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赤松小三郎関係雑集[自筆]
([(4)金子預り証文之事])
[翻刻] (4)金子預り
証文
之事 一金拾五両也 右者、赤松清次郎殿御発起無尽金、 / [(4)金子預り
証文
之事]
寛保二年十月上畑村総百姓往還道・屋敷移転取極証文
([解説])
寛保二年十月上畑村総百姓往還道・屋敷移転取極
証文
/ 寛保二年一〇月の「上畑村総百姓往還道・屋敷移転取極
証文
」は、右のような大被害を受けた上、今後も同様の被害,を受けかねないと考えた村民が、村の移転を決めた際の取極
証文
である。,その際、誰の田畑へ往還道が設定されても文句は言わないと約束したのが、この
証文
である。
寛保二年十月上畑村総百姓往還道・屋敷移転取極証文
([翻刻])
寛保二年十月上畑村総百姓往還道・屋敷移転取極
証文
/ [翻刻] 1 (表紙) 「 寛保弐年戌十月 相定申往還并村居引移
証文
寛保二年十月上畑村総百姓往還道・屋敷移転取極証文
([現代訳])
寛保二年十月上畑村総百姓往還道・屋敷移転取極
証文
割田家文書
(史料5 寛保三年六月廿一日 覚)
藩による工事が計画通り出来ましたので、一通の
証文
を差上げます。 , 又 六 右に記してある事は、工事が済んだ部分の調べが済んだとき、一村ごとにその場所で
証文
赤松小三郎関係雑集[自筆]
([(2)覚])
右者、新屋村熊吉亀(鬮)当り相成 候所、同人不参ニ付、私慥ニ御預り 申、当人別紙
証文
差出候上
寛保二年八月上畑村水災救恤願
([解説])
寛保二年一〇月の「上畑村総百姓往還道・屋敷移転取極
証文
」は、右のような大被害を受けた上、今後も同様の被害,を受けかねないと考えた村民が、村の移転を決めた際の取極
証文
である。,その際、誰の田畑へ往還道が設定されても文句は言わないと約束したのが、この
証文
である。
寛保二年九月上畑村水災につき当立毛御見捨願
([解説])
寛保二年一〇月の「上畑村総百姓往還道・屋敷移転取極
証文
」は、右のような大被害を受けた上、今後も同様の被害,を受けかねないと考えた村民が、村の移転を決めた際の取極
証文
である。,その際、誰の田畑へ往還道が設定されても文句は言わないと約束したのが、この
証文
である。
『長野史料』索引
(『長野市史』と『長野史料』)
災記、市場衰微歎願訴訟、権堂飯盛女に付約定書、安政年中歩役一件出入、元 禄度市場伺、慶長宿
証文
割田家文書
([解説])
史料5は、御普請完成の
証文
である。 ,笠倉村役人は、完成を確認した上で
証文
を提出した。
宿継要書留
([翻刻])
[翻刻] (表紙) 「 宿 継 要 書 留 」 脇坂様より被下置候御
証文
之写,可致宿次旨、市田村問屋方書 付差出ニ付、荷物上まへ掠取候 故、弐拾弐年以前右之段訴候処、従 奉行所
証文
出之,近年松本町商人与致一味 出所より之作物与申之、松本売買 之荷物付通り候ニ付去春訴候処、 次荷物
証文
之通宿次,ニ付、 為検使覚書藤右衛門手代松山儀兵衛・ 都筑長左衛門手代関太郎兵衛差 遣之令穿鑿之所、先年
証文
之,ニ奥印致宿々相廻申候、 御申上げ候右文意 一御請
証文
之通相伝申候而奥書ニ 右御裁許御請
証文
之写相廻
善光寺道名所図会
(○別所温泉)
依て如来を暫く借奉り度よしの告文を奉るに因て、出浦の高望公へ綸 命下り、三楽四院へ奉借
証文
三河,の守護より越さる、[此
証文
