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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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諸国道中商人鑑 (3 松井田から追分まで)

文化・文政のころの追分宿は、旅籠屋71軒、茶屋18軒、商家28軒(『商人鑑』に載る旅籠屋はわずか4軒、,安政2年(1855)の追分宿旅籠屋仲間の取極めによると、大旅籠屋組合8軒、中は13軒、小は24軒、組合加入
浅間焼覚帳 ([翻刻])

ヲヒタヽシクフリ、 一湯平ノ方迄石落候事、大石おびたゝしき  小諸江見へ申候事、七月七日・八日、追分宿,こ/\にけ申候     (改頁)      3    当町宗兵衛殿合聟、追分宿孫右衛門殿家内, 三拾四、五人宗兵衛殿方江にけ参り候、下河原治部右衛門殿  方へも、追分宿久左衛門殿家内三拾五、
浅間焼覚帳 ([現代訳])

七月七日・八日には、追分宿では宿場中が家を閉め、みな縁故者を頼って逃げ出した。  ,当町宗兵衛殿方へは相聟の関係で、追分宿の孫右衛門殿の家から三四、五人が逃げて来た。,下河原治部右衛門殿方へも、追分宿久左衛門殿の家から三五、六人が逃げて来た。  
善光寺道名所図会 (○佐久郡小諸)

○佐久郡小諸 29右    追分宿へは3里半、牧野侯の居城です。,領分境の傍示杭が2本建ち、追分宿の入り口に石標があります。,駿州の芙蓉峯と追分宿の人家の軒とは同じ高さだといわれています。
信州善光寺御堂額之写 ([翻刻])

(中段)   中仙道追分宿甲州屋次郎右衛門、かん病長く   わつらひ目つふれしかハ、同国にまします,ありかたさに、 わかすかたをゑかきてさゝけ 奉り、世の人々にしらしむ            中仙道追分宿
信州善光寺御堂額之写 ([現代訳])

中仙道追分宿 甲州屋次郎右衛門」 中仙道追分宿の甲州屋次郎右衛門は、長いこと眼病を患い、盲目になってしまったので
善光寺道名所図会 (○佐久郡小諸)

○佐久郡小諸 29右   追分宿へ三里半、牧野候居城、[乙女が城といふ、] 城下の町凡弐十五六丁相対,流れ出れ共、此河のみかく如し、水源の山気 思ふべし、此先に小川あり、領分境の傍(ママ)示杭二本建、追分宿
パスファインダー (北国街道小諸宿)

キーワード 概要を知るた めのツール 1 書名 著者名 出版社 出版年 中山道 追分宿
戸隠善光寺往来 ([現代訳])

軽井沢宿、平葉の原、沓掛宿、追分宿は「信濃なる浅間の山」と歌に詠まれた浅間山の麓の宿場で、まっすぐに行
浅間山焼けにより馬草などを取ることができないため小物成免除願い ([解説])

岩村田宿は、中山道の宿場の一つで、江戸から碓氷峠を越えて信州に入ると、最初の宿場が軽井沢宿で、沓掛宿・追分宿
御役所より被仰渡御書付之写并請印 ([解説])

岩村田宿は、中山道の宿場の一つで、江戸から碓氷峠を越えて信州に入ると、最初の宿場が軽井沢宿で、沓掛宿・追分宿
浅間山大焼け以来難儀につき見分願い ([解説])

岩村田宿は、中山道の宿場の一つで、江戸から碓氷峠を越えて信州に入ると、最初の宿場が軽井沢宿で、沓掛宿・追分宿
小諸洪水流失改帳 ([解説])

小諸町は、中山道追分宿(現軽井沢町)から分かれた北国街道最初の宿場で小諸宿とも呼ばれるが、三つないし四
寛保二年大洪水余禄 ([解説])

小諸町は、中山道追分宿(現軽井沢町)から分かれた北国街道最初の宿場で小諸宿とも呼ばれるが、三つないし四
小諸大変書 ([解説])

小諸町は、中山道追分宿(現軽井沢町)から分かれた北国街道最初の宿場で小諸宿とも呼ばれるが、三つないし四
寛保二年小諸大洪水変地絵図(1) ([解説])

小諸町は、中山道追分宿(現軽井沢町)から分かれた北国街道最初の宿場で小諸宿とも呼ばれるが、三つないし四
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2) ([解説])

小諸町は、中山道追分宿(現軽井沢町)から分かれた北国街道最初の宿場で小諸宿とも呼ばれるが、三つないし四
信濃名勝詞林 (越路廼日記)

【注6】 追分宿には脇本陣が二軒あり、そのうちの一軒が油屋小川助右衛門家である。
浅間山噴火の被害記 ([現代訳])

追分宿へ西風が強く吹きかけた。
善光寺道名所図会 (○別所温泉)

ハ、中山道洗馬宿より松本へ 出、保福寺峠を越へ別所へ下り、十一里余、別所より長瀬通り海野宿へ出て、追分宿
善光寺道名所図会 (○別所温泉)

別所から長瀬(注11)通りで海野宿へ出て、追分宿までは9里です。
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2) ([現代訳])

十二日に西の桜井村へ移られる予定でしたが、江戸より村上茂左衛門様という御勘定方が、十一日の晩追分宿へ泊
天明三年浅間騒動記 ([翻刻])

たりやおふと 取ル物もとりあへす追々馳集る事うしほ のミち来ることく、上州・信州両国の勢軽井 沢宿より追分宿
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