下長野県における教育労働者の闘い 二・四
事
件記録刊
行
委員会,この
事
件に関し早い段階 での刊
行
物である。,4 書名 著者名 出版社 出版年 新興教育 別巻 新興教育復刻版刊
行
委員会 白石書店 1975.12,4 サイト名 URL 概要 1 見出し 発
行
機関 年月日 信州地域史料アーカイブ https:,の周辺 証言1本のテープ 発
行
機関 年月日 3 見出し 発
行
機関 年月日 信濃毎日新聞 / 二・四
事
件
木曾山林学校
(13.修学旅行)
13.修学旅
行
37 修学旅
行
は学則第13条に示せるが如く、本校の重きを置く所なるを以て之を免ることを,する
事
項 ( 6)森林経理に関する
事
項 ( 7)伐木に関する
事
項 ( 8)運搬に関する
事
項,
事
項 (12)副産物の利用に関する
事
項 (13)竹林の経営に関する
事
項 (14)地質に,関する
事
項 (15)砂防工に関する
事
項 (16)地理歴史に関する
事
項 ,銭(食料品携
行
・艱苦(かんく)鍛練)を要す。 / 13.修学旅
行
パスファインダー
(二・四事件2)
1 書名 著者名 出版社 出版年 抵抗の歴史:戦時下長野県における教育労働者の闘い 二・四
事
件記録刊
行
会,著者名 出版社 出版年 内容紹介 長野県史 近代史料編 第2巻「県政」 長野県/編 長野県史刊
行
会,長野県史 近代史料編 第8巻「社会運動・社会政策」 長野県/編 長野県史刊
行
会 1984.10.31,6 書名 著者名 悠久の道 矢ケ崎輝雄先生追悼集 矢ケ崎輝雄先生追悼集刊
行
世話人会/編 1,・四
事
件」75周年記念の集い記録 「二・四
事
件」75周年記念集会実
行
委員会/編集 「二・四
事
件」74周年記念集会実
行
委員会 / 二・四
事
件2
寛保二年十一月堤防工事嘆願口上書
([解説])
寛保二年十一月堤防工
事
嘆願口上書 / その中途、鹿曲川左岸に鹿曲川に平
行
するように中山道望月宿(現佐久市)が存在した。,その望月宿へ江戸方面から
行
く場合、寛保二年以前は瓜生坂を越えて下って
行
くと望月新町に出る。,望月新町の家並は、下り坂から始まり、右折して鹿曲川に平
行
して存在した。,つまり、望月宿と望月新町は大部分が鹿曲川の両岸に、鹿曲川と平
行
して存在していた。 ,寛保二年一一月の「宿の堤防工
事
嘆願書」は、望月宿から幕府道中奉
行
所へ、流失をまぬがれた家の軒下が鹿曲川
パスファインダー
(川井訓導事件)
第四編 長野県政の展開(大正) 第四章 大正ドモクラシー期の教育・ 文化 第二節 信濃教育会と県政 二
行
政当局,その後、県と信濃 教育会とは対立した時期を経て、信濃教育会は県教育
行
政の中で立場 を強固にしていった。,2 書名 著者名 出版社 出版年 長野県教育史 第3巻 総説編3 長野県教育史刊
行
会 信教印刷,リスト 1 書名 著者名 出版社 出版年 長野県教育史 第14巻 史料編8 長野県教育史刊
行
会,1 見出し 発
行
機関 年月日 2 見出し 発
行
機関 年月日 3 見出し 発
行
機関 年月日 川井訓導
事
件 / 川井訓導
事
件
朝陽館漫筆(千曲川の改修工事)
([翻刻])
朝陽館漫筆(千曲川の改修工
事
) / なりしがいつとなく 今日の如く水少くなりたり、其時分は松城より 矢代驛への通路ハ勘太郎橋を渡り眞直に
行
,は立寄、休息の所とす、此石 地蔵は道の傍にあり、前に言如く妻女山を越 土口坂へかゝり雨宮、矢代と
行
事
,なり、今日の如く 岩野を往来する
事
なし、今馬喰町裏崩れ 〓《ワク》辺より赤坂の渡頭までは一面の川なり,某 十歳の比ほひ妻女山の腰に細道を造り夫より 岩野村へ懸り矢代への往来せり、但歩
行
の往
パスファインダー
(八十二銀行の誕生)
キーワード 彰真社 第十九国立銀
行
