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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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善光寺道名所図会 (○安曇 大町)

より借馬・木崎・森・海の口・中綱・青木・佐野・沢渡 ・飯田・飯堀・塩島新田・千国・大網・横川・白池[越後界,         24右   是より沢渡・飯田・飯盛・塩島・新田・千国・大網・横川・白池[越後,の境なり、]を 経て、越後の糸魚川へ出るなり、又大町辺より右へ入り、戸隠通り善 光寺へ出る、しかれとも
善光寺道名所図会 (○安曇 大町)

これより借馬・木崎・森・海の口・中綱・青木・佐野・沢渡・飯田・飯堀・塩島新田・千国・大網・横川・白池(越後界,これより沢渡・飯田・飯盛・塩島・新田・千国・大網・横川・白池(越後の境)を経て、越後の糸魚川へ出ます。
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部 (『二十四輩順拝図会』の構造)

前編   巻之一 山城、近江   巻之二 越前、加賀   巻之三 越中、越後   巻之四 越後
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (照岡村)

桑名川渡) 橋: 出川橋/桑名川橋/寒川橋/野之海河原橋 道路: 北越脇往還/隣村道/北越下往来/越後牧村道,/越後須川道/越後菖蒲村道 社: 名立神社/竜津滝神社/大滝神社/白山社/諏訪社/十二社/浅間社/
パスファインダー (信越を結ぶ谷街道)

北信濃には、千曲川沿いの市川谷を通って越後国十日町へ抜ける 谷街道(北国脇街道)があった。,飯山市誌編纂委員会 第一法規出版 1993.3.31 第六章第二節街道と千曲川通船で、谷街道と越後道,として谷街道東通 りと西通りの経路や越後国との関係を分かり易く説明している。,九巻の中の善光寺より谷通り 越後国魚沼郡へ出る道で、谷街道の東通りと西通りの行程が詳しく記さ れている,://www.bs-tbs.co.jp/kaidou/archives/120712.html 信州越後
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (日影村)

天神川/平岩川/小柳川/大滝川/小魚川/矢崎川/宮川/柳田堤/大滝/不動滝/中滝 道路: 松本より越後道,/越後国糸魚川より長野町道 社: 白髭神社/春日社/日ノ御子社/虫倉社 寺: 正福寺 古跡・
戸隠善光寺往来 (十返舎一九と信濃)

文化11年(1814)には、木曽から松本に入り、穂高、大町、新町、稲荷山を通って善光寺に参詣し、越後へ,文政元年(1818)には、越後から善光寺に参詣し、大笹街道を通って草津温泉に抜けました。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (栃原村)

竈巌山/竜光山/砂鉢山 川: 裾花川/楠川/夫婦滝 橋: 折橋/柵橋/常盤橋 道路: 越後街道,/越後并戸隠街道 社: 解藁神社/諏訪神社/金刀比羅社/十二社/秋葉社/山神社/清三神社/宮前神社
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (旭村)

: 馬洗戸橋/樋詰橋/皿川橋/大橋/小橋/日蔭橋/南条大橋/鶴見戸橋/関屋橋 道路: 飯山より越後高田往還,/外様縦往還里道/外様中通往来/越後樽本村通路 社: 諏訪社/伊勢社/素盞鳴社(すさのうしゃ)/日吉社
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (檀田村)

長野県町村誌』 1巻 p386に掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 里城/桜町/長塚/有無/越後田
秀吉と真田 (上杉景勝への従属と証人信繁(弁丸))

それに先立って真田方からは、昌幸の次男弁丸(信繁、幸村)が証人(人質)として越後へ送られた。,しかし、これは、徳川軍の来襲が必死の情勢の下、交渉妥結の前に弁丸を越後へ証人として送った事実を物語っている,ところで、矢沢頼幸も真田信繁に随行して越後へおもむいている。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (豊田村)

琵琶橋/宮下橋/石橋/北田橋/川久保橋/中沢橋/中田橋/山田橋 道路: 外様縦往還/照里村通路/越後平丸村通路,/越後小沢村通路/常郷村通路 社: 諏訪社/日吉社/三柱社/柳沢神社/若宮八幡社/水戸社/少彦名神社
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (中条村)

