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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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秀吉と真田 (小田原出陣)

卯月十日(朱印)(豊臣秀吉)      真田安房守とのへ   真田昌幸・信幸宛豊臣秀吉書状, 四月十日の「真田昌幸宛豊臣秀吉書状」の翌日付け書状であり、「先書」で言った通りだが、と断って同様,・信幸宛豊臣秀吉書状 <史料解説> 「真田昌幸・信幸宛豊臣秀吉書状」   真田宝物館蔵   天正十八年,真田昌幸宛豊臣秀吉書状 <史料解説> 「真田昌幸宛豊臣秀吉書状」   真田宝物館蔵   天正十八年,卯月二十九日(朱印)(豊臣秀吉)      真田安房守とのへ
秀吉と真田 (沼田領の分割裁定)

真田信幸宛豊臣秀吉朱印状 <史料解説> 「真田信幸宛豊臣秀吉朱印状」   真田宝物館蔵   天正十七年,七月十日(朱印)(豊臣秀吉)      真田源三郎とのへ
秀吉と真田 (北条氏討伐へ)

真田昌幸宛豊臣秀吉書状 <史料解説> 「真田昌幸宛豊臣秀吉書状」   真田宝物館蔵   天正十七年,十一月二十一日 (朱印)(豊臣秀吉)      真田安房守とのへ   北条氏直宛豊臣秀吉条目,<史料解説> 「北条氏直宛豊臣秀吉条目」   真田宝物館蔵   天正十七年(一五八九)十一月二十四日,天正十七年十一月二十四日(朱印)(豊臣秀吉)      北条左京大夫とのへ
犀川を下る記 (2.天竜川通船)

(2)材木の流送  文禄3年(1594)、豊臣秀吉は大阪城造営の木瓦を天竜川河口の掛塚湾まで流送させ,このように、豊臣秀吉、徳川家康が伊那山に着目した開発が天竜川を利用した材木輸送の先鞭となり、天竜川から
秀吉と真田 (伏見城普請)

     真房州様      真伊豆様      同左衛門様 人々御中     真田昌幸宛豊臣秀吉書状,<史料解説> 「真田昌幸宛豊臣秀吉書状」   真田宝物館蔵   文禄三年(一五九四)六月一日,六月朔日(朱印)(豊臣秀吉)      真田安房守とのへ
松代まちあるきマップ (33尼巌山浄福寺)

豊臣秀吉にも重用され、朝鮮の役にも活躍したが、上杉氏の会津移転の際、急死した。
松代まちあるきマップ (14真田宝物館)

名工粟田口吉光作の短刀、永楽焼十一代目保全の茶碗などお茶道具の逸品、昌幸所用の「昇り梯子の甲冑」や刀剣類、豊臣秀吉
秀吉と真田 (昌幸の秀吉への接近)

昌幸の秀吉への接近 「秀吉と真田」の目次はこちら  従来は、真田昌幸が豊臣秀吉へ接近しようとしたのは,豊臣秀吉が初めて真田昌幸宛てに出した天正十三年十月十七日付けの書状は、秀吉が委細承知した、いずれにしても
パスファインダー (真田三代~幸隆・昌幸・信之(信幸)・信繁(幸村))

、特に上巻には、武田晴信宛行状・武田勝頼条 内容紹介 目・真田昌幸宛行状・羽柴秀吉書状・豊臣秀吉書状
パスファインダー (真田氏関係の城址、寺社、文化遺産)

諏訪久三宛真田弁丸 (幸村)安堵状、矢沢頼幸宛須田満親書状、神川合戦図、矢沢綱頼宛上 杉景勝書状、真田昌幸宛豊臣秀吉書状
小県郡民謡集 (成人謡)

○君見ずや佛蘭西(ふらんす)皇帝なぽれおん 又見よ豊臣秀吉を 砲界 皆こ     (改頁)      
贈答百人一首 ([本文、奥付])

てんわうじやそうきう) 余所にやは 涼しき風も 夏の夜の 明るをしらぬ 箱崎の松 【頭注】 天正十五年六月、豊臣秀吉公,龍山公即時に此御返しを遊されけり、 此君文学に秀(ひいで)させ給ひ、ことに御気精大勇にましまして天正年中豊臣秀吉公登庸
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