第六十三国立銀
行
黒沢鷹治郎 飯島保作 信濃銀
行
小林暢 瀬下清,八十二銀
行
/編 八十二銀
行
1968.5 同史は、創立35周年記念
事
業として編まれた。,ノ
事
情」史料が掲載され ている。,ナンバー 二つ(第十九銀
行
と六十三銀
行
)を加えて、八十二にしたらどうか」と「八 十二銀
行
」との新銀
行
名,関する書籍・雑誌記
事
・論文などを検索でき、中には最寄 の公共図書館でデジタルデータを見ることのできるものもある / 八十二銀
行
の誕生
木曾山林学校
(八戸林学士森林行政論)
臨時若(も)しくは一時的の
事
業にして完備したる林業を
行
ふものなく且其
事
業孰(いず)れも創始に属し未(いま,即、林区上長制の場合に於て林務監査員は純粋の監査
事
務を執るものにて、詳言すれば管理員業務の実
行
は果して,監査員の執務場所に就ては三様の別あり 第1 監査
事
務執
行
上便利の地方を選み、特別に中間
事
務所を開,くこと 第2 林務総管機関の中に之を置く
事
第3 地方普通
行
政庁内に之を設くること 是(,国有林以外の森林に対する監督は奨励
事
務と共に普通の地方
行
政庁に於て之を掌り、此制度は蓋(けだし)合理的 / 八戸林学士森林
行
政論
寛保二年十一月堤防工事嘆願口上書
([現代訳])
寛保二年十一月堤防工
事
嘆願口上書 / そこでご領主様からたびたび救助米などを与えていただき、堤防工
事
をしていただきましたが、川筋が悪くなったため,そこで、幕府道中奉
行
所で堤防工
事
をしていただければありがたく存じます。
朝陽館漫筆(千曲川の改修工事)
([解説])
朝陽館漫筆(千曲川の改修工
事
) / 城下の水害を防ぐため、原八郎五郎の献策を受け、千曲川本瀬の流れを付け替える「瀬直し(瀬替えとも)」を
行
いました,この漫録には題がないため、「千曲川の改修工
事
」と仮にタイトルをつけました。,昔は妻女山を越え、土口坂から雨宮 矢代へと通
行
していましたが、今は妻女山の麓に近いところから岩野村を通
朝陽館漫筆(千曲川の改修工事)
([現代訳])
朝陽館漫筆(千曲川の改修工
事
) / 代藩主真田信安) や后妃も船で開善寺へ避難した、開善寺滞 留中、満姫が病で亡くなった、誠に大きな変
事
とい,える、その後千曲川の川普請が
行
われ、寺尾村の西へ堀川を掘り、 千曲川本流から分水させた、そのため,にか 今日のように水が少なくなった、その時は松代から 矢代宿への通路は勘太郎橋を渡り、まっすぐに
行
き,しまでは一面川で、某 10歳の頃、妻女山の麓の辺に細い道を造り、そこから 岩野村へ向かい、矢代へと
行
き,来した、ただし、歩
行
の往 来のみで、馬での往来は出来なかった、いつしか今は 道幅も広くまつすぐな道路
木曾山林学校
(生きるといふ事)
人生とは悲痛より悲痛への
行
旅(こうりょ:旅人)ではあるまいか。,無自覚の幸福より自覚した不幸へと辿(たど)り
行
く人にのみ感じらるべきものである。,更に又逃れんとして悶(もだ)えより一層暗黒な世界へ彷徨(さまよ)ひ
行
くとは。,この時重々しい悲痛は彼は静かに押し寄せて、老ひ
行
く春の暗夜、落花と共に鐘の音に送られて、見も知らぬ世界,左へ
行
くのは真に生きんとする其の者にとっては死である。自分に死を迫るものは正しく敵である。 / 生きるといふ
事
パスファインダー
(『更科紀行』と芭蕉)
『更科紀
行
』と芭蕉 トピック(テーマ) 『更科紀
行
』と芭蕉 ねらい 俳聖松尾芭蕉,『更科紀
行
』は、月をテーマに した紀
行
であるが、小品ながら芭蕉はこの紀
行
の完成に心血を注いだと いわれる,『更科紀
行
』と芭蕉について調べる。,URL 概要 2 サイト名 URL 概要 3 サイト名 URL 概要 4 サイト名 URL 概要 1 記
事
,.htm 更級紀
行