/月夜棚/池田/田越/松ノ木/手洗/宮/古町/蓬野/町/下村 川: 土尻川 道路: 長野より越後道
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (日高村)

梨木/和沢 山: 秋葉山 川: 犀川/土尻川/栃木滝 橋: 土尻橋 道路: 長野より越後国糸魚川道
拾八町家並帳 (傳馬町壱丁目)

屋市郎右衛門扣 ニ 四間四尺 西村屋  彦右衛門 ホ 五間 亀屋  市郎右衛門 ニ 二間四尺 越後屋
寛保2年 戌の満水 原町問屋日記 ([翻刻])

一 川東通松代大変、下越後大水。
松代まちあるきマップ (35真如山萬法寺)

宗派/浄土真宗本願寺派 本尊/本尊/阿弥陀如来 西国の浪士伊藤兵部信俊は、法難に遭い親鸞聖人越後
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部 (著者、絵師等)

信濃の部  越後から信濃に入り、戸隠山、明専寺、平出の藤兵衛宅、善光寺、堂照坊、西厳寺、長命寺、芝阿弥陀堂
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (熊坂村)

池尻川/本道川/古海川/慶沢川/関川堤/地震滝 橋: 熊坂橋/池尻橋/赤坂橋 道路: 野尻村より越後
善光寺道名所図会 (○筑摩 青柳)

武田家に属し、 五十騎の軍役たり、甲州没落、小笠原貞慶帰城の後もなほ小県 郡の真田等と一味して、越後
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (平岡村)

こやば)/北浦/黒姫道/上西原/蟹沢/東川端(ひがしかわばた)/荒堰(あらせぎ)/前屋敷/中村屋敷/越後道
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (越道村)

唐橋/穴尾/中尾/菅沼/笠子/宮前/坂所/向沖/松原 川: 鹿島川 橋: 刈内橋 道路: 越後国糸魚川
松代まちあるきマップ (20平林山本誓寺)

 真宗大谷派 本尊 瀬踏阿弥陀如来 建保元年年(一二一四)、専修念仏停止(建永の法難)によって越後
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (富倉村)

倉山/細野山/鷹打山 川: 松田川/滝原川/水上川/郷津川/川窪川/朝日滝 道路: 飯山町から越後国
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (新子田村)

あらこだむら 『長野県町村誌』 2巻 p2196に掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 越後山
善光寺道名所図会 (○下戸倉)

(注8)天文22年、武田信玄に敗れた村上義清の奥方と姫は、越後に落ち延びようとして、この渡しを渡ろうとしましたが
戸隠善光寺往来 ([現代訳])

本庄宿から神流川(かんながわ)を渡り、新町宿、倉賀野宿を経て、高崎宿には越後路あるいは伊香保・草津への,丹波島は甲斐の武田と越後の上杉の古戦場。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (緑村)

ヶ滝 橋: 地獄橋/滝沢橋/中曾根橋/中ノ土橋/上ノ土橋 道路: 外様縦往還/外様中通往来/越後往来
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (普光寺村)

橋: 大橋/古井戸橋/揚原橋/汐ノ入橋/大平橋/山ノ神橋/厩橋 道路: 北国東街道/古海村通り越後谷道
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (鬼無里村)

新倉山/木曽殿城山 川: 裾花川/小川/堰口堤/籠田堤/湯ノ瀬瀑布/経論ノ滝 道路: 松本より越後道
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (石村)

余沢溝/北清水溝/原池 橋: 直ノ橋/境橋/大手橋/宇佐美橋/川越橋/榊橋 道路: 北国街道/越後谷通
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (北郷村)

/鳴子橋/三ツ出橋/真光寺橋/堂平橋/薬山西橋/境橋/登城橋/閑道橋 道路: 戸隠道/戸隠街道/越後往還
秀吉と真田 (秀吉の死と家康の上杉征伐)

景勝は慶長四年九月に帰国していたが、会津百二十万石へは前年に越後から移されたばかりであり、新領国の経営
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (神城村)

