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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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(株)第十九銀行と諏訪製糸業 (新たな産業を産んだ製糸金融)

(株)第十九銀行と諏訪製糸業 / 新たな産業を産んだ製糸金融 第十九銀行は、信用貸しの荷為替融資を大原則にしていたが、黒沢頭取は製糸業,の発展に即した安定した信用度の高い事業の拡大をめざし、動産担保の繭購入資金(購繭資金)に融資するという,製糸金融拡大策を採った。,製糸金融拡大のために編み出されたのが担保繭の貯蔵施設と保管営業をする倉庫業であった。,倉庫業は、製糸金融が産んだ新しい産業となる。 / 新たな産業を産んだ製糸金融
(株)第十九銀行と諏訪製糸業 (資金供給源の(株)第十九銀行略史)

(株)第十九銀行と諏訪製糸業 / 資金供給源の(株)第十九銀行略史 ところで、諏訪製糸業を支えてきた第十九銀行とは、どのような歴史と特徴,明治10年11月8日、上田町100番地(現、株式会社八十二銀行上田支店地籍)に開業した第十九国立銀行(資本金,創立当初から製糸金融にかかわる銀行であった。  ,された臨時株主総会で私立銀行として営業を継続する決議をし、1897年3月1日から株式会社第十九銀行(資本金,(資本金13,315,00円)として新たな出発をし、現在に至る履歴を刻む。 / 資金供給源の(株)第十九銀行略史
(株)第十九銀行と諏訪製糸業 (3点史料の概要)

(株)第十九銀行と諏訪製糸業 / 3点史料の概要 株式会社第十九銀行ト製糸業 諏訪の製糸業 附金融機関 諏訪蠶絲業紀要<昭和5年>,その生糸を産む製糸業に、第十九銀行は資金を供給してきた。,第十九銀行の営業景況は製糸資金の繁閑によるが、製糸資金の需要供給の関係が複雑のため人々には理解しがたいところがあるので,ハ危険ナル営業ナリヤ」、「製糸資金」である。,、「岡谷駅付近の盛観」、諏訪製糸家に最も多くの資金供給をした第十九「銀行」、諏訪式乾燥装置を備えた「倉庫及
(株)第十九銀行と諏訪製糸業 (「普通銀行の範疇に入らぬ銀行」)

(株)第十九銀行と諏訪製糸業 / それは、預金より借入を主とする製糸金融の特徴にあった。,そのことについて、『八十二銀行史』「製糸金融の特異性」(50~51頁)では、つぎのように述べている。,製糸金融は、短期間に原料(生繭)仕入に多額な資金を必要とする典型的な季節資金である。,製糸業者は、生繭が出回る6月から10月までの4か月間という短期間のうちに一事業年度分(6月から翌月の5,「並木茂八郎氏(八十二銀行常務取締役)を囲む製糸金融に関する座談会」(『地方銀行史資料』第20号)で語
(株)第十九銀行と諏訪製糸業 ([ルビ・注記])

(株)第十九銀行と諏訪製糸業 / ヲ産出スル工業地ナリ 而シテ吾第十九銀行ハ信州ノ製糸業ニ向テ殆(ほと)ント全力 ヲ傾注シテ之カ資金,製糸資金…………………………………………………………………………二九 附製糸費用……………………,務ムル本 行ノ資金ハオノツカラ製糸工業ニ傾注セラレサルヲ得ス製糸工業ノ発達隆 盛ヲ加フルニ伴ヒ本行営業,ヲ供給スルモノヽ至便トスル所ナリ     ○製 糸 資 金 製糸原料繭ハ産出ニ従テ製糸家自カラ産他,抱テ産地ニ赴カサル ヲ得ス多ク資金ヲ要スル所以ナリ 製糸家ノ或モノハ殆ント自己ノ資金ヲ以テ営業スルモノアリト
(株)第十九銀行と諏訪製糸業 ([ルビ・注記])