正徳二年に本堂焼失迄ハ内 陣に納有しが、其外宝物共に此時悉く焼亡す、,依て鳳来寺 岑の薬師と称し、霊験今に掲焉し、梺に町屋軒を並へて建連ねたり、 但右の古
証文
焼失
寛保二壬戌年金井村戌出水万覚留帳
([翻刻])
村中之者共迄も 改余儀不申上候、後日為帳之 御尋御座候ハゝ、何分之曲事ニも 可被仰付候、為右
証文
指上申候所
宿継要書留
([現代訳])
これにより前の
証文
を皆取り上げる。,後日のため宿々で連判の
証文
はこのようです。 ,よって御請け
証文
を差上げます。 ,後のため
証文
に連判し、一札を差しあげます。 ,申し上げたことは、 一御請
証文
の通り伝え、奥書に右御裁許の御請
証文
の写しを廻します。
パスファインダー
(幕末の木曽騒動)
洗馬宿 本山宿 慶応二年 野口庄三郎 贄川 奈良井 藪原 宮越 床尾村 岩垂村 今村 小沢庄右衛門 米
証文
秀吉と真田
(上杉景勝への従属と証人信繁(弁丸))
この文書は真田弁丸(信繁)とみられる「弁」が、「左衛門尉」の旧臣諏訪久三に、秀正の出していた
証文
秀吉と真田
(武田氏・織田氏の滅亡と真田昌幸)
つまり現支配地安堵(確認・保証)のほか、上州の箕輪(みのわ)領、甲州で二千貫、及び諏訪郡を給するとの
証文
伊那県布令書
([翻刻])
朱書にて何地に罷在 候子細相記し可申、且縁組其外人数出 入有之節ハ、互ニ人別送
證文
正
善光寺道名所図会
(○別所温泉)
このことがあり、出浦から如来をしばらく借り受けることとし、三河の守護が三楽四院へ借
証文
を入れました。,この
証文
は本堂の内陣にありましたが、正徳2年にほかの宝物とともに焼けてしまいました。 ,古
証文
が焼失してから、三州では、ここを鳳来寺と呼ぶようになりました。
『長野史料』索引
([翻刻])
三、法規命令 上杉森松平三家ヨリ指令国道 慶長十六年越後家ヨリノ宿
証文
滋野世記 一名松代通記
([翻刻])
此節永井主税忠節アリシニ依テ、昌幸ヨリ
証文
ヲ賜ハル。,此
証文
長井四郎左右衛門子孫ノ家ニアリ。,然トモ此時賞トシテ、武田勝頼ヨリ藤田能登守信吉ニ賜ル所ノ
証文
ニ拠テ考レハ、天正八年ノ秋ナリ。,此
証文
ハ沼田記ニ見ヱタリ。,信幸ノ忠誠ヲ感セラレテ、別ニ
証文
ヲ賜ル。
書留帳(延徳田んぼを漂流した話)
([翻刻])
以何卒餓死無之様ニ 可仕旨村々名主与頭江被仰渡候ニ付、右奉願上候 金子を以返済可致との文言ニ而借用
証文
明治二年八月上田騒動一件書留
([翻刻])
林庄之助 乍恐口上書 一、私儀、天保度、金八拾両八分之御利足ニ而、御勘定御奉行様へ御預ケ申 上、御
証文
頂戴仕置候処,、今般徒党之者共之悪行ニ付、紛失 仕候、尤其外ニも御取集金調達金等上納之御
証文
も頂置、紛失 仕候得共
『花街百人一首』
([序文])
しかれば、此高尾、享保十九寅年十月、太夫となりて、わづか六年を過て寛保元酉年六月四日、出廓す、その身請
証文
松本藩庄内組大庄屋御用留
([翻刻])
右者今日御呼出候処、遅刻ニ 相成、明廿日御呼出し、源十へ達ス 一盗難届 一去来 壱〆 一逗留願 同 一諸
証文
, 金井 十四日 一筑摩村惣三郎娘、伊深村作 右衛門忰、承兵衛妻、差遣度、 岡田口御
証文
御下会所,祷被仰付候間、得其意組下 村々并寺社江も不洩様、可 申聞候也、 三月廿六日 郡所印 一御番所通御
証文
三通,天保十三寅三月聢与御達し ニ相成居候処、今以不同之心得 有之候趣相聞、以之外之儀ニ候、寺 院も先寺より慥之送り
証文
