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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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検索結果 : 572件
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パスファインダー (飯山市小菅の柱松行事)

飯山市小菅の柱松行事 トピック(テーマ) 飯山市小菅の柱松行事 ねらい 飯山市瑞穂地区小菅集落,柱松行事について調べる。,民俗学から見た小菅の柱松行 内容紹介 事、建築学からみた小菅の柱松行事、歴史からみた柱松行事、周囲の,柱松行事などを掲載 資料リスト 1 書名 著者名 出版社 出版年 祭礼行事「柱松」の,/編 飯山市文化遺産保存活用実行委員会 2013.3 本書は、柱松行事と関連する一連の祭事について / 飯山市小菅の柱松行事
(株)第十九銀行と諏訪製糸業 (「普通銀行の範疇に入らぬ銀行」)

(株)第十九銀行と諏訪製糸業 / 「普通銀行の範疇に入らぬ銀行」 (八十二銀行頭取小出隆) あるいは『地方銀行小史』を著した土屋喬雄,は、「日本の金融史上非常に特殊な銀行」という第十九銀行は、なぜそのように言われるのだろう。,製糸業者は、生繭が出回る6月から10月までの4か月間という短期間のうちに一事業年度分(6月から翌月の5,その資金を銀行から借り入れて行うため、一時的に莫大なお金が集中的に必要になる。,そのため、銀行の自己資本だけではまかなうことができないことから、日本銀行や三菱銀行、茂木商店など横浜の / 「普通銀行の範疇に入らぬ銀行」
パスファインダー (角田忠行)

で起きた足利三代木像梟首事件の中 心人物角田忠行の活動を知る。,京で足利木像斬首事件に加わり、逃れて伊那に潜伏す る。明治になり、熱田神宮の大宮司になる。,2 書名 著者名 発行者 出版年 郷土歴史人物事典 長野 古川貞雄/編著 第一法規 1978.2,触れ、さらに第四節にも「高松平十郎・角田忠行」 の見出しで事件の中心人物として記述されている。,を、図書・記事論文・新聞・デジタル資料などから 探すことができる。 / 角田忠行
パスファインダー (警廃事件)

資料リスト 1 書名 著者名 出版社 出版年 長野県史 通史編 第8巻 近代2 長野県史刊行会,1989.3.31 内容紹介 第6章 第一次世界大戦以後の自治拡大と長野県民 第2節 警察行政, 近代史料編 第4巻 軍事 警察・司法 長野県史刊行会 信毎書籍 1988.3.20 内容紹介,に関する項目があるか検索することがで きる 新聞 1 発行機関 年月日 2 見出し 発行機関,年月日 3 見出し 発行機関 年月日 信濃毎日新聞 大正15年7月を中心に警廃事件に関する記事 / 警廃事件
長野県師範学校生徒修学旅行概況 (長野県師範学校生徒修学旅行概況[全文])

長野県師範学校生徒修学旅行概況 / 上条源一郎、北原琴三郎二君、随行員たらん事を望む。依て之を承諾せり。,楼上 楼下の各室、今宵談論笑語する所は、皆舟中にて、目撃遭遇せし事の状況ならさるは なく、一事の他,)ち岩を割り石を甃(しきつ)み、土を運ひ橋を架する 等の工事に.従事せる者少なからす。,道路は、昨日と同しく、開修工事最中     (改頁)   なれは、所々行歩に艱(くるし)む所多,当事の男子生徒数は121人だったが、その夏の悪性流行性感冒により参加できなかった者も多い。   / 長野県師範学校生徒修学旅行概況[全文]
パスファインダー (警廃事件(長野騒擾事件))

警廃事件(長野騒擾事件) トピック(テーマ) 警廃事件(長野騒擾事件) ねらい,強行した知事は史上初の更迭。,それとともに官選知事を排して県民 知事にしようとする全国初の知事公選の意見書が県会で採択されるま でにいたった,記述のある自治体誌を探すことができる 1 見出し 発行機関 年月日 2 見出し 発行機関 年月日,われら警察を奪回す』は、これ以前発行 の『長野県警察史』や『長野県の百年』などを踏まえながら総合的に事 / 警廃事件(長野騒擾事件)
パスファインダー (二・四事件)