(株)第十九銀行と諏訪製糸業 / 諏訪製糸業者は概ね自ら称するに何社、何館を以 てし、或は何組と称するもの亦少からずと雖も、合名 合資又,に最も多くの資金を供給するものは 株式会社第十九銀行にして、岡谷に設置せる支店を 諏訪支店と称す。,其後器械製糸業 の諏訪に起るや専ら之が資金を供給し、荷為替の便 を開くと共に運送保険業を慫慂(しょうよう,    三四一、五六七・七五〇  払込未済資本金   三〇〇、〇〇〇・〇〇〇  諸預金   一、六六六,・一八一  資本金   一、五〇〇、〇〇〇・〇〇〇                        
(株)第十九銀行と諏訪製糸業 (諏訪地域への進出)

(株)第十九銀行と諏訪製糸業 / 同社の設立は、「設備・器械・技術の諸面で諏訪地方の製糸業に大きく影響したことはもちろんであるが、近代的,なお、諏訪の製糸業の変遷については、史料2の「製糸業の沿革及び現状」と史料3の「製糸業の沿革」がさらに,諏訪製糸家に最も多くの資金を供給した第十九銀行が、下諏訪村の季節諏訪出張所を製糸業の中心地平野村岡谷に,諏訪・飯田地方の製糸金融拡大を積極的に推進した黒沢鷹次郎頭取は、 1897年3月1日株式会社第十九銀行,の中心地平野村の製糸業については、『平野村誌』1932年に詳しい)。
パスファインダー (依田社の製糸業)

、座繰製糸、小枠、再繰、二ツ取座繰製糸、足踏座繰、器械 製糸、諏訪式器械製糸、再繰所、生糸検査部、生糸試験所,、カ ネ二製糸場、カネ三製糸場、カネタ製糸場、軍需工場転用、三菱重工、 金子金平、鐘ヶ淵紡績丸子工場、,の貴重な資料となっている。,3 書名 著者名 出版社 出版年 長野県史 近代資料編 第5巻 蚕糸業 長野県史刊行会/編 長野県,/編著 大日本蚕糸会信濃支部 1937 統計資料などから依田社各製糸場の状況がわかる。 / 依田社の製糸業
(株)第十九銀行と諏訪製糸業 ([ルビ・注記])

(株)第十九銀行と諏訪製糸業 / ノ  一班ニシテ参考ニ資スルモノナリ 一、本書中材料ノ都合ニ依リ最近ノ事実ヲ掲載セルモノハ特ニ,白鶴社上諏訪村ニ鵞 湖社同十年宮川村ニ山本社(後公信社ト称ス)平野村ニ開明社(川岸村片倉兼太郎 平野村尾沢金左衛門,ノ改良ヲ図レリ又開明社社員片倉兼太郎、尾沢金左衛門等ニヨリテ改 良陶器鍋(旧来使用ノ鍋ハ管ヲ 銅ニテ,し互に先を争ひ契約を競ふ の結果被雇者及び契約者の乘ずる所となり、二重若くは三重契約を敢てして契約金又,は前貸金を 詐取するもの多きに至り、愈々引揚に際して甲乙両工場若くは数工場の間に問題を惹起し、募集
パスファインダー (養蚕・蚕種・製糸と神さま)

養蚕・蚕種・製糸と神さま トピック(テーマ) 養蚕・蚕種・製糸と神さま ねらい,蚕種・製糸は蚕玉信仰と結びついて盛んになったことを調べる 養蚕と信仰 蚕玉神 蚕影社 三島社 稲荷信仰, 保食神 養蚕の絵馬 養蚕と馬  養蚕と猫 蚕種 繭 製糸 1 書名 信濃蚕糸業史 [上・,1937 内容紹介 長野県の蚕糸業全般(養蚕・蚕種・製糸)についての研究書 2 書名,・生糸流通・贋金や紙 幣の流通・蚕業教育者についての研究書 1 書名 長野縣町村誌 第2巻 / 養蚕・蚕種・製糸と神さま
パスファインダー (蚕糸王国信州)

