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「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(金井村)
金井村
地域 北信 市町村名 現在(令和2年):中野市(なかのし) 明治初期:
金井村
(かないむら,) 幕末から明治初期:
金井村
幕末から明治初期(よみ):かないむら 『長野県町村誌』 1巻 p1011,永禄八年星川洪水(えいろくはちねんほしかわこうずい) 明治初期の村絵図・地図(県立歴史館所蔵)
金井村
/
金井村
寛保二壬戌年金井村戌出水万覚留帳
([解説])
寛保二壬戌年
金井村
戌出水万覚留帳 / [解説] [目録] 元長野県立歴史館 青木隆幸 「寛保二壬戌年
金井村
戌出水万覚留帳」(以下、「,万覚留帳」と略)は、祢津知行所
金井村
(現東御市金井)の名主役を務めていた(瀬田)清右衛門が記録した史料,
金井村
は8月1日朝8時頃、所沢川上流で発生した土石流に見舞われ百人を越える村人が流死、家屋のほとんどが,「万覚留帳」によれば、この土石流による
金井村
の流死者は113人だったという。,現在のところ所沢川上流で大規模な山体崩壊の痕跡は確認されていないが、
金井村
から10㎞余離れた上田城下で
寛保二壬戌年金井村戌出水万覚留帳
([現代訳])
寛保二壬戌年
金井村
戌出水万覚留帳 / [現代訳] 「寛保二壬戌年
金井村
戌出水万覚留帳 九月吉月 名主清右衛門」 一 組頭百姓代流死改役被仰付,内山千右衛門様 同 楢原丈右衛門様 これらの方々が検分(被害の調査)のために加沢久保より入り、
金井村
,の内 一 飢人数113人 7歳以下は除くと男62人、女51人 信州小縣郡松平采女正知行所
金井村
寛保二壬戌年金井村戌出水万覚留帳
([翻刻])
寛保二壬戌年
金井村
戌出水万覚留帳 / [翻刻] 「寛保二壬戌年
金井村
1 戌出水万覚留帳 九月吉月 名主清右衛門」 , 外ニ七歳以下之分除之 男六拾弐人 女五拾壱人 右ハ信州小縣郡松平采女正 知行所
金井村
之儀
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(里山辺村)
現在(令和2年):松本市(まつもとし) 明治初期:里山辺村(さとやまべむら) 幕末から明治初期:上
金井村
,/下
金井村
/新井村/湯の原村/藤井村/薄町村/兎川寺村/荒町村/北小松村/南小松村/林村/大嵩崎村
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(鞍掛村)
市町村名 現在(令和2年):東御市(とうみし) 明治初期:鞍掛村(くらかけむら) 幕末から明治初期:
金井村
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(南条村)
:坂城町(さかきまち) 明治初期:南条村(みなみじょうむら) 幕末から明治初期:鼠宿村/新地村/
金井村
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(塩尻村)
明治初期:塩尻村(しおじりむら) 幕末から明治初期:塩尻村/堀の内村/大小屋村/桟敷村/長畝村/大門村/
金井村
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(中川村)
):松本市(まつもとし) 明治初期:中川村(なかがわむら) 幕末から明治初期:小岩井村/両瀬村/
金井村
上田の早苗
([翻刻])
九軒、 一加沢村九軒流亡、村中河原となる、溺死十五人 一祢津大半流失、溺死人六十人余之由、 一
金井村
皆流失
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