1 書名 著者名 出版社 抵抗の歴史 戦時下長野県における教育労働者の闘い 二・四事件記録刊行委員会,この事件に関し早い段階 での刊行物である。,4 書名 著者名 出版社 出版年 新興教育 別巻 新興教育復刻版刊行委員会 白石書店 1975.12,4 サイト名 URL 概要 1 見出し 発行機関 年月日 信州地域史料アーカイブ https:,の周辺  証言1本のテープ 発行機関 年月日 3 見出し 発行機関 年月日 信濃毎日新聞  / 二・四事件
信濃名勝詞林 (更科紀行)

『信濃名勝詞林』より更科紀行 [目録] 更科紀行 ルビ・注記:高井地方史研究会 寺島正友 12,さらしなの里、姥捨山(おばすてやま)【注2】の月見ん事、しきりに進むる秋風の、心に吹さわきて、共に風雲,步行(かち)より行ものさへ、眼くるめき、魂しほみて、足定まらざりけるに、彼の連たる奴僕、いとも恐る〻氣色見,特に紀行文『奥の細道』が有名である。,越人は、越後出身の尾張蕉門の重鎮で、松尾芭蕉『更科紀行』に同行し、そのまま芭蕉と共に江戸まで同道した。 / 更科紀行
木曾山林学校 (修学旅行)

修学旅行 6           芋 井 史 生 待ちに待ちたる本校修学旅行も愈々(いよいよ)来,に入り、農科大学(注56)・砲兵工廠(ほうへいこうしょう:注57)及目黒林業試験所を視察し、滞在する事3,翌日高野山に参拝、次で九度山官行伐木所を視察し、粉川より汽車にて和歌山に至り、和歌山より大坂に入り、造幣局,杉林・竹林等を視察し滞在する事2日。再び名古屋に戻り1泊して帰校する予定なり。 / 修学旅行
パスファインダー (『秋山紀行』)

現代口語訳 信濃古典読み物叢書 第8巻 著者名 信州大学教育学部附属長野中学校創立記念事業編集委員会,出版年 2016.7 内容紹介 「雪国」に重きをおき、これまであまり日のあたらなかった年中行事,や、年 中行事の体系のなかに入りにくかった季節にかかわる人びとのいとなみ に光をあてる。,に関連する図書、記事論文などを探すことができる 信州ブックサーチ https://www.knowledge.pref.nagano.lg.jp,/index.html 『秋山紀行』に関連する図書、記事論文などを探すことができる ふるさと長野の本  / 『秋山紀行』
パスファインダー (二・四事件2)

1 書名 著者名 出版社 出版年 抵抗の歴史:戦時下長野県における教育労働者の闘い 二・四事件記録刊行会,著者名 出版社 出版年 内容紹介 長野県史 近代史料編 第2巻「県政」 長野県/編 長野県史刊行会,長野県史 近代史料編 第8巻「社会運動・社会政策」 長野県/編 長野県史刊行会 1984.10.31,6 書名 著者名 悠久の道 矢ケ崎輝雄先生追悼集 矢ケ崎輝雄先生追悼集刊行世話人会/編 1,・四事件」75周年記念の集い記録 「二・四事件」75周年記念集会実行委員会/編集 「二・四事件」74周年記念集会実行委員会 / 二・四事件2
パスファインダー (川井訓導事件)

第四編 長野県政の展開(大正) 第四章 大正ドモクラシー期の教育・ 文化 第二節 信濃教育会と県政 二 行政当局,その後、県と信濃 教育会とは対立した時期を経て、信濃教育会は県教育行政の中で立場 を強固にしていった。,2 書名 著者名 出版社 出版年 長野県教育史 第3巻 総説編3 長野県教育史刊行会 信教印刷,リスト 1 書名 著者名 出版社 出版年 長野県教育史 第14巻 史料編8 長野県教育史刊行会,1 見出し 発行機関 年月日 2 見出し 発行機関 年月日 3 見出し 発行機関 年月日 川井訓導事件 / 川井訓導事件
木曾山林学校 (13.修学旅行)

