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「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(追分村)
追分
村 地域 東信 市町村名 現在(令和2年):軽井沢町(かるいざわまち) 明治初期:
追分
村,(おいわけむら) 幕末から明治初期:
追分
村 幕末から明治初期(よみ):おいわけむら 『長野県町村誌,(森林)浅間山麓林/(原野)上ノ原/国道両岐の衝 明治初期の村絵図・地図(県立歴史館所蔵)
追分
村村誌全図 /
追分
村
諸国道中商人鑑
(3 松井田から追分まで)
3 松井田から
追分
まで ここに掲載した写真版『中山道道中商人鑑』のはじめのページは「中山道 松井田 ,軽井沢から沓掛、
追分
と続く宿(しゅく)を浅間三宿と呼び「小諸馬子唄」では「浅間山さん なぜ焼けしゃんす,・「く 中山道沓掛
追分
え一里三丁」 旅籠屋が5軒、店1軒が掲載されている。 ,・「お 中山道
追分
小諸へ三里半 小田井へ一里十丁」 旅籠屋四軒、店8軒が掲載されている。 ,この女性たちが客のもてなしにうたった唄が
追分
節(『信濃
追分
』)であるといわれている。 / 3 松井田から
追分
まで
戸隠善光寺往来
(『戸隠善光寺往来』の内容)
『戸隠善光寺往来』の内容 江戸から善光寺への道中 江戸から
追分
(軽井沢町)までは中山道、
追分
から
諸国道中商人鑑
(1 『中山道道中商人鑑(なかせんどうどうちゅうあきうどかがみ)』について)
なお、板橋から
追分
までは同じ内容で『諸国道中商人鑑 中山道善光寺之部 全』が現存している。,こちらの道中は
追分
で分れ、上田を通り善光寺までの版となっている。
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部
(名所図会としての『二十四輩順拝図会』)
『善光寺道名所図会』巻之四の、篠ノ井
追分
「立石の茶屋」の図は、『二十四輩順拝図会』巻之五の、篠ノ井の「,
追分
の茶屋」の図を、ほとんどそのまま使用しています。
パスファインダー
(桜井常五郎)
残納年貢免除」を触れた佐久郡春日村(現佐久市)出身の 桜井常五郎は、その後「偽官軍」の汚名をきせられ、
追分
,明治維新 御一新 官軍 赤報隊 官軍先鋒嚮導隊 相楽総三 偽官軍 桜井常五郎 年貢半減令
追分
戦争,著者名 出版社 出版年 長谷川伸/著 中央公論社 1981.2 内容紹介 下巻に
追分
戦争
パスファインダー
(軽井沢・小諸の文学(1))
キーワード 浅間山 軽井沢 沓掛
追分
浅間三宿 北原白秋 落葉松(からまつ) 星野温泉 有島武郎,美しい村 ふるさとびと 立原道造 萱草 に寄す 室生犀星 信濃の歌 残雪 木漏日 児玉花外 小諸節
追分
,室生犀星/文 中央公論社 2021.12 北原白秋の柳河、萩原朔太郎の前橋、堀辰雄の軽井沢・
追分
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(新治村)
/雨池/揚口/堰口/宮ノ東/居屋敷/中畑ケ/堂ノ浦/前ノ久保/サガリ/広戸道添/堰副/西浦/宮ノ上/
追分
道添,渡・堰: 茂沢川/丑越用水/葭際堰/馬込堰/用水堰/滝沢川 橋: 丑越橋/周戸橋 道路:
追分
村
浅間山
(第二編 浅間山)
次に、浅間山の裾に並ぶ「浅間三宿」の軽井沢・沓掛・
追分
を北国往還の宿として紹介しています。,又沓掛、
追分
の如きも近来停車場の新設せらる々ありて避暑客の来る者多しと聞けど」昔の賑わいはほとんど見られないとしています
パスファインダー
(軽井沢・小諸の文学(2))
キーワード 浅間山 軽井沢 沓掛
追分