取,一宗門帳御役所へ御差出之節、帳書之者各被 召連可被罷出候、其節左之帳面取揃 可有御差出候 一浪人
証文
并山伏別
証文
御城下古法并市場古法書抜書集
([翻刻])
四未年四月 毛賀村仲五郎塩之事并 仲五郎より誤
証文
過料銭取之候事,仰付候、塩之義問屋場ニ而売候義向 後不相成候事、本町太田九郎兵衛へ壱通桜町問屋久内へ 壱通、右
証文
被下置候, 御定之古法ニ相漏候段相届罷帰候所、段々改申候ニ付、不調 法之段一札取過料銭取之為差出候、右誤
証文
者本町壱丁目,・桜井平七・福沢弥平治出席、 角屋持大屋并借屋不残呼出し御停止十三品、寛文 年中進藤源助様御
証文
読為聞
御城下古法并市場古法書抜書集
([現代訳])
毛賀村仲五郎の塩扱いの事と仲五郎より 誤り
証文
,市場の古法に 背いた者より過料銭を取 り、合わせて誤り
証文
,本町太田九郎兵衛へ1通、桜町問屋久内へ1通、
証文
を下さって済んだ。細かくは前の通りである。,右の誤り
証文
は本町1丁目組頭平左衛門・五郎七宛に取って、五郎七へ預けておいた。,禁止の13品や寛文年中の進藤源助様の
証文
を読み聞かせ、2月2日までに商売改めをすること、青物商売を続けたいものは
松本藩庄内組大庄屋御用留
([現代訳])
したところ、遅刻したので、明日二十日に御呼び出しと源十へ伝えた、 盗難届、去来一〆、逗留願一〆、諸
証文
,このことを組の村々と寺社江へも洩れの内容に申し聞かせること、三月二十六日 郡所より 一、御番所通の御
証文
三通,しがあったところだが、、今もって心得違いがあると聞く、もってのほかであるので、寺院も先寺より確かな送り
証文
,は、帳書の者をそれぞれ召し連れて罷り出ること、そのときに、左の帳面を取り揃えて差し出すこと、 浪人
証文
,と山伏別
証文
、一般の者と寺社御請書、五人組帳、増減帳、持高帳、家数・牛馬帳、寄寺院書付 (
信州飯田町家控
([翻刻])
御聞届被遊、以前之御役人まで御詮議被遊、上下之 横丁竪町並之商売堅停止被仰付、源介様より 御
証文
被下置候, 松沢善右衛門 様 (改頁) 37 右之御人数之古来之通近藤源助殿御
証文
相立
信州飯田町家控
([現代訳])
以前の御役人まで詮議され、上下の横町に竪町並の商売をすることは堅く禁止と仰せ付けられ、源介様より
証文
が, 宮崎相左衛門 様 松沢善右衛門 様 右の人たちは近藤源助殿の
証文
信濃奇談
(信濃奇談 下)
ならんと先覚ハいひしか、私に考るに、山室邨遠照寺に持伝へる古
証文
に、康歴二年六月小松四郎源盛義と見へたり
天明三年浅間騒動記
([翻刻])
江戸表え度々御願申上候処、御上ニ而も御益 の筋故、御評議之上願通り可被 仰付由ニ而 願人共江戸表え御
証文
頂戴
寺子屋師匠の日記
(寺子屋師匠の日記「当家初代好古堂芝産(注1)一代記 全 小沢和徳誌焉」)
能為書無事ニ留主居仕候 此時喜治郎十四才也 然る所父上ニ者 御奉行所向宜敷申分得勝利弥三燈鬮引先
証文
議定之趣,ニ相済訴答 為取賛
証文
ニ而御奉行所江も書上いたし首尾克三ケ月かゝりにて 其極月中旬過目出度帰村飯田御役所江
贈答百人一首
([本文、奥付])
戸嶋といふ所に在陣し給ひしが、元親、一条家の家来入江左近を頼み、一条どのを討て呉なば国の庄を与ふべき
証文
北向山霊験記 戸隠山鬼女紅葉退治之伝 全
([翻刻])
貴様(きさま)の書(かい)た
証文
(しゃうもん)あるぞ。
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