13.修学旅行 37 修学旅行は学則第13条に示せるが如く、本校の重きを置く所なるを以て之を免ることを,する事項 ( 6)森林経理に関する事項 ( 7)伐木に関する事項       ( 8)運搬に関する事項,事項     (12)副産物の利用に関する事項 (13)竹林の経営に関する事項    (14)地質に,関する事項 (15)砂防工に関する事項      (16)地理歴史に関する事項     ,銭(食料品携行・艱苦(かんく)鍛練)を要す。 / 13.修学旅行
本朝桜陰比事 ([解題])

本朝桜陰比事 / 本朝桜陰比事 巻一 本朝桜陰比事 巻二 本朝桜陰比事 巻三 本朝桜陰比事 巻四 本朝桜陰比事 ,巻五   [原本の目録] 本朝桜陰比事 巻一(元禄2年(1689)刊) [原本の目録] 本朝桜陰比事,原本の目録] 本朝桜陰比事 巻四(元禄2年(1689)刊) [原本の目録] 本朝桜陰比事 巻五(元禄,5巻44話の短編で構成する話は、市井の訴訟事案を奉行が裁く筋書きのいわば裁判の判例集でもある。,他方、裁きでは「御前」と称する奉行の高い洞察力や機知に富んだ奇抜な策…等々を凝らして巧みに名判決へと導
信濃名勝詞林 (碓氷紀行)

成乘來れる車をさへ捨て故郷に歸りたりといふその車今猶堂の前に在三人の寫眞(写真)も殘れり外にも亦此類ひの事ともかき,たつ此さとの出口に一の塚有惟茂塚と彫付たる石ふみたてり余吾將軍【注5】の墓也とかしかはあれと余吾將軍の事は,たる金の文字の額か〻れりこは何の神を崇(あが)め祭れる宮なるや聞かまほしけれともいそきの道なれは聞得る事あたはすして,驛(駅)を過て碓氷山にのほる峠をこして臼の平といふ處(処)にいたる茶店三四軒たてりすこし休らひてまた行事凡一里,あひに架たる橋なりまた道のほと五町斗(約540m)下りてなかめをかしき所にいつ おのれ 千早振神代の事もしのはれて / 碓氷紀行
信州浅間焼之事 ([翻刻])

信州浅間焼之事 / かくある事はとよとしのしるし     (改頁)      7   なりと。,たま/\大路行人は松灯 して行通ふさま、とこやミの世となりにたり。,其日鳴神のひま をもとめ、前橋といふ所へ行たるもの逃帰りて 息もしあへず、おそろしき事の限りをも見,泥ふかけれバ行事かなはず、たま/\ 浅き所有りても、火石の煙やまざれば、あつ くして足を入ることならず,杢橋と いへる、高き事川より三尋とかや。
パスファインダー (八十二銀行の誕生)

キーワード 彰真社 第十九国立銀行 第六十三国立銀行 黒沢鷹治郎 飯島保作 信濃銀行 小林暢 瀬下清,八十二銀行/編 八十二銀行 1968.5 同史は、創立35周年記念事業として編まれた。,ノ事情」史料が掲載され ている。,ナンバー 二つ(第十九銀行と六十三銀行)を加えて、八十二にしたらどうか」と「八 十二銀行」との新銀行名,関する書籍・雑誌記事・論文などを検索でき、中には最寄 の公共図書館でデジタルデータを見ることのできるものもある / 八十二銀行の誕生
木曾山林学校 (八戸林学士森林行政論)

臨時若(も)しくは一時的の事業にして完備したる林業を行ふものなく且其事業孰(いず)れも創始に属し未(いま,即、林区上長制の場合に於て林務監査員は純粋の監査事務を執るものにて、詳言すれば管理員業務の実行は果して,監査員の執務場所に就ては三様の別あり   第1 監査事務執行上便利の地方を選み、特別に中間事務所を開,くこと   第2 林務総管機関の中に之を置く事   第3 地方普通行政庁内に之を設くること 是(,国有林以外の森林に対する監督は奨励事務と共に普通の地方行政庁に於て之を掌り、此制度は蓋(けだし)合理的 / 八戸林学士森林行政論
落噺無事志有意 ([解題])