で読んだ句と説明、地図を掲載 西尾 桂の新更級紀
行
信濃毎日新聞社 2011.6.18 / 『更科紀
行
』と芭蕉
松本繁昌記 上・下
(発行までの経過)
発
行
までの経過 [目録] 松本市文書館 小松芳郎 「松本繁昌記」の緒言によれば、長尾無墨が『善光寺繁昌記,出版人の高美甚左衛門らが長野県の県令(今の県知
事
)に提出した出版の願書と、明治政府に提出した出版届は、 / 発
行
までの経過
パスファインダー
(明治44年(1911)の大逆事件)
、幸徳
事
件、大逆
事
件となっていく経過と、関係した人物をとおし て、真相を明らかにする。,紹介 大逆
事
件の真実をあきらかにする会ニュース 大逆
事
件の真実をあきらかにする会 大逆
事
件の真実をあきらかにする,会ニュース 2016.1.24 第55号 年に1冊発
行
県立長野図書館長野県郷土資料総合目録/新聞雑誌総合目録,サイト名 URL 概要 4 サイト名 URL 概要 1 記
事
発
行
機関 年月日 2 記
事
発
行
機関,年月日 3 記
事
発
行
機関 年月日 4 記
事
発
行
機関 年月日 長野県内図書館横断検索サービス / 明治44年(1911)の大逆
事
件
パスファインダー
(善光寺の物語・紀行文・文学)
善光寺の物語・紀
行
文・文学 トピック(テーマ) ねらい 善光寺の物語・紀
行
文・文学,/編集 信濃史料刊
行
会 1974年 内容紹介 「信生法師集」「善光寺記
行
」「北国紀
行
」「信州下向記,国立国会図書館デジタルコレクション URL http://dl.ndl.go.jp/ 1 記
事
,2 記
事
信州名作の舞台 発
行
機関 信濃毎日新聞社(データベース) 年月日 2004.8.31,3 記
事
会田宿 青柳宿 2/3 善光寺の物語・紀
行
文・文学 発
行
機関 信濃毎日新聞社 / 善光寺の物語・紀
行
文・文学
龍駕の跡
(2巡行と自由民権運動・民衆)
2巡
行
と自由民権運動・民衆 巡
行
と自由民権運動の関係については、両者の民衆の支持をめぐる競合関係を色川大吉,が指摘して以来、多くの巡
行
研究の動機となったとされる。,例えば、有賀義人と上條宏之が、民権結社に所属する豪農商層の奉迎準備参加と巡
行
先発官の圧力が松本における,民権派と政府・地方官との「形容虚飾」の攻防のなかで、警察の不敬取締
事
項が増加していたことに対し民権派は,巡
行
を重ねる中で形成された天皇への敬意の作法が、不敬という概念となり、民権運動の弾圧に使われるようになることを / 2巡
行
と自由民権運動・民衆
パスファインダー
(明治17年(1884)の秩父事件)
秩父
事
件の長野県での動き、影響 を調べる。,/著 新人物往来社 1984.9 秩父
事
件関係者の家族をとおしてみる。,秩父
事
件 井上幸治/著 中公新書161 明治38年5月21日 秩父
事
件史料集成 井上幸治・色川大吉・,国立国会図書館サーチ http://dl.ndl.go.jp/ 秩父
事
件に関する資料を、図書・記
事
論文,1 記
事
発
行
機関 年月日 2 記
事
発
行
機関 年月日 3 記
事
発
行
機関 年月日 4 記
事
発
行
機関 / 明治17年(1884)の秩父
事
件
パスファインダー
(長野県の5つの国立銀行)
のもとで国立銀
行
条例によ り設立された国が設立した銀
行
ではなく、民間資本によって設立・経営さ れた銀
行
,第19国立銀
行
第24国立銀
行
第63国立銀
行
第1 17国立銀
行
大池源重 早川重右衛門 坂本則敏,吉池文之助 太田 伝蔵 八十二銀
行
史 株式会社八十二銀
行
株式会社八十二銀
行
1968 5つの,第十九国立銀
行
創立證書定款申合規則 著者名 第十九国立銀
行
出版社 第十九国立銀
行
,生成 三井高茂/著 信濃 1996 第18巻12号 第十四・第十九国立銀
