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「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(軽井沢村)
軽井沢
村 地域 東信 市町村名 現在(令和2年):
軽井沢
町(かるいざわまち) 明治初期:
軽井沢
村,(かるいさわむら) 幕末から明治初期:
軽井沢
宿村/峠町/
軽井沢
村 幕末から明治初期(よみ):かるいざわじゅくむら,秣刈等 その他特記ワード: (原野)雲場原 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB
軽井沢
町誌 /
軽井沢
村
パスファインダー
(軽井沢・小諸の文学(2))
軽井沢
・小諸の文学(2) トピック(テーマ)
軽井沢
・小諸の文学(2) ねらい,キーワード 浅間山
軽井沢
沓掛 追分 浅間三宿 北原白秋 落葉松(からまつ) 星野温泉 有島武郎,に親しみ、
軽井沢
高原文庫の設立にも尽力した中村真 一郎が
軽井沢
ゆかりの文化人との交遊をまとめた本。,地元の方々が虚子への思いとかかわりを語る 1/2 信州地域史料アーカイブ
軽井沢
・小諸,特集-信州の町-「
軽井沢
」 地域文化 2015 第114号 ―信州の町― 小諸 地域文化 2015 /
軽井沢
・小諸の文学(2)
パスファインダー
(軽井沢・小諸の文学(1))
軽井沢
・小諸の文学(1) トピック(テーマ)
軽井沢
・小諸の文学(1) ねらい,キーワード 浅間山
軽井沢
沓掛 追分 浅間三宿 北原白秋 落葉松(からまつ) 星野温泉 有島武郎,詩人の伝記 室生犀星/文 中央公論社 2021.12 北原白秋の柳河、萩原朔太郎の前橋、堀辰雄の
軽井沢
,「美しい村」は、
軽井沢
でひとり暮 しをしながら物語を構想中、出会った少女の面影を、音楽的に構成した 傑作,1/2 信州地域史料アーカイブ
軽井沢
・小諸の文学(1) 5 書名 著者名 出版社 /
軽井沢
・小諸の文学(1)
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(峠町)
峠町 地域 東信 市町村名 現在(令和2年):
軽井沢
町(かるいざわまち) 明治初期:峠町(とうげまち,) 幕末から明治初期:
軽井沢
宿村/峠町/
軽井沢
村 幕末から明治初期(よみ):かるいざわじゅくむら/,史料ID:2-1 12-2 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB
軽井沢
町誌
パスファインダー
(鳥居義処)
トピック(テーマ) 鳥居義処 ねらい 旧小諸藩士で後に北佐久郡長を務め、御牧ケ原の開拓や
軽井沢
,キーワード 北佐久郡長 小諸藩 御牧ケ原
軽井沢
牧野康民 雨宮敬次郎 落葉 松 概要を知,2000.1 内容紹介 明治3年から藩知事牧野康民の命を受け御牧原の開拓を始めたこと や、
軽井沢
, 歴史編(近・現代)
軽井沢
町誌刊行委員会/編
軽井沢
町誌刊行委員会 1988 「鳥居義処の牧場開発,
軽井沢
開発では、雨宮敬次郎との関係にも触れる。
戸隠善光寺往来
(『戸隠善光寺往来』の内容)
『戸隠善光寺往来』の内容 江戸から善光寺への道中 江戸から追分(
軽井沢
町)までは中山道、追分から,
軽井沢
宿と沓掛宿(中
軽井沢
)との間には、「平葉(場)の原」と呼ばれる原野がありました。
パスファインダー
(浅間山米軍演習地化反対運動)
2 書名 著者名 出版社 出版年
軽井沢
を守った人々 浅間山米軍演習地化反対運動の思い出 田部井健次,/著
軽井沢
文化協会 1981 内容紹介 浅間山米軍演習地化反対運動をきっかけに誕生した
軽井沢
文化協会,浅間山米軍演習地化反対運動 新聞 コメント 3 書名 著者名 出版社 出版年
軽井沢
,かもがわ出版 2014 内容紹介 『二百万人の勝利 浅間山米軍演習地化反対運動史』、『
軽井沢