落噺無事志有意 / 落噺無事志有意 [原本の目録] 落噺無事志有意(寛政10年(1798)刊) [底本の目録] 落噺無事志有意,五代目市川団十郎を贔屓にしており、「三升連」という組織を作って団十郎を援助し、団十郎の顕彰を目的に刊行された,な文芸家たちによって披露された噺を集めたものを『咄し売』、『喜美談語(きびだんご)』、そして本著『無事志有意,』として発行した。,『無事志有為』の冒頭では「河豚に大根、鴨に葱、市が榮る下津町、祖父は山の手父母は川端橋々に、咄の評判四里四方
木曾山林学校 (生きるといふ事)

人生とは悲痛より悲痛への行旅(こうりょ:旅人)ではあるまいか。,無自覚の幸福より自覚した不幸へと辿(たど)り行く人にのみ感じらるべきものである。,更に又逃れんとして悶(もだ)えより一層暗黒な世界へ彷徨(さまよ)ひ行くとは。,この時重々しい悲痛は彼は静かに押し寄せて、老ひ行く春の暗夜、落花と共に鐘の音に送られて、見も知らぬ世界,左へ行くのは真に生きんとする其の者にとっては死である。自分に死を迫るものは正しく敵である。 / 生きるといふ事
信州浅間焼之事 ([解説])

信州浅間焼之事 / [解説] [目録] 小諸市古文書調査室 斎藤洋一  本書「信州浅間焼之事」は、上田市立図書館花月文庫,花月文庫は、元は第十九銀行(後に第六十三銀行と合併して八十二銀行となる)の頭取などを務めた飯島保作(花月,表紙の題箋に「信州浅間焼之事」と記されているので、題としたが、一般的には「文月浅間記」として知られているものの,(一七八三)の浅間山噴火に関する史料を集成した、萩原進編『浅間山天明噴火史料集成』全五巻(群馬県文化事業振興会,本書「信州浅間焼之事」(「文月浅間記」)を読むと、「大いに評判」になった理由がわかる気がする。
信濃名勝詞林 (戸隱山紀行)

戸隱山紀行 画像をクリックすると原本の高精細画像が表示されます。,『信濃名勝詞林』より戸隱山紀行 [目録] 戸隱山紀行 ルビ・注記:高井地方史研究会 寺島正友 1,戸隱山紀行(とがくしやまきこう)   山田美妙齋(びみょうさい)【注1】   去年(きよねん),ゆ)けば行(き)くほど行處(とこ)が奥(おく)だかわからぬ程(ほと)、道(みち)は左右(さいう)に林(,明治の廃仏毀釈が行われるまでは、戸隠神社に聖観音菩薩が祀られていた。 / 戸隱山紀行
パスファインダー (明治44年(1911)の大逆事件)

、幸徳事件、大逆事件となっていく経過と、関係した人物をとおし て、真相を明らかにする。,紹介 大逆事件の真実をあきらかにする会ニュース 大逆事件の真実をあきらかにする会 大逆事件の真実をあきらかにする,会ニュース 2016.1.24 第55号 年に1冊発行 県立長野図書館長野県郷土資料総合目録/新聞雑誌総合目録,サイト名 URL 概要 4 サイト名 URL 概要 1 記事 発行機関 年月日 2 記事 発行機関,年月日 3 記事 発行機関 年月日 4 記事 発行機関 年月日 長野県内図書館横断検索サービス / 明治44年(1911)の大逆事件
パスファインダー (『更科紀行』と芭蕉)

『更科紀行』と芭蕉 トピック(テーマ) 『更科紀行』と芭蕉 ねらい 俳聖松尾芭蕉,『更科紀行』は、月をテーマに した紀行であるが、小品ながら芭蕉はこの紀行の完成に心血を注いだと いわれる,『更科紀行』と芭蕉について調べる。,URL 概要 2 サイト名 URL 概要 3 サイト名 URL 概要 4 サイト名 URL 概要 1 記事,.htm 更級紀行で読んだ句と説明、地図を掲載 西尾 桂の新更級紀行 信濃毎日新聞社 2011.6.18 / 『更科紀行』と芭蕉
松本繁昌記 上・下 (発行までの経過)