浅間三宿 北原白秋 落葉松(からまつ) 星野温泉 有島武郎,美しい村 ふるさとびと 立原道造 萱草 に寄す 室生犀星 信濃の歌 残雪 木漏日 児玉花外 小諸節
追分
パスファインダー
(長野市篠ノ井地区)
布施五明 瀬原 田 御幣川 会 横田 小松原 岡田 石川 二ツ柳 正和 小森 杵淵 山布施 有旅 篠ノ井
追分
,北国街 道の篠ノ井
追分
は塩崎村にあるなど、篠ノ井の歴史を知る上で塩崎は 重要な地域である。,篠ノ井
追分
山田昭雄/著 信毎書籍印刷(印刷) 2015.08 「軻良根古神社」「旧篠ノ井の旧跡と昔
戸隠善光寺往来
([翻刻])
者抑夘月 上旬明まだき、鶯の音に 誘れ、夘の花の雪踏 分候而、柴の戸を立出、 本郷通
追分
より巣,軽 井沢、平葉之原、沓掛、
追分
は、信濃なる浅間 山与詠し裾野之駅ニ而、 (改頁)
浅間山
(第八編 浅間登山)
続いて「軽井沢口」、「
追分
口」「塩野口」が紹介され、「溶岩流遺跡の探検」を勧めています。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(広戸村)
屋敷 川: 湯川/滝沢川/内城ノ滝 渡・堰: 岩下及黒岩用水堰 橋: 湯川橋 道路:
追分
村
御役所より被仰渡御書付之写并請印
([現代訳])
[現代訳] 申し渡し覚え このたびの浅間山の大噴火によって、
追分
・沓掛・軽井沢三宿をはじめ、浅間山近辺
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(耳取村)
/八反田池 橋: 新橋/宮下橋/柳沢橋/矢田沢橋/新田橋/飛石橋/皿掛橋 道路: 小諸街道/
追分
駅
善光寺道名所図会
(○佐久郡小諸)
○佐久郡小諸 29右
追分
宿へ三里半、牧野候居城、[乙女が城といふ、] 城下の町凡弐十五六丁相対,ありて、真の石亀の如く色黒し、兼て人の採得しを見侍りき、[三丁程の坂を登りてより、道平らにしてよし、
追分
迄,流れ出れ共、此河のみかく如し、水源の山気 思ふべし、此先に小川あり、領分境の傍(ママ)示杭二本建、
追分
宿,々たてり、小諸辺より軽井沢宿迄ハ浅間の麓を行るなり、本朝第一の地高 き往還なるよし、駿州芙蓉峯と
追分
駅人家
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(面替村)
仁桑用水堰/土尻用水堰/橋場用水堰/中仁桑用水堰 橋: 土尻橋/橋場橋 道路: 上州下仁田街道/
追分
駅
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(御影新田村)
/大塚原/谷地久保/池ノ上/谷地原/御影田/香窪/和田原 渡・堰: 千ケ滝・湯川堰 道路:
追分
戸隠善光寺往来
([現代訳])
さて、卯月(旧暦4月)上旬の早朝、鶯の声に誘われるように、卯の花の咲き乱れる中を、家を出、本郷通りの
追分
,軽井沢宿、平葉の原、沓掛宿、
追分
宿は「信濃なる浅間の山」と歌に詠まれた浅間山の麓の宿場で、まっすぐに行
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(横根村)
金平川原用水/腰越上堰/松ノ木外用水 橋: 大橋/万年橋 道路: 小田井駅より上野国富岡道/
追分
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(徳間村)
大座法師池/論電谷地池/大池/上蓑ヶ谷地池/丸池/下蓑ヶ谷地池 橋: 今沢橋/大橋/寺田橋/中橋/
追分
橋
御役所より被仰渡御書付之写并請印
([翻刻])
御役所様より被仰渡御書付之写并請印 」 申渡覚 2 此度浅間山大焼ニ付、
追分