行
の「設立前後の
事
情を中心に、 / 長野県の5つの国立銀
行
割田家文書
(史料2 寛保二年八月 乍恐以書付奉願候事)
史料2 寛保二年八月 乍恐以書付奉願候
事
恐れながら書付をもって願います
事
この度の大満水によって,御城下の堤防が壊されたので、藩による工
事
を
行
うことになり、人足を出すように言われました。,いまだに
行
き来する道や橋、石砂泥で押し潰された家など片付けることは、自分だけの力では出来ませんので、毎日人足,この段、山奉
行
様へもお願いいたします。 / 史料2 寛保二年八月 乍恐以書付奉願候
事
木曾山林学校
(◎第1回木曾山林学校生徒修学旅行記)
◎第1回木曾山林学校生徒修学旅
行
記 15 今茲(きんじ:今年)明治34年6月22日午後1時、森林視察,漸(ようや)くの
事
で高倉峠と云ふ峠へ
行
き着た。,の生徒に作りて呉(く)れたものだと思ふて歩んで
行
つた処が、上の方へ
行
つて見ると今迄我々の道と思ふて居た,此等(これら)のさでは甚た便利なもので一谷の中に運材線路を交叉(こうさ)したり又並
行
せる
事
が出来る。,水脊負桶(水を入れてさでのある処へ負ひ
行
き、さでに水をかけ材を滑らかすもの)。 / ◎第1回木曾山林学校生徒修学旅
行
記
龍駕の跡
(2明治六大巡行の概要(『明治六大巡行-地方の布達と人々の対応-』より))
2明治六大巡
行
の概要(『明治六大巡
行
-地方の布達と人々の対応-』より) (1)明治5年の巡
行
,、宮内少輔吉井友実等65名余 *六大巡
行
の始まりとなった明治5年の九州・西国巡
行
は、廃藩置県後,明治4年7月の廃藩置県により藩知
事
(旧藩主)は東京在住を命じられたが、諸藩の対応は比較的従順でした。,(2)明治9年の巡
行
日程 6月2日~7月21日
行
程(府県名) 埼玉、栃木、福島,静岡、神奈川 随
行
官員 右大臣岩倉具視、参議大隈重信・井上馨、宮内卿徳大寺実則、侍補佐々木高
行
/ 2明治六大巡
行
の概要(『明治六大巡
行
-地方の布達と人々の対応-』より)
(株)第十九銀行と諏訪製糸業
(3点史料の概要)
(株)第十九銀
行
と諏訪製糸業 / 以下、「第十九銀
行
」と略称する)にかかわるものである。,、銀
行
と製糸業の関係が理解できるようにと5つの参考
事
項について編集されたのが本書である。,参考
事
項とは、「 株式会社第十九銀
行
ノ略歴史」、「蚕業界ニ於ケル信州ノ位置」、「本
行
取引地ノ信州ニ於ケル,当時常務取締役であった箕輪五助名で刊
行
された。,諏訪製糸研究会
事
務所編集によるものを第十九銀
行
岡谷支店名で発
行
した。
(株)第十九銀行と諏訪製糸業
([ルビ・注記])
(株)第十九銀
行
と諏訪製糸業 / リツヽアルコトヲ示スヘシ (一)原料仕入ノ区域ヲ拡大シタル
事
事
業ノ未タ進マサル時代ニ在テハ一,ニ至テハ寧口変動ノ最モ少ナキモノニ属ス (四)毎歳一回厳格ナル決算勘定ノ
行
ハルヽ
事
計算ヲ明確ニスルノ,次年ノ経営ヲ定ムルハ当然必須ノ
事
ニ属スト難モ世
事
往 往志ニ違フヲ免レス最モ細心ノ注意ヲ要スヘキ工業家,ノ拡張ニ伴ヒ春季解氷ヲ 待テ直ニ
事
業ヲ継続スルモノ漸ク加ハリ殊ニ関東其他温暖ノ他方ニ在テハ 周歳
事
業,更ニ新年度ノ諸準備ヲ為スヲ常トス左レ ハ一
事
業年度(六月ヨリ十二月乃至翌五月ニ至ル)間ノ
事
業成績ハ仮
割田家文書
(史料4 寛保三年三月 乍恐書付以奉願候御事)
史料4 寛保三年三月 乍恐書付以奉願候御
事
恐れながら書付をもって願います
事
両奉
行
, 埋り田の中前田 一 悪水払堰 堰埋り 以前の満水につき藩による工
事
を / 史料4 寛保三年三月 乍恐書付以奉願候御
事
パスファインダー
(江戸時代千曲川水害と上今井瀬直し工事)
そこで、 記録に残る江戸時代の千曲川水害と明治初期に