発行までの経過 [目録] 松本市文書館 小松芳郎  「松本繁昌記」の緒言によれば、長尾無墨が『善光寺繁昌記,出版人の高美甚左衛門らが長野県の県令(今の県知事)に提出した出版の願書と、明治政府に提出した出版届は、 / 発行までの経過
寛保三年二月宿の堤防工事嘆願書 ([解説])

寛保三年二月宿の堤防工事嘆願書 / その中途、鹿曲川左岸に鹿曲川に平行するように中山道望月宿(現佐久市)が存在した。,その望月宿へ江戸方面から行く場合、寛保二年以前は瓜生坂を越えて下って行くと望月新町に出る。,望月新町の家並は、下り坂から始まり、右折して鹿曲川に平行して存在した。,つまり、望月宿と望月新町は大部分が鹿曲川の両岸に、鹿曲川と平行して存在していた。  ,寛保二年一一月の「宿の堤防工事嘆願書」は、望月宿から幕府道中奉行所へ、流失をまぬがれた家の軒下が鹿曲川
パスファインダー (明治17年(1884)の秩父事件)

秩父事件の長野県での動き、影響 を調べる。,/著 新人物往来社 1984.9 秩父事件関係者の家族をとおしてみる。,秩父事件 井上幸治/著 中公新書161 明治38年5月21日 秩父事件史料集成 井上幸治・色川大吉・,国立国会図書館サーチ http://dl.ndl.go.jp/ 秩父事件に関する資料を、図書・記事論文,1 記事 発行機関 年月日 2 記事 発行機関 年月日 3 記事 発行機関 年月日 4 記事 発行機関 / 明治17年(1884)の秩父事件
パスファインダー (善光寺の物語・紀行文・文学)

善光寺の物語・紀行文・文学 トピック(テーマ) ねらい 善光寺の物語・紀行文・文学,/編集 信濃史料刊行会 1974年 内容紹介 「信生法師集」「善光寺記行」「北国紀行」「信州下向記,国立国会図書館デジタルコレクション URL http://dl.ndl.go.jp/ 1 記事,2 記事 信州名作の舞台 発行機関 信濃毎日新聞社(データベース) 年月日 2004.8.31,3 記事 会田宿 青柳宿 2/3 善光寺の物語・紀行文・文学 発行機関 信濃毎日新聞社 / 善光寺の物語・紀行文・文学
龍駕の跡 (2巡行と自由民権運動・民衆)

2巡行と自由民権運動・民衆 巡行と自由民権運動の関係については、両者の民衆の支持をめぐる競合関係を色川大吉,が指摘して以来、多くの巡行研究の動機となったとされる。,例えば、有賀義人と上條宏之が、民権結社に所属する豪農商層の奉迎準備参加と巡行先発官の圧力が松本における,民権派と政府・地方官との「形容虚飾」の攻防のなかで、警察の不敬取締事項が増加していたことに対し民権派は,巡行を重ねる中で形成された天皇への敬意の作法が、不敬という概念となり、民権運動の弾圧に使われるようになることを / 2巡行と自由民権運動・民衆
寛保二年十一月堤防工事嘆願口上書 ([解説])

寛保二年十一月堤防工事嘆願口上書 / その中途、鹿曲川左岸に鹿曲川に平行するように中山道望月宿(現佐久市)が存在した。,その望月宿へ江戸方面から行く場合、寛保二年以前は瓜生坂を越えて下って行くと望月新町に出る。,望月新町の家並は、下り坂から始まり、右折して鹿曲川に平行して存在した。,つまり、望月宿と望月新町は大部分が鹿曲川の両岸に、鹿曲川と平行して存在していた。  ,寛保二年一一月の「宿の堤防工事嘆願書」は、望月宿から幕府道中奉行所へ、流失をまぬがれた家の軒下が鹿曲川
割田家文書 (史料2 寛保二年八月 乍恐以書付奉願候事)

史料2 寛保二年八月 乍恐以書付奉願候事 恐れながら書付をもって願います事  この度の大満水によって,御城下の堤防が壊されたので、藩による工事を行うことになり、人足を出すように言われました。,いまだに行き来する道や橋、石砂泥で押し潰された家など片付けることは、自分だけの力では出来ませんので、毎日人足,この段、山奉行様へもお願いいたします。 / 史料2 寛保二年八月 乍恐以書付奉願候事
パスファインダー (長野県の5つの国立銀行)