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(里見村)
古町/名子/上新井/樫原/桑園/馬坂(まさか)/山吹/上平/北駒場/北駒場新田/小沼/龍口/下平/
追分
浅間山焼けにより馬草などを取ることができないため小物成免除願い
([解説])
岩村田宿は、中山道の宿場の一つで、江戸から碓氷峠を越えて信州に入ると、最初の宿場が軽井沢宿で、沓掛宿・
追分
宿,このたびの浅間山の「大焼け」(大噴火)によって、
追分
・沓掛・軽井沢の三宿をはじめ、浅間山近辺の村々が難儀
御役所より被仰渡御書付之写并請印
([解説])
岩村田宿は、中山道の宿場の一つで、江戸から碓氷峠を越えて信州に入ると、最初の宿場が軽井沢宿で、沓掛宿・
追分
宿,このたびの浅間山の「大焼け」(大噴火)によって、
追分
・沓掛・軽井沢の三宿をはじめ、浅間山近辺の村々が難儀
浅間山大焼け以来難儀につき見分願い
([解説])
岩村田宿は、中山道の宿場の一つで、江戸から碓氷峠を越えて信州に入ると、最初の宿場が軽井沢宿で、沓掛宿・
追分
宿,このたびの浅間山の「大焼け」(大噴火)によって、
追分
・沓掛・軽井沢の三宿をはじめ、浅間山近辺の村々が難儀
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(大町村)
字地: 分水/来見原/大笹/北山田/上花見/山田/花見/南山田/下花見/下白塩/上白塩/荒沢/
追分
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(平村)
久保村/大出/北条屋敷/借馬/東沖/新沢/五郎宮/西原/二ツ屋/駒沢/下行/犬ノ久保/鹿島/黒沢/木崎/
追分
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(豊昇村)
/下ノ戸/反田/黒岩/上川原/下川原/上屋敷/馬場平 山: 大入山 川: 湯川 道路:
追分
駅
善光寺道名所図会
(○佐久郡小諸)
○佐久郡小諸 29右
追分
宿へは3里半、牧野侯の居城です。,
追分
までの道は上りがちです) 四ツ屋・平原・馬瀬口・三ツ屋などの村々が4、5丁づつ相対していて、休息所,領分境の傍示杭が2本建ち、
追分
宿の入り口に石標があります。,駿州の芙蓉峯と
追分
宿の人家の軒とは同じ高さだといわれています。
浅間山噴火の被害記
([翻刻])
二斗有之、 押ならし右之通り、夫より浅間山近く成り候程石降り、 砂之夥敷、松井田にて三尺計り積ル、
追分
辺之儀,(掛カ)宿、信州にて木曽海道抔ニ而ハ鳴音強ク(ママ)計りにて、 格別之事無之候、西風強く、東の方
追分
小諸洪水流失改帳
([解説])
小諸町は、中山道
追分
宿(現軽井沢町)から分かれた北国街道最初の宿場で小諸宿とも呼ばれるが、三つないし四,
追分
側からいうと、蛇堀川を渡った最初の町が与良町、次が本町、次が市町で(この三町は、小諸三町とも呼ばれる
寛保二年大洪水余禄
([解説])
小諸町は、中山道
追分
宿(現軽井沢町)から分かれた北国街道最初の宿場で小諸宿とも呼ばれるが、三つないし四,
追分
側からいうと、蛇堀川を渡った最初の町が与良町、次が本町、次が市町で(この三町は、小諸三町とも呼ばれる
小諸大変書
([解説])
小諸町は、中山道
追分
宿(現軽井沢町)から分かれた北国街道最初の宿場で小諸宿とも呼ばれるが、三つないし四,
追分
側からいうと、蛇堀川を渡った最初の町が与良町、次が本町、次が市町で(この三町は、小諸三町とも呼ばれる
寛保二年小諸大洪水変地絵図(1)
([解説])
小諸町は、中山道
追分
宿(現軽井沢町)から分かれた北国街道最初の宿場で小諸宿とも呼ばれるが、三つないし四,
追分
