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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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違作書留帳 (2、丸山角之丞暉始)

2、丸山角之丞暉始 丸山家の中でもひときわたくさんの記録を残している角之丞暉始は、天明5年(1785 / 2、丸山角之丞暉始
違作書留帳 (1、「違作書留帳」)

被害をもたらした天保の飢饉に関して、その被害の状況や飢饉に至った際の対応の方法、村の様子などについて角之丞,「御用留」などの公的な記録の綴りとちがって、角之丞が被害の様子や飢饉時の心構えを後世に伝えたいという意図,当時の丸山家当主の丸山角之丞は、毎年作成している「御用留」や家政に関わる公的日誌のほかに、とくに天保4,角之丞氏は「違作書留帳」を作成するために、自分の作成した記録のなかから伝えたいものを選びぬいて、一つの,角之丞のこのときの年齢は五六歳でした。  
違作書留帳 (4、『松本市史』記述の天保の飢饉)

(中略)  丸山角之丞が「違作書留帳」に、「おだやかにして世上静になる」としるすように、天保5年の暮,しかし荒廃した農村は、角之丞が「元の如くに相成り兼る」としるすように回復することはなかった。
違作書留帳 ([翻刻])

名主藤三郎方ニ上向キ 書留有、此節役人   名 主 藤三郎   百姓代 何右衛門   同 断 角之丞,  うらに             阿礼神社神主   国土罪秡 虫災消除攸  右御祈祷ニ定之助・角之丞行,ニ寄合有、 西の原見廻り、同日藤次郎 高遠領へ噂聞ニ行 同晩小又役元へ御支配 役人御四人泊、角之丞,洗馬新右衛門気之毒之由 を申、丸山一統ニ而寄附 致度申、何右衛門・藤三郎・ 仙蔵・定之助・角之丞,迄 大切に心かけ、日月の御 恵み大恩なる事 おそれ慎み出精 可励是今日 只今也   丸山角之丞
違作書留帳 ([現代訳])

日記帳にある、名主に藤三郎方上向き書き留めがある、 このときの役人は、名主が藤三郎、百姓代が何右衛門・角之丞,、五穀成就祈攸、この札八か村へ御渡す、うらに「阿礼神社神主 国土罪秡 虫災消除攸 右御祈祷ニ定之助・角之丞行,りをした、同日に藤次郎が高遠領へ噂を聞きに行き、その日の晩に小俣の役元へ四人の御支配役人御が泊まり、角之丞,見分、 六月二十一日 分水口へ土塁を掛ける、御出役は藤江継太夫様と江崎金一郎様、 六月二十二日 角之丞,三溝九兵衛孫、娵に遣わす、     (改頁)   十一月十日 藤三郎の退役御免の願いが叶う、角之丞
検地仕法 ([解説])

神戸村(松本市笹賀)の丸山角之丞がえがいたこの検地の絵図は、今井村(松本市今井)と古見村(東筑摩郡朝日村
検地仕法 ([翻刻])

)      12   右者日々御案内見取聞書誌   天保五午年八月          丸山角之丞
検地仕法 ([現代訳])

    (改頁)   右は日々の御案内を見取り聞き書きして記したもの、 天保五午年八月 丸山角之丞
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