行
われた上今井瀬直 し工
事
の様相を究明し、今後の治水
事
業,出版社 出版年 内容紹介 1 書名 著者名 出版社 出版年 国土交通省北陸地方整備局千曲川工
事
事
務所,信濃の巨流 千曲川 建設省北陸地方建設局千曲川工
事
事
務所 その他/編 財団法人河川情報センター 1993.2.24,千曲川・犀川 地名に見る 川と人の営み 国土交通省千曲川河川
事
務所/企画 国土交通省千曲川河川
事
務所,発
行
機関 年月日 2 記
事
発
行
機関 年月日 氾濫解析法により戌の満水と呼ばれる洪水の再現を試 / 江戸時代千曲川水害と上今井瀬直し工
事
長野県師範学校生徒修学旅行概況
(2.本書の概況と特徴)
長野県師範学校生徒修学旅
行
概況 / そして、修学旅
行
に参加した生徒は軍
事
教練のような出で立ちで、開通後間もない信越線、東海道線の汽車及び天竜川舟
行
以外,その距離200有余里の長途の修学旅
行
でした。 ,美濃信濃国境、寝覚め床、御嶽山登山、源の義仲祠堂、福島以北の木曽路道路改修工
事
等です。 ,浅井はこの修学旅
行
を総括して、「凡廿日間、二百有余里長途の旅
行
に、身を炎天の酷暑に晒し、或いは天竜の激湍,にして無
事
に之を終ることを得たるは、誠に吾等無上の幸福なりとや言はん。
割田家文書
(史料4 寛保三年三月 乍恐書付以奉願候御事)
史料4 寛保三年三月 乍恐書付以奉願候御
事
乍恐書付以奉願候御
事
6 両奉
行
一 / 史料4 寛保三年三月 乍恐書付以奉願候御
事
割田家文書
(史料2 寛保二年八月 乍恐以書付奉願候事)
史料2 寛保二年八月 乍恐以書付奉願候
事
乍恐以書付奉願候
事
3 一此度大満水ニ而御城下水除土手押払候,乍恐御勘弁被為遊御救候、 拙者共村方之義ハ、外村方より人足之御高減 被仰付被下置候様ニ奉願候、此段山方御奉
行
/ 史料2 寛保二年八月 乍恐以書付奉願候
事
寛保二年十一月堤防工事嘆願口上書
([翻刻])
寛保二年十一月堤防工
事
嘆願口上書 / 同 茂右衛門 (印) 惣百姓代 惣左衛門 (印) 道中御奉
行
木曾山林学校
(◎我が国人の天性植物を愛する志想に富む事を述ぶ)
実業的志想を抱いて此山林学校へ入学したので、入学以来日尚浅く研究する所も又顕著ならずですが、此度此雜誌の発
行
に,而して自然の美を愛し自然の美を楽む
事
が大和民族の如きは外国には無いとの
事
です。,旧藩時代に於て各藩の林政の周到であつた
事
は殆んど賞賛する外は無い。,乍併(しかしながら)今日は立派な森林法を設けられて発布になつて居るが、之れが実
行
に至つては或一、二の地方,に限りて
行
はれて居る様な訳で頗(すこぶ)る慨嘆の至りである。 / ◎我が国人の天性植物を愛する志想に富む
事
を述ぶ
(株)第十九銀行と諏訪製糸業
([ルビ・注記])
(株)第十九銀
行
と諏訪製糸業 / 云フ如斯始テ海 外ノ販路ヲ得タルヨリ同村林源次郎、清水久左衛門等上州伊勢崎ヨリ座繰器械ヲ持来リ大ニ
行
ハ,しょうよう:さそいすすめる)により遂ひに 此の制度は廃止の己むなきに至り大正十五年二月二十八日限り之を斷
行
し, (改頁) 13 一、諏訪人経営器械製糸総釜数五月一日現在累年比較 第十九銀
行
調査,信州器械製糸横浜入荷高調(一梱ハ九貫目(三三.七五キログラム))(前年一月ヨリ其年十二月迄) 日本銀
行
調査,#215;(国蚕支九号同支一〇一号)と日支二 化二化雑種一品種との五品種に整理し、之を大正十三年から実
行
すべく
(株)第十九銀行と諏訪製糸業
([ルビ・注記])
(株)第十九銀
行
と諏訪製糸業 / 、十 二年開明社員片倉角左衛門陶器鍋を発明し、為めに 生糸は天然の光沢を損せず且糸量を増し、以て
事
業,一層容易且迅速なるを得、運賃 保険料低落し、工男女募集の困難減ぜられしかば、彼 等は其郷土に於て