蚕糸王国信州 トピック(テーマ) ねらい キーワード 概要を知るための ツール 資料リスト,蚕種 風穴 微粒子病 生糸 製糸工場 座繰り 機械製糸 の ぼせ糸 工女 横浜開港 富岡製糸場 小野組,片倉 今井五介 片倉兼太郎 清水金左衛門 藤本善右衛門 三吉米熊 中島精一 小県郡立蚕業学校 上田蚕糸専門学校,、清水金左衛門、三吉 米熊等を取り上げる。,」または「蚕糸 信州」に関する資料を、図書・記事論文・ デジタル資料などから探すことができる。 / 蚕糸王国信州
パスファインダー (工藤善助)

4位の生糸出荷量を誇る製糸結社「依田社」の社長と して、地域の産業育成や教育に尽力した工藤善助を調べる,、製糸業、長野県製絲同業組合連合会、下村亀三郎、 片倉兼太郎、清浦奎吾、三吉米熊、針塚長太郎、倉沢運平,、羽田桂之 進、深井千代吉、柴崎虎五郎、金子金平、鷲沢与四二、伊藤傳兵衛金 三製糸場、依田社、丸子農商学校,長野県全域の蚕糸業を知るための基本資料。,長野県史 〔近代資料編・第五巻(三)蚕糸業〕 長野県/編 長野県史刊行会 1/2 信州地域史料
パスファインダー (蚕都上田)

上田小県近現代史研究会 2013 内容紹介 幕末の横浜開港以前から小県上田地域では生糸製造,/編著 岩田出版 2011 内容紹介 小県上田地域の養蚕、座繰製糸、器械製糸、中居重兵衛、,三吉米熊、 贋金問題と紙幣流通などについて述べた論集である。,4 書名 著者名 出版社 出版年 信濃蚕糸業史 下巻 製糸編 江口善治、日高八十七/著 日本蚕糸会信濃支部,し 発行機関 年月日 3 見出し 発行機関 年月日 江戸初期から昭和初期までの小県上田地域の製糸業
明治3年歎願書 ([解説])

したがってこの騒動を「チャラ金騒動」とも呼んでいます。,明治初年の不安定な世の中にあっても、海外需要に支えられ、生糸や蚕種の製造量はさらに増していました。,―各村の蚕種業者が製造した蚕種を、丸山平八郎のような資力を持った豪農商が買い集め横浜に出荷。,各村の蚕種業者は蚕種原紙(蚕卵台紙とも呼び、蚕に蚕種を産み付けさせる和紙)購入のほか製造に必要なお金(,原資)を地方蚕種売買業者から前借して蚕種を製造。
パスファインダー (蚕室造りの家と養蚕農家)

稲 田が少なく山に囲まれた多くの地では現金収入を得るために桑を植え、 蚕を飼った。,、農商務省蚕業試験 場技師松永五作、上田蚕糸専門学校初代校長針塚長太郎、穂高蚕種 製造人相馬愛蔵、小県塩尻清水金左衛門,旧丸子町・塩田町・川西村・川辺村・城下村・武石村、長和村、青木村の 内容紹介 蚕室づくりの家と製糸組合依田社,なかでも清水金左衛門の項では彼が 考案した蚕室の設計図と現存していた(先ごろ取り壊した)写真が載って,通俗養蚕秘方』 上、下 文港堂 1882 等の 画像を見ることができる 1 見出し 信州の織物や製糸
パスファインダー (八十二銀行の誕生)

概要を知るた めのツール 資料リスト 1 書名 著者名 出版社 出版年 内容紹介,2 書名 著者名 出版社 出版年 日本金融史資料 昭和続編 付録第2巻 地方金融史資料2 日本銀行金融研究所,両行銀行の突然の合併発表は県下財界に驚きを与えたことを記した 「第十九、六十三両行合併発表後ノ状況」と製糸界不況,から減資合併の 動きへの反響を述べた「八十二銀行新立前後ノ事情」史料が掲載され ている。,長野県史 通史編 第九巻 近代三 長野県/編 長野県史刊行会 1990 第二章第四節「製糸業
扶桑之蚕6巻 ([解説])