のもとで国立銀行条例によ り設立された国が設立した銀行ではなく、民間資本によって設立・経営さ れた銀行,第19国立銀行 第24国立銀行 第63国立銀行 第1 17国立銀行 大池源重 早川重右衛門 坂本則敏,吉池文之助 太田 伝蔵 八十二銀行史 株式会社八十二銀行 株式会社八十二銀行 1968 5つの,第十九国立銀行創立證書定款申合規則 著者名 第十九国立銀行 出版社 第十九国立銀行,生成 三井高茂/著 信濃 1996 第18巻12号 第十四・第十九国立銀行の「設立前後の事情を中心に、 / 長野県の5つの国立銀行
木曾山林学校 (◎第1回木曾山林学校生徒修学旅行記)

◎第1回木曾山林学校生徒修学旅行記 15 今茲(きんじ:今年)明治34年6月22日午後1時、森林視察,漸(ようや)くの事で高倉峠と云ふ峠へ行き着た。,の生徒に作りて呉(く)れたものだと思ふて歩んで行つた処が、上の方へ行つて見ると今迄我々の道と思ふて居た,此等(これら)のさでは甚た便利なもので一谷の中に運材線路を交叉(こうさ)したり又並行せる事が出来る。,水脊負桶(水を入れてさでのある処へ負ひ行き、さでに水をかけ材を滑らかすもの)。 / ◎第1回木曾山林学校生徒修学旅行記
信州浅間焼之事 ([現代訳])

信州浅間焼之事 / この雲の行く先は、どこまでも灰が降るだろう。,闇路を行くようで、何も見えないので、灯火をつけて集まっていた。,その渡しへ行って舟に乗ろうとした時、対岸から笠を上げて水上を見るように知らせるので、何事かと見ると、川,家は数しれず流れて行った。  ,知らない世界に行った気がする。
朝陽館漫筆(千曲川の改修工事) ([翻刻])

朝陽館漫筆(千曲川の改修工事) / なりしがいつとなく 今日の如く水少くなりたり、其時分は松城より 矢代驛への通路ハ勘太郎橋を渡り眞直に行,は立寄、休息の所とす、此石 地蔵は道の傍にあり、前に言如く妻女山を越 土口坂へかゝり雨宮、矢代と行事,なり、今日の如く 岩野を往来する事なし、今馬喰町裏崩れ 〓《ワク》辺より赤坂の渡頭までは一面の川なり,某 十歳の比ほひ妻女山の腰に細道を造り夫より 岩野村へ懸り矢代への往来せり、但歩行の往  
龍駕の跡 (2明治六大巡行の概要(『明治六大巡行-地方の布達と人々の対応-』より))

2明治六大巡行の概要(『明治六大巡行-地方の布達と人々の対応-』より) (1)明治5年の巡行     ,、宮内少輔吉井友実等65名余     *六大巡行の始まりとなった明治5年の九州・西国巡行は、廃藩置県後,明治4年7月の廃藩置県により藩知事(旧藩主)は東京在住を命じられたが、諸藩の対応は比較的従順でした。,(2)明治9年の巡行     日程 6月2日~7月21日     行程(府県名) 埼玉、栃木、福島,静岡、神奈川     随行官員 右大臣岩倉具視、参議大隈重信・井上馨、宮内卿徳大寺実則、侍補佐々木高行 / 2明治六大巡行の概要(『明治六大巡行-地方の布達と人々の対応-』より)
(株)第十九銀行と諏訪製糸業 (3点史料の概要)

(株)第十九銀行と諏訪製糸業 / 以下、「第十九銀行」と略称する)にかかわるものである。,、銀行と製糸業の関係が理解できるようにと5つの参考事項について編集されたのが本書である。,参考事項とは、「 株式会社第十九銀行ノ略歴史」、「蚕業界ニ於ケル信州ノ位置」、「本行取引地ノ信州ニ於ケル,当時常務取締役であった箕輪五助名で刊行された。,諏訪製糸研究会事務所編集によるものを第十九銀行岡谷支店名で発行した。
割田家文書 (史料4 寛保三年三月 乍恐書付以奉願候御事)