事
業,従て共同揚返によりて荷造せられた るものは、揚返以後の費用のみ共同分担となり、其主 たる
事
業の損益,~~~~~~~~~~~~ 小麦青々大麦黄、原頭日出天色凉、 姑婦相呼有忙
事
、,同上三千十六個なり] 右生糸産額は農商務省の統計にして、輸出用・内地用を総計せる ものなれども、
事
実
(株)第十九銀行と諏訪製糸業
(新たな産業を産んだ製糸金融)
(株)第十九銀
行
と諏訪製糸業 / 新たな産業を産んだ製糸金融 第十九銀
行
は、信用貸しの荷為替融資を大原則にしていたが、黒沢頭取は製糸業,の発展に即した安定した信用度の高い
事
業の拡大をめざし、動産担保の繭購入資金(購繭資金)に融資するという,両社は、ともに第十九銀
行
の担保物件である繭の乾燥と保管を目的にしていること、役員も両社を兼ねていることなどから
長野師範学校は初めて学年・学期を定め、開業式・卒業式を挙行
(長野師範学校卒業証書授与式)
長野師範学校は初めて学年・学期を定め、開業式・卒業式を挙
行
/ □月は校則改正後初めての学期の終 りなれば、卒業並に学期試業を施
行
せられ、 明十五日には卒業証書及,び進級証書の授 与式を
行
はるゝ由、当日は県令(けんれい)大書記官(だいしょきかん)に も臨席せられて,因(より)て思ふ、此盛
事
は我県下に於て是迄 なき
事
なれば、教育に従
事
せらるゝ人々は 固(も)とより,此時進
行
曲ヲ奏ス。 第七 奏楽〔見渡セハ〕〔我日本〕長野小学 生徒之ヲ奏ス。
長野師範学校は初めて学年・学期を定め、開業式・卒業式を挙行
(長野師範学校開業式)
長野師範学校は初めて学年・学期を定め、開業式・卒業式を挙
行
/ 長野師範学校開業式 ○師範学校開業式 本県師範学校にては 一昨十二日開業の盛典を挙
行
せられ、大野,私説横
行
。風俗奔 狂(ほんきょう)。而其害有不可勝言者。我国。維新以降。,頒
行
於諸 県。将以救此弊於未萌。其憂国。其憂民。可 謂厚且至。矣(い)(注12)我県。,則教育何由而
行
。故使(しめ)得其人。而長。者盛教 育美風化。,(13)
事
の原因する所。
寺子屋師匠の日記
(寺子屋師匠の日記「年内諸事控日記 小沢和徳(注1) 慶応四戊辰年正月吉日」)
暗誦すること)出情(精、以下同ジ) (○中略) 廿九日 曇 夕方より雨ふり藤沢へ謡ニ
行
, 今日ハ子供少々手習ニ来り昼仕廻ニ いたし申候 昨夜京都岩倉様本山宿御止宿ニ而 今日塩尻宿御通
行
ニ,○中略) 松島御陣屋太田様之御領五ヶ村之惣百 姓尾州様之御百姓ニ相成度旨ニ而 岩倉様御通
行
先,/\も遺憾多き
事
ならすや 何
事
もはしめに正しからされは 終に思へとせんすへはなし (,のものちの楽しみ 是からは何とも角とも思はすにあるへか々りに日を送らなん 老ぬれは怠りかちになり
行
て / 寺子屋師匠の日記「年内諸
事
控日記 小沢和徳(注1) 慶応四戊辰年正月吉日」
寺子屋師匠の日記
(寺子屋師匠の日記「諸事日新録 沢和徳扣(ひかえ) 慶応四戊辰年六月朔日ヨリ」)
よりも大勢中山道御下り被成候右ニ付御支配 飯田市岡健一郎様御足軽衆も越後江 被向先日昼過ニ当所御通
行
有之候,) 手習子供弐拾人計来習申候 素読おしへ申候昨日手習子供裏へ 出李を落し茄子ノ木を踏折不
行
,手本認清書直し帰らせ申候 人参おろぬきいたし申候 七月廿三日 朝やけ 曇天 亭主にれ沢へ桑そうやくニ
行
勤,子供来大勢参り申候 手本認 八月十八日 天気吉 乍去曇天 手習子供来素読教手本認 下町畳屋江頼みに
行
,中略) 八月廿三日 朝天気ノ処四ツ時より雨降 亭主未明ニ橘屋彦次郎殿と一所ニ 松本江買物ニ
行
申候 / 寺子屋師匠の日記「諸
事
日新録 沢和徳扣(ひかえ) 慶応四戊辰年六月朔日ヨリ」
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