座繰製糸が主流であった地元上田小県地域では、明治22年の「依田社」創業、同33年の「常田館」の創業など,器械製糸業が勃興している。,さらに、大正初年には製糸組合「依田社」の第2代社長に就任、製糸業界を背に再び衆議院議員となり日本蚕糸業界,内容は古文書、金石文、考古資料、地誌、桑葉図と拓影、蚕種相場変遷、米相場、聖陵、正倉院御物、草木図、鳥類図,このうち、桑葉の拓影は800枚あまりを収集、貴重な資料となっている。
パスファインダー (猪坂直一)

資料リスト 1 書名 著者名 出版社 出版年 内容紹介 2 書名 著者名 出版社 出版年,とその周辺 長野大学 郷土出版社 2006 この中で、小平千文「上田自由大学を創設し運営した青年たちー金井,蚕都上田を築き支えた人びと 上田小県近現代史研究会 上田小県近現代史研究会 2010 蚕種業・製糸業,上田地域図書館情報ネットワーク https://www.echol.gr.jp/ 猪坂直一の著書など関連資料,を探すことができる 国会図書館サーチ https://iss.ndl.go.jp/ 猪坂直一に関する資料
パスファインダー (小島大治郎)

、鍋大、上田領常田村、国分寺八日堂縁日、鍋釜、善光寺梵 鐘、小島左門太、埴科郡西条村六工社、鋳物鋳造製糸用汽罐,小島鉄工所、丸子鉄道、上田温泉 電軌、別所線、西丸子線、北東線、五島敬太、田沢炭鉱、上田蚕種、上 田繭糸、,上田瓦斯、信濃電灯、上田運送、小島育英資金、町会議員、郡 会議員、商工会議所議員、小島大治郎翁頌徳碑、,資料リスト 1 書名 著者名 出版社 出版年 ふるさと上田人物伝 阿部勇、小平千文、児玉卓文,らしを乗せて走る別所線 新津新生、桂木恵、小野和英ほか/共著 上田小県近現代史研究会 2006 「製糸
パスファインダー (柴崎虎五郎)

キーワード 福沢諭吉、下村亀三郎、工藤善助、保科五無斎百助、養蚕国、製糸国、 機業国、機業講習会,日本人学校、丸子音楽隊、信濃教育会雑 誌、小県昆虫研究所設置之趣旨、 概要を知るた めのツール 資料,目次には「柴崎虎五郎の機業染織講習」とあり、明治中期の信 州の農村に養蚕・製糸だけでなく機業を起こすべく,山岸勝/編 出版社 下村亀三郎伝記刊行会 出版年 1980 内容紹介 本書は製糸結社,明治33年の『信濃毎日新聞』には彼の教育実践「学校の庭に植 へたる葡萄樹」ほか「新按学童貯金法」などが
パスファインダー (松本・上高地の文学(1))

早稲田専門学校 木下尚江研究会 中沢臨川 広丘小学校 桔 梗ケ原 松本高等女学校 土屋文明 松高文芸部 金井融,木曽のおん岳さん 川口松太郎著ほか 資料リスト 1 書名 著者名 出版社 出版年 木下尚江全集,南欧の空、文芸汎論・断章・書簡等 3 書名 著者名 出版社 出版年 山上湖上 山田肇/編 金色社,聡明な妻不二子、恋人中原静子、歌人太田(若山) 内容紹介 喜志子という女性たちとの関係を軸に、多くの資料,7 書名 あゝ野麦峠:ある製糸工女哀史 著者名 山本茂実/著 出版社 朝日新聞社
伊那繁昌記 ([解説])

[解説] [目録] 松川町資料館 伊坪達郎  『伊那繁昌記』は明治43年8月5日に発行されています,そして関連して太物・染糸・反物・古着・洋傘などの店も何軒かありました。,このころいろいろな金融機関があったようで、百十七銀行・飯田貯蓄銀行・伊那銀行・八幡商業銀行などの名前が,上柳喜右衛門(飯田町長・衆議院議員)・野原文四郎(飯田町長・飯田市長)・原耕太郎(飯田病院長)・吉澤利八(製糸家,この書を基にしながら、いろいろ興味を持ったことを、図書館・博物館・資料館でさらに調べていかれることを期待
木曾山林学校 (3.木曽と産業)