: 溜池/溜池/溜池/溜池/溜池/溜池/溜池/溜池 橋: 犬川橋/平川橋/渡合橋 道路: 越後街道
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (社村)

松崎/南沖/下花見/牛立 山: 大峯山 川: 高瀬川/農具川/高瀬川堤塘/清音滝 道路: 越後街道
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (富濃村)

/乙ヶ原溜池/中村溜池/目細溜池 橋: 元橋 道路: 野尻村より上州高崎道/飯山より戸隠道/越後
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部 ([現代訳])

[現代訳] 二十四拝順拝図会巻之五     信濃国  越後から信濃へ至る時に、関川と野尻との間,戸隠山は越後と隣り合っていて、黒姫山と並んでいる。,その水は越後の国へ流れ出て、今町(上越市直江津)の浜辺で海に入る。この川を関川という。,の五智の如来(越後国分寺)に参籠して、よい師にめぐり会うように祈った。,また越後国高田井波園瑞泉寺がこの柴阿弥陀を支配したという。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (井上村)

わたうちひょうごのすけまさみつのはか)/北村佐渡守満方の墓(きたむらさどのかみみつかたのはか)/駒村越後守真栄
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (若宮村)

用水堰(ようすいせぎ)/大川堰(おおかわせぎ)/中堰(なかせぎ)/下堰(したせぎ) 道路: 越後道
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (深志村)

堰: 木沢池/新池/蓮池/山地 橋: 荒井橋/新橋/田川橋/女鳥羽橋 道路: 北国脇往還/越後往還
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部 ([翻刻])

[翻刻] (翻刻は「信濃之部」のみ)   二十四拝順拝図会巻之五      3 信濃国 越後より,〇戸隠山ハ越後に隣り黒姫山に並べり。祭る御神ハ手力雄命なり。,其流れ越後国へながれ、今町の浜辺にて海に入れり。此川を      関川といへり。,〇蓮如上 人の御影[実如上人の御画]    越後より入て信州御旧跡の順拝の巡路一ならず。,中古越後の国より爰に移住すと云云。〇義延坊念信  ハ高祖聖人の真弟也とも云。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (田上村)

ひなたやま)/朝日山(あさひやま)/牧ノ入山(まきのいりやま) 川: 千曲川(ちくまがわ) 道路: 越後道
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (戸隠村)

荒倉滝 橋: 大橋/楠川橋/堀切橋/土橋/地蔵橋/男鹿沢橋/一ノ護王橋/逆川橋 道路: 長野道/越後街道
来目路の橋 ([解説])

新編信濃史料叢書第一〇巻 概要 菅江真澄は天明4年6月30日、洗馬を立ち、清水の里、桐原の牧、筑摩の湯などを経て越後,30日、野尻湖を過ぎて越後国に入った。
書留帳(延徳田んぼを漂流した話) ([現代訳])

下流は高井郡・水内郡は言うまでもなく、越後まで満水になるという、今までにないことであった。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (芋川村)

西之入橋/白土橋/井之口橋/伊豆ヶ入橋/山王林橋/扇平橋/寺久保橋/大樋橋 道路: 北国東街道/越後街道
安曇・筑摩両郡旧俗伝 ([翻刻])

、     (改頁)      5   又水内乃橋下の岩山をも破リ開きて、千曲川ノ 川筋ヲ越後国大海迄乗込,世界へいつる犀川 彼犀ヲ神ニ祝ひ、今ノ出川町乃辺ニアル犀口水 引大明神是なり、是ヨリ湛ヘタル海水、越後
パスファインダー (親鸞聖人と善光寺)

五来 重/著 平凡社 1998 信州善光寺と聖徳太子の関係、また聖徳太子を尊崇した親鸞が、越後
柳髪新話浮世床 ([解題])

ある町の評判娘を張りにいった話、また戒名の話、昔の髪結床の話、流行歌の話、越後の瞽女の歌についての講釈
『長野史料』索引 ([翻刻])

      10      三、法規命令     上杉森松平三家ヨリ指令国道     慶長十六年越後家,    鳥田仁右エ門         独見録     寛政中松代侯ブランド薬師参詣     越後高田城主記
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