側からいうと、蛇堀川を渡った最初の町が与良町、次が本町、次が市町で(この三町は、小諸三町とも呼ばれる
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2)
([解説])
小諸町は、中山道
追分
宿(現軽井沢町)から分かれた北国街道最初の宿場で小諸宿とも呼ばれるが、三つないし四,
追分
側からいうと、蛇堀川を渡った最初の町が与良町、次が本町、次が市町で(この三町は、小諸三町とも呼ばれる
善光寺道名所図会
(『善光寺道名所図会』の構成)
ここから分かれて布引山釈尊寺をたずね、浅間岳山を眺め、
追分
から碓氷峠に登り熊野神社に日本武尊の昔をしのび
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(御代田村)
七口池/一ノ沢上池/一ノ沢下池 橋: 大久保橋/下ノ駅の橋/唄坂橋 道路: 中山道/小諸町より
追分
村道
浅間焼覚帳
([翻刻])
ヲヒタヽシクフリ、 一湯平ノ方迄石落候事、大石おびたゝしき 小諸江見へ申候事、七月七日・八日、
追分
宿,こ/\にけ申候 (改頁) 3 当町宗兵衛殿合聟、
追分
宿孫右衛門殿家内, 三拾四、五人宗兵衛殿方江にけ参り候、下河原治部右衛門殿 方へも、
追分
宿久左衛門殿家内三拾五、
浅間焼覚帳
([現代訳])
七月七日・八日には、
追分
宿では宿場中が家を閉め、みな縁故者を頼って逃げ出した。 ,当町宗兵衛殿方へは相聟の関係で、
追分
宿の孫右衛門殿の家から三四、五人が逃げて来た。,下河原治部右衛門殿方へも、
追分
宿久左衛門殿の家から三五、六人が逃げて来た。
浅間山噴火の被害記
([現代訳])
追分
辺りのことは、人の行き来がなく分からない。,
追分
宿へ西風が強く吹きかけた。
信州善光寺御堂額之写
([翻刻])
(中段) 中仙道
追分
宿甲州屋次郎右衛門、かん病長く わつらひ目つふれしかハ、同国にまします,ありかたさに、 わかすかたをゑかきてさゝけ 奉り、世の人々にしらしむ 中仙道
追分
宿
善光寺道名所図会
(善光寺道(北国脇往還))
)宿を経て、猿ケ馬場(さるがばんば)峠を越えて更級(さらしな)郡の稲荷山(いなりやま)宿に出、篠ノ井
追分
信州善光寺御堂額之写
([現代訳])
中仙道
追分
宿 甲州屋次郎右衛門」 中仙道
追分
宿の甲州屋次郎右衛門は、長いこと眼病を患い、盲目になってしまったので
パスファインダー
(北国街道小諸宿)
キーワード 概要を知るた めのツール 1 書名 著者名 出版社 出版年 中山道
追分
宿
小県郡民謡集
(成人謡)
○
追分
(おいわけ)ます形(注7)の茶屋でほろと泣かたをいつ忘りよ。,(遙分節の一) ○
追分
油屋のかけあんどん(注8)にまわし御免と書いてある。,○西は
追分
東は關所せめて關所の茶屋までも。,○小田井(おてい)
追分
輕井澤この三宿にとまらぬ客は碓氷(うすい)峠で死などまま。,(改頁) 58 ○坂木(注12)照るてる
追分
曇る花の都は雨が降る。
諸国道中商人鑑
(4 小田井から本山まで)
4 小田井から本山まで 『中山道道中商人鑑』は、松井田から
追分
まで『諸国道中商人商人鑑 中山道善光寺之部,「塩名田甚句」は
追分
節の流れをくむ唄で、「塩名田節」は明治から大正にかけ芸妓が「とことん節」をもとにはやらせたという
パスファインダー
(長野県の動脈 篠ノ井線)
動脈 篠ノ井線 雑誌 インターネット 新聞 中山道の洗馬宿から松本、麻績を経て、篠ノ井
追分
パスファインダー
(十返舎一九の『続膝栗毛』)
軽井沢・
追分
・小諸とすぎ上田経 由で善光寺町に到着する。
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