,信濃毎日新聞 1953.4.3/ 5.19、20、23、 5.26、.27/ 6.7/ 7.1、7.16
軽井沢
浅間山
(第二編 浅間山)
次に、浅間山の裾に並ぶ「浅間三宿」の
軽井沢
・沓掛・追分を北国往還の宿として紹介しています。,「
軽井沢
は夏季三月(みつき)避暑の客を迎ふるが故に、外人などの来遊するもの甚だ多く、一時殷賑を極むと雖,現在見られる三宿(
軽井沢
)の街(ホテル、商店、人家等が並ぶ)は、外国人のほか日本人の富裕層が別荘を建てるようになってから
御役所より被仰渡御書付之写并請印
([解説])
ちなみに岩村田宿は、中山道の宿場の一つで、江戸から碓氷峠を越えて信州に入ると、最初の宿場が
軽井沢
宿で、,沓掛宿・追分宿(以上の
軽井沢
三宿は
軽井沢
町)・小田井宿(御代田町)をへて岩村田宿にいたる。,このたびの浅間山の「大焼け」(大噴火)によって、追分・沓掛・
軽井沢
の三宿をはじめ、浅間山近辺の村々が難儀,
軽井沢
三宿をはじめとする浅間山近辺の村々が、浅間山の大噴火で困っていたこと、そこから米穀をはじめとする
浅間山大焼け以来難儀につき見分願い
([解説])
ちなみに岩村田宿は、中山道の宿場の一つで、江戸から碓氷峠を越えて信州に入ると、最初の宿場が
軽井沢
宿で、,沓掛宿・追分宿(以上の
軽井沢
三宿は
軽井沢
町)・小田井宿(御代田町)をへて岩村田宿にいたる。,このたびの浅間山の「大焼け」(大噴火)によって、追分・沓掛・
軽井沢
の三宿をはじめ、浅間山近辺の村々が難儀,
軽井沢
三宿をはじめとする浅間山近辺の村々が、浅間山の大噴火で困っていたこと、そこから米穀をはじめとする
浅間山焼けにより馬草などを取ることができないため小物成免除願い
([解説])
ちなみに岩村田宿は、中山道の宿場の一つで、江戸から碓氷峠を越えて信州に入ると、最初の宿場が
軽井沢
宿で、,沓掛宿・追分宿(以上の
軽井沢
三宿は
軽井沢
町)・小田井宿(御代田町)をへて岩村田宿にいたる。,このたびの浅間山の「大焼け」(大噴火)によって、追分・沓掛・
軽井沢
の三宿をはじめ、浅間山近辺の村々が難儀,
軽井沢
三宿をはじめとする浅間山近辺の村々が、浅間山の大噴火で困っていたこと、そこから米穀をはじめとする
諸国道中商人鑑
(3 松井田から追分まで)
・「さ 中山道坂本宿
軽井沢
え二里半十六丁 是より碓氷峠」 六軒の宿と八軒の店が掲載されている。,熊野神社の境内に上州と信州の国境(くにざかい)があり、ここから信州
軽井沢
の地に入る。,・「か
軽井沢
沓掛え一里半」 7軒の旅籠屋と「名物しなのそば」の店が掲載されている。 ,
軽井沢
から沓掛、追分と続く宿(しゅく)を浅間三宿と呼び「小諸馬子唄」では「浅間山さん なぜ焼けしゃんす,碓氷峠の登り口として栄えた
軽井沢
宿は明治維新期には衰微しはじめ、碓氷新道の開鑿、信越線の全通によりすっかりさびれた
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(傍陽村)
うえだし) 明治初期:傍陽村(そえひむら) 幕末から明治初期:曲尾村/洗馬村/上洗馬村/下洗馬村/
軽井沢
村,ノ前/柏木/兒岩/中島/年中/手城/堤入/白石/馬建/極出清水/堤/水出/輪操/岡保/別当/滝ノ沢/
軽井沢
入,)塚 山: 燕岳/大松尾山/湯ノ入山/天狗岩/雄鴻岳/地蔵嶽/傍部山/太郎山 川: 洗馬川/
軽井沢
川
戸隠善光寺往来
(十返舎一九と信濃)
十返舎一九と信濃 十返舎一九が初めて信濃を訪れたのは、文化8年(1811)で、中山道を
軽井沢
から木曽路,文政2年(1819)には、信州各地を巡り、上田から
軽井沢
を経て江戸に帰っています。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(発地村)
発地村 地域 東信 市町村名 現在(令和2年):
軽井沢
町(かるいざわまち) 明治初期:発地村,史料ID:2-1 12-4 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB
