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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ
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(信越を結ぶ谷街道)
北信濃には、千曲川沿いの市川谷を通って
越後国
十日町へ抜ける 谷街道(北国脇街道)があった。,1993.3.31 第六章第二節街道と千曲川通船で、谷街道と越後道として谷街道東通 りと西通りの経路や
越後国
,九巻の中の善光寺より谷通り
越後国
魚沼郡へ出る道で、谷街道の東通りと西通りの行程が詳しく記さ れている
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(日高村)
梨木/和沢 山: 秋葉山 川: 犀川/土尻川/栃木滝 橋: 土尻橋 道路: 長野より
越後国
糸魚川道
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(日影村)
平岩川/小柳川/大滝川/小魚川/矢崎川/宮川/柳田堤/大滝/不動滝/中滝 道路: 松本より越後道/
越後国
糸魚川
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(越道村)
唐橋/穴尾/中尾/菅沼/笠子/宮前/坂所/向沖/松原 川: 鹿島川 橋: 刈内橋 道路:
越後国
糸魚川
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(富倉村)
倉山/細野山/鷹打山 川: 松田川/滝原川/水上川/郷津川/川窪川/朝日滝 道路: 飯山町から
越後国
信州善光寺御堂額之写
([現代訳])
(絵)「文化九申年四月廿七日
越後国
魚沼郡十二木村 庄兵衛」
越後国
魚沼郡十二木村の庄兵衛は、毎年善光寺
安曇・筑摩両郡旧俗伝
([翻刻])
、 (改頁) 5 又水内乃橋下の岩山をも破リ開きて、千曲川ノ 川筋ヲ
越後国
大海迄乗込
信州善光寺御堂額之写
([翻刻])
「文化九申年 四月廿七日
越後国
魚沼郡 十二木村 庄兵衛」 (下段) 「文政九戌三月
安曇・筑摩両郡旧俗伝
([現代訳])
(改頁) また、水内(みのち)の橋下を突き破り、千曲川(ちくまがわ)を流れくだり
越後国
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部
([翻刻])
其流れ
越後国
へながれ、今町の浜辺にて海に入れり。此川を 関川といへり。,相具せられて、同国水内郡駒沢 に移住し、廿六歳にして母をも失ひけれバ、貞親発心の志頻にし て、
越後国
五智,又
越後国
高田井波園瑞泉寺より此柴阿弥陀を支配せり] (改頁) [といへり。
むしくら日記
(3巻 利)
四月廿一日 (改頁) ○越後高田侯[榊原式部大輔]御届 初度二度 私在所
越後国
高田,、 先此段御届申上候、以上、 四月四日 榊原式部大輔 私在所
越後国
高田,高田侯夲御届五月廿八日ニ出御しらせあり、後ニ記 すへきなるか因に爰に出す、 式部大輔様御領分
越後国
高田
善光寺道名所図会
(○筑摩 松本)
の智識あらバ聞法の益を蒙り、迷ひの夢をさ まさんものをと思ひ続る折しも、善因爰に招くにや、聖人の
越後国
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部
([現代訳])
それから母に伴われて、同国水内郡駒沢に移住し、26歳で母も失ったので、貞親は出家したいと頻りに思い、
越後国
,の五智の如来(
越後国
分寺)に参籠して、よい師にめぐり会うように祈った。,また
越後国
高田井波園瑞泉寺がこの柴阿弥陀を支配したという。
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2)
([翻刻])
[翻刻] 2 小諸大変次第書 爾時城主牧野内膳正様御代也 大殿様牧野周防守様
越後国
与板
信州飯田町家控
([翻刻])
下里給ふ、周家も供奉して北国迄 下る、然るニ義経御姿を替て忍び給ふ躰故、供人 大勢ハ叶ハ須、
越後国
,而三尺宛用心之ため (改頁) 35 御ひろめ被成候事 一貞享二丑年
越後国
高田御在番
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2)
([現代訳])
越後国
与板藩主であった大殿様(祖父)の牧野周防守様が、元禄十六年九月に小諸藩主となってから四十二年目の
地震後世俗語之種
([翻刻])
[
越後国
椎谷之御領主堀出雲守様、六川者是則出張陣屋ニシテ時之御代官寺嶋善兵衛] 二十四日の夜大災発,
越後国
(改頁) の浜辺今町の西にあたる所の海中出現の仏
信州飯田町家控
([現代訳])
御供が大勢ついていくわけにはいかないので、
越後国
で暇を賜り信州に入り、当郡の郷士を従えたということです,一貞享2(1685)年に
越後国
高田在番に行き、11月8日越後において殿様は逝去されました。
寺子屋師匠の日記
(寺子屋師匠の日記「諸事日新録 沢和徳扣(ひかえ) 慶応四戊辰年六月朔日ヨリ」)
ひ能候処関東方又々大勢ニ而攻来戦争 官軍敗軍ニ而長岡城も関東方へ被取返 又二十里程被追戻当時官軍
越後国
善光寺道名所図会
(○筑摩 松本)
いのなかで、真の知識があれば迷い夢をさますことができると思い続けていたとき、善因をもたらすには、聖人の
越後国
善光寺道名所図会
(○水内 善光寺)
六地蔵 ○大仏[山門下東側に並ぶ、] ○釈迦堂[世尊院にあり、]本尊涅 槃の釈迦如来なり、天延年中
越後国
古多
むしくら日記
(4巻 貞)
付先御届書 松平肥後守 御預所
越後国
魚沼郡中津川之儀
松本藩庄内組大庄屋御用留
([翻刻])
其旨可相心得候、 右之趣御府内并関八州・ (改頁) 17 陸奥・出羽・信濃・
越後国
松本藩庄内組大庄屋御用留
([現代訳])
心得ること、以上のことについて御府内ならびに関八州・ (改頁) 陸奥・出羽・信濃・
越後国
宿継要書留
([現代訳])
越後国
村上・長岡・柴田御城下より尾州・三州または当国上田・小諸・松本・高遠・飯田御城下より、右の国々への
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