へんぱく:ヒノキ)を主とし、椹(サワラ)、羅漢柏(らかんはく:アスナロ)、〓《ネズコ》(注2-11参照)、金松,25ヶ所に達し、其貯蔵枚数実に51万枚余の多きに達し、繭・蚕種・生皮苧(きびそ:注3-6)・真綿の総金額,次に製糸工場数18個所、其産額実に44万円にして其他絹織物、麻織物、絹綿交織等工芸製品合計74万円に達,茲(ここ)に官民相計りて従来の御料林を愛護することに努め、恩賜金の一部は各町村、恩賜基本財産として積立,てゝ基礎を強固にし、而して町村の産業奨励資金として、及び産業組合に限り貸付の恩典を付し、其結果郡の産業組合勃然
『説諭要略』巻一 ([ルビ・注記])

所々ニ製糸塲ヲ設ケ。紡  車器械ヲ始ムヘシトナリ     注 (1)利益となること。,橋部慎蔵母  一金二円              ツ  ナ     平日心掛塵糸(ちりいと)ヲ取集,中村平九郎母  一金三円              タ  ミ     多年紬キ糸ヲ引賃銭貯置右金額献納願出,              カ  ネ    養蚕ヲ勤メ生糸真綿ヲ売リ右ノ金額献納願出    タリ,皆各村献金ヲ  増加シ。資金ヲ募集シ。割(かつ)校(注4)願出タリ。
義烈百人一首 ([翻刻])

され給ひける時、此ところには「時鳥はあらざるやと御尋ありければ、里人答へたてまつりて、昔後鳥羽院の御製にてほと,ヽぎす啼ざるよしを奏しければ きく人も 今はなき世に 時鳥 たれをうらみて なかぬこのさと 斯御製を,しめしていそぎ範光を召て くれかヽる 山田のさなへ 雨過て とりあへずなく ほとヽぎすかな 此御製を,古松枝をたれて千とせの色を見せ老槐葉茂りて万世の徳をあらはし、景色面白く岩をたヽめる中より静に落る瀧の糸は,古松枝をたれて千とせの色を見せ老槐葉茂りて万世の徳をあらはし、景色面白く岩をたヽめる中より静に落る瀧の糸は
贈答百人一首 ([本文、奥付])

、是死するに同じ、されば利欲に糸をすり切ず、兎かく生気をやしなひ給へとさとして 耳を洗ひ 牛をひやして,)こふは、国はこの道よりも起れるを、連哥嫌ふは 〇鹿の哥二首とも宗祇をしたひて其秋の哥也、宗長殊に糸竹,の性体何の為病ひあるや、和尚答て、金剛に金剛の病ありといへり、才器衆に勝れ何にても聞こと見る事忘るゝことなし,しければかたじけなくも 春を知る 梅を見るさへ なべて世に めぐみのつゆに かゝれとぞ思ふ かく御製をくだされ,名高き道具也、俳諧、茶の湯に友を集ひて会席の膳を調じてもてなすことを興じ、又墨河張といふきせるを銀にて製し
「上田郷友会月報」記念号中「既往八十年」 ([ルビ・注記])

明治二十三年を期して、国会開設の勅論(ちょくゆ 天子のおさとし)を発し賜(たま) ふた、即ち王言如糸其出如綸王言如綸其出如綍,三人は製糸工女と見へて、新町で下車した、車上では 病人でも、下車すれば、元気になるものと見へて、馬車,朝早く立った、熊谷の土手は寒かった、鉄道工事(注1) は、此(こ)の辺までは大概には落成したとかで、資材,十二月末に職務上格別勉励に付、為其賞金拾円給与の辞 令と、月俸金拾五円給与の、辞令を貰った。  ,渡英してイギリスの弁護士資格を取得し、帰国     後代言人となる。
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