軽井沢
町誌
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(追分村)
追分村 地域 東信 市町村名 現在(令和2年):
軽井沢
町(かるいざわまち) 明治初期:追分村,史料ID:2-1 12-3 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB
軽井沢
町誌
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(小海村)
市左衛門新田/大畑/芦谷/大州(おおしゅう)/川平/小海愿/卒道(そつとう)/箕輪 山: 茂来山/
軽井沢
山
寛保2年 戌の満水 原町問屋日記
([翻刻])
残砂流入埋亡所同前、海禅寺村、深井村、 右同断、下塩尻下村亡所、中島、新屋亡所、大日向、横沢久 保、
軽井沢
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(田沢村)
現在(令和2年):長野市(ながのし) 明治初期:田沢村(たざわむら) 幕末から明治初期:小田原村/
軽井沢
村
浅間山
(第八編 浅間登山)
続いて「
軽井沢
口」、「追分口」「塩野口」が紹介され、「溶岩流遺跡の探検」を勧めています。
御役所より被仰渡御書付之写并請印
([現代訳])
[現代訳] 申し渡し覚え このたびの浅間山の大噴火によって、追分・沓掛・
軽井沢
三宿をはじめ、浅間山近辺
木曾山林学校
(修学旅行)
足尾間藤を経て足尾に入り、本山の工場及び銀峯小滝を視察して磯部に出で、翌日妙義山に登り、横川駅より汽車にて
軽井沢
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(長倉村)
長倉村 地域 東信 市町村名 現在(令和2年):
軽井沢
町(かるいざわまち) 明治初期:長倉村,史料ID:2-1 12-1 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB
軽井沢
町誌
寛保2年 戌の満水 原町問屋日記
([現代訳])
下塩尻下村、中島、新屋、大日向、横沢久保、
軽井沢
、大庭も流失しました。
御役所より被仰渡御書付之写并請印
([翻刻])
被仰渡御書付之写并請印 」 申渡覚 2 此度浅間山大焼ニ付、追分・沓掛
軽井沢
三
パスファインダー
(桜井常五郎)
残納年貢免除」を触れた佐久郡春日村(現佐久市)出身の 桜井常五郎は、その後「偽官軍」の汚名をきせられ、追分(現
軽井沢
町
浅間山噴火の被害記
([解説])
信州の木曽海道(中山道)には、
軽井沢
宿の隣に「沓掛宿」がある。,そして、
軽井沢
宿は大きな被害を受けたが、隣の沓掛宿ではそれほど大きな被害は受けなかった。
浅間山噴火の被害記
([現代訳])
軽井沢
・沓掛辺りは、二抱えほどの大きな石が降り、家をつぶしたので、人々は家を捨てて思い思いに、遠くへ逃,沓掛宿はじめ、信州の木曽街道(
軽井沢
宿は除いて)では、鳴り音が強いだけで、被害はそれほどなかった。
善光寺案内
([解説])
長野駅は明治21年の御開帳中に開業し、明治26年には最後に残った
軽井沢
・横川間が開通して、東京と長野は
善光寺道名所図会
(○佐久郡小諸)
石標有、 関東より来りて中山道北陸道へわかるゝ手引石なり、又石像の仏躰を数 々たてり、小諸辺より
軽井沢
宿迄,所々寺院方にて水施餓鬼并堂塔供養 (改頁) 追善有之、七月朔日二日焼ること甚しく、
軽井沢
戸隠善光寺往来
([現代訳])
軽井沢
宿、平葉の原、沓掛宿、追分宿は「信濃なる浅間の山」と歌に詠まれた浅間山の麓の宿場で、まっすぐに行
パスファインダー
(昔の旅人)
内陸交通 田中啓爾/著 古今書院 1957.9 1 論題名 中山道鉄道開通を見こした明治中期の
軽井沢
パスファインダー
(警廃事件)
ねらい 大正15年6月、内務省の通牒をうけて長野県は6月30日、岩村田・屋代・ 中野の3警察署、