史料4 寛保三年三月 乍恐書付以奉願候御事 恐れながら書付をもって願います事      両奉行,                埋り田の中前田 一 悪水払堰          堰埋り  以前の満水につき藩による工事を / 史料4 寛保三年三月 乍恐書付以奉願候御事
(株)第十九銀行と諏訪製糸業 ([ルビ・注記])

(株)第十九銀行と諏訪製糸業 / リツヽアルコトヲ示スヘシ (一)原料仕入ノ区域ヲ拡大シタル事  事業ノ未タ進マサル時代ニ在テハ一,ニ至テハ寧口変動ノ最モ少ナキモノニ属ス (四)毎歳一回厳格ナル決算勘定ノ行ハルヽ事 計算ヲ明確ニスルノ,次年ノ経営ヲ定ムルハ当然必須ノ事ニ属スト難モ世事往 往志ニ違フヲ免レス最モ細心ノ注意ヲ要スヘキ工業家,ノ拡張ニ伴ヒ春季解氷ヲ 待テ直ニ事業ヲ継続スルモノ漸ク加ハリ殊ニ関東其他温暖ノ他方ニ在テハ 周歳事業,更ニ新年度ノ諸準備ヲ為スヲ常トス左レ ハ一事業年度(六月ヨリ十二月乃至翌五月ニ至ル)間ノ事業成績ハ仮
パスファインダー (江戸時代千曲川水害と上今井瀬直し工事)

そこで、 記録に残る江戸時代の千曲川水害と明治初期に行われた上今井瀬直 し工事の様相を究明し、今後の治水事業,出版社 出版年 内容紹介 1 書名 著者名 出版社 出版年 国土交通省北陸地方整備局千曲川工事事務所,信濃の巨流 千曲川 建設省北陸地方建設局千曲川工事事務所 その他/編 財団法人河川情報センター 1993.2.24,千曲川・犀川 地名に見る 川と人の営み 国土交通省千曲川河川事務所/企画 国土交通省千曲川河川事務所,発行機関 年月日 2 記事 発行機関 年月日 氾濫解析法により戌の満水と呼ばれる洪水の再現を試 / 江戸時代千曲川水害と上今井瀬直し工事
割田家文書 (史料4 寛保三年三月 乍恐書付以奉願候御事)

史料4 寛保三年三月 乍恐書付以奉願候御事 乍恐書付以奉願候御事      6    両奉行 一 / 史料4 寛保三年三月 乍恐書付以奉願候御事
寛保二年十一月堤防工事嘆願口上書 ([現代訳])

寛保二年十一月堤防工事嘆願口上書 / そこでご領主様からたびたび救助米などを与えていただき、堤防工事をしていただきましたが、川筋が悪くなったため,そこで、幕府道中奉行所で堤防工事をしていただければありがたく存じます。
割田家文書 (史料2 寛保二年八月 乍恐以書付奉願候事)

史料2 寛保二年八月 乍恐以書付奉願候事 乍恐以書付奉願候事      3 一此度大満水ニ而御城下水除土手押払候,乍恐御勘弁被為遊御救候、  拙者共村方之義ハ、外村方より人足之御高減  被仰付被下置候様ニ奉願候、此段山方御奉行 / 史料2 寛保二年八月 乍恐以書付奉願候事
長野県師範学校生徒修学旅行概況 (2.本書の概況と特徴)

長野県師範学校生徒修学旅行概況 / そして、修学旅行に参加した生徒は軍事教練のような出で立ちで、開通後間もない信越線、東海道線の汽車及び天竜川舟行以外,その距離200有余里の長途の修学旅行でした。  ,美濃信濃国境、寝覚め床、御嶽山登山、源の義仲祠堂、福島以北の木曽路道路改修工事等です。  ,浅井はこの修学旅行を総括して、「凡廿日間、二百有余里長途の旅行に、身を炎天の酷暑に晒し、或いは天竜の激湍,にして無事に之を終ることを得たるは、誠に吾等無上の幸福なりとや言はん。
朝陽館漫筆(千曲川の改修工事) ([解説])

