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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ
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「内藤家十五世紀」(十一)(藩校進徳館設置のこと)
([解説])
「内藤家十五世紀」(十一)(藩校
進徳館
設置のこと) / 高遠藩の学問と藩校
進徳館
進徳館
は江戸時代末期の万延元年(1860)に開校し、明治4年(1871),高遠藩における学問がどのようなものであったのか、
進徳館
の概略と合わせてご紹介します。 ,
進徳館
開校から遡ること100年も以前のことですが、彼の教えは門下生らに受け継がれ、後の
進徳館
の学びの根幹,
進徳館
で学んだ多くの藩士の子弟の中でも、随一の秀才といわれたのが伊澤修二です。,万延元年(1860)の開校からわずか11年半にして、
進徳館
は幕を閉じました。
「内藤家十五世紀」(十一)(藩校進徳館設置のこと)
([翻刻])
「内藤家十五世紀」(十一)(藩校
進徳館
設置のこと) / 伊藤文左衛門 又文武俊秀ナル者ヲ選抜シ、助教及ヒ 世話掛リヲ命ス 駿河守老職以下群臣ヲ率ヒ
進徳館
,又国家有事ノ日何時出陣 モ難計候間、平常武術練磨其際武功ヲ立テ、 藩名ヲ穢カシメサル様心掛可申候
進徳館
中聖廟,衛門ニ経書ヲ講義セシメ、親臨聴聞セラレル、又 屡演武場ニ臨ミ藩士ノ武術ヲ覧観セ ラル
進徳館
中学規及生徒訓條諸則,取扱スヘカラサル事 一無益ノ雑話スヘカラサル事 右ノ條々相互ニ可確守者也 申三月
進徳館
中席次年長者,ヲ以テ上トナス 駿河守蔵書六千六百三十余部ヲ出シ 是ヲ
進徳館
ニ付ス
「内藤家十五世紀」(十一)(藩校進徳館設置のこと)
([現代訳])
「内藤家十五世紀」(十一)(藩校
進徳館
設置のこと) / これを
進徳館
と命名し、あちこちに散らばっていた文武場を合わせ、子弟を養成しようと考えた。,【(付箋)
進徳館
開設以前に高遠藩士で学術に優れた者を、およそ列記した。】 , 伊藤文左衛門 又文武に特に優れた者を選んで、助教や世話掛を命じ、駿河守は老職以下群臣を率いて
進徳館
,
進徳館
では1か月に数回中村中蔵・海野喜左衛門に経書を講義させ、みんなで聞き入った。,駿河守は蔵書6630余部を出し、これを
進徳館
に備えさせた。
パスファインダー
(信州の藩学(藩校))
キーワード 松代藩文武学校 松本藩崇教館 上田藩明倫堂 高遠藩
進徳館
佐久間象山 阪本天山 正受老人,1989.3 武士層の学芸と藩校の項で、信濃各藩の藩校と郷学、松代藩文武学校の設立、 内容紹介 高遠藩
進徳館
,高遠藩では、学問所創置 につき諸用日記、高遠藩
進徳館
木造進献雑記、学士小伝取調(阪本天山・中村 中倧など
『説諭要略』巻一
([ルビ・注記])
万延元年(一八六〇)藩校
進徳館
の助教に任命。明治維新後筑摩県が設置されると庶務課に勤務した。
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