軽井沢
善光寺道名所図会
(○佐久郡小諸)
また、石像の仏が多く、小諸あたりから
軽井沢
宿までは浅間山のふもとを通ります。,7月1日と2日は噴火が激しく、
軽井沢
・碓氷峠・坂本宿・松井田・安中・板鼻・高崎、武州児玉郡・榛沢郡30
パスファインダー
(十返舎一九の『続膝栗毛』)
軽井沢
・追分・小諸とすぎ上田経 由で善光寺町に到着する。
浅間山
(第三編 浅間山変異記)
、雷鳴を起こしたる・・・落下したる火は炎々と燃え上がり其状一大山火事を現出したるが如くなりし、列車の
軽井沢
驛,になると、「上州松井田筋諸村に張り札する者あり」・・・一揆勢は、安中穀屋三軒潰し・・・十月二日碓氷峠を越え
軽井沢
宿
浅間山噴火の被害記
([翻刻])
砂之夥敷、松井田にて三尺計り積ル、追分辺之儀ハ (改頁) 往来無之、相知レ不申候、
軽井沢
パスファインダー
(信州の道・街道(東北信地域))
に有志らが設置 信濃毎日新聞社・朝刊20ページ 2019.10.10 伊能忠敬の道、中山道をたどる
軽井沢
小諸洪水流失改帳
([解説])
小諸町は、中山道追分宿(現
軽井沢
町)から分かれた北国街道最初の宿場で小諸宿とも呼ばれるが、三つないし四
寛保二年大洪水余禄
([解説])
小諸町は、中山道追分宿(現
軽井沢
町)から分かれた北国街道最初の宿場で小諸宿とも呼ばれるが、三つないし四
小諸大変書
([解説])
小諸町は、中山道追分宿(現
軽井沢
町)から分かれた北国街道最初の宿場で小諸宿とも呼ばれるが、三つないし四
寛保二年小諸大洪水変地絵図(1)
([解説])
小諸町は、中山道追分宿(現
軽井沢
町)から分かれた北国街道最初の宿場で小諸宿とも呼ばれるが、三つないし四
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2)
([解説])
小諸町は、中山道追分宿(現
軽井沢
町)から分かれた北国街道最初の宿場で小諸宿とも呼ばれるが、三つないし四
龍駕の跡
(龍駕(りょうが 天子の車)の跡(注一))
午后一時頃
軽井沢
に著御(ちゃくぎょ)在らせらる。,依りて掛り県官は両駅[峠町は
軽井沢
地内にあるを以て
軽井沢
ヘ下附]の村吏及び土屋一三を呼び出し、県官詰所,本県にて下賜されたる銀盃は
軽井沢
、下戸倉、田子の三ヶ所にて、共に三つ組のもの一組なり。,○
軽井沢
、佐藤織衛邸内に新築の行在所は今は全く取除かれて、其辺には
軽井沢
ホテルを建て、洋人の旅宿と一変,其中八ケ所は協同新築にて、二ヶ所即ち
軽井沢
及び戸倉は一私人の新築なり。
「上田郷友会月報」記念号中「既往八十年」
([解説])
馬車の乗客が、少なかったので、早川繁夫、山浦橘馬の両君は、大屋まで送ってくれた、」 「二時頃
軽井澤
についた
信州浅間焼之事
([現代訳])
ここでさえこのような状態だから、坂本・
軽井沢
・追分の各宿場は、石の降り方が盆を傾けて移すようで、家は半
信州浅間焼之事
([翻刻])
此所さへかうやうなれバまし て坂本
軽井沢
追分のむまや、いしふること (改頁)
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部
([翻刻])
桔梗が原、塩尻、下すハ、和田峠を越て、芦田、望月、塩名田、尚行/\て 浅間岳の麓、沓掛、
軽井沢
,夫より沓掛、
軽井沢
、笛吹峠に 至る也。此山に熊野三社の権現を鎮座なし奉る。
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部
([現代訳])
桔梗が原、塩尻、下諏訪、和田峠を越して、芦田、望月、塩名田、さらにどんどん行って、浅間山の麓、沓掛、
軽井沢
,それより沓掛、
軽井沢
、碓氷峠に至る。この峠には熊野三社権現が鎮座している。
小県郡民謡集
(成人謡)
○小田井(おてい)追分
輕井澤
この三宿にとまらぬ客は碓氷(うすい)峠で死などまま。
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