朝陽館漫筆(千曲川の改修工事) / 城下の水害を防ぐため、原八郎五郎の献策を受け、千曲川本瀬の流れを付け替える「瀬直し(瀬替えとも)」を行いました,この漫録には題がないため、「千曲川の改修工事」と仮にタイトルをつけました。,昔は妻女山を越え、土口坂から雨宮 矢代へと通行していましたが、今は妻女山の麓に近いところから岩野村を通
朝陽館漫筆(千曲川の改修工事) ([現代訳])

朝陽館漫筆(千曲川の改修工事) / 代藩主真田信安) や后妃も船で開善寺へ避難した、開善寺滞 留中、満姫が病で亡くなった、誠に大きな変事とい,える、その後千曲川の川普請が行われ、寺尾村の西へ堀川を掘り、 千曲川本流から分水させた、そのため,にか 今日のように水が少なくなった、その時は松代から 矢代宿への通路は勘太郎橋を渡り、まっすぐに行き,しまでは一面川で、某 10歳の頃、妻女山の麓の辺に細い道を造り、そこから 岩野村へ向かい、矢代へと行き,来した、ただし、歩行の往 来のみで、馬での往来は出来なかった、いつしか今は 道幅も広くまつすぐな道路
木曾山林学校 (◎我が国人の天性植物を愛する志想に富む事を述ぶ)

実業的志想を抱いて此山林学校へ入学したので、入学以来日尚浅く研究する所も又顕著ならずですが、此度此雜誌の発行に,而して自然の美を愛し自然の美を楽む事が大和民族の如きは外国には無いとの事です。,旧藩時代に於て各藩の林政の周到であつた事は殆んど賞賛する外は無い。,乍併(しかしながら)今日は立派な森林法を設けられて発布になつて居るが、之れが実行に至つては或一、二の地方,に限りて行はれて居る様な訳で頗(すこぶ)る慨嘆の至りである。 / ◎我が国人の天性植物を愛する志想に富む事を述ぶ
(株)第十九銀行と諏訪製糸業 ([ルビ・注記])

(株)第十九銀行と諏訪製糸業 / 云フ如斯始テ海 外ノ販路ヲ得タルヨリ同村林源次郎、清水久左衛門等上州伊勢崎ヨリ座繰器械ヲ持来リ大ニ行ハ,しょうよう:さそいすすめる)により遂ひに 此の制度は廃止の己むなきに至り大正十五年二月二十八日限り之を斷行し,    (改頁)      13   一、諏訪人経営器械製糸総釜数五月一日現在累年比較 第十九銀行調査,信州器械製糸横浜入荷高調(一梱ハ九貫目(三三.七五キログラム))(前年一月ヨリ其年十二月迄) 日本銀行調査,#215;(国蚕支九号同支一〇一号)と日支二 化二化雑種一品種との五品種に整理し、之を大正十三年から実行すべく
(株)第十九銀行と諏訪製糸業 ([ルビ・注記])

(株)第十九銀行と諏訪製糸業 / 、十 二年開明社員片倉角左衛門陶器鍋を発明し、為めに 生糸は天然の光沢を損せず且糸量を増し、以て事業,一層容易且迅速なるを得、運賃 保険料低落し、工男女募集の困難減ぜられしかば、彼 等は其郷土に於て事業,従て共同揚返によりて荷造せられた るものは、揚返以後の費用のみ共同分担となり、其主 たる事業の損益,~~~~~~~~~~~~       小麦青々大麦黄、原頭日出天色凉、       姑婦相呼有忙事、,同上三千十六個なり] 右生糸産額は農商務省の統計にして、輸出用・内地用を総計せる ものなれども、事実
(株)第十九銀行と諏訪製糸業 (新たな産業を産んだ製糸金融)

(株)第十九銀行と諏訪製糸業 / 新たな産業を産んだ製糸金融 第十九銀行は、信用貸しの荷為替融資を大原則にしていたが、黒沢頭取は製糸業,の発展に即した安定した信用度の高い事業の拡大をめざし、動産担保の繭購入資金(購繭資金)に融資するという,両社は、ともに第十九銀行の担保物件である繭の乾燥と保管を目的にしていること、役員も両社を兼ねていることなどから
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